国名 | オマーン国 | ![]() |
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英語 | Sultanate of Oman | ||||
首都 | マスカット(Muscat) | ||||
独立年 | |||||
主要言語 | アラビア語 | ||||
面積 | 21万2460km2 | ||||
人口 | 342万4386人(2017年推計) | ||||
通貨単位 | オマーン・リアル(OMR) | ||||
宗教 | イスラム教85%、キリスト教6% | ||||
主要産業 | 原油、液化天然ガス |
地理
アラビア半島南東端のスルタン君主制国家。
北部ムサンダム半島に飛び地があり、ホルムズ海峡に接している。
国土の大半は酷暑と乾燥が一年中続く砂漠気候。5月〜9月は最高気温が50℃を超える日もある。
オマーン湾沿いの海岸地帯は土地も肥沃で、住民の大部分はここに集中し、
気候も 11月〜3月は比較的しのぎやすい。
ほかの地方は年間降水量が 100mm前後しかなく、灌漑用水も不足しているため農業は不振。
農産物は主としてナツメヤシ、穀物、ザクロ、ライムなど。そのほか海産物とその加工業があり、
貿易は主としてインド、パキスタン、ペルシア湾岸諸国との間に行なわれている。
1964年内陸で、輸出できるほどの量の石油が発見され、オマーン湾までパイプラインを敷き、
1967年から輸出が開始された。
埋蔵量は比較的少量とみなされているが、国家収入の 80%以上となっている。
歴史
BC2世紀、イエメン(当時はシバ王国)から南アラブ族が移住。
移住の原因は災害(マリブ・ダムの決壊)によるものと伝えられる。
主な移住先であるサラーラを中心としたドファール地方は、古代エジプトやヨーロッパで
儀式用香料として盛んに使用された乳香の産地として知られていた。
当時の乳香は金と同等の価値があったという。
以降、サラーラは乳香貿易の主要な交易地として繁栄した。
ペルシア湾がインド洋に広がる、その出入り口にあるオマーンはその後、17世紀にかけて東アフリカから
パキスタン南部までを支配する一大海洋国家を築き上げた。
しかし、18世紀以降、スエズ運河の開通、蒸気船の登場により、これまで主体であった帆船貿易が打撃を受け、
衰退してしまった。
一方、1964年に砂漠地帯で石油が発見されると、石油収入が急増し、歳入の大半を占めるようになった。
だがやはり石油の埋蔵量は限られているため、オマーン政府は脱石油を目ざして産業の多様化を進めている。
BC2世紀 | イエメンから南アラブ族が移住 |
7世紀 | イスラム教が伝わる |
16世紀 | ポルトガルの支配下 |
1650年 | ポルトガルを追放 |
1856年 | 国名をマスカット・オマーン土侯国と定める |
1891年 | イギリスの保護国に |
1970年 | 国名を現在のオマーン国と定める |
1971年 | イギリス保護領より独立し、国際連合に加盟 |
スルタン・カブース・グランド・モスク(Sultan Qaboos Grand Mosque)(マスカット)
2001年に完成したオマーン最大のモスクで、壮大な建築と美しい装飾が魅力。
床はすべて大理石で造られており、中央のミナレットは92mの高さを誇る。
モスクの内部は、世界最大級のシャンデリアやペルシア絨毯が見どころ。
海のシルクロードの拠点として繁栄し「アラビアン・ナイト」に登場するシンドバッドが
船出したと伝えられる歴史ある国オマーン。
近年は石油資源の恵みを受けて急速に発展しており、都市部は清潔で現代的。
その一方で四つの世界遺産を擁しており、文化・歴史の保存に力を入れ、国内各地に
見どころが点在している。
乾いた岩山とオマーン湾に挟まれて白い家々が立ち並ぶ首都マスカットの美しさは、
アラビア半島でも随一といわれる。