もしも月給が上ったら 1937年(昭和12年) 邦画名作選 |
貧乏会社の社員・高崎(小杉勇)の月給は、55円。
一方、タイピスト嬢・すみ子の月給は、35円だった。
二人は恋仲だが、月給が安いので結婚できず、くさっていた。
ある日、高崎は、金満家の近藤氏(上代勇吉)と偶然知り合う。
一方、すみ子は、近藤夫人(沢村貞子)と偶然知り合う。
四人は高級レストランで、お互い初対面のように紹介し合った。
それから四人は、ダンスホール、カフェと遊び歩く。
最後は二台の車で、箱根へドライブに出かけた。
ところが途中の山道で、夫人と高崎が乗り合わせた車が故障してしまう。
運転手は、近くの町へ修理道具を買いに行ったきり、戻って来ない。
二人はやむなく、車の中で一夜を明かす事になってしまった。
当時はまだ「サラリーマン」という言葉は無く「月給取り」と言った。
月給55円と言えば、今の55000円くらいであろうか。確かに安すぎるようだ。
そんな安月給の勤め人男女と資産家夫婦が、偶然それぞれの相手を入れ替えて
箱根旅行に出かけるのだが、旅の途中で浮気の疑惑が生じてしまう。
物語の結末は、疑惑が杞憂に終わり、若い二人は無事婚約を果たす事になる。
この映画のタイトル「もしも月給が上ったら」は、もともと流行歌であり、
それを主題歌として、劇中に登場させるために制作された作品である。
林伊佐緒と新橋みどりが掛け合いで歌っている歌の歌詞は以下の通り。
もしも月給が上がったら わたしはパラソル買いたいわ 僕は帽子と洋服だ
上がるといいわね 上がるとも いつ頃上がるのいつ頃よ そいつがわかれば苦労はない
当時は、労働組合も無い時代であったから、社長の一存で月給は決められていた。
だから、いつ上がるのか、そいつが分かれば苦労はない、と答えるのがオチとなっている。
そのほか「うちの女房にゃ髭がある」「ああそれなのに」など、呑気で平和な歌が流行っていた。
だが、昭和12年7月に始まった日中戦争が本格化すると、勝ってくるぞと勇ましくの「露営の歌」
や「進軍の歌」など、軍国主義的色彩を帯びた戦時歌謡が量産されるようになった。
製作 日活
監督 倉田文人
配役 | 会社員・高崎 | 小杉勇 | 近藤氏の夫人 | 沢村貞子 | |||||||||
タイピスト・片岡すみ子 | 黒田記代 | 靴磨の親爺 | 金子春吉 | ||||||||||
近藤氏 | 上代勇吉 |
もしも月給が上ったら (作詞:サトウハチロー 作曲:北村輝 歌:林伊佐緒&石川さゆり) |
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