国名 イエメン共和国  
英語 Republic of Yemen
首都 サヌア(Sanaa)
独立年
主要言語 アラビア語
面積 52万7970km2
人口 2803万6829人(2017年推計)
通貨単位 イエメン・リアル (YRIs)
宗教 イスラム教
主要産業 コーヒー、綿花、革製品




地理

北はサウジアラビア、東はオマーン、南はアデン湾とアラビア海、西は紅海に接する。

首都サヌアは2200mの高原にあり、モンスーンの影響を受け降雨が多い。
海岸平野は乾燥地帯で、涸れ川 (ワディ) 地下水、段丘の流れ水を利用して農業が行なわれる。

農産物はイエメン高地のコーヒーのほか、海岸平野では、サトウキビ、大麦、トウモロコシ、
ナツメヤシの実、果実、コーヒー、綿花が栽培され、ヒツジ、ヤギなどの牧畜も行なわれる。

イスラム法により、飲酒が禁止されているイエメンでは、酒の代用品としてカート(Khat)と
呼ばれる植物が愛用されている。


葉のままかじってガムみたいに噛みつづけると覚醒効果が現れる。
多くの国家では麻薬とみなされ非合法だが、イエメンではなくてはならない嗜好品である。





歴史

BC950年、この地に強大なシバ王国(Sheba BC950−275)が成立。
シバ王国に繁栄をもたらしたのは、樹液から作る乳香だった。

アラビア半島の一部でしか採取されない乳香は、古代ヘブライ王国で、宗教儀式に欠かせない必需品として
「金」よりも高価で取引され、その交易路は「乳香の道」と呼ばれていた。

聖書において、シバの女王が乳香を最上の宝としてソロモン王への贈り物として持っていったことが示されている。
しかし、古代のユダヤ人の王国が滅亡していくにしたがい、徐々に乳香交易は衰え始める。

やがてシバ王国の勢力は衰退し、275年、ヒムヤル王国(Himyar BC115−575)に併合された。

その後、7世紀にはイスラム化し、16世紀以降オスマン帝国の支配を受けた。

1839年、南部のアデン地区がイギリスの植民地となったことから、オスマン帝国支配下の北イエメン、
イギリス支配下の南イエメンという勢力地図が確定した。

1918年、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れると、北イエメンがイエメン王国として独立。
1962年、イエメン王国は共和制に移行し、イエメン・アラブ共和国が成立した。

1967年、南イエメンがイギリスから独立し、アラブで唯一の社会主義国、南イエメン人民共和国が成立。
1990年、南北イエメンが統一し、現在のイエメン共和国が成立した。

だが、テロ事件や内戦が多発し、国内の情勢は混乱が続くままとなっている。


BC950年 シバ王国が成立
275年 ヒムヤル王国がシバ王国を併合
570年  ササン朝ペルシアの支配下
630年 イスラム教が伝わる
1583年 オスマン帝国の支配下
1839年 南イエメン、イギリスの支配下
1918年 北イエメンがイエメン王国としてオスマン帝国から独立
1962年 イエメン王国、共和制に移行し、イエメン・アラブ共和国が成立
1967年 南イエメンがイギリスから独立し、南イエメン人民共和国が成立
1990年 南北イエメンが統一し、イエメン共和国が成立






古代シバ王国遺跡群(世界遺産)


古代シバ王国は、BC950年から275年まで南アラビアに存在した王国。首都はマリブ(Marib)

神殿を主とする建造物、ダムなどの灌漑施設を築き、厳しい砂漠地帯のオアシス都市として栄えた。
言語はセム系で、文字はフェニキア文字から派生した。

宗教は天体崇拝を主とした多神教で、広大な神殿領と多数の神殿奴隷を持っていた。
都のマリブは、乳香を扱う隊商交易ルートにも組み込まれ、南アラビアの文化経済の中心地だった。

王国の繁栄ぶりは「旧約聖書」「コーラン」などの聖典や、中世アラビアの文献などに引用され、
各地に様々な伝承が残されている。

遺跡群には、月の神殿、太陽の神殿、古代ダムなどが含まれている。

月の神殿は、月に生け贄を捧げ、月に祈りを捧げる場所であった。
かつてのキャラバンは、夜移動していたため、太陽より月をより重要視していた。