国名 | セネガル共和国 | ||||
英語 | Republic of Senegal | ||||
首都 | ダカール(Dakar) | ||||
独立年 | 1960.8(フランス) | ||||
主要言語 | 仏語,ウォロフ語 | ||||
面積 | 19万6190km2 | ||||
人口 | 1466万8522人 | ||||
通貨単位 | CFAフラン | ||||
宗教 | イスラム教94% | ||||
主要産業 | 石油、魚介類、セメント |
地理
北はモーリタニア、東はマリ、南はギニア、ギニアビサオと国境を接し、
ガンビアを内包、西は大西洋に臨む。
国土の大部分は標高 100m以下の平地で、中部から北部はサバンナ、
南部は熱帯雨林地帯、沿岸部には砂丘が発達。
砂漠と湿潤熱帯との間の移行型のスーダン型気候で、
年降水量は北部で約 350mm、南部で約 1500mm。
ダカールの月平均気温は1月が 21.2℃。8月が 27.2℃。
農業を主とし、ラッカセイをはじめアラビアゴム、綿花、米、バナナ、サトウキビ、
キャッサバ、トウモロコシなどを産する。
フラニ族による牧畜も行なわれ、西部ではリン鉱石を産出。
工業は落花生油製造、水産物加工、セメント、肥料、石油化学など。
輸出は水産品、石油加工品、ラッカセイ (加工品を含む) が中心で、
ほかにアラビアゴム、魚缶詰、リン鉱石など。
住民はウォロフ族、レブ族、セレル族、フラニ族、トゥクロール族、マリンケ族など。
大部分がイスラム教徒。公用語はフランス語。
歴史
15世紀中頃からポルトガルがベール岬など沿岸部に基地を置いて奴隷貿易を始め、
17〜19世紀にはオランダ、イギリス、フランスが領有権を争奪。
1895年、フランス領西アフリカの一部となった。
1958年、フランス共同体内の自治国となる。
1959年4月、フランス領スーダン(現マリ)とマリ連邦を結成。
1960年8月、マリ連邦を解散してセネガル共和国として分離独立。
15世紀 | ポルトガル人来航 |
1895年 | フランス領西アフリカの一部となる |
1958年 | フランス共同体内の自治国となる |
1959年4月 | フランス領スーダン(現マリ)とマリ連邦を結成 |
1960年8月 | マリ連邦を解散してセネガル共和国として分離独立 |
ゴレ島 (Goree Island)
ダカールラリーの終着点として知られる首都ダカール。
沖合い3kmにあるゴレ島は、東西300m、南北900mという小島。
この島はかつて奴隷貿易の拠点として数多くの悲劇の舞台となった。
ヨーロッパ人が初めてセネガルを訪れたのは1444年。
彼らはアフリカ人を支配し、奴隷貿易を行うようになった。
ヨーロッパ人は、奴隷をアメリカに売ることで砂糖や綿花を入手した。
蓄積された利益は、その後産業革命の資本となった。
19世紀までの間に、1200万人のアフリカ人が売買された。
奴隷たちは、ゴレ島の船着き場から船に積み込まれ、
40日以上にわたって大西洋を運ばれていった。
奴隷船内の劣悪な環境で、約200万人がアメリカに向かう途中で死亡したという。
1865年、アメリカ南北戦争の終結によって奴隷貿易はようやく中止された。
それから110年後の1978年、ゴレ島はユネスコの世界文化遺産に登録された。
ゴレ島を始め、ナチス強制収容所、広島の原爆ドームなどは負の遺産と呼ばれる。
人類が犯した悲惨な過去を記憶にとどめ、教訓とするための遺産である。