国名 | サウジアラビア王国 | |||
英語 | Kingdom of Saudi Arabia | |||
首都 | リヤド(Riyadh) | |||
独立年 | ||||
主要言語 | アラビア語 | |||
面積 | 214万9690km2 | |||
人口 | 2857万1770人 | |||
通貨単位 | サウジ・リアル | |||
宗教 | イスラム教94% | |||
主要産業 | 石油、プラスチック |
地理
アラビア半島の大部分を占める国。宗教上の首都はメッカ。
西部の紅海沿岸にはヒジャーズ山地(ヒジャーズ地方)、アシール山地が連なり、
東部ペルシア湾岸はゆるやかに傾斜して高原台地を形成。
国土の大部分は砂漠とステップであるが、大地の下には地下水が層をなして全体に行き渡り、
伏流がオアシスとなって、リヤドなどの内陸都市や耕地を形成。
16世紀にオスマン帝国の支配下に入り、遊牧民(ベドウィン族)とオアシス農民の居住地であった。
1926年イブン・サウード(Ibn Saud)がヒジャーズ・ナジド王国を建国。
1932年「サウード家のアラビア」を意味する現国名に改称した。
住民の大部分はアラブ人で、アラビア語を話し、イスラム教のスンニ派のなかでも
戒律の最も厳しいワッハーブ派のイスラム教徒。イスラム暦を使用し、司法も「コーラン」による。
比較的雨量の多いアシール山地やオアシスでは、コムギ、キビ、トウモロコシ、アルファルファ、
アラビアゴムノキ、コーヒーなどを栽培する。
第2次世界大戦後、石油が開発され、世界でも有数の産出国で、最大の石油輸出国となっている。
1980年代に外国資本の石油会社アラムコを国有化し(サウジアラムコ)、
その収入により、経済、社会の近代化が推進されている。
経済成長にあわせておびただしい数の外国人労働者が流入し、21世紀初めには総人口の 20〜25%を占めるにいたった。
憲法、議会、政党をもたない祭政一致の君主制であるが、1991年の湾岸戦争後、
民主化要求が高まり、21世紀初め、ゆるやかな改革が始まった。
歴史
サウジアラビアの王家サウード家は、リヤド近郊のナツメヤシ農場を営む有力部族であった。
18世紀半ばにワッハーブ派と称される宗教復興運動と組み、一気にその勢力圏を拡大。
1744年、サウード王国を建国し、一時はアラビア半島統一に至るまで勢力を拡大させた。
だがオスマン帝国の支援を得た有力部族ラシード家との勢力争いに敗れ、
1891年、現在のクウェート地域への亡命を余儀なくされる。
1918年、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗退、ラシード家はその後ろ盾を失った。
1925年、サウード家の王アブドゥル・アジズは、宿敵ラシード家から本拠地リヤドを奪還し、
アラビア半島を統一、サウード王国を復興した。
1932年、国名を現在のサウジアラビア王国(サウード家のアラビア)と改称。
その建国から6年後の1938年、東部のダーランにて巨大油田が発見された。
その後米国主導による本格的な石油開発が進められ、資源大国の道を歩むこととなった。
610年 | ムハンマド、イスラム教を創始する |
622年 | ムハンマド、メッカからメディナに移住(聖遷 ヒジュラ) |
630年 | ムハンマド、メッカを征服 |
632年 | ムハンマド没、アブー・バクルが初代カリフとなる |
661年 | ムアーウィヤがウマイヤ朝初代カリフとなる(ウマイヤ朝開始) |
750年 | アッバース朝開始 |
1171年 | アイユーブ朝開始 |
1250年 | マムルーク朝開始 |
1299年 | オスマン帝国開始(1517年からサウジアラビア支配) |
1744年 | 第一次サウード王国(1744〜1818年) |
1824年 | 第二次サウード王国(1824〜1891年) |
1925年 | アブドゥル・アジズ王がアラビア半島を統一 |
1926年 | ヒジャーズ・ナジド王国成立 |
1932年 | 国名をサウジアラビア王国に改称 |
1938年 | 油田発見 |
マダイン・サーレハ (Madain Saleh)
メディナから車で4時間、サウジ北部のネフド砂漠にそびえたつ奇岩群が見えてくる。
砂漠の中に点在するいくつもの岩山に神殿のような建造物が彫り刻まれている。
これらは紀元前2世紀頃、この地を支配した、ナバテア王国(Nabataea)の遺跡とされる。
聞けばこれらの岩山の神殿は、歴代ナバテア王の墳墓群だという。
神殿の入口には、蛇や大型の鳥のような模様がくっきりと正確に描かれており、
ナバテア人たちの文明の高さを物語っている。
内部には祭壇や埋葬品、古代アラビア文字と呼ばれる独特の文字なども保存されており、二千年もの長い間、
厳しい砂漠の自然にじっと耐えてきた歴史の重みを感じさせてくれる。
シルクロードの終点に位置するナバテア王国は、往時は多くの交易商人たちが訪れて大いに賑わっていたという。
首都ペトラは、商人たちが運んできた香辛料が、ガザの港からヨーロッパへ運ばれるまでの最後の逗留地であった。
だが、繁栄を誇ったナバテア王国も、106年、ローマ帝国に滅ぼされてしまった。
ナバテア人たちは、歴史の表舞台から姿を消してしまったが、彼らの文化は壮麗な砂漠の古代遺跡として生き残ることになった。
(住所:アル・ウラー Madain Saleh, Al Ula, Saudi Arabia)