オランダ独立戦争 (Dutch War of Independence)      歴史年表       ヨーロッパ史        人名事典)(用語事典)
直線上に配置                            


スペイン帝国

1571年、スペイン王フェリペ2世(Philip II)率いる西欧連合艦隊は、強国オスマン帝国の艦隊を、
ギリシア西岸のレパントで破りました。(レパントの海戦 Battle of Lepanto)

コンスタンティノープルの攻略から118年、オスマン帝国の地中海制覇の野望はついに打ち砕かれたのです。
16世紀のスペインは、ヨーロッパ最強を誇る強国でした。


その領土は、アメリカ大陸、フィリピン、ネーデルラント(Netherlands)、ナポリ、シチリアにまで拡大し、
1580年には血統の絶えたポルトガルも併合しました。

こうして、スペインは「太陽の沈まない国」(世界中に存在するスペイン領のどこかで必ず太陽が昇っている)
といわれる世界帝国を築いたのです。

しかし、絶頂期にあったスペインは、ほどなくして衰退の道を歩みはじめます。
その大きな要因となったのが、フェリペ2世の宗教政策です。

カトリックの盟主を自負し、反宗教改革を推し進めていたフェリペ2世は、
新大陸からもたらされた富の多くを宮殿や教会建築に費やしました。

そして、そのために生じた財力不足を、ネーデルラントへの重税で補おうとしたのです。





オランダ独立戦争

現在オランダやベルギーと言われる地域は、もともとネーデルラントと呼ばれていました。

ネーデルラントは11世紀ごろから、フランドル地方(Flanders)を中心に毛織物産業によって栄え、有力な都市がたくさん作られました。
また、アントワープ港(Port of Antwerp)を中心に海運業が栄え、中継貿易によって国が発展していました。

ネーデルラントは1477年にオーストリア・ハプスブルク家の領土となり、1556年にスペイン・ハプスブルク家に移管されます。
スペインはネーデルラントを獲得すると、次第に軍事力を用いて圧政を敷くようになります。

こうした状況の中、本国スペインに搾取され、カルヴァン派(Calvinism 新教徒)の多かったネーデルラント市民の間に、スペインに対する不満が高まります。
経済的、宗教的な要因から、スペインはアルバ公(Duke of Alba)を総督として派遣し、反対運動を徹底的に弾圧しました。






これに反対するネーデルラントの市民は、1568年、オラニエ公ウィレム1世(William I, Duke of Orange)
を中心に団結し、独立戦争を開始します。

激しい戦いの結果、1581年に北部七州が「ネーデルラント連邦共和国(オランダ)」として独立。

その間、新教国のイングランドもオランダの独立を支援します。
1588年、スペインは、無敵艦隊(Armada Invencible)をさしむけて制圧しようとしました。

しかし、この大艦隊は、エリザベス女王率いるイングランド海軍にあっけなく敗れてしまいます。
(アルマダ戦争 Battle of Armada)



この敗戦以降、「太陽の沈まない国」スペインは、落日を見ることになります。

1609年、オランダとスペインは休戦協定を結び、オランダは事実上の独立を果たし、
1648年のウエストファリア条約(Peace of Westphalia)によって国際的な承認を得ます。

このように、オランダ独立戦争は足掛け80年間(1568〜1648年)にわたって行われたので、
別名80年戦争(Eighty Years' War)とも言われます。

オランダは独立後、急速に発展していきます。
南部から移った有力商人たちはアムステルダムを中心に集まり、様々な商業活動に従事します。

1602年の東インド会社の設立と東アジアの香辛料貿易やニューネーデルラントなどのアメリカ植民地の獲得、
奴隷貿易、造船産業などによって莫大な富を築き上げます。

また、商業の他に金融業もオランダは力を入れたため、多方面でヨーロッパの経済の中心となっていきました。



直線上に配置






ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven) (1770〜1827年)


ドイツの作曲家。ウィーン古典派様式の完成者で、西洋音楽の代表的巨匠の一人。日本では「楽聖」とも呼ばれる。


「エグモント序曲」は、16世紀オランダ独立運動の指導者「エグモント伯」の史実を基に、
ドイツの文豪ゲーテによる戯曲「エグモント」の付随音楽として作曲されました。

スペインの圧政から祖国を救おうとしたフランドルの英雄エグモントは、スペイン王フェリペ2世による宗教弾圧に
果敢に抵抗を試みたが捕えられ、死刑の宣告を下されてしまいます。

曲はドラマティックな序奏から始まり、主部ではエグモントの悲劇を象徴する重厚な主題が奏されます。




           
「エグモント序曲」 (Egmont Ouverture)へ短調 Op.84




                                                             





太陽の沈まぬ国

スペイン王フェリペ2世のメアリ夫人は、結婚4年目に病死してしまった。

そこで王は、メアリ夫人の妹、エリザベス1世にプロポーズした。
たが、けんもほろろに断られてしまう。

それどころか、オランダがスペインに対して独立戦争を始めると、エリザベス1世は
「スペイン船は略奪してもおとがめなし」という特許状をイングランド海賊たちに与えた。

これに怒ったフェリペ2世は、しかえしとばかり、自慢の無敵艦隊を出撃させる。
だが、イングランド艦隊にこてんぱんに粉砕されてしまった。

イングランドは当時、毛織物の原料となる羊毛を重要な輸出産業としていた。
エリザベス1世が支援したオランダは、その羊毛の主要な輸出先だったのだ。

プロポーズ相手に、さんざん大ハジをかかされたフェリペ2世だが、
太陽の沈まぬ国といわれたスペインも、その後急速に衰えてしまった。