国名 | ウガンダ共和国 | ||||
英語 | Republic of Uganda | ||||
首都 | カンパラ(Kampala) | ||||
独立年 | 1962.10(イギリス) | ||||
主要言語 | スワヒリ語、英語 | ||||
面積 | 23万6040km2 | ||||
人口 | 3957万0125人 | ||||
通貨単位 | ウガンダ・シリング | ||||
宗教 | キリスト教85%、イスラム教12% | ||||
主要産業 | コーヒー豆、穀物、石油製品 |
地理
北は南スーダン、東はケニア、南はタンザニア、ルワンダ、西はコンゴ民主共和国と国境を接する。
アフリカ大地溝帯(グレートリフトバレー)のなかに位置し、西の国境にアルバート湖、エドワード湖、
ルウェンゾリ山脈、南西の国境にビルンガ山脈、東の国境にエルゴン山、南東の国境にビクトリア湖があり、
湖面面積が国土の約 20%を占める。
標高 600m前後の北部は暑く、ほかの地域は標高 1100m以上で、年平均気温 20℃前後。
雨季は 3〜5月と 10〜11月の 2回。中部、北部は高木サバンナ、南部は低木サバンナ。
産業は農業が中心で、コーヒー、茶、綿花、タバコを輸出。
牧畜、湖の漁業も盛ん。
鉱物資源は豊かではないが、銅、コバルト、スズ、タングステン、リン鉱石、岩塩などを産出。
工業は製鉄のほか農産物加工、建築材、日用品製造など。
古くから人種交流が激しく、多様な人種の混交がみられるが、
大部分はバンツー系、ナイル語系諸族、ナイロ・ハム語系諸族などのアフリカ人。
イギリス植民地時代に鉄道敷設のため送り込まれたインド・パキスタン系住民がのちに経済を
大幅に支配したが、1972年アミン体制下のアジア人追放事件で激減した。
伝統宗教のほか、キリスト教徒、イスラム教徒が多い。
公用語は英語とスワヒリ語であるが、ルガンダ語が最も広く用いられる。
歴史
ブガンダ王国など諸王国の盛衰があったが、1890年イギリス東アフリカ会社が進出、
1894年イギリスのウガンダ保護領となった。
第二次大戦後独立運動が高まり、1962年独立、1963年共和国となった。
1971年軍部がクーデタをおこし、アミンが大統領になった。
だがアミンの独裁体制は、30万人といわれる虐殺を含む無数の人権抑圧を行い
国際的非難をあびた。
1979年タンザニア軍とウガンダ民族解放戦線によってアミン政権は倒された。
その後、内政が安定し、1995年には新憲法が制定され、国会選挙も実施された。
1962年 | 独立(旧宗主国 英国) |
1963年 | 共和制移行。ウガンダ共和国の成立 |
1966年 | オボテ首相がクーデター、大統領に就任 |
1971年 | アミン少将がクーデター、大統領に就任 |
1979年 | アミン大統領失脚(ルレ大統領就任) |
マウンテンゴリラ (Mountain Gorilla)
マウンテンゴリラは、ビルンガ山地の森林にわずか600頭ほどしか生存していない。
彼らは、密猟の危険にさらされ、これまで人間による暴力の被害を受けてきた。
ウガンダのブウィンディ原生国立公園には、約300頭のゴリラが保護され、
絶滅の危機から守られている。
マウンテンゴリラは体毛が濃く、腕も太く長い。
そのほかのゴリラよりも体格が大きく、木に登ることもできる。
また捕獲されたゴリラは優れた才能を発揮し、人間の教える手話を習得して
簡単な手話で会話もできるほど知能が高い。
野生のゴリラは、1頭のオスと複数のメスからなる群れを作って暮らしている。
捕食や縄張り内での移動など、群れによる行動は、オスが取り仕切る。
普段は明るい昼間に活動し、主に植物の葉・果実や昆虫を食べる。
ゴリラの群れは家族そのものだ。
父親であるオスのまわりに安心して暮らすメスや子供たちがいる。
胸を叩いて音を出すドラミングは、必ずしも威嚇の表現ではなく、
ストレスの発散や居場所を知らせるためだとされている。
ゴリラは本来おとなしい動物で、食物を争って群れ間でけんかをすることもなく
お互いに譲り合い、きわめて平和的に暮らしている。
人間ほど残虐な生き物はいない。戦争で同じ人間同士殺し合いもしている。
人はサルやゴリラから進化したと言われるが、むしろ退化しているのではないか。
むやみに争わず、家族を大切にする彼らの姿勢に、人類は大いに
見習うべきものがあるのではないだろうか。