国名 | 南アフリカ共和国 | |||
英語 | Republic of South Africa | |||
首都 | プレトリア(Pretoria) | |||
独立年 | ||||
主要言語 | 英語,アフリカーンス語 | |||
面積 | 121万9912km2 | |||
人口 | 5484万1552人 | |||
通貨単位 | ランド | |||
宗教 | 独立派キリスト教37%、プロテスタント26% | |||
主要産業 | 自動車、機械、白金、鉄鋼 |
地理
アフリカ大陸の南端部を占める国。
首都は行政府があるプレトリアで、ケープタウン、ブルームフォンティンにそれぞれ立法府、司法府がある。
国土の大部分を標高 1000m前後の高原や台地が占め、東部には標高 3000mをこえる
ドラケンスバーグ山脈が連なり、北西部にはカラハリ砂漠が広がる。
全般に乾燥気候を示すが、南部は温帯冬雨気候(地中海式気候)を呈する。
住民の約 80%はアフリカ人で、白人と黒人の混血(カラード)が約 9%、オランダ、イギリス系の白人が約 9%、
そのほかアジア人(おもにインド人)などが居住する。キリスト教徒が多く、全体の約 70%を占める。
公用語はアフリカーンス語、英語、ンデベレ語、ペディ語、ソト語、スワジ語、
トンガ語、ツワナ語、ベンダ語、コーサ語、ズールー語。
アフリカの先進工業国で、金、ダイヤモンドをはじめ、鉄鉱石、プラチナ、マンガンなどの鉱産資源も豊富。
金は産出、輸出ともに世界第1位。
農業も重要で、トウモロコシ、コムギ、サトウキビ、柑橘類、タバコなどを多産。
中央高地では牧畜が行なわれ、羊毛、肉が生産されるほか、都市部の郊外ではバター、チーズ、卵などの酪農が行なわれる。
製造業は食品加工、織物、金属、化学製品などで、生産物の 4分の1が輸出される。
歴史
1488年ポルトガル人が喜望峰に到達。
1652年オランダ東インド会社がケープタウンに植民地を建設。
植民地には、本国オランダからボーア人(Boer)が入植した。
1814年イギリスが進出、ボーア人からケープ植民地を奪って英国領とした。
追われたボーア人は、内陸にトランスバール共和国・オレンジ自由国、東岸にナタール共和国を建国。
ところが、その国に金とダイアモンドが発見されると、イギリスはこれらの国を侵略し、ボーア戦争(Boer Wars)を起こした。
ボーア人の国家は次々とイギリスの支配下におかれ、1910年すべて統合されて、南アフリカ連邦が成立した。
第2次世界大戦後、アジア・アフリカ各国で民族主義のうねりが高まる中、南アフリカ連邦も英連邦から脱退し、
1961年に南アフリカ共和国として独立を果たした。
しかし、少数の白人による支配は強まり、異人種間の結婚・性的交渉を禁じた「雑婚禁止法」や「背徳法」、人種ごとの居住地や
公的施設の使用区分を定めた「集団地域法」や「隔離施設利用法」など、一連のアパルトヘイト関連の諸法が制定されていった。
アパルトヘイトは国際社会の非難の的となり、とくに80年代後半に先進諸国の経済制裁を受けてからは、急速に差別緩和政策がとられるようになった。
徐々に法律の改正・撤廃が進められ、1991年にはアパルトヘイト関連の基幹法が全廃された。
1994年には初めての民主的総選挙が実施され、アフリカ民族会議(ANC)のネルソン・マンデラが史上初の黒人大統領に選出された。
マンデラは人種・民族の融和をかかげ、「虹の国」の建設を宣言。
その後もANC政権が続き、1999年に就任した同党のムベキ大統領は、黒人の経済参入・雇用拡大を目的としたBEE
(ブラック・エコノミック・エンパワーメント)政策を進めた。
この黒人優遇政策は、消費意欲の強い黒人中間層を生み出したが、同時に貧富の差を拡大させてしまった。
2009年に就任したズマ大統領には、経済・雇用の安定とともに、治安の改善やエイズ禍の防止等、解決すべき課題が山積している。
2010年6月には、アフリカ大陸では初となるサッカーワールドカップが開催された。
1652年 | オランダ、ケープ植民地設立。 |
1899年 | ボーア戦争(1899〜1902年) |
1910年 | 南アフリカ連邦の成立。 |
1961年 | 英連邦から脱退し共和制移行。南アフリカ共和国の成立。 |
1991年 | アパルトヘイト関連法の廃止。 |
1994年4月 | 初の全人種参加型の総選挙を実施。 |
1994年5月 | マンデラ政権成立。 |
1995年11月 | 全人種参加の地方選挙を実施。 |
1997年2月 | 新憲法発効。 |
1999年6月 | 第二回総選挙実施、ムベキ大統領就任。 |
2004年4月 | 第三回総選挙実施、ムベキ大統領再任。 |
2008年9月 | ムベキ大統領辞任、モトランテ大統領就任。 |
2009年4月 | 第四回総選挙実施。 |
2009年5月 | ズマ大統領就任。 |
2014年5月 | 第五回総選挙実施、ズマ大統領再任。 |
2018年2月 | ズマ大統領辞任、ラマポーザ大統領就任。 |
2019年5月 | 第六回総選挙実施、ラマポーザ大統領再任。 |
デビアス社 (The De Beers)
1899年イギリスはオランダ系移民の末裔であるボーア人と戦争を始めた。
彼らの居住地にダイヤと金が大量に埋蔵されていることがわかったからだ。
キンバリーには「ビックホール」と呼ばれる深さ1200mの巨大な穴がある。
穴の直径は約500m。ダイヤモンドを採掘するために掘られた穴である。
熱く湿った地中でダイヤ掘りの危険な作業を強いられたのは黒人たちだった。
彼らから人間としての誇りを奪い、反抗心を根こそぎにするための政策。
それが「アパルトヘイト」だった。
1890年、イギリスのデビアス社が、ロスチャイルド財閥の融資を得て、
当時70社にのぼる鉱山会社の全部を買収、傘下に収めた。
同社はその後、国際シンジケートを組織し、生産・加工・販売に至るまで、
全世界のダイヤモンドのほとんどを支配し、価格も統制している。
他産業ではみられないダイヤの独占市場はこうして生まれたのである。