隋朝(Sui dynasty 581年-618年)
北周の外戚であった楊堅は自分の娘を皇后として嫁がせ、権力を手中に収めていた。
581年、北周の皇帝から禅譲という形で隋を建国すると、589年、南朝の陳を滅ぼし、中国を統一した。
彼は均田制(農民に土地を支給し、収穫の一部に課税する制度)や科挙による官僚登用など、新しい
政策を導入したが、志半ばで子の煬帝(ようだい)に暗殺されてしまった。
即位した煬帝は、華北を農業生産力の高い江南と結ぶため、1500kmにおよぶ大運河を建設した。
この運河(京杭大運河 けいこうだいうんが 世界遺産)は、のちの時代まで、中国の南北を結ぶ
大動脈として活用されている。
そうした中、周辺国の高句麗が隋に離反する動きを見せ始めた。
この当時、朝鮮(百済、新羅)や日本(倭国)など周辺国は隋に朝貢していたが、高句麗はいっこうに
朝貢使を遣わさず、それどころか隋と対立していた異民族・突厥(とっけつ)と連携する動きを示した。
帝国の威光を踏みにじられた煬帝は、3度に渡り大軍を高句麗に派遣するも、いずれも失敗に終わる。
大運河工事と相次ぐ遠征は、農民に過酷な負担を強いることとなり、各地で農民反乱が拡大した。
こうした混乱の中、618年、煬帝は近衛軍の将軍、宇文化及(うぶんかきゅう)らに暗殺され、
隋は中国統一後、わずか30年ほどで崩壊した。
隋末の混乱期に挙兵した将軍、李淵(高祖 在位618-626年)は、長安を陥落。煬帝の暗殺を知ると即位し、
618年、唐王朝が成立した。
唐朝(Tang dynasty 618年-907年)
唐の第2代皇帝、李世明(李淵の子、太宗 在位626-649年)は、科挙制度の確立、律令政治の整備など、
王朝の基礎を固める事業に取り組み、その治世は、後に貞観の治と呼ばれる理想的な時代となった。
このあとを継いだ高宗(在位650-683年)は、父・太宗の寵愛を受けていた女性を皇后とした。
この人物が則天武后である。彼女は徐々に朝廷内に権力を築き上げ、夫・高宗の死後、実権を掌握。
子の中宗、弟の睿宗(えいそう)を次々に廃位し、やがて690年、国号を周に改め、中国史上初の
女帝として即位(在位690-705年)した。(武周革命)

彼女の政治は、密告の奨励など暗い面もあったが、門閥によらず有能な人材を抜擢し、新興の地主、
商人、文人などを受け入れ、新たな政治の担い手を生み出すなど、高く評価される面もあった。
則天武后の死後、混乱を収拾したのが李隆基(玄宗 在位712-756年)である。
彼は則天武后一派を一掃し、父である睿宗を復位させ、その後を受けて開元の治と呼ばれる平和と
繁栄に満ちた時代を築き上げた。
しかし、晩年は側室の楊貴妃に溺れ、政治を顧みず、安史の乱(755-763年 近衛軍の将軍・安禄山ら
による反乱)を引き起こし、唐衰退の原因を生み出すことになった。
安史の乱の鎮圧のため、従来辺境の防衛に当たらせていた節度使を投入し、鎮圧後も重要地に節度使を
配置したが、彼らはやがて軍閥勢力となり、その支配地域に朝廷の力が及ばなくなっていった。
やがて、黄巣の乱(875-884年 飢饉や重税による農民反乱)で国内は大混乱となり、ついに907年、
反乱平定に功績のあった将軍・朱全忠に帝位を奪われ、唐は滅亡した。
唐の長安は、玄宗の時代に100万人の人口があったといわれ、世界各地から物産の集積する世界都市で
あった。
また阿倍仲麻呂(日本)、安禄山(ソグド)、高仙芝(高句麗)など、周辺国の有能な人材を官吏に
登用するなど、国際色豊かな王朝でもあった。
五代十国(Five Dynasties and Ten Kingdoms period 907年-960年)
907年、朱全忠(在位 907-912年)は唐を倒して後梁を建国したが、すぐにほかの勢力に取って代わられ、
結局およそ50年の間に5つの国(後梁、後唐、後晋、後漢、後周)が相次いで興廃を繰り返した。
これらの政権は開封を中心とする地方政権にすぎず、周囲には軍閥勢力が割拠する混乱した時代だった。
こういった状況のなかで、960年、後周の世宗側近の武将であった趙匡胤が、世宗の没後、
諸将に推されて即位。各地に分立していた政権を倒して979年中国を統一した。
| 五代 | 十国 | ||
| 後梁(907-923年)(都は開封) 後唐(923-937年)(都は洛陽) 後晋(936-947年)(都は開封) 後漢(947-951年)(都は開封) 後周(951-960年)(都は開封) |
前蜀(907-925年)(都は成都) 後蜀(934-965年)(都は成都) 呉(902-937年)(都は江都) 南唐(937-975年)(都は江寧、南昌) 荊南(912-963年)(都は江陵) 呉越(907-978年)(都は銭塘) 閩(909-945年)(都は長楽) 楚(907-951年)(都は長沙) 南漢(909-971年)(都は興王府) 北漢(951-979年)(都は太原) |
宋朝(Song dynasty 960年-1279年) 北宋(960-1127年) 南宋(1127-1279年)
即位した趙匡胤(太祖 在位960-976年)は、軍閥割拠による混乱を目の当たりにして
文官によって軍隊をコントロールすることにした。
さらに、その文官の採用制度についても、最終試験(殿試)を皇帝自らが行うことで、
権力を皇帝に集中させる体制を確立した。
対外的には、北方に勃興した遼(916-1125年)と、11世紀中期以降、西方で勢力を
伸ばした西夏(1038-1227年)の圧力を受け、軍費が増加し国家財政が圧迫された。
この状況を変えようと、遼の北方に台頭した女真族の金(1115-1234年)を利用しようと
試みたが、逆に遼を滅ぼした金に攻め込まれ、1127年に滅亡する。(靖康の変)
しかし、その直後、高宗(在位1127-1162年)が臨安(杭州)に都を定め、
王朝(南宋)を再建した。

それ以降、金と対峙しながら、江南の開発を進めつつ命脈を保ったが、臨戦体制の
状況下で国家財政は窮迫し、過酷な重税に加えて紙幣が乱発され物価が高騰、
人民の生活は苦しく、失業者の増大で反乱も頻発した。
このような社会の混乱のなか、モンゴル帝国(1206-1368年)のフビライの侵攻により、
1279年、南宋は滅亡した。

黄河の中流域から興った農耕民族としての中国人は、歴史時代の王朝殷(BC1600年-BC1046年)に始まる。
次の周(BC1046年-BC770年)に及んで中国独自の文化を開き、周辺の異民族に対して華夷思想をいだき、
みずからを中華、中国と誇示した。
春秋時代(BC770年-BC403年)※01、戦国時代(BC403年-BC221年)※01 を経て、秦(BC221年-BC206年)、
漢(BC202年-220年)による中国全土の統一に発展した。
しかし、再び三国時代(220年-280年)、晋朝(265年-420年)、南北朝(420年-589年)※02
の分裂期を経て隋(581年-618年)の統一。
さらに唐(618年-907年)の世界帝国を形成。
次いで五代十国(907年-960年)※03 の混乱期のあと、宋(960年-1279年)の建国となるが、
北方民族の侵入により征服王朝としての遼、金 ※04 と対立。
やがて元(1271年-1368年)に征服される。
その間、中国の経済や文化の中心は、従来の華北から華中、華南へと発展した。
次の明(1368年-1644年)は漢族王朝として初めて華中から興って中国全土を統一した。
しかし、明末の農民反乱を契機に、満州から興った清(1616年-1912年)に再び征服される。
これまでの中国史は、農耕の漢民族と遊牧の北方民族との対立が強かった。
しかし、明末以来のヨーロッパ勢力の中国進出により、その形勢は一変するとともに、
中国人の民族的自覚がしだいに高まった。
そして、1911年の辛亥革命により中国の主権は回復され、数千年にわたる専制君主体制に終止符が打たれ、1912年共和制の中華民国が成立。
次いで 1919年の五・四運動を契機に新民主主義の機運はいっそう高まり、1949年、中国共産党の発展による中華人民共和国(中国)の成立となって今日に及んでいる。
※01
春秋時代(BC770年-BC403年)
BC770年、周の東遷からBC403年、晋から韓・魏・趙の三国独立に至る約360年間。
周室は次第に衰えてその権威を失い、諸侯は互いに併呑を事として戦争が絶えず、弱肉強食の状を呈した。
洛邑が都になった BC770年以後を東周と呼ぶ事から、東周時代とも別称される。
戦国時代(BC403-BC221年)
BC403年、晋から韓・魏・趙の三国が独立し、諸侯に封ぜられてから、BC221年、秦の始皇帝の統一に至る時代。
| 春秋十二列侯 | 春秋五覇 | 戦国七雄 | |||
| 秦(BC778-BC206年) | 秦の穆公(在位BC659-BC621年) | 秦(BC778-BC206年) | |||
| 楚(BC1100-BC223年) | 楚の荘王(在位BC614-BC591年) | 楚(BC1100-BC223年) | |||
| 斉(BC1046-BC221年) | 斉の桓公(在位BC685-BC643年) | 斉(BC1046-BC221年) | |||
| 晋(BC1100-BC376年) | 晋の文公(在位BC636-BC628年) | 燕(BC1100-BC222年) | |||
| 宋(BC1100年-BC286年) | 宋の襄公(在位BC651-BC637年) | 韓(BC403-BC230年) | |||
| 呉(BC585-BC473年) | 魏(BC403-BC225年) | ||||
| 魯(BC1055-BC249年) | 趙(BC403-BC228年) | ||||
| 衛(BC1100-BC209年) | |||||
| 鄭(BC806-BC375年) | |||||
| 陳(BC1046-BC478年) | |||||
| 蔡(BC1046-BC447年) | |||||
| 曹(BC1046-BC487年) |
※02 南北朝時代(420年-589年)漢民族の南朝と鮮卑族を中心とした北朝とが対立した時代。
南朝は420年成立の宋から斉・梁(りょう)・陳(ちん)、北朝は439年華北を統一した北魏(ほくぎ)から東魏・西魏・北斉・北周の諸王朝。
589年隋により統一。
| 北朝 | 「北魏」(439-534年) | 南朝 | 「宋」(420-479年) | |||||
| 「東魏」(534-550年) | 「斉」(479-502年) | |||||||
| 「西魏」(535-556年) | 「梁」(502-557年) | |||||||
| 「北斉」(550-577年) | 「陳」(558-589年) | |||||||
| 「北周」(556-581年) |
南朝は、建業に都をおいた三国時代の東呉(222-280年)、東晋(317-420年)をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも称する。
※03 五代十国時代(907-960年)唐と宋の間に割拠興亡した五代王朝と十国の併称。
| 五代 | 「後梁」(907-923年) | 十国 | 「呉」(902-937年) | |||||
| 「後唐」(923-936年) | 「南唐」(937-975年) | |||||||
| 「後晋」(936-946年) | 「前蜀」(907-925年) | |||||||
| 「後漢」(947-950年) | 「後蜀」(934-965年) | |||||||
| 「後周」(951-960年) | 「荊南」(907-963年) | |||||||
| 「楚」(907-951年) | ||||||||
| 「呉越」(907-978年) | ||||||||
| 「閩(びん)」(909-945年) | ||||||||
| 「南漢」(909-971年) | ||||||||
| 「北漢」(951-979年) |
※04 金朝(1115-1234年)は、ツングース系の女真族が遼を滅ぼし、満州に建国した王朝。
始祖は金の太祖・完顔阿骨打(わんやんあぐだ)(在位 1115-1123年)
都は会寧(ハルビン)に置かれ、のち、1153年に燕京(北京)に遷都した。
1123年、チベット系の西夏を服属させ、1127年、北宋を滅ぼし、南宋と対峙したが、
1234年、モンゴル帝国に滅ぼされた。
| 中国史 | ||
| BC5000年 | 黄河流域に仰韶(彩陶)文化始まる | |
| BC2500年 | 黄河流域に竜山(黒陶)文化始まる | |
| 夏朝(BC2070年-BC1600年) | ||
| BC2070年 | 黄河を治水した禹が夏王朝を興す。 | |
| 殷朝(BC1600年-BC1046年) | ||
| BC1600年 | 殷興る。甲骨文字使用 | |
| 周朝(BC1046年-BC256年) 西周(BC1046-BC771年) 東周(BC770-BC256年) | ||
| BC1046年 | 周興り、殷滅亡 | |
| 春秋時代(BC770年-BC403年) | ||
| BC770年 | 春秋時代始まる | |
| BC479年 | 孔子死去 | |
| 戦国時代(BC403年-BC221年) | ||
| BC403年 | 戦国時代始まる | |
| BC400年 | 「論語」成立。諸子百家の活躍。鉄製農具の使用 | |
| BC350年 | 鄒衍(すうえん)の五行説 | |
| 秦朝(BC221年-BC206年) | ||
| BC221年 | 秦の始皇帝、中国を統一 | |
| BC214年 | 秦の始皇帝、万里の長城増改築 | |
| BC210年 | 秦の始皇帝死去(始皇陵) | |
| BC209年 | 匈奴の冒頓単于即位 | |
| 漢朝(BC206年-220年) 前漢(BC206-25年) 新(9-23年) 後漢(25-220年) | ||
| BC202年 | 劉邦(高祖)、漢(前漢)を建国(-25) | |
| BC154年 | 呉楚七国の乱 | |
| BC141年 | 前漢の武帝即位 | |
| BC139年 | 前漢の張騫、長安を出発、西域へ向かう | |
| BC136年 | 儒教、前漢の官学となる | |
| BC119年 | 前漢、武帝による塩・鉄の専売制 | |
| BC110年 | 前漢、武帝による均輸・平準法施行 | |
| BC108年 | 前漢、朝鮮半島に漢四郡を置く(朝鮮史) | |
| BC98年 | 前漢、武帝による酒の専売 | |
| BC93年 | 司馬遷「史記」 | |
| BC59年 | 前漢、タリム盆地に西域都護府を置く | |
| 9年 | 王莽が新を建国(-23) | |
| 18年 | 赤眉の乱(-27) | |
| 25年 | 光武帝即位、後漢(漢)成立 | |
| 48年 | 匈奴、南北に分裂 | |
| 65年 | 仏教が中国に伝わる | |
| 97年 | 後漢の班超、部下甘英を大秦国(ローマ)に派遣 | |
| 105年 | 後漢の宦官蔡倫が製紙法発明(伝説) | |
| 150年 | 鮮卑、モンゴル高原に勢力 | |
| 166年 | 党錮の獄始まる | |
| 184年 | 黄巾の乱起こる | |
| 三国時代(220年-280年) | ||
| 220年 | 後漢滅亡。曹操死去。曹丕、魏を建国(-265)。三国時代始まる(-280) | |
| 221年 | 劉備、蜀漢を建国(-263) | |
| 222年 | 孫権、呉を建国(-280)。魏、呉、蜀の三国鼎立が確立 | |
| 234年 | 五丈原の戦い。諸葛亮死去 | |
| 晋朝(265年-420年) 西晋(265-317年) 東晋(317-420年) | ||
| 265年 | 司馬炎(武帝)が晋(西晋)を建国(-317) | |
| 285年 | 「三国志」 | |
| 291年 | 八王の乱始まる(-306) | |
| 304年 | 五胡十六国時代(-439) | |
| 317年 | 司馬睿が東晋(晋)を建国(-420) | |
| 366年 | 敦煌莫高窟(千仏洞)開掘(一説 353) | |
| 386年 | 拓跋珪(道武帝)、北魏建国(-534) | |
| 400年 | 柔然、モンゴル高原を支配 | |
| 400年 | 鳩摩羅什、長安で訳経 | |
| 405年 | 陶淵明「帰去来辞」 | |
| 南北朝時代(420年-589年) | ||
| 420年 | 東晋滅亡。宋(南朝)成立(-479)。南北朝時代始まる(-589) | |
| 439年 | 北魏、北涼を滅ぼし華北統一(北朝) | |
| 442年 | 北魏の寇謙之、道教を国教化 | |
| 460年 | 雲崗石窟開掘 | |
| 479年 | 宋滅び、斉(南斉)成立(-502) | |
| 485年 | 北魏、均田制を実施 | |
| 493年 | 北魏、平城から洛陽に遷都 | |
| 502年 | 斉滅び、梁成立(-557) | |
| 531年 | 梁の昭明太子死去 | |
| 534年 | 北魏、東西に分裂し滅亡 | |
| 534年 | 東魏成立(-550年) | |
| 535年 | 西魏成立(-556年) | |
| 550年 | 東魏の禅譲により、北斉成立(-577年) | |
| 552年 | 中央アジア、チュルク族の突厥が柔然から独立 | |
| 557年 | 西魏滅亡し、北周成立(-581年) | |
| 557年 | 梁滅び、陳成立(-589) | |
| 隋朝(581年-618年) | ||
| 581年 | 楊堅(文帝)が隋を建国(-618) | |
| 589年 | 隋、中国を統一。南北朝時代終わる | |
| 604年 | 隋、煬帝即位。大運河建設進む | |
| 唐朝(618年-907年) | ||
| 618年 | 隋滅びる。李淵(高祖)即位し、唐建国(-907) | |
| 624年 | 唐、均田法と租・庸・調法を制定 | |
| 626年 | 唐、李世民(太宗)即位(貞観の治) | |
| 629年 | 唐の玄奘、教典を求めてインドへ出発(645帰国。大唐西域記) | |
| 635年 | イラン人阿羅本、中国に景教を伝える | |
| 660年 | 唐と新羅、百済を滅ぼす | |
| 660年 | 木版印刷始まる | |
| 668年 | 唐と新羅、高句麗を滅ぼす | |
| 671年 | 唐の義浄、インドへ出発(695帰国。南海寄帰内法伝) | |
| 690年 | 唐の則天武后、実権を握り、国号を周とする(-705) | |
| 694年 | マニ教伝わる | |
| 698年 | 大祚栄、渤海国を建てる(-926) | |
| 712年 | 唐、玄宗即位(開元・天宝の治) | |
| 751年 | タラス川の。唐、アッバース朝軍に敗北。製紙法、イスラムに伝わる | |
| 755年 | 唐、安史の乱(-763) | |
| 756年 | 唐の玄宗、蜀に亡命。楊貴妃殺害 | |
| 762年 | 唐の李白死去 | |
| 764年 | 唐、青苗銭を実施 | |
| 770年 | 唐の杜甫死去 | |
| 780年 | 唐、両税法を施行 | |
| 781年 | 唐、長安に大秦景教流行中国碑を建設(景教) | |
| 819年 | 唐の柳宗元死去 | |
| 821年 | 唐、吐蕃(チベット)と同盟(唐蕃会盟碑) | |
| 824年 | 唐の韓愈死去 | |
| 845年 | 唐で仏教弾圧(会昌の廃仏) | |
| 846年 | 唐の白居易死去 | |
| 875年 | 唐で黄巣の乱(-884) | |
| 901年 | 南詔滅びる | |
| 五代(907年-960年) | ||
| 907年 | 朱全忠、唐を滅ぼし五代後梁(-923)建国。五代十国時代始まる(-960) | |
| 916年 | 契丹の耶律阿保機、皇帝を称する(遼) | |
| 926年 | 遼、渤海国を滅ぼす | |
| 937年 | 雲南に大理国(南詔の後身)興る(-1253) | |
| 宋朝(960年-1279年) 北宋(960-1127年) 南宋(1127-1279年) | ||
| 960年 | 趙匡胤、皇帝となり(太祖)、宋建国(北宋。-1126) | |
| 969年 | 火箭法発明 | |
| 979年 | 北宋(宋)、北漢を滅ぼして中国を統一 | |
| 990年 | 遼、中国と高麗に遠征 | |
| 1004年 | 淵の盟約。北宋(宋)、遼と和する | |
| 1010年 | 遼、高麗に侵入 | |
| 1038年 | 李元昊、西夏を建国(-1227)。以後、北宋(宋)に侵攻 | |
| 1044年 | 北宋(宋)、西夏と講和 | |
| 1049年 | 遼の興宗、西夏を討つ | |
| 1069年 | 北宋(宋)、王安石の改革始まる(王安石の新法) | |
| 1076年 | 北宋(宋)、王安石失脚 | |
| 1084年 | 北宋、司馬光「資治通鑑」 | |
| 1086年 | 北宋(宋)、司馬光、宰相となり王安石の新法を廃するも死去 | |
| 1101年 | 北宋の蘇軾死去 | |
| 1115年 | 女真のワンヤンアクダ(完顔阿骨打)、金を建国(-1234) | |
| 1119年 | 金、女真文字を創製 | |
| 1125年 | 金、遼を滅ぼす | |
| 1127年 | 靖康の変。金、北宋を滅ぼす | |
| 1127年 | 高宗即位し、南宋(宋)興る(-1279) | |
| 1131年 | 南宋(宋)の秦檜、宰相となる | |
| 1142年 | 南宋(宋)の高宗、金と講和 | |
| 1200年 | 南宋の朱子死去(朱子学) | |
| 1206年 | テムジン、モンゴルを統一。チンギス・ハンと称する(モンゴル帝国) | |
| 1211年 | チンギス・ハン、金に遠征 | |
| 1219年 | チンギス・ハン、ホラズム・シャー朝攻略のため西征(-1225) | |
| 1225年 | チンギス・ハン、帝国を分封 | |
| (オゴタイ・ハン国、キプチャク・ハン国、チャガタイ・ハン国) | ||
| 1227年 | チンギス・ハン、西夏を滅ぼしたのち、六盤山で死去 | |
| 1229年 | モンゴル帝国、オゴタイ(太宗)が大ハンに即位 | |
| 1231年 | オゴタイ、高麗に侵入 | |
| 1234年 | モンゴル帝国、金を滅ぼす | |
| 1235年 | オゴタイ、カラコルム(和林)に首都を建設 | |
| 1246年 | 教皇の使節カルピニ、モンゴル帝国を旅行(-1247) | |
| 1251年 | モンゴル帝国、モンケ(蒙哥)が大ハンに即位 | |
| 1254年 | フランシスコ会修道士リュブリュキ、カラコルム到着 | |
| 1259年 | 高麗、モンゴルに服属 | |
| 1260年 | モンゴル帝国、フビライが大ハン即位(フビライ・ハン) | |
| 1269年 | フビライ・ハン、パスパ文字を国字に採用 | |
| 元朝(1206年-1368年) | ||
| 1271年 | フビライ・ハン、国号を「大元」(元)とする(-1368) | |
| 1274年 | マルコ・ポーロ、フビライ・ハンと会見 | |
| 1274年 | (文永11)元軍、日本遠征に失敗(文永の役。元寇) | |
| 1275年 | 南宋の文天祥、反元義勇軍を起こす | |
| 1279年 | 元、厓山で南宋を滅ぼし、中国を統一 | |
| 1281年 | (弘安4)元軍、日本再遠征に失敗(弘安の役。元寇) | |
| 1294年 | 教皇の使節モンテ・コルビーノ、元の首都大都に入り伝道開始 | |
| 1346年 | イブン・バットゥータ、元の首都大都訪問 | |
| 1351年 | 元で紅巾軍蜂起 | |
| 1353年 | 朱元璋(洪武帝)、紅巾軍に呼応して挙兵 | |
| 1359年 | 紅巾軍、高麗に入寇(-1362) | |
| 明朝(1368年-1644年) | ||
| 1368年 | 朱元璋(洪武帝)元を破り明建国(-1644)。元モンゴルに逃れ北元成立(-1634) | |
| 1381年 | 明、里甲制を定める | |
| 1392年 | 明、景徳鎮に官窯を置く(景徳鎮窯) | |
| 1397年 | 明、大明律頒布 | |
| 1399年 | 明で靖難の変(燕王挙兵。-1402) | |
| 1401年 | (応永8)足利義満、明に使者を派遣 | |
| 1402年 | 明、永楽帝(成祖)即位 | |
| 1404年 | (応永11)足利義満、明と勘合貿易始める | |
| 1405年 | 明、鄭和の南海遠征(-1433、前後7回) | |
| 1406年 | 明、ベトナム(安南)を征服(-1428) | |
| 1407年 | 明、「永楽大典」 | |
| 1410年 | 明、永楽帝のモンゴル親征(1414、1422、1423、1424) | |
| 1421年 | 明、北平を北京と改め遷都 | |
| 1449年 | 明にオイラート(瓦剌)軍侵攻、正統帝を捕える(土木の変) | |
| 1487年 | 北元のダヤン・ハン(達延汗)即位 | |
| 1502年 | 明、「大明会典」 | |
| 1520年 | タタール(モンゴル)、明に侵入 | |
| 1521年 | 明の嘉靖帝(世宗)即位 | |
| 1522年 | 明、モンゴルと倭寇の脅威に悩む(北虜南倭) | |
| 1526年 | 明で王陽明が陽明学を創始 | |
| 1550年 | タタール(モンゴル)のアルタン(俺答)、明に侵入、北京を包囲(庚戌の変) | |
| 1552年 | ザビエル、中国で死去 | |
| 1557年 | 海寇の首領王直、明に捕われる(1559斬首) | |
| 1557年 | 明、ポルトガル人のマカオ居住を許す(広東貿易) | |
| 1563年 | 明の戚継光ら、福建で倭寇を破る | |
| 1571年 | 明、タタール(モンゴル)のアルタン(俺答)と和議成立 | |
| 1573年 | 明、張居正の改革始まる(-1582) | |
| 1575年 | 明で一条鞭法広まる | |
| 1578年 | 李時珍「本草綱目」 | |
| 1583年 | イエズス会宣教師マテオ・リッチ、広東の肇慶に定住し、中国布教開始 | |
| 1583年 | 女真のヌルハチ(奴児哈赤)挙兵 | |
| 1592年 | 明でボバイの乱 | |
| 1597年 | 明で楊応龍の反乱(-1600。播州の乱) | |
| 1598年 | イエズス会宣教師マテオ・リッチ、北京に入る | |
| 1602年 | マテオ・リッチ「坤輿万国全図」刊 | |
| 1603年 | 女真のヌルハチ(奴児哈赤)、ヘト・アラ(赫図阿拉)を都とする | |
| 1604年 | 明、顧憲成ら、無錫に東林書院を設立 | |
| 清朝(1616年-1911年) | ||
| 1616年 | 女真のヌルハチ(奴児哈赤)、ハン位につき、後金成立 | |
| 1619年 | ヌルハチ(奴児哈赤)、明を破る(サルフの戦い) | |
| 1624年 | オランダ、タイナン(台南)に貿易根拠地建設(-1661) | |
| 1627年 | 後金、朝鮮に侵入(丁卯胡乱) | |
| 1628年 | 明で李自成の乱(-1644) | |
| 1632年 | 満州文字創製 | |
| 1636年 | 後金、国号を清と改める(-1912) | |
| 1636年 | 清、朝鮮に侵入(丙子胡乱) | |
| 1637年 | 朝鮮、清に服属。清の年号を使う | |
| 1644年 | 明、李自成の軍により滅亡。清、李自成を滅ぼし、北京遷都(李自成の乱) | |
| 1644年 | 清、薙髪令 | |
| 1645年 | チベット、ポタラ宮殿の造営開始 | |
| 1646年 | 清律成立 | |
| 1650年 | 鄭成功、金門、アモイ(厦門)を奪い、根拠地とする | |
| 1661年 | 清、康煕帝即位。遷界令発布(-1684) | |
| 1661年 | 鄭成功、台湾を占領 | |
| 1662年 | 清、文字の獄(-1795) | |
| 1669年 | イエズス会宣教師フェルビースト、清の欽天監監副となる | |
| 1673年 | 清、三藩の乱(-1681) | |
| 1683年 | 清、鄭氏勢力を滅ぼし、台湾を領有 | |
| 1684年 | 清、遷界令解除、翌年海関設置 | |
| 1684年 | 清、アムール川北岸のアルバジン城でロシアと衝突(チェルニゴフスキー) | |
| 1688年 | モンゴル族ハルハ(哈爾哈)部、ガルダン(爾丹)に敗れ、清に助けを求める | |
| 1689年 | 清とロシア、ネルチンスク条約締結。国境を定める | |
| 1690年 | 清、「大清会典」 | |
| 1696年 | 清、ジュンガルのガルダン(爾丹)を大破。外モンゴルを支配 | |
| 1699年 | 教皇インノケンチウス12世、典礼問題調査会設置 | |
| 1705年 | 清で典礼問題激化。康煕帝、教皇クレメンス11世の使者に国外退去命令 | |
| 1712年 | 清、盛世滋生人丁を定める(1713実施) | |
| 1716年 | 清、「康煕字典」 | |
| 1717年 | 清、「皇輿全覧図」 | |
| 1722年 | 清で地丁銀制広く実施 | |
| 1722年 | 清、康熙帝没。1723雍正帝即位 | |
| 1723年 | 清、キリスト教禁止。宣教師をマカオに追放(典礼問題) | |
| 1725年 | 清、「古今図書集成」 | |
| 1727年 | 清とロシア、キャフタ(恰克図)条約締結 | |
| 1735年 | 清、乾隆帝即位 | |
| 1739年 | 清、「明史」 | |
| 1743年 | 清、「大清一統志」 | |
| 1747年 | 清、金川土司の乱(-1749) | |
| 1757年 | 清、ジュンガルを平定 | |
| 1757年 | 清、外国貿易を広東 1港に制限(広東貿易) | |
| 1759年 | 清、東トルキスタンのウイグル人を平定。その地方を新疆と呼ぶ | |
| 1762年 | 清、イリ(伊犂)将軍を設置、新疆地区を統治させる | |
| 1772年 | 清、「四庫全書」(-1781) | |
| 1790年 | 清、ビルマを属国とする | |
| 1793年 | イギリス使節マッカートニー(伯)、北京を訪問 | |
| 1796年 | 清、白蓮教徒の乱(-1804。白蓮教) | |
| 1807年 | イギリス人宣教師モリソン、広東に来る | |
| 1816年 | イギリス、アマーストを使節として清に派遣 | |
| 1833年 | イギリス東インド会社の対中国貿易独占権廃止 | |
| 1839年 | 清、林則徐を欽差大臣として広州に派遣。イギリス船のアヘンを没収 | |
| 1840年 | アヘン戦争(-1842) | |
| 1842年 | 南京条約締結。清が 5港を開き、ホンコン(香港)をイギリスに割譲 | |
| 1843年 | 清、イギリスと虎門寨追加条約締結 | |
| 1844年 | 清、アメリカと望厦条約、フランスと黄埔条約を締桔 | |
| 1851年 | 太平天国の乱(-1864)。洪秀全、国名を太平天国とし天王を称する | |
| 1853年 | 太平天国、南京を占領。天京と改める | |
| 1856年 | 太平天国に内紛、楊秀清ら殺される | |
| 1856年 | 清でアロー号事件(アロー戦争) | |
| 1857年 | 英仏連合軍、広東占領(アロー戦争) | |
| 1858年 | 英仏連合軍、華北侵略(天津条約) | |
| 1858年 | 清、ロシアと愛琿条約締結 | |
| 1860年 | 英仏連合軍が北京占領。円明園、頤和園焼失。北京条約締結(アロー戦争) | |
| 1860年 | 清、ロシアにウスリー川以東を割譲(北京条約) | |
| 1861年 | 清、総理衙門設立 | |
| 1861年 | 同治帝即位。生母西太后摂政となり、政治の実権を握る | |
| 1862年 | 清、北京に外国語学校同文館開校。洋務運動活発化(洋務派) | |
| 1864年 | 洪秀全死去。太平天国滅ぶ | |
| 1864年 | 清、新疆地方でドゥンガン(東干)の乱(-1877) | |
| 1868年 | 清とアメリカ、バーリンゲーム条約締結 | |
| 1871年 | ロシア、清のイリ地方を占領(イリ〈伊犂〉条約 ) | |
| 1871年 | (明治4)日清修好条規調印 | |
| 1874年 | (明治7)台湾出兵(征台の役) | |
| 1875年 | 清、光緒帝即位(-1908)、伯母の西太后摂政となる | |
| 1877年 | 清、左宗棠がヤクブ・ベクを破り、新疆地方を平定 | |
| 1881年 | ロシア、清にイリ地方返還(イリ〈伊犂〉条約) | |
| 1882年 | 清、ロシアとカシュガル(喀什爾)界約締結 | |
| 1884年 | 清仏戦争(-1885) | |
| 1885年 | (明治18)日本と清、朝鮮に関して天津条約締結 | |
| 1888年 | 清、アメリカと移民制限条約案に調印 | |
| 1894年 | (明治27)日清戦争始まる(-1895) | |
| 1895年 | (明治28)下関条約(日清講和)調印 | |
| 1895年 | 孫文ら率いる興中会、広州で蜂起 | |
| 1896年 | 清とロシア、東支鉄道敷設に関する対日本密約(日露戦争) | |
| 1898年 | ドイツ、清からチヤオチョウ(膠州)湾を租借 | |
| 1898年 | ロシア、清からリュイシュン(旅順)とターリエン(大連)を租借 | |
| 1898年 | 清、康有為ら戊戌の変法を断行(変法自彊運動) | |
| 1898年 | イギリス、清から威海衛と九竜半島を租借 | |
| 1899年 | フランス、清から広州湾を租借 | |
| 1899年 | アメリカ、列強に対し中国進出に関する門戸開放政策を宣言 | |
| 1900年 | 清、列強に宣戦(義和団事変) | |
| 1901年 | 清、義和団事変の最終議定書締結(辛丑条約) | |
| 1902年 | 清、ロシア軍の満州撤兵に関する条約(満州還付条約)をロシアと締結 | |
| 1905年 | 清、科挙制廃止 | |
| 1905年 | 孫文、中国革命同盟会を東京で結成 | |
| 1906年 | (明治39)リュイシュン(旅順)に関東都督府を設置(関東軍) | |
| 1906年 | (明治39)南満州鉄道株式会社設立 | |
| 1908年 | 清、憲法大綱公布 | |
| 1911年 | 辛亥革命起こる(武昌起義) | |
| 中華民国(1912年-1949年) | ||
| 1912年 | 中華民国成立。清朝滅亡 | |
| 1912年 | 中華民国成立。清朝滅亡 | |
| 1912年 | 中国革命同盟会、国民党に改組 | |
| 1913年 | 中国、第二革命失敗。袁世凱、中華民国大総統に就任。国民党に解散命令布告 | |
| 1914年 | 孫文、東京で中華革命党結成 | |
| 1914年 | (大正3)日本、ドイツに宣戦、第1次世界大戦に参戦 | |
| 1914年 | (大正3)日本、チンタオ(青島)占領 | |
| 1915年 | (大正4)日本、中国に二十一ヵ条要求 | |
| 1915年 | 袁世凱の帝制復活計画に対し、第三革命起こる | |
| 1916年 | 袁世凱、帝位につくが断念し死去 | |
| 1917年 | 胡適・陳独秀ら文学革命を提唱 | |
| 1917年 | 広東政府成立 | |
| 1917年 | (大正6)石井=ランシング協定(-1923) | |
| 1918年 | 南北軍閥の抗争始まる(-1928) | |
| 1919年 | 五・四運動(排日運動)始まる | |
| 1921年 | 中国共産党成立 | |
| 1921年 | 魯迅「阿Q正伝」 | |
| 1922年 | (大正11)九ヵ国条約調印 | |
| 1923年 | 孫文=ヨッフェ共同宣言発表 | |
| 1924年 | 第1次国共合作成立 | |
| 1925年 | 五・三〇事件 | |
| 1925年 | 広州で国民政府成立 | |
| 1926年 | 蒋介石が北伐を開始(-1928) | |
| 1927年 | 蒋介石が上海クーデター(四・一二クーデター)決行、国共分離。南京で国民政府成立 | |
| 1927年 | (昭和2)第1次山東出兵 | |
| 1927年 | 毛沢東、チンカン(井崗)山に根拠地建設 | |
| 1928年 | (昭和3)第2次山東出兵、済南事件 | |
| 1928年 | (昭和3)関東軍、張作霖を爆殺(張作霖爆死事件) | |
| 1928年 | 蒋介石、北京入城(北伐完了) | |
| 1931年 | (昭和6)柳条湖事件(満州事変、-1933) | |
| 1931年 | 中国共産党、江西省瑞金で中華ソビエト共和国臨時中央政府樹立 | |
| 1932年 | (昭和7)第1次上海事変 | |
| 1932年 | (昭和7)満州国建国宣言。溥儀、執政に就任 | |
| 1932年 | (昭和7)日満議定書調印(満州国承認) | |
| 1932年 | (昭和7)リットン調査団、満州問題の現地調査報告書発表 | |
| 1934年 | (昭和9)満州国、溥儀を皇帝に帝政施行 | |
| 1934年 | 中国共産党、長征(-1936) | |
| 1935年 | 中国共産党中央、八・一宣言(陳紹禹) | |
| 1936年 | 西安事件 | |
| 1937年 | (昭和12)盧溝橋事件、日中戦争始まる | |
| 1937年 | (昭和12)第2次上海事変 | |
| 1937年 | 中ソ不可侵条約成立 | |
| 1937年 | 第2次国共合作成立。抗日民族統一戦線結成 | |
| 1937年 | (昭和12)日本軍、南京占領。南京大虐殺事件 | |
| 1938年 | 中国国民政府、重慶に遷都(-1945。重慶政府) | |
| 1940年 | 汪兆銘が南京に国民政府樹立 | |
| 1940年 | (昭和15)華北地方で中国共産党軍の八路軍と日本軍が戦闘(百団大戦) | |
| 1940年 | 毛沢東「新民主主義論」(新民主主義) | |
| 1941年 | 国民政府軍が新四軍を攻撃(皖南事変) | |
| 1943年 | カイロ会談、カイロ宣言発表 | |
| 1944年 | ダンバートンオークス提案公表 | |
| 1945年 | 毛沢東「連合政府論」 | |
| 1945年 | アメリカ、イギリス、中国がポツダム宣言 | |
| 1945年 | 中ソ友好同盟条約調印 | |
| 1945年 | 第2次世界大戦、太平洋戦争終わる | |
| 1945年 | 国際連合設立 | |
| 1945年 | モスクワ協定成立 | |
| 1946年 | 第1回国連総会、安全保障理事会成立 | |
| 1946年 | 中国国民党と中国共産党、全面内戦に突入(-1949) | |
| 1947年 | 連合国と旧枢軸国、パリ条約調印 | |
| 1947年 | 台湾で二・二八事件 | |
| 中華人民共和国(1949年-) | ||
| 1949年 | 中華人民共和国成立(中国) | |
| 1949年 | 中国国民政府、首都を台北に移転(タイワン〈台湾〉) | |
| 1950年 | 中ソ友好同盟相互援助条約締結 | |
| 1950年 | 朝鮮戦争勃発(-1953) | |
| 1952年 | (昭和27)日華平和条約調印 | |
| 1954年 | 周恩来・ネルー会談、平和五原則声明 | |
| 1958年 | 中国共産党、人民公社運動の推進を採択(大躍進) | |
| 1959年 | 劉少奇、国家主席就任(-1968) | |
| 1960年 | フルシチョフ、在中国ソ連人専門家召還(中ソ対立) | |
| 1962年 | 中国軍とインド軍、国境地帯で大規模な衝突(中印国境紛争) | |
| 1962年 | (昭和37)中国とのLT貿易始まる(-1968) | |
| 1964年 | 初の核爆発実験に成功 | |
| 1965年 | 文化大革命始まる(-1977。姚文元) | |
| 1968年 | 中国共産党、劉少奇を除名 | |
| 1969年 | 珍宝島事件(中ソ国境紛争) | |
| 1969年 | 中国共産党、林彪を毛沢東の後継者とする新党規約を採択 | |
| 1971年 | 林彪、毛沢東暗殺のクーデター失敗(林彪事件) | |
| 1971年 | 中国の国連代表権、台湾政府から北京政府に移る | |
| 1972年 | ニクソン訪中 | |
| 1972年 | (昭和47)日中共同声明調印(国交正常化) | |
| 1975年 | 台湾、蒋介石国民政府総統死去 | |
| 1976年 | 天安門事件 | |
| 1976年 | 唐山地震 | |
| 1976年 | 毛沢東死去 | |
| 1976年 | 江青ら四人組逮捕。華国鋒、中国共産党主席就任(-1981) | |
| 1977年 | 中国共産党、文化大革命終結宣言 | |
| 1978年 | 中国共産党、「四つの現代化」路線採択 | |
| 1978年 | (昭和53)日中平和友好条約調印 | |
| 1979年 | 米中国交回復(対台湾関係法) | |
| 1979年 | 中国軍、ベトナム国境侵攻(中越戦争) | |
| 1979年 | 中ソ友好同盟相互援助条約破棄 | |
| 1981年 | 胡耀邦が中国共産党主席就任(1982総書記) | |
| 1987年 | 胡耀邦総書記、学生の民主化デモで引責辞任。代行に趙紫陽 | |
| 1987年 | 台湾、戒厳令解除 | |
| 1988年 | 台湾、蒋経国総統死去。後任に本省人の李登輝 | |
| 1989年 | 天安門事件。趙紫陽総書記解任。後任に江沢民(-2002。1993-2003主席) | |
| 1992年 | 中国と韓国、国交樹立(中韓関係) | |
| 1993年 | 憲法に社会主義市場経済論 | |
| 1996年 | 台湾初の総統直接選挙で李登輝当選 | |
| 1997年 | イギリス、中国にホンコン返還(ホンコン基本法) | |
| 1999年 | 台湾大地震(集集地震) | |
| 1999年 | マカオ、中国に返還 | |
| 2000年 | 台湾初の政権交代。総統選挙で民主進歩党の陳水扁が当選 | |
| 2003年 | 中国国家主席に胡錦濤 | |
| 2003年 | 世界で 3ヵ国目の有人宇宙飛行に成功 | |
| 2008年 | チベット自治区で大規模暴動 | |
| 2009年 | シンチヤン(新疆)ウイグル(維吾爾)自治区で暴動 | |
| 2012年 | 習近平が総書記に就任 |

黄山 (Huang Shan)
奇岩で世に知られる黄山は、中国安微省の南部に位置する。
黄山の名は、唐の玄宗皇帝が 747 年に命名したとされる。
この山で修行を積み、仙人になった伝説の王「黄帝」にちなんだものという。
峰と雲、そして岩が織り成す風景は、まさに仙人が住む「仙境」を彷彿とさせる。
その独特の景観から、古来より多くの文人が訪れ、水墨画、漢詩などの題材となった。
写真は、雲海の隙間から現れた黄山三主峰のひとつ、光明頂(海抜1840m)。
数億年に及ぶ地殻変動が作り上げた黄山は、かつて海の底にあった。
それが隆起した後、浸食や風化により、独特の形の岩が作られたという。
光明頂の飛来石は、高さ12m、重さ600tの巨石。
その形がまるで空から飛んできたように見えることからこの名がついた。
実はかつて、孫悟空が放り投げた石が突き刺さったという伝承がある。
とにかく絶妙なバランスで危なげに立っている。
(黄山へのアクセス)
成田から北京国際空港まで4時間。北京から合肥国際空港まで2時間。
合肥から黄山空港まで一時間。黄山から黄山風景区まで車で一時間半。
(中国安徽省黄山風景区)

絶景ホテル(黄山風景区)
黄山玉屏楼賓館(こうざんぎょくへいろうひんかん)(Jade Screen Tower Hotel)
標高1680mの断崖絶壁に建っているホテル。
黄山の二大主峰である蓮花峰と天都峰の間に位置するこのホテルは、
朝焼けや雲海などの絶景を楽しめる好スポットである。
このホテルに到達するには約三時間の登山をするか、体力に自信のない人は、
登山口からロープウェイを利用することもできる。
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