8月19日    プロレス英雄列伝(3)フレッド・ブラッシー (Fred Blassie)   
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1960年代から70年代、プロレスは社会の関心事であった。

タイトルマッチがあれば、翌日の学校や職場はその話題で持ち切りだった。

試合を観なければ話についていけず、学生やサラリーマンにとって
プロレスの知識は必須だった。


力道山や馬場、猪木が活躍していたこの時代には、必ずヒール(悪役)のレスラーがいた。

1962年(昭和37年)力道山の敵役として登場したのが「噛みつき魔」ブラッシーである。

額に噛みつくという究極の反則技で、力道山の顔を真っ赤に染めた。


現代では間違いなく放送事故となってしまう噛みつき攻撃は、お茶の間を震撼させ、
テレビで観ていた高齢者が、次々にショック死するという事件まで引き起こした。



               



「老人がショック死したって? そうか、俺はアメリカで何十人もの年寄りの心臓を止めているが、
今回はそれほど死者が出ていないようで残念だ」

マスコミ関係者の前で、平然とそう言い放つ残酷な男ブラッシー。


しかしその素顔は、相当な親日家で日本人の女性を妻に持つ紳士だった。

リングの上では悪役を貫いていたが、内心ショック死事件に心を痛めていたブラッシーは、
マスコミのカメラの前を離れた後、そっと黙祷していたという。

悪役レスラーは、基本的に皆良い人が多いと言われるが、彼はその典型である。


ブラッシーは日本で、1962年から10年間活躍し、その後アメリカに帰国し引退。

引退後、亡くなった力道山のコメントを求められた時は「あいつは地獄に落ちた」と答えた。

最後まで悪役の鏡であった。


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