カコン、カコンと、セルロイドの乾いた音だけが、物静かに流れてくる。
1、2、3、4、5・・・5回で必ず音のラリーが終わる。
薄ぼんやりと徐々に、4人の少女(奈々子= 辻、亜矢=矢口 、優里=後藤、美紀=
飯田)が、卓球をしているのが分かった。
「人間って、一生のウチでどれくらい寝るんだろう」
こんな他愛のない会話で、物語は始まった。
誰かが答える。
「大体20年くらい寝ているんだって」
「だったら、私達ってまだ寝てる状態なんだ」
「じゃあ、今の私達って、夢なのかな」
会話の意味はよく分からない。
時計が映される。
時間は、まだ3時を過ぎたばかりだった。
場面は変わって、浪人生らしき男の話になる。
浪人生は、朝の満員バスで老人に席を譲れなかった自分を反省していた。
その事を彼女に相談してみる。
彼女の答えは、「私は絶対譲らない。他人を蹴落とさないと、受験戦争には勝てないでしょ」だった。
冷たくもあり、もっともでもある答えだった。
また場面が変わる。
本日退職する60歳の初老男と、仕事に燃える32歳の若手社員のやりとりが映し出される。
彼らの仕事は、スーパーを見回る補導員だった。
少年が補導された。
若い男は、なんとか少年の苦悩を聞き出そうとするが、初老の男はにべもなく、あっさりと警察に通報してしまう。
今回が初めてではない。初老の男にとっては、日常のことなのだ。
また次の場面に。
女性にモテたいが為に、バイクを買おうとする大学生。
ある店で、彼は1台の安いバイクに目が留まる。
その手頃な値段となかなかの外観に、大学生はすっかり心を奪われた。
しかし、店主は頑としてバイクを売ろうとはしなかった。
さらに場面は変わる。
舞台は病院(産婦人科?)。一人の女性が、赤ちゃんを抱いて退院するところだった。
傍らには若い男が。しかし、亭主ではない。
男は弁護士だった。
おめでたい退院なのに、何故弁護士が?
それぞれのシーンの後に、必ず時計が映し出される。
何かの時間を待っているように。
少女達の場面へと戻る。
未だに卓球のラリーは5回までしか続かない。
たいして面白くもないようだ。
しかし、黙々と5回までのラリーは続く。
「何か賭けよう」
亜矢が言った。
「だったら×××の餃子がいい♪」
「何それ?」
「世界一美味しい餃子! 今度行こうよ」
「今度・・・っていつ?」
「いつか!」
要領を得ない会話。
いつかではなく、今日ではダメなのか?
ラリーはやはり続かない。
時計は4時をまわった。
シーンは浪人生。
彼女の冷たい答えがどうにも釈然としない。
愚図る男に、彼女は負け人間の具体例を出す。
「昔同級生だった『女の子』、憶えてる? 彼女、覚醒剤とかのクスリやったあげく、自殺未遂までしたそうよ。ああいうのは、負け組の最たるモノよね」
浪人生はその『女の子』を憶えていた。
あの明るかった『女の子』が自殺未遂?
にわかには信じられない話だった。
舞台は初老の補導員へと移る。
この補導員の、先の万引き少年に対する無情の仕打ち。それは仕事に情熱を注ぐ若い補導員にとっては、許し難いモノであった。
「なんですぐに警察に連絡してしまうんですか? もっと少年の話も聞いてあげなくてはいけないのでは?!」
若い補導員は、今日付けで引退になる初老の男に、積もり積もった今までの思いをぶつけた。
「仕事に熱入れたってロクな事ないぞ。オレが担当した子なんてな、16回も補導されても、結局万引きグセは治らなかったんだ」
初老の男は、疲れたように言葉を返した。
街のバイク屋。
大学生の欲しいバイクは、未だ店の中にひっそり置かれている。
大学生には、何故売ってくれないのか納得がいかない。
仕方ないという風に、店主は売らない理由を答えた。
バイクは事故車だった。
しかも、人を轢き殺してしまったという、いわく付きのモノだった。
大学生は愕然とした。
病院の屋上。
弁護士が看護婦と何かを相談している。
弁護士の扱っている事件は、婦女暴行事件だった。
察する通り、被害者は今日退院した女性であり、赤ちゃんは強姦魔の子供なのだった。
こんな不幸な事件なのに、退院した女性からは、暗い表情など全く窺えない。
いや、それどころか、心から嬉しそうに微笑んでいる。
生まれた子供には罪が無いから?
実は、そういう希望に満ちた状況ではないことは、すぐに知ることになる。
女性は記憶喪失になっていたのだ。
事件のことだけを、ポッカリと忘れてしまっていたのだ。
また少女達の卓球シーンに。
何度挑戦しても、数える数字は5までしか到達しない。
一人の少女が打ち返すコツを教える。少女は唯一の卓球経験者だ。
「ラケットはあんまり強く握っちゃダメ。そう・・・生タマゴを持つように、やさしく持たなくちゃ」
「ナマタマゴ・・・?」
全員小さく呟いた後、ラケットの持ち方をやさしい持ち方に変え、ラリーを始めた。
1、2、3、4、5・・・6
ついに、5回以上続けることが出来た。
そのまま数える数字は、どんどんと続いていく。
少女達の顔に、笑顔が宿る。
他愛もないことで喜べる友達がいる。
そんな小さな幸せに浸っているかのような、無邪気な喜びようだった。
時計はもうすぐ5時になろうとしていた。
浪人生のシーン。
元同級生の起こした、信じられない事件。大きなショックを受けていた浪人生に、彼女は一冊の週刊誌を見せる。
「ほら、これに事件のことが載ってる。『女の子』の写真も」
差し出された週刊誌に載っていた写真は・・・亜矢=矢口だった。
亜矢は母一人子一人の母子家庭。
しかし最近、母親にタチの悪い男が出来、母親の留守中、亜矢はその男に暴行されていた。
その苦悩を紛らわすため、亜矢はクスリへと走り、自殺未遂まで起こしていたのだ。
補導員のシーン。
初老の男が、若い男に一枚の補導報告書を見せる。
そこにある写真に写っていたのは、奈々子=辻だった。
奈々子の家庭は両親とも忙しく、裕福ではあっても、家族団らんと言うにはほど遠い状況だった。
そんな両親にかまって貰いたいが為に、奈々子は万引きを繰り返していた。
しかし、呼び出された両親は、奈々子を引き取ると、またすぐに仕事へと戻ってしまう有様だった。
バイク屋。
店主が、このバイクの持ち主は、いま少年院にいると告げる。
ただ、事故の時、運転していたのはバイクの持ち主ではない。
持ち主の後輩が、借りたバイクで人を轢いてしまったのだが、その身代わりに持ち主が出頭したのだ。
バイクの持ち主は美紀=飯田だった。
美紀は天涯孤独で、孤児院で育った。
そんな中、初めて親友と思える友達が出来た。
一緒に×××の餃子も食べに行った。
世界一美味しいと語り合った。
そんな友達が起こしてしまった人身事故。
美紀は自ら進んで身代わり出頭したのだった。
弁護士のシーン。
被害者の女性は、忌々しい事件の記憶だけ、すっかり無くしていた。
看護婦は、いたずらに被害者を刺激しないよう、裁判は辞めるべきだと言った。
しかし、犯人は?
こんな非道いことをした犯人を許してもいいのか?
犯人はもういなかった。
殺されていた。被害者の妹に。
被害者の妹とは、優里=後藤のことだった。
男は、優里の弁護士だったのだ。
優里は姉と二人暮らしで、姉のことを母親のように慕っていた。
その姉を無惨に汚されてしまった。その上、記憶喪失まで・・・
激情の上の過ちとはいえ、優里は人を殺してしまったのだ。
少女らが卓球をしていた場所は、少年院の中だった。
自らの境遇をすっかり忘れているかのように、楽しく卓球に打ち込む少女達。
ここで初めて、意味不明だった会話が次々に繋がってゆく。
今は食べに行けない餃子。
人は一生に20年くらい寝て過ごしているんだという会話。
そう、彼女らにとって、今はまだ夢の途中なんだろう。
ここを出たとき、本当の人生が始まる。
そんな希望に満ちた会話だったのだ。
時間は5時になった。
5時。
物語中、何度も時計が映された。
それはこの時間=少女達への面会時間を暗示する為だった。
奈々子=辻の面会には、両親が来た。
「ここを出たら良い子になるね」
上手く笑顔が作れないまま、恥ずかしげに話す奈々子。
対する親からの返事は、暖かい家庭を求めた奈々子に、冷たい鉄槌を打ち込むモノだった。
「お母さん達、離婚することに決めたから。奈々子は、お父さんとお母さんのどっちと一緒に暮らしたい?」
腕に抱いたぬいぐるみを抱きしめ、消え入る声で奈々子は呟いた。
「キティちゃん・・・」
亜矢=矢口の面会には、母親が来た。
いろいろ辛いことがあったけど、ようやくまた母子二人の暮らしが出来る、と亜矢は嬉しそうだった。
そんな亜矢の期待も、無惨に裏切られてしまう。
「やっぱりあの人とは別れられない・・・。あの人も反省してるから、また一緒にみんなで暮らしましょ」
娘をここまで追い込んだ男と、また暮らすという母親。
母親が帰った後、亜矢はいつまでも泣き続けていた。
美紀=飯田には、事故を起こした張本人の後輩が来た。
家族のいない美紀には、面会に来てくれる人はこの後輩くらいなのだろう。
しかし、後輩の口からは、思いもよらない言葉が出る。
「先輩が身代わりになってくれて助かったッスよ。この身代わりの御礼は、30万円でどうッスか?」
お金が欲しくて美紀は身代わりになったんじゃないって事は、言わずもがなである。
「そんなモノはいらないよ。そんなことより、ここを出たらまたあの×××に行って、一緒に餃子を食べようよ」
「えっ? どの店? 憶えて無いなあ・・・」
親友と思っていたのは、美紀の方だけだった。
優里=後藤には、弁護士が訪れた。
弁護士は、ちゃんと裁判で戦おうと優里を励ました。しかし、復讐を遂げた優里にとって、もう自分のことなんかどうでもいい事だった。
たった一人の姉が幸せなのだったら。
裁判を起こして、姉があの忌まわしい記憶を戻してしまうことの方が、優里にとっては辛いことだった。
いつかきっと、また姉妹で楽しく暮らせるときが来る・・・。
しかし、そんな淡い想いも、無惨に壊されてしまう。
事件の記憶だけを無くしていた姉が、今度は妹=優里のことも忘れてしまったのだ。
妹が人を殺した。その現実に耐えきれなくなった姉は、妹の存在も記憶から消してしまったのだろう。
優里にも帰る所は無くなってしまった。
打ちひしがれて面会室を出る少女達。
自分の居場所は? これからどうすればいいのか・・・?
そんな少女達の目の前に、赤ちゃんを抱いた女性が通りがかった。
優里の姉だ。
誰と面会するでもなく、抱いている赤ちゃんに微笑み続けている。
その暖かい光景を見て、少女達は思わず涙を流していた。
自分達にも、きっといつか、幸せは訪れるはずなんだ と。
まだ自分の人生は始まってもいない。
そう、生まれていない、ナマタマゴのように・・・。
(ナマタマゴ 終)