2月12日   ヒミコ(卑弥呼) 歴史年表    真日本史
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日本書紀によれば、西暦239年、倭の女王が、魏国に使者を派遣し、魏の天子に謁見を求めたと伝えられている。
だが、日本書紀にはヒミコの名は現れず、また倭国(邪馬台国)の伝承についても、いっさい記されていない。

つまり、当時の日本書紀の編者は、大和政権と倭国との繋がりは存在しないという立場であったと考えられる。
したがって、以下のヒミコに関する伝承は、中国の史書「魏志倭人伝」等の記述をもとに再現したものである。


西暦170年頃、邪馬台国の神官の家系に生まれたヒミコは、幼少のころより、不思議な能力があり、
雨乞いをして雨を降らせたり、皆既月食を予測するなど、神がかり的な存在であったといわれる。

当時の邪馬台国は、男性が王となり、北九州地方約30か国を治めていたが、常に争いが絶えなかった。
西暦190年頃、ヒミコは女王に推挙され、約30の小国連合である倭国のオサ(長)となった。

彼女の国の治め方は、非常にユニークなもので、呪術を用いることによって大衆を操作した。
結婚はせず、巫女として神の意思をつたえ、その意思は彼女の弟によって実行された。

ヒミコ自身は婢1000人をしたがえて宮室にこもり、姿をみせることはなかったという。
その結果、国どうしの戦闘はおさまり、しばらくの間、平和な時間が流れたといわれる。

実はヒミコという名は、神官の職名であり、霊(ひ)の巫女(みこ)の意味であった。
古代日本人は万物に神が宿ると信じ、霊的な力のあるものを巫女としてあがめたのである。

西暦239年6月、ヒミコは使者を魏国に派遣し、魏の天子に謁見して朝貢する事を求めた。
その年の12月、ヒミコは「親魏倭王」という破格の称号を受けたのである。

だが西暦247年、南方の狗奴国との間に戦が起こり、魏に助けを求めたが、戦況は思わしくなかった。

そして西暦248年9月5日、はるか頭上に燃え上がる真っ赤な太陽が、突然にその姿を消した。
邪馬台国は不気味な闇に包まれる。そのさなか、ヒミコは静かに息を引きとったのである。

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