国名 パキスタン・イスラム共和国              
英語 Islamic Republic of Pakistan  
首都 イスラマバード(Islamabad)  
独立年 1947.8(イギリス)  
主要言語 ウルドゥー語  
面積 80万3940km2  
人口 2億0492万4861人  
通貨単位 パキスタン・ルピー  
宗教 イスラム教96%  
主要産業 繊維、衣類、米  




地理

インド亜大陸北西部の国。西はアフガニスタンとイラン、
北は中国、東はインドと国境を接し、南はアラビア海に面する。

北部は北緯 37°付近まで、ヒンドゥークシ山脈、カラコルム山脈などの山岳地帯。

中央部はインダス川流域を中心に平野。
南西部はアラビア海沿岸まで広大な砂漠地帯。東縁部はタール砂漠。

生活、産業の中心はインダス川流域で、古くから灌漑網が整備され、米、コムギ、綿花などが代表的農作物。
住民はトルコ・イラン系が多く、南部にドラビダ諸族が居住。

公用語はウルドゥー語であるが、パシュト語、シンディー語、
パンジャブ語なども広く用いられ、英語も広く通用する。

工業は綿紡績、その他の繊維工業が主。近年化学、セメント工業なども発展してきている。
輸出産品は綿花、綿製品、米が主。中東への出稼ぎ労働者が近年急増している。




歴史

国土中央のインダス川流域平野で、BC25〜BC15世紀に世界三大文明の一つインダス文明が誕生。

その後幾多の王朝が支配、衰亡を繰り返した。
1858年ムガル帝国の滅亡後、イギリスの植民地に。

1947年東西パキスタンがインドとともにイギリスから独立。
だがインドとはカシミール帰属問題で印パ戦争を戦い、その火種は今も続く。

独立後、3次にわたる印パ戦争やバングラデシュの独立があった。

住民はパンジャブ人(Punjabis)が多く、南部にドラヴィダ族(Dravidian)などの少数民族が居住。
国内に民族問題などを抱え、4度のクーデターによる軍事政権と民政を繰り返しながら政治的にも不安定な状況が続いた。

1998年には、インドに続いて核実験に踏み切り、成功させて核保有国となった。


1947年 英領インドより独立(8月)パキスタン(1947〜1956年)の成立
1947年  第1次印パ戦争(10月)
1948年 「建国の父」ジンナー死去
1952年 日パ国交樹立
1956年 「パキスタン・イスラム共和国憲法」(議院内閣制)公布・施行。パキスタン・イスラム共和国(1956〜1958年)の成立
1958年 アユーブ・カーン陸軍大将によるクーデター
アユーブ・カーン陸軍大将,大統領に就任。
1962年 「パキスタン共和国憲法」(大統領制)公布・施行。パキスタン共和国(1962〜1973年)の成立
1965年 第2次印パ戦争
1969年 アユーブ大統領辞任
ヤヒヤー陸軍参謀長,大統領に就任
1970年 初の総選挙実施
1971年 第3次印パ戦争(東パキスタンがバングラデシュとして分離独立)
Z・A・ブットー人民党(PPP)党首,大統領に就任
1973年 「パキスタン・イスラム共和国憲法」(議院内閣制)公布・施行。パキスタン・イスラム共和国の成立
Z・A・ブットー大統領,首相に就任
1977年 総選挙実施
ハック陸軍参謀長によるクーデター
1978年 ハック陸軍参謀長,大統領に就任
1979年 ハック大統領,「イスラム化政策」開始
1985年 総選挙実施,ジュネージョ首相就任
「憲法第8次修正」成立
1988年 ハック大統領,ジュネージョ首相を解任
ハック大統領,軍用搭乗機の墜落事故によって死去
G・I・カーン上院議長,大統領に就任
総選挙実施,B・ブットー首相就任(第1次B・ブットー政権)
1990年 G・I・カーン大統領,B・ブットー首相を解任
総選挙実施,シャリフ首相就任(第1次シャリフ政権)
1993年 G・I・カーン大統領,シャリフ首相を解任
総選挙実施,B・ブットー首相就任(第2次ブットー政権)
1996年 レガーリ大統領,B・ブットー首相を解任
1997年 総選挙実施,シャリフ首相就任(第2次シャリフ政権)
「憲法第13次修正」成立
1998年 パキスタン核実験
1999年 カルギル紛争
ムシャラフ陸軍参謀総長によるクーデター
ムシャラフ陸軍参謀長,行政長官に就任
2002年 総選挙実施
2007年 大統領選挙実施,ムシャラフ大統領再選
非常事態宣言発出
2008年 総選挙実施,ギラーニ首相就任
ムシャラフ大統領辞任,ザルダリ大統領就任
2012年 ギラーニ首相辞任,アシュラフ首相就任
2013年 総選挙実施,シャリフ首相就任(第3次シャリフ政権)
フセイン大統領就任
2017年 シャリフ首相辞任,アバシ首相就任
2018年 総選挙実施,カーン首相就任
アルビ大統領就任




カシミール問題 (Kashmir)


宗教の違いは、民族や生活習慣の対立に直結する。

ヒンドゥー教徒にとって、牛は神聖な動物で、牛肉を
食べることは考えられない。しかし豚肉は食べる。

イスラム教徒は、牛肉は食べるが、豚は不浄な動物とされ、
豚肉を食べることは、コーランで禁じられている。

神の拝み方から食生活まで、多くの文化的違いがあり、
これらが信者同士の対立抗争を生み出してきた。

1947年8月、インドとパキスタンが、イギリスから独立すると、
両国の国境付近にあるカシミール地方が問題となった。

カシミール地方は、カシミアヤギが生息する高原地帯で、
カシミアセーターなど高級毛織物の産地でもある。


この地方は、中国とも国境を接していることから、中国、インド、
パキスタンの三か国による共同統治を目指すことになった。

だがカシミール地方の住民の77%は、イスラム教徒だった。

イスラム教徒の国として独立したパキスタンとしては、
カシミールが自国に加わるのが当然と考えた。

さらにパキスタンを流れるインダス川は、本流も支流も
すべて水源はカシミール地方にあった。

パキスタンにとって、カシミールが自国の領土にならないと
水源の確保が難しくなるという事情もあった。

1947年10月、パキスタンのイスラム教徒の軍がカシミールに侵攻。
対して、インドもヒンドゥー軍を派遣、第一次印パ戦争となった。

この戦争は、国連の調停で1949年に停戦となった。


1959年3月、チベット仏教の指導者ダライ・ラマがインドへ亡命。
ダライ・ラマをかくまったインドに対して、中国は激怒した。

1962年10月、中国とインドとの間で、中印戦争が勃発。

二か月間続いたこの戦争は、中国が圧勝。
中国は、インドが自国領と主張するカシミール地方の一部を占領した。

すると今度は、中国封じ込めのため、アメリカが介入し、
インドに軍事援助をはじめた。

敵国インドにアメリカが肩入れするのを見たパキスタンは、
インドの敵である中国と同盟を結んだ。

こうして四つ巴となったカシミールをめぐる紛争は、
その後も継続され、今もなおその戦火は絶えることがない。