国名 | 日本国 | |||
英語 | Japan | |||
首都 | 東京(Tokyo) | |||
独立年 | 1951(アメリカ) | |||
民族 | 日本人 | |||
その他 | ||||
主要言語 | 日本語 | |||
面積 | 37万7970.75km2 | |||
人口 | 1億2709万5000(2015) | |||
通貨単位 | 円 | |||
宗教 | 仏教、キリスト教、神道 | |||
その他 | ||||
主要産業 | 機械、自動車、電気・電子機器 |
地理
アジア大陸の東縁に北東から南西にわたって弧状に延びる列島の国。
北から北海道、本州、四国、九州と連なり、沖縄および周辺の諸島を含む。
環太平洋造山帯の一部を構成し、火山が多い。河川は一般に短く急流である。
気候は四季の変化に富み、夏は高温多湿で秋に台風が多い。
東京の平均気温平年値は 16.3℃、降水量平年値は 1528.8mm。
アイヌおよび少数の外国系の人々を除けばほとんど単一の民族構成で、日本語を話す。
出生率は人口 1000あたり 8.0(2014)と低く、平均寿命は男性 80.5歳、
女性 86.8歳(2014)で、人口高齢化が進んでいる。
義務教育は 9年制で、就学率はほぼ 100%。
第2次世界大戦後の 1947年に日本国憲法が施行された。
議院内閣制で、衆議院と参議院の 2院からなる両院制)。
外交は国際連合中心主義を軸とするが、アメリカ合衆国と
日米安全保障条約を結んでいる。
鉱物資源に乏しいが、近代工業は高度に発達している。
就業者の 4.2%が 1次産業に、25.2%が 2次産業に、
70.6%が 3次産業に従事(2010)。
石油、木材、鉄鉱石などの原材料を輸入し、機械、自動車、電気・電子機器などの製品を輸出する。
主要輸入先は中国、アメリカ、中東諸国、輸出先は中国、アメリカ、アジア諸国。
交通網は道路、鉄道ともきわめてよく発達。
1960年代からの高度経済成長により世界有数の経済大国になったが、1990年代から長期の景気停滞期に入っている。
なお、日本の呼称は対外的には「にっぽん(NIPPON)」が用いられる。
都道府県別 面積、人口、県庁所在地 (2010年統計)
(km²) | (千人) | (県庁) | (km²) | (千人) | (県庁) | (km²) | (千人) | (県庁) | |||||
北海道 | 83,457 | 5,507 | 札幌市 | 中部 | 中国 | ||||||||
新潟県 | 10,364 | 2,375 | 新潟市 | 鳥取県 | 3,507 | 588 | 鳥取市 | ||||||
東北 | 富山県 | 2,046 | 1,093 | 富山市 | 島根県 | 6,708 | 716 | 松江市 | |||||
青森県 | 9,645 | 1,373 | 青森市 | 石川県 | 4,186 | 1,170 | 金沢市 | 岡山県 | 7,010 | 1,945 | 岡山市 | ||
岩手県 | 15,279 | 1,331 | 盛岡市 | 福井県 | 4,190 | 806 | 福井市 | 広島県 | 8,480 | 2,861 | 広島市 | ||
宮城県 | 6,862 | 2,348 | 仙台市 | 山梨県 | 4,201 | 863 | 甲府市 | 山口県 | 6,114 | 1,451 | 山口市 | ||
秋田県 | 11,636 | 1,086 | 秋田市 | 長野県 | 13,105 | 2,153 | 長野市 | 四国 | |||||
山形県 | 6,652 | 1,169 | 山形市 | 岐阜県 | 9,768 | 2,081 | 岐阜市 | 徳島県 | 4,147 | 786 | 徳島市 | ||
福島県 | 13,783 | 2,029 | 福島市 | 静岡県 | 7,255 | 3,765 | 静岡市 | 香川県 | 1,862 | 996 | 高松市 | ||
愛知県 | 5,116 | 7,408 | 名古屋市 | 愛媛県 | 5,678 | 1,431 | 松山市 | ||||||
関東 | 高知県 | 7,105 | 765 | 高知市 | |||||||||
茨城県 | 6,096 | 2,969 | 水戸市 | 近畿 | 九州 | ||||||||
栃木県 | 6,408 | 2,007 | 宇都宮市 | 三重県 | 5,762 | 1,855 | 津市 | 福岡県 | 4,845 | 5,073 | 福岡市 | ||
群馬県 | 6,362 | 2,008 | 前橋市 | 滋賀県 | 3,767 | 1,410 | 大津市 | 佐賀県 | 2,440 | 850 | 佐賀市 | ||
埼玉県 | 3,768 | 7,195 | さいたま市 | 京都府 | 4,613 | 2,637 | 京都市 | 長崎県 | 4,105 | 1,427 | 長崎市 | ||
千葉県 | 5,082 | 6,217 | 千葉市 | 大阪府 | 1,898 | 8,863 | 大阪市 | 熊本県 | 7,268 | 1,817 | 熊本市 | ||
東京都 | 2,103 | 13,162 | 新宿区 | 兵庫県 | 8,396 | 5,589 | 神戸市 | 大分県 | 5,100 | 1,196 | 大分市 | ||
神奈川県 | 2,416 | 9,050 | 横浜市 | 奈良県 | 3,691 | 1,400 | 奈良市 | 宮崎県 | 6,795 | 1,135 | 宮崎市 | ||
和歌山県 | 4,726 | 1,001 | 和歌山市 | 鹿児島県 | 9,044 | 1,706 | 鹿児島市 | ||||||
沖縄県 | 2,276 | 1,393 | 那覇市 |
歴史
日本にいつ頃から人類が定住し始めたかについては、1~3万年前の石器が発見されているものの確証はない。
BC660年、初代の神武天皇の即位をもって建国のときとしている。
552年(古墳時代)に仏教が朝鮮半島を経由して伝来した。
以後数世紀の間、日本は中国文化から強い影響を受けた。
8世紀には中国を模倣した宮廷が奈良、続いて京都に誕生した。
しかし 9世紀になると日本は大陸とのつながりを断ち始め、学んだものを翻案するようになった。
政治的には、天皇はしだいに廷臣たちに従属するようになった。
なかでも有力貴族の藤原氏は 11世紀を通じて絶大な勢力を保った。
しかし同時に、地方では武士階級が勃興し、排他的な政治力を蓄えつつあった。
建久3(1192)年、源頼朝は初の武家政権である鎌倉幕府を樹立した。
この政体が、途中幾度かの内部抗争を経ながらも慶応3(1867)年まで続くことになる。
鎌倉時代(1192~1333)の文永11(1274)年と弘安4(1281)年の 2度にわたるモンゴルの侵略(元寇)があった。
このときは、偶然の台風によって撃退されたが、この侵攻に備えるための負担が鎌倉幕府の倒壊につながった。
続く将軍足利氏による室町時代(1336~1573)は有力氏族による抗争と南北両朝の並立を特徴とする。
織田信長によって緒についた政治的統一は天正18(1590)年、豊臣秀吉によって達成された。
しかし、完全な意味での国家の統一は秀吉の死後、徳川家康の関ヶ原の戦い(1600)での勝利を待って実現した。
江戸時代(1603~1867)、幕府は対外的孤立政策をとった。
天文18(1549)年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが渡来した。
以来改宗した国内のキリスト教徒は迫害され、外国人は追放され、日本人の海外渡航も禁止された。
寛永16(1639)年、幕府はポルトガル船の来航を禁止。鎖国が始まる。(~1853 ぺりー来航)
政府の安定は数世紀ぶりに日本に平和をもたらした。
海外との隔絶(鎖国)は固有の文化を開花させたが、それは一方で社会の停滞をもたらした。
ことに勃興する商人階級が制約に耐えきれなくなった。
19世紀の中頃には幕府はもはや欧米の貿易商人たちを追い払うことができなくなり、政権への支持も崩壊した。
明治1(1868)年、天皇の支配権回復(王政復古)が宣言され、明治天皇が即位した。
しかし、実際の政治権力は南西部出身の一群の若い指導者たちが掌握していた。
彼らは新しい理念と技術を求めて、西ヨーロッパ世界のいたるところに視察団を派遣した。
こうして、日本の政治・経済・社会制度は西ヨーロッパを模範として体系的に近代化された。
その頂点を画するのが 1889年の大日本帝国憲法公布である。
日本はその後、帝国主義的傾向を強め、中国(日清戦争、1894~1895)、ロシア(日露戦争、1904~05)との戦争を行った。
さらには朝鮮併合(日韓併合、1910)へと突き進んだ。
1930年代の世界的な経済困難は、日本の対内的には軍の独裁、対外的には侵略という傾向をいっそう強めた。
日本は 1931年、中国から満州の支配権を奪ってこれを独立させ、ナチス・ドイツと同盟した。(日独枢軸)
1941年にはアメリカ合衆国、イギリスに宣戦布告し太平洋戦争に突入。
ハワイとフィリピンのアメリカ軍を攻撃するとともに東南アジアのヨーロッパ諸国植民地を占領した。
緒戦では成功を収めたが、日本軍はアメリカならびに連合軍によって徐々に押し戻された。
1945年、アメリカは広島と長崎に原子爆弾を投下、両都市は灰塵に帰した。
その直後、日本は連合国に降伏した。
アメリカによる戦後の占領により 1946年日本国憲法が与えられ、日本の民主化が進められた。
1951年サンフランシスコ講和条約の発効によって表向きは主権を回復したが、同時発効の日米安保条約によって、
米軍が国内に駐留し続けることになった。
アメリカは戦略的必要性から在日米軍基地の存続を確保したのであるが、日本は自国の防衛を米軍の抑止力に委ねることによって、
独立国としての対等な発言権を失い、アメリカの被保護国としての状況が現在に至るまで継続している。
縄文時代(BC14000年~BC660年) | ||
BC14000年 | 縄文時代(~BC660年)。竪穴住居、採集・狩猟生活。縄文土器、磨製石器を使用 | |
BC6000年 | 広場を囲む集落、共同墓地の形成。多様な土器、土偶、木製品、漆製品を製作 | |
弥生時代(BC660年~250年) | ||
BC660年 | 神武天皇即位。大和朝廷成立 | |
BC660年 | 弥生時代(~250年)。弥生土器、鉄器を使用。水稲栽培始まる | |
BC100年 | 階級社会成立 | |
BC100年 | 百余国分立。朝鮮半島の楽浪郡を通じて、中国の漢と交渉をもつ | |
57年 | 倭奴国の使者、中国の後漢に朝貢、光武帝から「倭奴国王印」受ける | |
100年 | 櫛目文土器、青銅器、鉄器の製作 | |
107年 | 倭国王帥升、後漢に遣使。生口(捕虜)160人献じる | |
150年 | 倭国大いに乱れ、小国分立 | |
200年 | 神功皇后が朝鮮出兵(三韓征伐) | |
239年 | 邪馬台国の女王卑弥呼、魏に遣使。明帝より「親魏倭王」の金印を受ける | |
248年 | 卑弥呼死去。宗女壹与を立て混乱収まる | |
古墳時代(250年~592年) | ||
250年 | 古墳時代。前方後円墳(首長墓)出現。纒向石塚古墳(奈良県桜井市) | |
266年 | 倭の女王壹与、西晋に遣使 | |
350年 | 大和朝廷が日本を統一 | |
370年 | 任那成立。日本、朝鮮半島南部に大規模出兵 | |
372年 | 百済王、倭王に七枝刀を贈る | |
391年 | 倭軍、朝鮮に出兵。百済、新羅を破る(広開土王碑) | |
397年 | 高句麗軍 5万、朝鮮半島を南下。倭軍を破り、任那の地にいたる(広開土王) | |
400年 | 渡来人の移住盛ん | |
404年 | 倭軍、朝鮮帯方郡に出兵。高句麗軍と戦い敗退(広開土王) | |
413年 | 倭、東晋に遣使(倭の五王) | |
425年 | 倭王讃、宋に遣使(倭の五王) | |
438年 | 倭王讃没し、弟珍立つ。珍、宋に遣使、安東将軍の称号を受ける(倭の五王) | |
450年 | 須恵器の生産始まる | |
462年 | 倭王済(允恭天皇)没し、世子興(安康天皇)、宋に遣使(倭の五王) | |
463年 | 安康天皇、眉輪王に殺される(伝説) | |
478年 | 倭王武(雄略天皇)、宋に遣使、安東大将軍の称号を受ける(倭の五王) | |
479年 | 雄略天皇死去。星川皇子誅殺(伝説) | |
498年 | 大伴金村、平群真鳥を誅殺 | |
507年 | 大伴金村、越前から大迹王を迎える。王、河内で即位(継体天皇) | |
512年 | 大伴金村、任那の 4県を百済に割譲 | |
513年 | 百済、日本に五経博士を献じる | |
527年 | 筑紫国造磐井の乱 | |
534年 | 屯倉の集中的設置 | |
540年 | 秦人・漢人ら渡来人の戸籍を編む | |
540年 | 大伴金村、大連を辞任 | |
552年 | 百済の聖王が仏像と経論を献じ、日本に仏教伝来 | |
552年 | 仏像礼拝の可否をめぐり、蘇我氏と物部氏争う | |
562年 | 任那、新羅の真興王に滅ぼされる | |
587年 | 蘇我馬子、物部守屋を滅ぼす | |
588年 | 飛鳥寺の建立始まる(596竣工) | |
592年 | 蘇我馬子、崇峻天皇殺害、任那出兵中止、敏達天皇の皇后を擁立(推古天皇) | |
飛鳥時代(592年~710年) | ||
593年 | 聖徳太子、摂政となり、四天王寺を建立 | |
593年 | 厳島神社創立(社伝) | |
594年 | 三宝興隆の詔(奈良仏教) | |
600年 | 最初の遣隋使、長安へ行く | |
602年 | 百済の僧観勒、暦を伝える | |
603年 | 冠位十二階を制定 | |
604年 | 十七条憲法を制定 | |
607年 | 小野妹子を隋に派遣 | |
607年 | 法隆寺建立 | |
608年 | 小野妹子を再び隋に派遣。僧旻・高向玄理ら留学 | |
610年 | 高句麗僧曇徴、絵具・紙を伝える | |
620年 | 「天皇記」「国記」 | |
630年 | 犬上御田鍬を唐に派遣(最初の遣唐使) | |
645年 | (大化1)大化改新。初めて年号制定 | |
645年 | (大化1)難波京に遷都 | |
646年 | (大化2)改新の詔を公布 | |
658年 | (斉明4)阿倍比羅夫、蝦夷を討つ | |
663年 | (天智2)白村江の戦い。日本軍敗れる | |
667年 | (天智6)近江大津京に遷都 | |
670年 | (天智9)庚午年籍をつくる | |
672年 | (天武1)壬申の乱。飛鳥浄御原に遷都 | |
680年 | (天武9)薬師寺建立 | |
684年 | (天武13)八色の姓を制定 | |
689年 | (持統3)飛鳥浄御原律令を施行 | |
694年 | (持統8)藤原京に遷都 | |
701年 | (大宝1)大宝律令を制定 | |
708年 | (和銅1)和同開珎をつくる(皇朝十二銭) | |
奈良時代(710年~794年) | ||
710年 | (和銅3)平城京に遷都 | |
711年 | (和銅4)蓄銭叙位令を定める | |
712年 | (和銅5)「古事記」 | |
713年 | (和銅6)諸国に「風土記」の編纂を命じる | |
718年 | (養老2)養老律令(757施行) | |
720年 | (養老4)「日本書紀」(六国史) | |
722年 | (養老6)100万町歩の開墾を計画(墾田) | |
723年 | (養老7)三世一身法を制定 | |
724年 | (神亀1)陸奥国に多賀城を築く(多賀城跡) | |
727年 | (神亀4)渤海使、初めて来日(大武芸) | |
729年 | (天平1)長屋王の変。光明皇后立后 | |
740年 | (天平12)藤原広嗣の乱。恭仁京に遷都 | |
741年 | (天平13)国分寺・国分尼寺建立の詔 | |
743年 | (天平15)墾田永世私財法を制定 | |
743年 | (天平15)聖武天皇、大仏造立の詔(奈良の大仏) | |
749年 | (天平 勝宝1)「万葉集」の第1次編纂 | |
751年 | (天平 勝宝3)「懐風藻」 | |
752年 | (天平 勝宝4)東大寺大仏開眼供養 | |
753年 | (天平 勝宝5)唐僧鑑真、来日 | |
757年 | (天平 宝字1)橘奈良麻呂の変 | |
764年 | (天平 宝字8)藤原仲麻呂の乱 | |
765年 | (天平 神護1)道鏡、太政大臣禅師となる(766法王、770失脚) | |
770年 | (宝亀1)百万塔・陀羅尼経を諸寺に分置 | |
784年 | (延暦3)長岡京に遷都 | |
785年 | (延暦4)造宮使藤原種継暗殺 | |
792年 | (延暦11)諸国の軍団を廃止し、健児を置く | |
平安時代(794年~1192年) | ||
794年 | (延暦13)平安京に遷都 | |
796年 | (延暦15)教王護国寺創建 | |
797年 | (延暦16)「続日本紀」(六国史) | |
798年 | (延暦17)坂上田村麻呂、清水寺創建 | |
801年 | (延暦20)征夷大将軍坂上田村麻呂、蝦夷を討つ | |
802年 | (延暦21)陸奥国に胆沢城を築く(胆沢城跡) | |
805年 | (延暦24)最澄帰国し、天台宗を伝える | |
806年 | (大同1)空海帰国し、真言宗を伝える | |
810年 | (大同5)薬子の変。以後検非違使が置かれる | |
810年 | (弘仁1)蔵人所を置き、藤原冬嗣らを蔵人頭とする | |
814年 | (弘仁5)「凌雲集」 | |
816年 | (弘仁7)空海、高野山に金剛峯寺を創建 | |
820年 | (弘仁11)「弘仁格式」 | |
822年 | (弘仁13)最澄の死後、延暦寺に戒壇を設立 | |
828年 | (天長5)空海、綜芸種智院を創立 | |
833年 | (天長10)「令義解」 | |
840年 | (承和7)「日本後紀」(六国史) | |
842年 | (承和9)承和の変。伴健岑ら流刑 | |
847年 | (承和14)円仁、唐から帰国 | |
849年 | (嘉祥2)円仁、三仏寺を創立 | |
866年 | (貞観8)応天門の変。伴善男を流罪 | |
866年 | (貞観8)藤原良房、摂政となる | |
869年 | (貞観11)「続日本後紀」(六国史) | |
879年 | (元慶3)「日本文徳天皇実録」(六国史) | |
887年 | (仁和3)藤原基経、関白の詔を受ける(阿衡事件) | |
894年 | (寛平6)菅原道真の建議で遣唐使を中止 | |
901年 | (昌泰4 延喜1)「日本三代実録」(六国史) | |
901年 | (昌泰4 延喜1)菅原道真を大宰権帥に左遷 | |
902年 | (延喜2)最初の荘園整理令 | |
905年 | (延喜5)「古今和歌集」 | |
914年 | (延喜14)三善清行、意見封事12ヵ条を進上 | |
927年 | (延長5)「延喜式」 | |
935年 | (承平5)承平・天慶の乱(~941)。平将門、藤原純友の地方勢力を鎮定 | |
935年 | (承平5)紀貫之「土佐日記」 | |
938年 | (承平8 天慶1)空也、念仏を広める | |
958年 | (天徳2)乾元大宝をつくる(皇朝十二銭) | |
969年 | (安和2)安和の変。左大臣源高明を大宰権帥に左遷 | |
970年 | (安和3 天禄1)「宇津保物語」(源順) | |
974年 | (天延2)藤原道綱母「蜻蛉日記」 | |
985年 | (永観3 寛和1)源信「往生要集」 | |
985年 | (永観3 寛和1)慶滋保胤「日本往生極楽記」 | |
988年 | (永延2)尾張国の郡司・百姓ら、国司の悪政を訴える(尾張国解文) | |
995年 | (長徳1)藤原道長に内覧の宣旨くだる | |
999年 | (長保1)藤原道長の長女彰子(上東門院)入内 | |
1001年 | (長保3)清少納言「枕草子」 | |
1012年 | (寛弘9)までに紫式部「源氏物語」 | |
1016年 | (長和5)藤原道長、摂政となる | |
1017年 | (長和6 寛仁1)藤原頼通、摂政となる | |
1018年 | (寛仁2)藤原道長、娘藤原妍子を皇太后、藤原威子を中宮とする | |
1019年 | (寛仁3)刀伊の入寇 | |
1022年 | (治安2)藤原道長、法成寺金堂を落成供養 | |
1028年 | (万寿5 長元1)平忠常の乱(~1031) | |
1045年 | (寛徳2)新立の荘園を停止(荘園整理令) | |
1051年 | (永承6)前九年の役(~1062) | |
1052年 | (永承7)この年から末法に入るとされ、末法思想が一世を風靡 | |
1053年 | (永承8 天喜1)藤原頼通、平等院鳳凰堂を建立 | |
1069年 | (延久1)記録荘園券契所(記録所)を置き、荘園を整理( 荘園整理令) | |
1083年 | (永保3)後三年の役(~1087) | |
1086年 | (応徳3)白河上皇(白河天皇)、院政開始 | |
1095年 | (嘉保2)北面の武士を置く | |
1098年 | (承徳2)源義家、正四位下に叙され、昇殿を許される | |
1108年 | (嘉承3 天仁1)平正盛、源義親を討つ | |
1113年 | (永久1)平正盛と平忠盛、永久の強訴平定に活躍(僧兵) | |
1124年 | (保安5 天治1)藤原清衡、中尊寺金色堂を建立 | |
1129年 | (大治4)平忠盛、山陽道・南海道の海賊を追捕 | |
1132年 | (長承1)平忠盛、昇殿を許される | |
1156年 | (保元1)保元・平治の乱(~1159)。平氏の全盛期となる | |
1158年 | (保元3)後白河天皇、上皇となり院政開始(1169法皇) | |
1164年 | (長寛2)平清盛、厳島神社に法華経を奉納(平家納経) | |
1167年 | (仁安2)平清盛、太政大臣となる | |
1175年 | (承安5 安元1)法然、浄土宗を開く | |
1177年 | (安元3)鹿ヶ谷事件。平氏討伐の陰謀発覚 | |
1179年 | (治承3)後白河法皇「梁塵秘抄」 | |
1179年 | (治承3)平清盛、後白河法皇(後白河天皇)を幽閉 | |
1180年 | (治承4)以仁王、源頼政挙兵し、治承の内乱始まる(~1185) | |
1183年 | (寿永2)平氏、西国に逃れる。源義仲入京。源頼朝、東国の行政権承認される | |
1184年 | (寿永3)源義仲、近江粟津で敗死 | |
1184年 | (元暦1)源頼朝、鎌倉に公文所、問注所を置く | |
1185年 | (元暦2)壇ノ浦の合戦。平氏滅亡 | |
1185年 | (文治1)源頼朝、守護、地頭の任命権を得る | |
1189年 | (文治5)藤原泰衡、衣川で源義経を討つ | |
1189年 | (文治5)源頼朝により奥州藤原氏滅亡 | |
1191年 | (建久2)栄西帰国し、臨済宗を開く | |
鎌倉時代(1192年~1333年) | ||
1192年 | (建久3)源頼朝、征夷大将軍となる(鎌倉幕府) | |
1199年 | (建久10)源頼朝死去。源頼家、家督を相続。幕府、御家人 13人の合議制をとる | |
1203年 | (建仁3)源実朝、第3代将軍となる | |
1203年 | (建仁3)運慶、快慶「金剛力士像」(東大寺南大門) | |
1204年 | (元久1)源頼家、修善寺で殺害 | |
1205年 | (元久2)「新古今和歌集」 | |
1212年 | (建暦2)鴨長明「方丈記」 | |
1213年 | (建暦3)北条氏、和田義盛を破り勢力拡大(和田合戦) | |
1219年 | (承久1)源実朝、公暁に暗殺 | |
1220年 | (承久2)慈円「愚管抄」 | |
1221年 | (承久3)承久の乱 | |
1221年 | (承久3)六波羅探題を設置 | |
1223年 | (貞応2)新補地頭の得分を定める | |
1224年 | (元仁1)北条泰時、執権となる | |
1224年 | (元仁1)親鸞「教行信証」を著し、浄土真宗を開く | |
1225年 | (嘉禄1)鎌倉幕府、評定衆を設置 | |
1226年 | (嘉禄2)九条頼経、第4代将軍となる | |
1227年 | (嘉禄3)道元帰国し、曹洞宗を開く | |
1232年 | (貞永1)御成敗式目制定 | |
1244年 | (寛元2)道元、永平寺を創建 | |
1247年 | (宝治1)宝治合戦。三浦氏滅亡 | |
1249年 | (建長1)鎌倉幕府、引付制度を設ける | |
1252年 | (建長4)宗尊親王、第6代将軍となる | |
1253年 | (建長5)日蓮、日蓮宗を開く | |
1267年 | (文永4)高麗の使者、フビライ・ハンの国書をもたらす | |
1268年 | (文永5)北条時宗、執権となる | |
1271年 | (文永8)元の使者、筑前に来て日本に服属を迫る(元寇) | |
1274年 | (文永11)一遍、時宗を開く | |
1274年 | (文永11)元軍、日本遠征に失敗(文永の役。元寇) | |
1275年 | (文永12 建治1)金沢文庫創立 | |
1281年 | (弘安4)元軍、日本再遠征に失敗(弘安の役。元寇) | |
1282年 | (弘安5)阿仏尼「十六夜日記」 | |
1285年 | (弘安8)秋田城介の乱。安達氏滅ぶ | |
1297年 | (永仁5)永仁の徳政令を発布 | |
1317年 | (正和6 文保1)文保の和談。皇位継承をめぐり、両統迭立提案 | |
1321年 | (元亨1)後醍醐天皇、院政を廃止。天皇親政復活 | |
1322年 | (元亨2)虎関師錬「元亨釈書」 | |
1324年 | (元亨4)正中の変 | |
1330年 | (元徳2)兼好「徒然草」 | |
1331年 | (元弘1 元徳3)元弘の乱 | |
1333年 | (元弘3 正慶2)足利尊氏、新田義貞挙兵。鎌倉幕府(北条氏)滅ぶ | |
1334年 | (建武1)建武中興。後醍醐天皇親政 | |
1335年 | (建武2)中先代の乱。足利尊氏が鎮圧 | |
1336年 | (延元1 建武3)湊川の戦い。足利尊氏、光明天皇を擁立 | |
室町時代(1336年~1573年) | ||
1336年 | (延元1 建武3)建武式目制定 | |
1336年 | (延元1 建武3)後醍醐天皇、吉野に遷幸。南北朝時代始まる(~1392) | |
1338年 | (延元3 暦応1)足利尊氏、征夷大将軍となる | |
1339年 | (延元4 暦応2)北畠親房「神皇正統記」 | |
1342年 | (興国3 康永1)天竜寺船を元に派遣 | |
1350年 | (正平5 観応1)観応の擾乱(~1352) | |
1352年 | (正平7 観応3)半済令発令 | |
1357年 | (正平12 延文2)「菟玖波集」 | |
1371年 | (建徳2 応安4)「太平記」 | |
1371年 | (建徳2 応安4)今川了俊、九州探題となり、九州一円を制圧 | |
1378年 | (天授4 永和4)足利義満、室町殿に移る | |
1391年 | (元中8 明徳2)明徳の乱 | |
1392年 | (元中9 明徳3)南北朝の合一(南北朝時代) | |
1393年 | (明徳4)室町幕府、倉役、酒屋役の課税制度を定める | |
1394年 | (明徳5 応永1)足利義満、太政大臣になる | |
1397年 | (応永4)足利義満、北山に鹿苑寺(金閣寺)を造営 | |
1399年 | (応永6)応永の乱 | |
1401年 | (応永8)足利義満、明に使者を派遣 | |
1402年 | (応永9)五山文学盛ん。世阿弥「風姿花伝」 | |
1402年 | (応永9)足利義満、明から「日本国王」と書かれた国書を受ける | |
1404年 | (応永11)足利義満、明と勘合貿易始める | |
1416年 | (応永23)上杉禅秀の乱 | |
1419年 | (応永26)朝鮮、対馬を攻撃(応永の外寇) | |
1428年 | (正長1)正長の一揆。農民ら徳政を要求(徳政一揆) | |
1429年 | (正長2 永享1)中山王、尚巴志(尚氏)が山南を平定し琉球統一 | |
1438年 | (永享10)永享の乱。足利持氏を討つ | |
1439年 | (永享11)上杉憲実、足利学校を再興 | |
1440年 | (永享12)結城合戦(~1441) | |
1441年 | (嘉吉1)嘉吉の乱。将軍足利義教、守護赤松満祐に謀殺される | |
1441年 | (嘉吉1)嘉吉の徳政一揆。徳政条目公布 | |
1450年 | (宝徳2)細川勝元、龍安寺を創建 | |
1454年 | (享徳3)享徳の土一揆。分一徳政を実施 | |
1455年 | (享徳4 康正1)足利成氏、下総古河に敗走し古河公方となる | |
1457年 | (長禄1)蝦夷でアイヌと和人の戦闘(コシャマインの乱) | |
1467年 | (応仁1)応仁の乱起こる(~1477。日野富子) | |
1467年 | (応仁1)桂庵玄樹、雪舟ら、明に渡る | |
1470年 | (文明2)琉球でクーデター、内間金丸を王に迎える(尚氏) | |
1471年 | (文明3)蓮如、越前吉崎に道場を建立 | |
1485年 | (文明17)山城国一揆起こる(~1493) | |
1488年 | (長享2)加賀一向一揆。守護富樫政親を自殺させ一国を支配(~1580) | |
1489年 | (長享3 延徳1)足利義政、東山に慈照寺を造営 | |
1491年 | (延徳3)伊勢長氏(北条早雲)、伊豆を領有 | |
1495年 | (明応4)「新撰菟玖波集」 | |
1495年 | (明応4)北条早雲、小田原城を奪取 | |
1496年 | (明応5)蓮如、石山本願寺(石山)を建立 | |
1500年 | (明応9)室町幕府、撰銭令 | |
1510年 | (永正7)朝鮮で三浦の乱。日朝国交断絶 | |
1512年 | (永正9)対馬の宗氏、朝鮮と壬申条約 | |
1516年 | (永正13)北条早雲、三浦氏を滅ぼす | |
1518年 | (永正15)「閑吟集」 | |
1521年 | (永正18 大永1)足利義晴、第12代将軍となる | |
1523年 | (大永3)日明貿易の利権をめぐり、大内氏と細川氏が闘争(寧波の乱) | |
1526年 | (大永6)今川氏親、「今川仮名目録」発布 | |
1532年 | (天文1)畿内各地で一向一揆起こる | |
1533年 | (天文2)石見銀山で神谷寿貞が銀精錬に成功し増産 | |
1536年 | (天文5)天文法華の乱。京都法華宗徒、延暦寺衆徒により洛外へ追われる | |
1536年 | (天文5)伊達稙宗、「塵芥集」制定 | |
1542年 | (天文11)斎藤道三、土岐氏を破り、美濃を押領 | |
1542年 | (天文11)生野銀山の大規模開発 | |
1543年 | (天文12)ポルトガル人、種子島に漂着し、鉄砲伝来 | |
1546年 | (天文15)足利義輝、第13代将軍となる | |
1547年 | (天文16)武田信玄「甲州法度」制定 | |
1547年 | (天文16)大内義隆、最後の勘合船を派遣(勘合貿易) | |
1549年 | (天文18)ザビエル、鹿児島にキリスト教を伝える | |
1550年 | (天文19)ザビエル、平戸、京都、山口で布教(大内義隆) | |
1551年 | (天文20)陶晴賢の反乱で大内義隆自害、大内氏滅亡 | |
1553年 | (天文22)川中島の戦い始まる(~1564) | |
1555年 | (天文24)毛利元就、厳島で陶晴賢を破る(厳島の戦い) | |
1555年 | (天文24 弘治1)までに「犬筑波集」 | |
1560年 | (永禄3)桶狭間の戦い。今川義元敗死 | |
1561年 | (永禄4)長尾景虎(上杉謙信)、関東管領となり上杉姓を受ける | |
1567年 | (永禄10)織田信長、稲葉山城(岐阜城)を攻略、美濃をくだす | |
1567年 | (永禄10)松永久秀、三好三人衆を東大寺付近で破り、大仏殿炎上 | |
1568年 | (永禄11)織田信長、足利義昭を奉じ入洛。義昭第15代将軍となる | |
1570年 | (元亀1)姉川の戦い | |
1571年 | (元亀2)織田信長、延暦寺を焼き打ち | |
安土桃山時代(1573年~1603年) | ||
1573年 | (元亀4)織田信長、将軍足利義昭を追放。室町幕府滅亡 | |
1574年 | (天正2)織田信長、長島一揆を鎮圧 | |
1575年 | (天正3)長篠の戦い | |
1576年 | (天正4)織田信長、安土城を築く | |
1579年 | (天正7)安土宗論で日蓮宗敗北 | |
1580年 | (天正8)織田信長、石山本願寺を滅ぼし、石山合戦終わる | |
1580年 | (天正8)宣教師バリニャーノ、豊後府内にコレジヨ建設 | |
1582年 | (天正10)キリシタン大名、天正遣欧使節をローマに派遣 | |
1582年 | (天正10)武田勝頼、織田信長に敗れ自刃。武田氏滅亡 | |
1582年 | (天正10)本能寺の変 | |
1582年 | (天正10)山崎の戦い | |
1582年 | (天正10)羽柴秀吉(豊臣秀吉)、山城を検地(~1598。太閤検地) | |
1583年 | (天正11)賤ヶ岳の戦い | |
1583年 | (天正11)羽柴秀吉(豊臣秀吉)、大阪城に入る | |
1584年 | (天正12)小牧・長久手の戦い | |
1585年 | (天正13)羽柴秀吉(豊臣秀吉)、関白となる | |
1585年 | (天正13)羽柴秀吉、太政大臣となり、豊臣姓を受けて豊臣秀吉と名のる | |
1586年 | (天正14)方広寺建立 | |
1587年 | (天正15)豊臣秀吉、九州征伐。バテレン追放令を出す | |
1587年 | (天正15)聚楽第落成。北野で大茶会(千利休) | |
1588年 | (天正16)豊臣秀吉、刀狩令(刀狩)。海賊禁止令発布 | |
1590年 | (天正18)バリニャーノ、印刷機を伝える(キリシタン版) | |
1590年 | (天正18)豊臣秀吉、小田原征伐 | |
1590年 | (天正18)徳川家康、江戸城に入る | |
1591年 | (天正19)千利休、豊臣秀吉の命で自刃 | |
1591年 | (天正19)豊臣秀吉、身分統制令を出す(兵農分離) | |
1592年 | (天正20 文禄1)異国渡海に朱印状を出す(朱印船貿易) | |
1592年 | (文禄1)豊臣秀吉、朝鮮出兵(~1596壬辰倭乱、1597~98丁酉倭乱。文禄・慶長の役) | |
1596年 | (慶長1)豊臣秀吉、キリシタン宣教師・信徒 26人を処刑(二十六聖人) | |
1598年 | (慶長3)豊臣秀吉死去。朝鮮から撤兵 | |
1600年 | (慶長5)関ヶ原の戦い | |
1600年 | (慶長5)オランダ船「リーフデ」号漂着 | |
1602年 | (慶長7)東本願寺建立。浄土真宗東西分立 | |
江戸時代(1603年~1867年) | ||
1603年 | (慶長8)徳川家康、征夷大将軍となり、江戸幕府を開く | |
1603年 | (慶長8)出雲の阿国、京都でかぶき踊を演ずる(阿国歌舞伎) | |
1604年 | (慶長9)糸割符制度を設ける | |
1607年 | (慶長12)朝鮮使節、初の江戸訪問 | |
1607年 | (慶長12)角倉了以、富士川の水運を開く | |
1609年 | (慶長14)島津家久、琉球に出兵。尚寧王降伏(おもろさうし) | |
1609年 | (慶長14)対馬藩、朝鮮と己酉(きゆう)条約締結。宗氏、朝鮮貿易の特権確保 | |
1609年 | (慶長14)平戸にオランダ商館開設 | |
1609年 | (慶長14)大船建造の禁。幕府、西国大名の 500石以上大船を没収 | |
1609年 | (慶長14)ポルトガル船「マードレ・デ・デウス」号、長崎で焼き打ち(有馬晴信) | |
1610年 | (慶長15)幕府、田中勝助をメキシコに派遣 | |
1613年 | (慶長18)伊達政宗、支倉常長をローマに派遣(慶長遣欧使節) | |
1613年 | (慶長18)平戸にイギリス商館開設(コックス) | |
1613年 | (慶長18)全国にキリスト教禁止令(キリスト教禁制) | |
1614年 | (慶長19)大坂の陣(冬の陣) | |
1614年 | (慶長19)高山右近らキリシタンを国外追放 | |
1614年 | (慶長19)角倉了以、高瀬川を開削 | |
1615年 | (元和1)豊臣氏滅亡(大坂の陣) | |
1615年 | (元和1)一国一城令、武家諸法度、禁中並公家諸法度、諸宗諸本山法度を制定 | |
1617年 | (元和3)日光東照宮創建 | |
1619年 | (元和5)堺商人、菱垣廻船開始 | |
1620年 | (元和6)桂離宮の造営始まる | |
1622年 | (元和8)キリシタン 55人、長崎で処刑(元和大殉教) | |
1623年 | (元和9)徳川家光、第3代将軍となる | |
1623年 | (元和9)イギリス、平戸商館を閉鎖(コックス) | |
1624年 | (寛永1)幕府、スペイン船の来航を禁止 | |
1629年 | (寛永6)紫衣事件で沢庵ら流罪 | |
1629年 | (寛永6)絵踏み始まる | |
1629年 | (寛永6)女歌舞伎禁止 | |
1630年 | (寛永7)俵屋宗達活躍 | |
1630年 | (寛永7)山田長政、シャムで毒殺(日本町) | |
1631年 | (寛永8)海外渡航に朱印状のほか、老中奉書を交付(奉書船) | |
1635年 | (寛永12)海外渡航禁止令 | |
1635年 | (寛永12)武家諸法度改定、参勤交代制度確立 | |
1636年 | (寛永13)寛永通宝の鋳造開始 | |
1637年 | (寛永14)島原の乱(~1638) | |
1639年 | (寛永16)幕府、ポルトガル船の来航を禁止。鎖国完成(~1853) | |
1640年 | (寛永17)宗門改役を設置 | |
1641年 | (寛永18)幕府、オランダ商館を平戸から出島に移転 | |
1643年 | (寛永20)田畑永代売買の禁 | |
1649年 | (慶安2)慶安の御触書、検地条令公布 | |
1650年 | (慶安3)お蔭参り流行 | |
1651年 | (慶安4)由井正雪の乱(慶安事件) | |
1651年 | (慶安4)末期養子の禁を緩和 | |
1652年 | (承応1)佐倉惣五郎、農民の窮状を江戸幕府に直訴(甚兵衛渡し) | |
1654年 | (承応3)玉川上水竣工 | |
1655年 | (明暦1)幕府、糸割符を廃止 | |
1657年 | (明暦3)徳川光圀「大日本史」編纂に着手 | |
1657年 | (明暦3)江戸大火(明暦の大火) | |
1660年 | (万治3)仙台藩に伊達騒動(~1671) | |
1662年 | (寛文2)伊藤仁斎、京都に古義堂開設 | |
1663年 | (寛文3)江戸、大阪、京都に定飛脚問屋成立(町飛脚) | |
1665年 | (寛文5)山鹿素行「聖教要録」(古学派) | |
1668年 | (寛文8)岡山藩、閑谷学校を創設 | |
1669年 | (寛文9)蝦夷でアイヌの首長シャムクシャイン(シャクシャイン)の乱。松前藩鎮圧 | |
1670年 | (寛文10)河村瑞賢、東回り航路を開く(東廻海運、西廻海運) | |
1670年 | (寛文10)林羅山、林鵞峰「本朝通鑑」編纂 | |
1671年 | (寛文11)宗門改帳作成始まる | |
1673年 | (寛文13)までに樽廻船の運航始まる | |
1673年 | (寛文13 延宝1)分地制限令 | |
1673年 | (延宝1)三井高利、江戸に越後屋呉服店を開く | |
1673年 | (延宝1)市川団十郎(1世)、江戸で荒事を演ずる | |
1678年 | (延宝6)坂田藤十郎(1世)、大坂で和事を演ずる | |
1680年 | (延宝8)徳川綱吉、第5代将軍となる | |
1681年 | (天和1)上野国沼田藩の茂左衛門、江戸幕府に直訴(磔茂左衛門) | |
1682年 | (天和2)井原西鶴「好色一代男」 | |
1682年 | (天和2)江戸大火(八百屋お七) | |
1684年 | (貞享1)竹本義太夫(1世)、大坂竹本座創立 | |
1684年 | (貞享1)大老堀田正俊、江戸城中で刺殺 | |
1684年 | (貞享1)貞享暦に改め、翌年採用(渋川春海) | |
1685年 | (貞享2)長崎貿易制限(定高貿易法) | |
1687年 | (貞享4)生類憐みの令 | |
1688年 | (貞享5 元禄1)井原西鶴「日本永代蔵」 | |
1688年 | (貞享5 元禄1)までに大坂堂島で新町屋開発(堂島新地) | |
1688年 | (元禄1)長崎唐人屋敷設営(翌年完成) | |
1689年 | (元禄2)松尾芭蕉「奥の細道」の旅に出立 | |
1691年 | (元禄4)林鳳岡を大学頭に任命。湯島聖堂(昌平黌)落成 | |
1692年 | (元禄5)井原西鶴「世間胸算用」 | |
1694年 | (元禄7)江戸に十組問屋仲間結成 | |
1694年 | (元禄7)側用人柳沢吉保、老中格となる | |
1695年 | (元禄8)荻原重秀、金銀貨幣を改鋳(元禄金銀) | |
1697年 | (元禄10)宮崎安貞「農業全書」 | |
1701年 | (元禄14)赤穂藩主浅野長矩切腹(赤穂事件) | |
1702年 | (元禄15)赤穂義士、吉良義央を討つ(赤穂事件) | |
1703年 | (元禄16)「曾根崎心中」初演(近松門左衛門) | |
1704年 | (宝永1)大和川河道変更工事 | |
1707年 | (宝永4)富士山噴火、宝永山の火口形成 | |
1708年 | (宝永5)宣教師シドッチ捕捉。江戸のキリシタン屋敷で審問を受ける(西洋紀聞) | |
1709年 | (宝永6)第6代将軍徳川家宣、新井白石を登用 | |
1711年 | (正徳1)朝鮮使節の待遇を改める | |
1714年 | (正徳4)絵島事件。山村座廃絶、絵島流刑 | |
1714年 | (正徳4)金銀貨改鋳(正徳・享保金銀) | |
1715年 | (正徳5)玉城朝薫、琉球の踊奉行となる | |
1715年 | (正徳5)「国性爺合戦」初演 | |
1715年 | (正徳5)海舶互市新令 | |
1716年 | (享保1)徳川吉宗、第8代将軍となる | |
1716年 | (享保1)享保の改革(~1745) | |
1717年 | (享保2)大岡忠相、江戸町奉行となる | |
1717年 | (享保2)荻生徂徠「弁道」 | |
1719年 | (享保4)江戸町火消いろは 47組設置 | |
1719年 | (享保4)相対済法制定 | |
1720年 | (享保5)キリスト教以外の洋書の輸入解禁 | |
1721年 | (享保6)評定所前に目安箱を設置 | |
1722年 | (享保7)定免法の実施 | |
1722年 | (享保7)諸大名に上米を課し、参勤期限を緩和。新田開発を奨励 | |
1722年 | (享保7)小石川薬園に養生所を設ける | |
1722年 | (享保7)心中物禁止令 | |
1723年 | (享保8)諸国人口調査(人別帳) | |
1723年 | (享保8)足高の制を定める | |
1726年 | (享保11)大坂で懐徳堂設立 | |
1726年 | (享保11)新田検地条目制定 | |
1729年 | (享保14)石田梅岩、京都で心学を講義 | |
1730年 | (享保15)幕府、帳合米商内を公認 | |
1731年 | (享保16)大坂に米仲買株を許す(堂島米市場) | |
1732年 | (享保17)西日本、虫害のため大飢饉(享保の飢饉) | |
1733年 | (享保18)米価高騰、江戸で打毀 | |
1734年 | (享保19)徳川吉宗、甘藷を試植させる(小石川薬園) | |
1735年 | (享保20)青木昆陽「蕃藷考」 | |
1736年 | (元文1)文字金銀を改鋳(元文金銀) | |
1740年 | (元文5)青木昆陽と野呂元丈、幕命でオランダ語を学習 | |
1742年 | (寛保2)「公事方御定書」 | |
1744年 | (延享1)出雲大社、本殿造替 | |
1748年 | (寛延1)「仮名手本忠臣蔵」初演(竹田出雲(2世)、三好松洛、並木宗輔) | |
1753年 | (宝暦3)安藤昌益「自然真営道」 | |
1754年 | (宝暦4)山脇東洋、死体解剖に立ち会う | |
1758年 | (宝暦8)宝暦事件。翌年竹内式部を重追放 | |
1765年 | (明和2)鈴木春信、錦絵を創始 | |
1767年 | (明和4)明和事件。山県大弐処刑 | |
1768年 | (明和5)上田秋成「雨月物語」 | |
1770年 | (明和7)洒落本流行 | |
1772年 | (安永1)田沼意次、老中となる | |
1772年 | (安永1)南鐐二朱銀鋳造 | |
1774年 | (安永3)前野良沢、杉田玄白ら「解体新書」 | |
1775年 | (安永4)黄表紙流行 | |
1776年 | (安永5)平賀源内、エレキテル修復 | |
1782年 | (天明2)天明の飢饉(~1787) | |
1783年 | (天明3)工藤平助「赤蝦夷風説考」 | |
1783年 | (天明3)浅間山噴火(天明浅間山噴火) | |
1783年 | (天明3)大槻玄沢「蘭学階梯」 | |
1783年 | (天明3)百姓一揆、打毀が全国で多発 | |
1784年 | (天明4)田沼意知、江戸城中で刺傷 | |
1786年 | (天明6)最上徳内、蝦夷地を探検 | |
1786年 | (天明6)大槻玄沢、江戸に芝蘭堂を開設 | |
1786年 | (天明6)田沼意次失脚 | |
1787年 | (天明7)江戸、大坂で打毀 | |
1787年 | (天明7)松平定信、老中首座となる | |
1787年 | (天明7)寛政の改革(~1793) | |
1789年 | (寛政1)クナシリ・メシナの戦い。国後島のアイヌ蜂起、和人多数殺害 | |
1789年 | (寛政1)棄捐令を発し、諸大名に囲籾を命じる | |
1790年 | (寛政2)江戸石川島に人足寄場を設置 | |
1790年 | (寛政2)寛政異学の禁。朱子学以外の学問の講義禁止 | |
1791年 | (寛政3)山東京伝、手鎖の刑 | |
1792年 | (寛政4)幕府、林子平を処罰し、「海国兵談」の版木を没収 | |
1792年 | (寛政4)ロシア使節ラクスマン、根室に来航、通商を要求。大黒屋光太夫帰国 | |
1793年 | (寛政5)塙保己一、和学講談所設立 | |
1796年 | (寛政8)「波留麻和解」(稲村三伯、宇田川玄随) | |
1797年 | (寛政9)昌平黌を官学校とする | |
1798年 | (寛政10)本居宣長「古事記伝」 | |
1798年 | (寛政10)近藤重蔵、国後島、択捉島を探検、「大日本恵登呂府」の標柱を建てる | |
1800年 | (寛政12)伊能忠敬、東北、蝦夷地の測量実施 | |
1802年 | (享和2)十返舎一九「東海道中膝栗毛」(~1822) | |
1804年 | (文化1)ロシア使節レザノフ、長崎に来航。翌年江戸幕府、通商要求を拒否 | |
1805年 | (文化2)関東取締出役を設置 | |
1807年 | (文化4)蝦夷地全土、直轄領となる | |
1808年 | (文化5)間宮林蔵ら樺太探検、間宮海峡(タタール海峡)を横断 | |
1808年 | (文化5)フェートン号事件 | |
1809年 | (文化6)式亭三馬「浮世風呂」(~1813) | |
1811年 | (文化8)幕府、ロシア軍人ゴロウニンを幽囚(~1813) | |
1814年 | (文化11)滝沢馬琴「南総里見八犬伝」(~1842) | |
1815年 | (文化12)杉田玄白「蘭学事始」 | |
1817年 | (文化14)広瀬淡窓、咸宜園を開く | |
1819年 | (文政2)小林一茶「おらが春」 | |
1819年 | (文政2)「群書類従」(塙保己一) | |
1820年 | (文政3)山片蟠桃「夢之代」 | |
1821年 | (文政4)伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」 | |
1821年 | (文政4)蝦夷地全土を松前藩に還付 | |
1823年 | (文政6)摂津、河内の農民、木綿・菜種の売買で国訴 | |
1824年 | (文政7)イギリス船、常陸大津浜、薩摩宝島に上陸、紛争 | |
1825年 | (文政8)異国船打払令 | |
1827年 | (文政10)薩摩藩、調所広郷の財政改革 | |
1828年 | (文政11)シーボルト事件 | |
1830年 | (天保1)葛飾北斎「富嶽三十六景」 | |
1830年 | (天保1)お蔭参り流行 | |
1833年 | (天保4)歌川広重「東海道五拾三次」 | |
1833年 | (天保4)天保の飢饉(~1836) | |
1835年 | (天保6)天保通宝を鋳造 | |
1837年 | (天保8)大塩平八郎の乱 | |
1837年 | (天保8)生田万の乱 | |
1837年 | (天保8)アメリカ船「モリソン」号、浦賀に来航(モリソン号事件) | |
1838年 | (天保9)緒方洪庵、大坂に適々斎塾を開く | |
1838年 | (天保9)高野長英「夢物語」、渡辺崋山「慎機論」 | |
1838年 | (天保9)中山みき、天理教を開く | |
1838年 | (天保9)長州藩毛利敬親、村田清風を登用し藩政改革 | |
1839年 | (天保10)蛮社の獄 | |
1841年 | (天保12)高島秋帆、洋式銃隊を訓練 | |
1841年 | (天保12)水野忠邦の天保の改革始まる(~1843) | |
1841年 | (天保12)株仲間・問屋・組合を禁止 | |
1842年 | (天保12)江戸歌舞伎三座を浅草へ移転 | |
1842年 | (天保13)人情本の出版を禁じ、為永春水、柳亭種彦を処罰 | |
1842年 | (天保13)薪水給与令を復活 | |
1843年 | (天保14)農村復興のため人返し法 | |
1843年 | (天保14)水野忠邦、上知令の失敗により失脚 | |
1844年 | (弘化1)オランダ国王が開国勧告 | |
1846年 | (弘化3)アメリカ軍人ビドル、浦賀に来航、通商を求める | |
1853年 | (嘉永6)ペリー、浦賀に来航 | |
1853年 | (嘉永6)プチャーチン、長崎に来航 | |
1854年 | (嘉永7)日米和親条約調印、開国 | |
1854年 | (安政1)日露和親条約(千島列島) | |
1855年 | (安政2)洋学所設立(1857蕃書調所、1862洋書調所、1863開成所と改称) | |
1855年 | (安政2)箱館開港、松前藩所領蝦夷地の大半を収公 | |
1855年 | (安政2)長崎に海軍伝習所設立 | |
1855年 | (安政2)安政江戸地震 | |
1856年 | (安政3)アメリカ総領事ハリス、下田着任 | |
1858年 | (安政5)井伊直弼、大老となる | |
1858年 | (安政5)安政五ヵ国条約締結 | |
1858年 | (安政5)福沢諭吉、私塾を開く(1868慶應義塾と命名) | |
1858年 | (安政5)安政の大獄始まる(~1859) | |
1859年 | (安政6)横浜、箱館、長崎を開港(安政五ヵ国条約) | |
1860年 | (万延1)「咸臨丸」、アメリカへ出航(勝海舟) | |
1860年 | (万延1)桜田門外の変 | |
1860年 | (万延1)五品江戸廻令 | |
1860年 | (万延1)江戸下谷種痘所を官学とする(1861西洋医学所と改称) | |
1862年 | (文久2)坂下門外の変 | |
1862年 | (文久2)皇妹和宮、第14代将軍徳川家茂に降嫁 | |
1862年 | (文久2)生麦事件、薩摩藩士がイギリス人を殺傷 | |
1862年 | (文久2)京都守護職設置 | |
1863年 | (文久3)将軍徳川家茂上京、5月10日を攘夷期限と上奏。長州藩、下関で外国艦を砲撃 | |
1863年 | (文久3)芹沢鴨、近藤勇、土方歳三ら新撰組結成 | |
1863年 | (文久3)薩英戦争 | |
1863年 | (文久3)大和五条の変 | |
1863年 | (文久3)文久三年八月十八日の政変、七卿落 | |
1863年 | (文久3)生野の変 | |
1864年 | (元治1)池田屋事件、新撰組が尊王攘夷派志士多数を殺傷 | |
1864年 | (元治1)禁門の変(蛤御門の変) | |
1864年 | (元治1)第1次長州征伐 | |
1864年 | (元治1)四国艦隊下関砲撃事件 | |
1865年 | (慶応1)安政の諸条約勅許(条約勅許問題) | |
1866年 | (慶応2)薩長同盟成立 | |
1866年 | (慶応2)第2次長州征伐 | |
1866年 | (慶応2)百姓一揆・打毀が激化 | |
1867年 | (慶応3)兵庫港開港(神戸港) | |
1867年 | (慶応3)薩摩・長州藩に討幕の密勅 | |
1867年 | (慶応3)第15代将軍徳川慶喜、大政奉還 | |
1867年 | (慶応3)坂本龍馬暗殺 | |
1867年 | (慶応3)「ええじゃないか踊り」起こる | |
1867年 | (慶応3)王政復古の大号令 | |
1868年 | (慶応4)鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争) | |
1868年 | (慶応4)五箇条の御誓文、五榜の掲示 | |
1868年 | (慶応4)神仏判然令。廃仏毀釈運動起こる | |
1868年 | (慶応4)江戸開城、彰義隊討伐 | |
1868年 | (慶応4)政体書発布、府藩県三治制とする | |
1868年 | (慶応4)江戸を東京と改称 | |
明治時代(1868年~1912年) | ||
1868年 | (慶応4 明治1)明治と改元(一世一元、明治天皇) | |
1869年 | (明治2)版籍奉還、華族・士族・平民の制 | |
1869年 | (明治2)五稜郭の戦い(戊辰戦争) | |
1869年 | (明治2)蝦夷地を北海道と改称、開拓使を設置(~1882) | |
1869年 | (明治2)東京―横浜間に電信開通 | |
1869年 | (明治2)長崎浦上のキリシタン信徒三千余人を配流(浦上四番崩れ。高木仙右衛門) | |
1870年 | (明治3)大教宣布の詔勅 | |
1871年 | (明治4)郵便制度発足 | |
1871年 | (明治4)新貨条例、円・銭・厘を単位とする(日本の貨幣制度) | |
1871年 | (明治4)廃藩置県 | |
1871年 | (明治4)日清修好条規調印 | |
1871年 | (明治4)身分解放令、穢多・非人等の身分を廃止 | |
1871年 | (明治4)岩倉具視らを欧米に派遣(岩倉遣外使節) | |
1872年 | (明治5)壬申戸籍を編成 | |
1872年 | (明治5)福沢諭吉「学問のすゝめ」 | |
1872年 | (明治5)学制を制定、学区制を敷く | |
1872年 | (明治5)新橋―横浜間に鉄道開通(汐留) | |
1872年 | (明治5)富岡製糸場操業を始める | |
1872年 | (明治5)国立銀行条例を定める | |
1872年 | (明治5)太陽暦を採用。この日を明治6(1873)年1月1日に(日本暦) | |
1873年 | (明治6)徴兵令公布。血税一揆多発 | |
1873年 | (明治6)キリスト教禁制の高札を撤廃 | |
1873年 | (明治6)明六社設立、翌年「明六雑誌」創刊(~1875) | |
1873年 | (明治6)地租改正条例を公布 | |
1873年 | (明治6)征韓論敗れ、西郷隆盛らが参議、近衛都督を辞職 | |
1874年 | (明治7)板垣退助ら民撰議院設立を建白。自由民権運動起こる | |
1874年 | (明治7)佐賀の乱 | |
1874年 | (明治7)台湾出兵(征台の役) | |
1875年 | (明治8)大阪会議。立憲政体漸次採用を宣言 | |
1875年 | (明治8)日本とロシア、樺太=千島交換条約締結 | |
1875年 | (明治8)讒謗律、新聞紙条例制定 | |
1875年 | (明治8)江華島事件 | |
1876年 | (明治9)朝鮮と日本、江華条約調印。朝鮮開国 | |
1876年 | (明治9)金禄公債証書を交付 | |
1876年 | (明治9)小笠原諸島領有を各国に通告 | |
1877年 | (明治10)地租率を 3%から 2.5%へ軽減(地租軽減運動) | |
1877年 | (明治10)西南戦争 | |
1877年 | (明治10)第1回内国勧業博覧会、上野で開催 | |
1877年 | (明治10)西南戦争、西郷隆盛自刃 | |
1878年 | (明治11)大久保利通暗殺 | |
1878年 | (明治11)地方制度の三新法制定 | |
1879年 | (明治12)琉球藩を廃止し沖縄県設置(琉球処分) | |
1880年 | (明治13)愛国社、国会期成同盟と改称(国会開設運動) | |
1880年 | (明治13)集会条例公布 | |
1880年 | (明治13)官営工場払下概則を制定(工場払下げ) | |
1881年 | (明治14)北海道開拓使官有物払下げ事件 | |
1881年 | (明治14)国会開設の詔勅(明治十四年の政変) | |
1881年 | (明治14)国会期成同盟を母体として自由党結成 | |
1882年 | (明治15)軍人勅諭を発布 | |
1882年 | (明治15)伊藤博文、憲法調査のため渡欧(~1883) | |
1882年 | (明治15)立憲改進党、立憲帝政党結成 | |
1882年 | (明治15)日本銀行設立 | |
1882年 | (明治15)福島事件 | |
1883年 | (明治16)鹿鳴館落成 | |
1884年 | (明治17)華族令を制定(華族) | |
1884年 | (明治17)加波山事件(.9)、秩父事件(.11) | |
1885年 | (明治18)日本と清、朝鮮に関して天津条約締結 | |
1885年 | (明治18)太政官制を廃し内閣制度施行。伊藤博文、初代首相に | |
1886年 | (明治19)帝国大学令、諸学校令公布 | |
1886年 | (明治19)ノルマントン号事件(不平等条約改正) | |
1887年 | (明治20)保安条例公布(~1898) | |
1888年 | (明治21)市制及町村制公布 | |
1888年 | (明治21)枢密院設置(~1947) | |
1889年 | (明治22)大日本帝国憲法公布(~1947) | |
1889年 | (明治22)東海道本線全線開通 | |
1889年 | (明治22)大隈重信外務大臣負傷、不平等条約改正挫折 | |
1890年 | (明治23)第1回総選挙(国会開設運動) | |
1890年 | (明治23)明治二十三年恐慌 | |
1890年 | (明治23)教育勅語発布 | |
1890年 | (明治23)第1回帝国議会開会 | |
1890年 | (明治23)民法典論争起こり民法施行延期(旧民法) | |
1891年 | (明治24)内村鑑三、教育勅語不敬事件 | |
1891年 | (明治24)大津事件。ロシア皇太子負傷(ニコライ2世) | |
1891年 | (明治24)濃尾地震 | |
1891年 | (明治24)田中正造、足尾銅山鉱毒問題を提議(足尾鉱毒事件) | |
1892年 | (明治25)第2回総選挙。品川弥二郎内務大臣による大規模な選挙干渉起こる | |
1892年 | (明治25)北里柴三郎、伝染病研究所の初代所長に就任 | |
1893年 | (明治26)北村透谷ら「文学界」創刊 | |
1893年 | (明治26)文官任用令公布 | |
1894年 | (明治27)日清戦争始まる(~1895) | |
1894年 | (明治27)日英新通商航海条約調印(不平等条約改正) | |
1895年 | (明治28)樋口一葉「たけくらべ」 | |
1895年 | (明治28)下関条約(日清講和)調印 | |
1895年 | (明治28)ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉。日本、遼東半島還付 | |
1896年 | (明治29)清とロシア、東支鉄道敷設に関する対日本密約(日露戦争) | |
1896年 | (明治29)黒田清輝ら、白馬会設立 | |
1897年 | (明治30)貨幣法公布(金本位制度) | |
1897年 | (明治30)高野房太郎ら、労働組合期成会結成 | |
1897年 | (明治30)志賀潔、赤痢菌を発見 | |
1898年 | (明治31)憲政党結成、隈板内閣成立 | |
1898年 | (明治31)安部磯雄ら、社会主義研究会を設立(社会主義協会) | |
1898年 | (明治31)岡倉天心ら、日本美術院を創立 | |
1899年 | (明治32)横山源之助「日本之下層社会」 | |
1899年 | (明治32)アメリカ、列強に対し中国進出に関する門戸開放政策を宣言 | |
1900年 | (明治33)治安警察法公布 | |
1900年 | (明治33)軍部大臣現役武官制成立 | |
1900年 | (明治33)伊藤博文、立憲政友会結成 | |
1901年 | (明治34)八幡製鉄所、操業を開始 | |
1901年 | (明治34)社会民主党結成、即日禁止 | |
1901年 | (明治34)田中正造、足尾鉱毒事件を天皇に直訴 | |
1901年 | (明治34)与謝野晶子「みだれ髪」 | |
1902年 | (明治35)日英同盟調印(~1923) | |
1903年 | (明治36)小学校国定教科書制度公布 | |
1903年 | (明治36)七博士事件。東京大学教授 7人が対露強硬論の意見書を首相に提出 | |
1903年 | (明治36)幸徳秋水、平民社設立 | |
1904年 | (明治37)日露戦争(~1905) | |
1904年 | (明治37)日韓議定書調印 | |
1904年 | (明治37)日韓協約調印(第1次) | |
1905年 | (明治38)夏目漱石「吾輩は猫である」(~1906) | |
1905年 | (明治38)第2次日英同盟調印 | |
1905年 | (明治38)ポーツマス条約(日露講和)調印。日比谷焼打ち事件起こる | |
1905年 | (明治38)第2次日韓協約調印(乙巳保護条約) | |
1905年 | (明治38)韓国統監府設置 | |
1906年 | (明治39)堺利彦ら、日本社会党結成 | |
1906年 | (明治39)島崎藤村「破戒」 | |
1906年 | (明治39)鉄道国有法公布 | |
1906年 | (明治39)リュイシュン(旅順)に関東都督府を設置(関東軍) | |
1906年 | (明治39)南満州鉄道株式会社設立 | |
1907年 | (明治40)小学校義務教育 6年制に | |
1907年 | (明治40)第1次日露協約調印 | |
1908年 | (明治41)日本人移民に関する日米紳士協約成立(移民問題) | |
1908年 | (明治41)戊申詔書発布 | |
1909年 | (明治42)伊藤博文暗殺(ハルビン事件) | |
1909年 | (明治42)小山内薫らの自由劇場が第1回試演 | |
1910年 | (明治43)武者小路実篤ら「白樺」を創刊(~1923) | |
1910年 | (明治43)大逆事件。幸徳秋水ら検挙 | |
1910年 | (明治43)日韓併合条約調印 | |
1910年 | (明治43)朝鮮総督府設置 | |
1911年 | (明治44)不平等条約改正、関税自主権確立 | |
1911年 | (明治44)工場法公布(1916施行) | |
1911年 | (明治44)平塚らいてうら「青鞜」を発刊(~1916) | |
1912年 | (明治45)白瀬矗、南極大陸到達(南極探検) | |
1912年 | (明治45 大正1)明治天皇崩御。皇太子嘉仁(大正天皇)践祚、大正と改元 | |
大正時代(1912年~1926年) | ||
1912年 | (大正1)鈴木文治ら、友愛会を結成 | |
1913年 | (大正2)憲政擁護運動により第3次桂太郎内閣総辞職(大正の政変) | |
1913年 | (大正2)カリフォルニア州で日本人移民の土地所有を禁ずる法律成立(排日問題) | |
1914年 | (大正3)シーメンス事件 | |
1914年 | (大正3)日本、ドイツに宣戦、第1次世界大戦に参戦 | |
1914年 | (大正3)日本、ドイツ領南洋諸島を占領(南洋諸島委任統治問題) | |
1914年 | (大正3)日本、チンタオ(青島)占領 | |
1915年 | (大正4)日本、中国に二十一ヵ条要求 | |
1916年 | (大正5)吉野作造、民本主義を提唱 | |
1916年 | (大正5)加藤高明、憲政会を結成 | |
1917年 | (大正6)金輸出禁止 | |
1917年 | (大正6)石井=ランシング協定(~1923) | |
1918年 | (大正7)富山県下で米騒動。全国に波及 | |
1918年 | (大正7)シベリア出兵 | |
1918年 | (大正7)寺内正毅内閣倒れ、原敬内閣成立 | |
1919年 | (大正8)労働争議頻発、普通選挙運動起こる | |
1919年 | (大正8)朝鮮で日本統治に反対する三・一運動 | |
1919年 | (大正8)中国、五・四運動(排日運動)始まる | |
1919年 | (大正8)帝国ホテル建設(~1923。ライト) | |
1920年 | (大正9)国際連盟成立(~1946)。日本は常任理事国に | |
1920年 | (大正9)第1次世界大戦後の反動恐慌起こる | |
1920年 | (大正9)日本最初のメーデー、上野公園で開催 | |
1920年 | (大正9)尼港事件 | |
1921年 | (大正10)日本労働総同盟成立 | |
1921年 | (大正10)原敬首相、東京駅で刺殺 | |
1921年 | (大正10)ワシントン会議(~1922)。日米英仏 4ヵ国条約成立。日英同盟破棄 | |
1922年 | (大正11)ワシントン海軍軍備制限条約調印 | |
1922年 | (大正11)九ヵ国条約調印 | |
1922年 | (大正11)全国水平社創立 | |
1922年 | (大正11)日本農民組合創立 | |
1922年 | (大正11)日本共産党結成 | |
1923年 | (大正12)関東大震災 | |
1923年 | (大正12)虎ノ門事件。山本権兵衛内閣総辞職 | |
1924年 | (大正13)第2次憲政擁護運動。加藤高明首相率いる護憲三派内閣成立 | |
1924年 | (大正13)築地小劇場開場 | |
1925年 | (大正14)日ソ基本条約調印、国交回復 | |
1925年 | (大正14)治安維持法公布 | |
1925年 | (大正14)普通選挙法公布 | |
1926年 | (大正15)労働農民党結成 | |
昭和時代(1926年~1989年) | ||
1926年 | (大正15 昭和1)大正天皇崩御。摂政であった皇太子裕仁(昭和天皇)践祚、昭和と改元 | |
1927年 | (昭和2)金融恐慌起こる(昭和恐慌) | |
1927年 | (昭和2)第1次山東出兵 | |
1927年 | (昭和2)立憲民政党結成(総裁浜口雄幸) | |
1928年 | (昭和3)最初の普通選挙実施 | |
1928年 | (昭和3)三・一五事件、共産党員を大検挙 | |
1928年 | (昭和3)第2次山東出兵、済南事件 | |
1928年 | (昭和3)関東軍、張作霖を爆殺(張作霖爆死事件) | |
1930年 | (昭和5)金解禁(昭和恐慌) | |
1930年 | (昭和5)英米日、ロンドン海軍軍備制限条約調印 | |
1930年 | (昭和5)浜口雄幸首相、東京駅で狙撃される | |
1931年 | (昭和6)重要産業統制法公布 | |
1931年 | (昭和6)柳条湖事件(満州事変、~1933) | |
1931年 | (昭和6)金輸出再禁止(昭和恐慌) | |
1932年 | (昭和7)第1次上海事変 | |
1932年 | (昭和7)満州国建国宣言。溥儀、執政に就任 | |
1932年 | (昭和7)五・一五事件。犬養毅首相射殺 | |
1932年 | (昭和7)日満議定書調印(満州国承認) | |
1932年 | (昭和7)リットン調査団、満州問題の現地調査報告書発表 | |
1933年 | (昭和8)日本、国際連盟脱退 | |
1934年 | (昭和9)満州国、溥儀を皇帝に帝政施行 | |
1934年 | (昭和9)ワシントン海軍軍備制限条約を廃棄 | |
1935年 | (昭和10)美濃部達吉の天皇機関説問題化。政府、国体明徴声明を発表 | |
1936年 | (昭和11)ロンドン軍縮会議を脱退(ロンドン海軍軍備制限条約) | |
1936年 | (昭和11)二・二六事件、軍部大臣現役武官制を復活 | |
1936年 | (昭和11)日独防共協定調印 | |
1937年 | (昭和12)ヘレン・ケラー初来日 | |
1937年 | (昭和12)盧溝橋事件、日中戦争始まる | |
1937年 | (昭和12)第2次上海事変 | |
1937年 | (昭和12)イタリア、日独防共協定に参加 | |
1937年 | (昭和12)日本軍、南京占領。南京大虐殺事件 | |
1937年 | (昭和12)人民戦線事件(~1938) | |
1938年 | (昭和13)近衛文麿首相、「爾後国民政府(蒋介石)を相手とせず」と声明(近衛声明) | |
1938年 | (昭和13)国家総動員法公布 | |
1938年 | (昭和13)張鼓峰事件 | |
1938年 | (昭和13)近衛文麿首相、東亜新秩序建設を声明 | |
1939年 | (昭和14)ノモンハン事件 | |
1939年 | (昭和14)国民徴用令公布(国家総動員法) | |
1939年 | (昭和14)アメリカ、日米通商航海条約廃棄通告 | |
1939年 | (昭和14)価格等統制令公布(国家総動員法) | |
1940年 | (昭和15)華北地方で中国共産党軍の八路軍と日本軍が戦闘(百団大戦) | |
1940年 | (昭和15)日本軍、フランス領インドシナに進駐(北部仏印進駐) | |
1940年 | (昭和15)日独伊三国同盟締結 | |
1940年 | (昭和15)大政翼賛会結成(総裁近衛文麿首相) | |
1940年 | (昭和15)大日本産業報国会結成 | |
1941年 | (昭和16)国民学校令公布 | |
1941年 | (昭和16)日ソ中立条約調印 | |
1941年 | (昭和16)日本軍、ベトナム南部に進駐(南部仏印進駐) | |
1941年 | (昭和16)東条英機内閣成立 | |
1941年 | (昭和16)日本軍、真珠湾攻撃。太平洋戦争始まる(~1945) | |
1942年 | (昭和17)日本軍、マニラ、シンガポール、ラングーン占領(.1~.2。山下奉文) | |
1942年 | (昭和17)翼賛選挙。翼賛政治会結成(.5.20) | |
1942年 | (昭和17)ミッドウェー海戦 | |
1942年 | (昭和17)ガダルカナルの戦い(1943日本軍撤退) | |
1943年 | (昭和18)連合艦隊司令長官、山本五十六戦死 | |
1943年 | (昭和18)大東亜会議、東京で開催。大東亜共同宣言採択 | |
1943年 | (昭和18)学徒出陣(学徒動員) | |
1944年 | (昭和19)マリアナ沖海戦。サイパン島陥落(サイパン島の戦い | |
1944年 | (昭和19)レイテ湾海戦、日本連合艦隊壊滅 | |
1945年 | (昭和20)東京大空襲 | |
1945年 | (昭和20)アメリカ軍、沖縄島に上陸(沖縄の戦い) | |
1945年 | (昭和20)アメリカ、イギリス、中国がポツダム宣言 | |
1945年 | (昭和20)広島に原子爆弾投下 | |
1945年 | (昭和20)ソ連、日本に宣戦布告 | |
1945年 | (昭和20)長崎に原子爆弾投下 | |
1945年 | (昭和20)ポツダム宣言受諾、無条件降伏(降伏文書) | |
1945年 | (昭和20)第2次世界大戦、太平洋戦争終わる | |
1945年 | (昭和20)連合国総司令部 GHQ設置。初代最高司令官マッカーサー就任 | |
1945年 | (昭和20)日本社会党、日本自由党、日本進歩党結成 | |
1945年 | (昭和20)連合国総司令部 GHQ、農地改革を指令(第1次農地改革) | |
1945年 | (昭和20)改正衆議院議員選挙法公布、婦人参政権確立 | |
1945年 | (昭和20)労働組合法公布 | |
1945年 | (昭和20)モスクワ協定成立 | |
1946年 | (昭和21)昭和天皇、神格性否定の詔書 | |
1946年 | (昭和21)連合国総司令部 GHQ、公職追放を指令 | |
1946年 | (昭和21)金融緊急措置令、新円に切り換え | |
1946年 | (昭和21)戦後最初の衆議院議員選挙(男女平等選挙) | |
1946年 | (昭和21)第2次農地改革諸法令を公布 | |
1946年 | (昭和21)日本国憲法公布(1947.5.3.施行) | |
1946年 | (昭和21)南海地震 | |
1947年 | (昭和22)連合国総司令部 GHQ、二・一スト中止命令 | |
1947年 | (昭和22)教育基本法、学校教育法公布 | |
1947年 | (昭和22)労働基準法公布 | |
1947年 | (昭和22)独占禁止法公布 | |
1947年 | (昭和22)新憲法下初の総選挙で日本社会党第一党、片山哲内閣成立(~1948) | |
1947年 | (昭和22)改正民法(民法)、過度経済力集中排除法(財閥解体)公布 | |
1948年 | (昭和23)福井地震 | |
1948年 | (昭和23)国民の祝日に関する法律制定 | |
1948年 | (昭和23)極東国際軍事裁判判決 | |
1948年 | (昭和23)連合国総司令部 GHQ、経済九原則を指令 | |
1949年 | (昭和24)ドッジ・ライン発表 | |
1949年 | (昭和24)1ドル=360円の単一為替レート実施(360円レート) | |
1949年 | (昭和24)下山事件 | |
1949年 | (昭和24)三鷹事件 | |
1949年 | (昭和24)松川事件 | |
1949年 | (昭和24)シャウプ勧告発表 | |
1949年 | (昭和24)湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞 | |
1950年 | (昭和25)朝鮮戦争の特需景気 | |
1950年 | (昭和25)日本労働組合総評議会(総評)結成 | |
1950年 | (昭和25)レッド・パージ始まる | |
1950年 | (昭和25)警察予備隊創設 | |
1951年 | (昭和26)国際労働機関ILO、国際連合教育科学文化機関UNESCOに加盟 | |
1951年 | (昭和26)サンフランシスコ講和会議、対日講和条約、日米安全保障条約調印 | |
1952年 | (昭和27)日米行政協定調印 | |
1952年 | (昭和27)日華平和条約調印 | |
1952年 | (昭和27)メーデー事件 | |
1952年 | (昭和27)破壊活動防止法公布 | |
1952年 | (昭和27)警察予備隊を保安隊に改編 | |
1953年 | (昭和28)日本放送協会 NHK、テレビ放送開始 | |
1953年 | (昭和28)日米友好通商航海条約調印 | |
1953年 | (昭和28)電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関するスト規制法公布 | |
1953年 | (昭和28)民間放送、テレビ放送開始 | |
1954年 | (昭和29)第五福竜丸事件 | |
1954年 | (昭和29)日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法制定 | |
1954年 | (昭和29)防衛庁、陸海空自衛隊発足 | |
1954年 | (昭和29)神武景気始まる(~1957) | |
1954年 | (昭和29)映画「七人の侍」 | |
1955年 | (昭和30)広島で第1回原水爆禁止世界大会 | |
1955年 | (昭和30)自由民主党結成、日本社会党左右統一(55年体制) | |
1956年 | (昭和31)日ソ共同宣言(国交回復) | |
1956年 | (昭和31)国際連合に加盟 | |
1958年 | (昭和33)岩戸景気始まる(~1961) | |
1959年 | (昭和34)三井鉱山三池争議(~1960) | |
1960年 | (昭和35)新日米安全保障条約調印、安保闘争激化(安保改定問題) | |
1960年 | (昭和35)民主社会党結成 | |
1960年 | (昭和35)チリ地震。日本にも津波被害 | |
1960年 | (昭和35)カラーテレビ放送開始 | |
1960年 | (昭和35)日本社会党委員長浅沼稲次郎刺殺 | |
1960年 | (昭和35)池田勇人内閣、国民所得倍増計画を決定 | |
1961年 | (昭和36)農業基本法公布 | |
1962年 | (昭和37)中国とのLT貿易始まる(~1968) | |
1963年 | (昭和38)「鉄腕アトム」放映開始(手塚治虫) | |
1964年 | (昭和39)IMF8条国に移行 | |
1964年 | (昭和39)経済協力開発機構 OECDに加盟 | |
1964年 | (昭和39)新潟地震 | |
1964年 | (昭和39)東海道新幹線開通 | |
1964年 | (昭和39)東京オリンピック競技大会開催 | |
1964年 | (昭和39)公明党結成 | |
1965年 | (昭和40)日韓基本条約締結。国交正常化 | |
1965年 | (昭和40)松代地震 | |
1965年 | (昭和40)いざなぎ景気始まる(~1970) | |
1965年 | (昭和40)朝永振一郎、ノーベル物理学賞受賞 | |
1966年 | (昭和41)全日空機、羽田沖墜落、死者133 | |
1966年 | (昭和41)新東京国際空港建設地、千葉県成田市に決定(成田国際空港) | |
1967年 | (昭和42)資本自由化の基本方針を決定 | |
1967年 | (昭和42)公害対策基本法公布 | |
1967年 | (昭和42)吉田茂死去、戦後初の国葬 | |
1967年 | (昭和42)佐藤栄作首相、国会で非核三原則を言明 | |
1968年 | (昭和43)えびの地震 | |
1968年 | (昭和43)小笠原諸島返還協定調印(小笠原返還) | |
1968年 | (昭和43)富山のイタイイタイ病を公害病と認定 | |
1968年 | (昭和43)十勝沖地震 | |
1968年 | (昭和43)熊本と新潟の水俣病を公害病と認定 | |
1968年 | (昭和43)三億円事件 | |
1968年 | (昭和43)川端康成、ノーベル文学賞受賞 | |
1969年 | (昭和44)東京大学安田講堂封鎖解除のため機動隊導入。1969年度入試中止(大学紛争) | |
1969年 | (昭和44)同和対策事業特別措置法公布 | |
1970年 | (昭和45)国産初の人工衛星「おおすみ」打ち上げ成功 | |
1970年 | (昭和45)大阪で日本万国博覧会開催 | |
1970年 | (昭和45)日本航空機「よど」号ハイジャック事件(ハイジャック関係法) | |
1970年 | (昭和45)日米安全保障条約継続決定(安保自動延長) | |
1970年 | (昭和45)三島由紀夫、自衛隊に乱入、割腹自殺 | |
1971年 | (昭和46)沖縄返還協定調印 | |
1971年 | (昭和46)環境庁発足 | |
1971年 | (昭和46)ドルショック。ニクソンのドル防衛策発表で株価大暴落 | |
1971年 | (昭和46)昭和天皇・皇后、ヨーロッパ 7ヵ国訪問 | |
1971年 | (昭和46)スミソニアン合意。1ドル=308円に | |
1972年 | (昭和47)札幌オリンピック冬季競技大会開催 | |
1972年 | (昭和47)連合赤軍の浅間山荘事件 | |
1972年 | (昭和47)奈良県明日香村の高松塚古墳で壁画発見 | |
1972年 | (昭和47)沖縄返還、沖縄県発足 | |
1972年 | (昭和47)イスラエルの空港で日本赤軍派による乱射事件(テルアビブ事件) | |
1972年 | (昭和47)日中共同声明調印(国交正常化) | |
1973年 | (昭和48)円、変動相場制に移行(変動為替相場制度) | |
1973年 | (昭和48)水俣病第1次訴訟、患者側が勝訴 | |
1973年 | (昭和48)キム・デジュン(金大中)誘拐事件 | |
1973年 | (昭和48)第1次石油危機、狂乱物価起こる | |
1973年 | (昭和48)江崎玲於奈、ノーベル物理学賞受賞 | |
1974年 | (昭和49)戦後初のマイナス成長。高度成長の終焉 | |
1974年 | (昭和49)フィリピンのルバング島に潜伏していた小野田寛郎元陸軍少尉が帰国 | |
1974年 | (昭和49)佐藤栄作、ノーベル平和賞受賞 | |
1974年 | (昭和49)田中角栄内閣、金脈問題で総辞職 | |
1975年 | (昭和50)沖縄で国際海洋博覧会開催 | |
1975年 | (昭和50)昭和天皇・皇后、アメリカ訪問 | |
1976年 | (昭和51)新自由クラブ結成 | |
1976年 | (昭和51)ロッキード事件で田中角栄を逮捕 | |
1976年 | (昭和51)防衛計画の大綱決定。防衛費は国民総生産 GNP1%の枠内に | |
1977年 | (昭和52)領海法、漁業水域暫定措置法公布(200カイリ時代) | |
1978年 | (昭和53)社会民主連合結成 | |
1978年 | (昭和53)新東京国際空港開港(成田国際空港) | |
1978年 | (昭和53)宮城県沖地震 | |
1978年 | (昭和53)日中平和友好条約調印 | |
1979年 | (昭和54)元号法公布(元号) | |
1979年 | (昭和54)第5回主要国首脳会議、東京で開催 | |
1979年 | (昭和54)第2次石油危機 | |
1980年 | (昭和55)初の衆参同日選挙。自由民主党大勝(大平正芳) | |
1981年 | (昭和56)福井謙一、ノーベル化学賞受賞 | |
1982年 | (昭和57)東北新幹線(大宮―盛岡)開業 | |
1982年 | (昭和57)高校歴史教科書検定問題で中国、韓国から抗議(教科書事件) | |
1982年 | (昭和57)上越新幹線(大宮―新潟)開業 | |
1982年 | (昭和57)中曽根康弘内閣発足(~1987) | |
1983年 | (昭和58)日本海中部地震 | |
1983年 | (昭和58)参議院議員選挙に比例代表制導入 | |
1983年 | (昭和58)ロッキード事件で田中角栄元首相に実刑判決 | |
1984年 | (昭和59)臨時教育審議会発足(~1987) | |
1985年 | (昭和60)筑波で国際科学技術博覧会 | |
1985年 | (昭和60)日本電信電話 NTTと日本たばこ産業 JTが発足 | |
1985年 | (昭和60)日航機、御巣鷹山に墜落。死者 520 | |
1985年 | (昭和60)中曽根康弘首相、靖国神社公式参拝 | |
1985年 | (昭和60)プラザ合意 | |
1986年 | (昭和61)男女雇用機会均等法施行 | |
1986年 | (昭和61)日本社会党委員長に初の女性党首、土井たか子 | |
1986年 | (昭和61)伊豆大島の三原山大噴火 | |
1986年 | (昭和61)平成景気始まる(~1991) | |
1987年 | (昭和62)JR 7社および国鉄清算事業団発足(日本国有鉄道) | |
1987年 | (昭和62)利根川進、ノーベル生理学・医学賞受賞 | |
1987年 | (昭和62)竹下登内閣発足(~1989) | |
1988年 | (昭和63)青函トンネル開業 | |
1988年 | (昭和63)瀬戸大橋開通。本州と四国が陸路でつながる | |
1988年 | (昭和63)リクルート事件発覚 | |
平成時代(1989年~2019年) | ||
1989年 | (昭和64 平成1)昭和天皇崩御。皇太子明仁即位、平成と改元 | |
1989年 | (平成1)消費税導入 | |
1989年 | (平成1)参議院議員選挙で社会党躍進、与野党逆転 | |
1989年 | (平成1)第1回日米構造協議開催 | |
1989年 | (平成1)日本労働組合総評議会(総評)解散。日本労働組合総連合会(新連合)が発足 | |
1989年 | (平成1)日経平均株価が 3万8915円の史上最高値(バブル経済) | |
1991年 | (平成3)美浜原子力発電所2号機で冷却水漏れ事故 | |
1991年 | (平成3)自衛隊の掃海艇をペルシア湾に派遣 | |
1991年 | (平成3)雲仙普賢岳で大火砕流、死者 43(雲仙岳) | |
1991年 | (平成3)宮沢喜一内閣発足(~1993) | |
1992年 | (平成4)東京佐川急便事件 | |
1992年 | (平成4)暴力団対策法施行 | |
1992年 | (平成4)日本新党結成 | |
1992年 | (平成4)国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO協力法)成立 | |
1993年 | (平成5)釧路沖地震 | |
1993年 | (平成5)Jリーグ開幕 | |
1993年 | (平成5)宮沢内閣不信任。新党さきがけ、新生党(6.23)結成 | |
1993年 | (平成5)北海道南西沖地震 | |
1993年 | (平成5)細川護煕連立内閣発足(~1994)。55年体制終わる | |
1993年 | (平成5)米凶作で緊急輸入決定。12.14部分開放決定 | |
1994年 | (平成6)H-IIロケット打ち上げ成功 | |
1994年 | (平成6)1ドル=100円割れ、初の 2桁台に(円) | |
1994年 | (平成6)松本サリン事件。死者 7人(サリン) | |
1994年 | (平成6)自由民主党、日本社会党、新党さきがけの 3党が連立。村山富市社会党党首が首相 | |
1994年 | (平成6)関西国際空港が開港 | |
1994年 | (平成6)北海道東方沖地震 | |
1994年 | (平成6)大江健三郎、ノーベル文学賞受賞 | |
1994年 | (平成6)預金金利自由化(預金利率) | |
1994年 | (平成6)新進党結成 | |
1994年 | (平成6)三陸はるか沖地震 | |
1995年 | (平成7)兵庫県南部地震 | |
1995年 | (平成7)地下鉄サリン事件 | |
1995年 | (平成7)日米自動車協議合意 | |
1995年 | (平成7)沖縄少女暴行事件。知事らアメリカ軍用地収用のための代理署名拒否 | |
1996年 | (平成8)橋本龍太郎連立内閣発足(~1998) | |
1996年 | (平成8)厚生省、薬害エイズ事件を過失と認める | |
1996年 | (平成8)病原性大腸菌の O-157による食中毒、全国的に発生 | |
1996年 | (平成8)住宅金融専門会社処理法成立。住宅金融債権管理機構設立 | |
1996年 | (平成8)民主党結成 | |
1996年 | (平成8)DVDプレーヤとソフトの発売を開始 | |
1996年 | (平成8)ペルー日本大使公邸人質事件発生(~1997.4.22) | |
1997年 | (平成9)消費税税率を 5%に引き上げ | |
1997年 | (平成9)北海道拓殖銀行(11.17)、山一證券(11.24)破綻 | |
1997年 | (平成9)地球温暖化防止京都会議開催。京都議定書採択(12.11) | |
1998年 | (平成10)長野オリンピック冬季競技大会開催 | |
1998年 | (平成10)改正外為法施行、日本版ビッグバンスタート(外国為替及び外国貿易法) | |
1998年 | (平成10)明石海峡大橋開通 | |
1998年 | (平成10)小渕恵三内閣発足(~2000) | |
1998年 | (平成10)金融再生関連法成立 | |
1999年 | (平成11)日本銀行、ゼロ金利政策導入 | |
1999年 | (平成11)臓器移植法に基づく初の臓器移植手術 | |
1999年 | (平成11)日産自動車がルノーと提携、社長にゴーン | |
1999年 | (平成11)ジェー・シー・オー臨界事故 | |
2000年 | (平成12)移動電話台数が一般電話の台数を上回る(携帯電話) | |
2000年 | (平成12)介護保険制度始まる | |
2000年 | (平成12)九州・沖縄サミット開催(主要国首脳会議) | |
2000年 | (平成12)白川英樹、ノーベル化学賞受賞 | |
2001年 | (平成13)中央省庁再編(中央省庁等改革基本法) | |
2001年 | (平成13)日本銀行、量的金融緩和政策を実施 | |
2001年 | (平成13)小泉純一郎内閣発足(~2006) | |
2001年 | (平成13)失業率が初の 5%台に(失業統計) | |
2001年 | (平成13)国内で初のウシ海綿状脳症 | |
2001年 | (平成13)野依良治、ノーベル化学賞受賞 | |
2002年 | (平成14)ゆとり教育導入 | |
2002年 | (平成14)日本経済団体連合会発足 | |
2002年 | (平成14)サッカー・ワールドカップ、日韓共同で開催 | |
2002年 | (平成14)住民基本台帳ネットワークシステム稼働開始 | |
2002年 | (平成14)小柴昌俊がノーベル物理学賞、田中耕一がノーベル化学賞を受賞 | |
2002年 | (平成14)北朝鮮拉致被害者が帰国(拉致被害者支援法) | |
2003年 | (平成15)日本郵政公社が発足 | |
2004年 | (平成16)イラク復興支援特別措置法に基づき自衛隊をイラクに派遣 | |
2004年 | (平成16)新潟県中越地震 | |
2005年 | (平成17)愛知県で 2005年日本国際博覧会開催 | |
2006年 | (平成18)日本銀行、量的金融緩和、ゼロ金利政策を解除 | |
2008年 | (平成20)リーマン・ショック | |
2009年 | (平成21)裁判員制度始まる | |
2009年 | (平成21)民主党政権が発足 | |
2010年 | (平成22)社会保険庁廃止、日本年金機構発足 | |
2010年 | (平成22)平成の大合併終わる(市町村合併) | |
2010年 | (平成22)高校無償化法施行 | |
2011年 | (平成23)東北地方太平洋沖地震、福島第一原子力発電所事故 | |
2012年 | (平成24)尖閣諸島国有化 | |
2012年 | (平成24)山中伸弥がノーベル生理学・医学賞を受賞 | |
2012年 | (平成24)第2次安倍晋三内閣発足 |
日本人はどこから来たのか
日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が定説となっている。
すなわち数万年前の氷河期の終期、日本は、まだ大陸と陸つづきになっており
縄文人の祖先たちは、マンモスやナウマン象をおいかけて日本にやって来た。
約1万4000年前、現在の日本が形成され、狩猟採集生活を主とする縄文時代がはじまった。
そして約3000年前、農耕民族であった弥生人が大陸から海を渡り渡来したという説である。
(参考 Hanihara K 埴原和郎, 日本人の人口史の二重構造モデル: Dual structure model
for the population history of the Japanese. Japan Review 1991; 2: 1-33)
もうひとつは、物理学者の竹内均氏が発表した縄文人はムー大陸から渡来したという説である。
ムー大陸とは、約4万年前から太平洋上に存在した大陸で高度な文明を築いていたとされている。
当時、この大陸からジャワ、スマトラ、ボルネオは陸続きだった。
縄文人の祖先たちは、陸路で東南アジアから南九州へ入り、大規模な集落を形成し定住したという。
(参考 Takeuchi H 竹内均, ムー大陸から来た日本人: Ancient history myth, 1980, Tokuma Shoten)
いずれの説にしても、文字による記録資料が残っていないため、発掘調査や周辺の民族の特徴などから
推測したものに過ぎない。
しかし、たまにはこういった古代の歴史ロマンに触れて、日本人のルーツに思いを馳せてみるのも悪くない。