7月9日    プロレス英雄列伝 (2) カール・ゴッチ (Karl Gotch)    春夏秋冬(ほうずき市) 
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1961年の第3回ワールドリーグ開幕戦、カール・ゴッチは吉村道明と対戦し、ジャーマン・スープレックス(原爆固め)を初公開。

ジャーマン・スープレックスは、相手を自分の頭越しに投げ、そのままフォールするという一撃必殺の大技。


一流の使い手が使うと、これほど美しく見える技もない。

「人間工学の極致」「神業」と呼ばれるその技の衝撃に観客がシーンとしたという。


外人レスラー、イコール悪者が常識の当時の観客たちの目にゴッチは新鮮に映った。

「プロレス技を芸術の域にまで高めた」といわれるゴッチ神話の始まりである。




                         



カール・ゴッチ (1924年生まれ、ドイツ・ハンブルグ出身)

少年時代から優れた運動神経を持ち、16歳で全ドイツ・アマレスヘビー級王座を獲得。

1959年アメリカに渡り、一流プロレスラーの仲間入り。

彼の編み出した「原爆固め」は次々と相手レスラーをねじ伏せていった。1962年AWA世界ヘビー級王座を奪取。


あまりに強すぎた為に当時のチャンピオンが試合を受けてくれず、そのチャンピオンを控え室でノックアウトした話が伝えられている。

彼の強さが仇となり、メジャータイトルこそないものの、無冠の帝王としてプロレス界に君臨した。

1961年に初来日。ジャーマン・スープレックスを初めて見た日本のマスコミは「プロレスの芸術品」と賛辞。

更に「プロレスの神様」と呼称した。日本ではアントニオ猪木やUWF(ユー・インター)勢の師匠として評価が高い。


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