国名 | 南スーダン共和国 | ||||
英語 | Republic of South Sudan | ||||
首都 | ジュバ(Juba) | ||||
独立年 | 2011.7(スーダン) | ||||
主要言語 | 英語、アラビア語 | ||||
面積 | 61万9745km2 | ||||
人口 | 1302万6129人(2017年度統計) | ||||
通貨単位 | 南スーダン・ポンド | ||||
宗教 | キリスト教60% | ||||
主要産業 | 原油 |
地理
アフリカ大陸中央部に位置する内陸国。北はスーダン、東はエチオピア、南はケニア、
ウガンダ、コンゴ民主共和国、西は中央アフリカ共和国に接する。
白ナイル川が南から北へと流れ、スッド(Sudd)と呼ばれる広大な湿地帯が東部を占める。
熱帯性気候で雨季(5〜10月)と乾季(1〜3月)がある。
首都ジュバの気温は 1月 28℃、7月 25℃。年平均気温 27℃
住民の大半がキリスト教、アフリカ伝統宗教を信仰する黒人。
民族はディンカ族、シルク族、ヌエル族、ムンダリ族などで、公用語は英語である。
おもな産業は石油で、綿花、落花生などの農業やチーク材などの林業も行われている。
国家収入のほとんどが石油に依存、非石油産業の育成が課題となっている。
歴史
古代、エジプト南部からスーダン北部一帯のナイル川流域はヌビア(Nubia 黄金の国)と呼ばれ、金や木材を産出する重要な土地だった。
最古の王国とされるクシュ王国(Kingdom of Kush BC1070−AD550)は、一度はエジプト新王国に滅ぼされるも、
ヌビアのナパタ(Napata 現在のスーダン北部)を中心に、紀元前10世紀から、4世紀にかけて栄えた。
1899年からのイギリスとエジプトによる共同統治を経て、1956年1月、スーダン共和国として独立。
独立後、イスラム教徒の多い北部と、キリスト教徒の多い南部とが、宗教的に対立関係にあった。
1974年、南部で石油が発見されると、資源をめぐって対立が激化し内戦状態に陥った。
2011年7月、スーダンの南部10州が住民投票により南スーダン共和国として独立した。
BC1070年 | ハム語族のクシュ人が、ナイル川中流域にクシュ王国を建国。首都はナパタ。 |
1899年 | イギリス・エジプトの共同統治下となる。 |
1956年 | スーダン共和国として独立。 |
2011年 | スーダンの南部10州が住民投票により南スーダン共和国として独立。 |
牛は富の象徴
南スーダンの知られざる世界一は、人口一人当たりに占める家畜の数だ。
牛や羊などを合わせた数は、約3600万頭。全人口の約三倍もの数である。
特に牛は、農村部の住民にとって、富の象徴である最も貴重な財産だ。
牛は、食肉用に所有しているのではない。
食用の牛は、わざわざウガンダなどの隣国から輸入している。
例えば、結婚に必要な結納も牛である。
男性が妻を迎えるには、数百頭もの牛を妻の家に贈らなければならない。
また殺人など罪を犯した場合に、その償いとして求められるのも牛である。
つまり牛を所有していなければ、まともな社会構成員として見られないし、
また牛を多く所有するほど、社会的な名士として尊敬を集めることになる。
このため財産である牛をめぐって、何世代にも渡って部族間で争いが続き、
牛の奪い合いが、殺し合いに発展することも珍しくないという。