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【第五課 第三十八節】   小説読解


  红楼梦  (曹雪芹)  


第一回(2)  

【6】

按那石头上书云:当日地陷东南,这东南有个姑苏城,城中阊门,最是红尘中一二等富贵风流之地。
这阊门外有个十里街,街内有个仁清巷,巷内有个古庙,因地方狭窄,人皆呼作“葫芦庙”。
庙旁住着一家乡宦,姓甄,名费,字士隐,嫡妻封氏。
性情贤淑,深明礼义。
家中虽不甚富贵,然本地也推他为望族了。
因这甄士隐禀性恬淡,不以功名为念,每日只以观花种竹、酌酒吟诗为乐,倒是神仙一流人物。
只是一件不足:年过半百,膝下无儿,只有一女,乳名英莲,年方三岁。

【7】

一日,炎夏永昼,士隐于书房闲坐,手倦抛书,伏几盹睡。
不觉朦胧中走至一处,不辨是何地方,忽见那厢来了一僧一道,且行且谈。
只听道人问道:“你携了此物,意欲何往?”那僧笑道:“你放心。
如今现有一段风流公案正该了结,──这一干风流冤家尚未投胎入世──趁此机会,就将此物夹带于中,使他去经历经历。”
那道人道:“原来近日风流冤家又将造劫历世。
但不知起于何处?落于何方?”


【8】

那僧道:“此事说来好笑。只因西方灵河岸上三生石畔,有绛珠草一株,那时这石头因娲皇未用,
却也落得逍遥自在,各处去游玩,一日来到警幻仙子处,
那仙子知他有些来历,因留他在赤霞宫居住,就名他为赤霞宫神瑛侍者。
他却常在灵河岸上行走,看见那灵河岸上三生石畔有棵绛珠仙草,十分娇娜可爱,遂日以甘露灌溉,“这绛珠草”始得久延岁月。
后来既受天地精华,复得甘露滋养,遂脱了草木之胎,幻化人形,仅仅修成女体,终日游于“离恨天”外,饥餐“秘情果”,渴饮“灌愁水”。
只因尚未酬报灌溉之德,故甚至五内郁结着一段缠绵不尽之意,常说:“自己受了他雨露之惠,我并无此水可还;他若下世为人,
我也同去走一遭,但把我一生所有的眼泪还他,也还得过了! ”
因此一事,就勾出多少风流冤家都要下凡,造历幻缘。那绛珠仙草也在其中。
今日这石正该下世,我来特地将他仍带到警幻仙子案前,给他挂了号,同这些情鬼下凡,一了此案。”
那道人道:“果是好笑,从来不闻有还泪之说。
趁此你我何不也下世度脱几个,岂不是一场宝德?”
那僧道:“正合吾意。你且同我到警幻仙子宫中,将这蠢物交割清楚。
待这一干风流孽鬼下世,你我再去。如今有一半落尘,然犹未全集。”
道人道:“既如此,便随你去来。”

【9】

却说甄士隐俱听得明白,遂不禁上前施礼,笑问道:“二位仙师请了。”
那僧道也忙答礼相问。
士隐因说道:“适闻仙师所谈因果,实人世罕闻者。但弟子愚拙,不能洞悉明白。
若蒙大开痴顽,备细一闻,弟子洗耳谛听,稍能警省,亦可免沉沦之苦了。”
二仙笑道:“此乃玄机,不可预泄。
到那时只要不忘了我二人,便可跳出火坑矣。”
士隐听了,不便再问,因笑道:“玄机固不可泄露,但适云“蠢物”,不知为何?或可得见否?”
那僧说:“若问此物,倒有一面之缘。”说着,取出递与士隐。  
士隐接了看时,原来是块鲜明美玉,上面字迹分明,镌着“通灵宝玉”四字,后面还有几行小字。
正欲细看时,那僧便说“已到幻境”,就强从手中夺了去,和那道人竟过了一座大石牌坊,上面大书四字,乃是“太虚幻境”。
两边又有一副对联,道:“假作真时真亦假,无为有处有还无。”

【10】

士隐意欲也跟着过去,方举步时,忽听一声霹雳,若山崩地陷。
士隐大叫一声,定睛看时,只见烈日炎炎,芭蕉冉冉,梦中之事便忘了一半。
又见奶母抱了英莲走来。
士隐见女儿越发生得粉妆玉琢,乖觉可喜,便伸手接来,抱在怀中,斗他玩耍一回,又带至街前看那过会的热闹。
方欲进来时,只见从那边来了一僧一道。
那僧癞头跣足,那道跛足蓬头,疯疯癫癫,挥霍谈笑而至。
及到了他门前,看见士隐抱着英莲,那僧便大哭起来,又向士隐道:“施主,你把这有命无运累及爹娘之物抱在怀内作甚?”
士隐听了,知是疯话,也不睬他。那僧还说:“舍我罢!舍我罢!”
士隐不耐烦,便抱女儿转身纔要进去。那僧乃指着他大笑,口内念了四句言词,道是:惯养娇生笑你痴,菱花空对雪澌澌。
好防佳节元宵后,便是烟消火灭时。

【11】  

士隐听得明白,心下犹豫,意欲问他来历,只听道人说道:“你我不必同行,就此分手,各干营生去罢。
三劫后,我在北邙山等你,会齐了,同往太虚幻境销号。”
那僧道:“最妙,最妙。”
说毕,二人一去,再不见个踪影了。
士隐心中此时自忖:“这两人必有来历,很该问他一问,──如今后悔却已晚了!”

这士隐正在痴想,忽见隔壁葫芦庙内寄居的一个穷儒──姓贾名化,表字时飞,别号雨村的──走来。
这贾雨村原系湖州人氏,也是诗书仕宦之族。
因他生于末世,父母祖宗根基已尽,人口衰丧,只剩得他一身一口,在家乡无益,因进京求取宝名,再整基业。
自前岁来此,又淹蹇住了,暂寄庙中安身,每日卖文作字为生,故士隐常与他交接。

当下雨村见了士隐,忙施礼,陪笑道:“老先生倚门伫望,敢街市上有甚新闻么?”
士隐笑道:“非也。
适因小女啼哭,引他出来作耍,正是无聊的很。
贾兄来得正好,请入小斋,彼此俱可消此永昼。”
说着,便令人送女儿进去,自携了雨村来至书房中。
小童献茶。
方谈得三五句话,忽家人飞报:“严老爷来拜。”
士隐慌忙起身谢道:“恕诓驾之罪。且请略坐,弟即来奉陪。”
雨村起身也让道:“老先生请便。晚生乃常造之客,稍候何妨。”说着,士隐已出前厅去了。

【12】

这里雨村且翻弄诗籍解闷。
忽听得窗外有女子嗽声,雨村遂起身往外一看,原来是一个丫鬟在那里掐花儿。
生得仪容不俗,眉目清秀,虽无十分姿色,却也有动人之处。
雨村不觉看得呆了。
那甄家丫鬟掐了花儿,方欲走时,猛抬头见窗内有人,敞巾旧服,虽是贫窘,然生得腰圆背厚,面阔口方,更兼剑眉星眼,直鼻方腮。
这丫鬟忙转身回避,心下自想:“这人生的这样雄壮,却又这样褴褛,我家并无这样贫窘亲友,想他定是主人常说的什么贾雨村了。
──怪道又说他“必非久困之人!”
每每有意帮助周济他,只是没有什么机会。”
如此一想,不免又回头一两次。
雨村见他回头,便以为这女子心中有意于他,遂狂喜不禁,自谓此女子必是个巨眼英豪,风尘中之知己。

一时,小童进来。雨村打听得前面留饭,不可久待,遂从夹道中自便门出去了。士隐待客既散,知雨村已去,便也不去再邀。

【13】

一日,到了中秋佳节,士隐家宴已毕,又另具一席于书房,自己步月至庙中来邀雨村。
原来雨村自那日见了甄家丫鬟,曾回顾他两次,自谓是个知己,便时刻放在心上。今又正值中秋,不免对月有怀,因而口占五言一律云:
未卜三生愿,频添一段愁。闷来时敛额,行去几回头。自顾风前影,谁堪月下俦?蟾光如有意,先上玉人楼。

雨村吟罢,因又思及平生抱负,苦未逢时,乃又搔首对天长叹,复高吟一联云:“玉在椟中求善价,钗于奁内待时飞。”
恰值士隐走来听见,笑道:“雨村兄真抱负不凡也!”雨村忙笑道:“不敢。
不过偶吟前人之句,何期过誉如此!”
因问:“老先生何兴至此?”
士隐笑道:“今夜中秋,俗谓“团圆之节”,想尊兄旅寄僧房,不无寂寥之感,故特具小酌,邀兄到敝斋一饮。
不知可纳芹意否?”
雨村听了,并不推辞,便笑道:“既蒙谬爱,何敢拂此盛情?”说着,便同士隐复过这边书院中来了。

须臾,茶毕,早已设下杯盘。
那美酒佳肴自不必说。二人归坐,先是款酌慢饮,渐次谈至兴浓,不觉飞觥献斝起来。
当时街坊上家家箫管,户户笙歌,当头一轮明月,飞彩凝辉,二人愈添豪兴,酒到杯干。
雨村此时已有七八分酒意,狂兴不禁,乃对月寓怀,口占一绝云:

时逢三五便团圞,满把清光护玉栏。天上一轮纔捧出,人间万姓仰头看。

【14】

士隐听了大叫:“妙极!弟每谓兄必非久居人下者,今所吟之句,飞腾之兆已见,不日可接履于云霄之上了。
可贺,可贺!”乃亲斟一斗为贺。
雨村饮干,忽叹道:“非晚生酒后狂言,若论时尚之学,晚生也或可去充数挂名。
只是如今行李路费,一概无措,神京路远,非赖卖字撰文即能到的!”
士隐不待说完,便道:“兄何不早言?
弟已久有此意,但每遇兄时,并未谈及,故未敢唐突。
今既如此,弟虽不才,义利二字却还识得。
且喜明岁正当大比,兄宜作速入都。
春闱一捷,方不负兄之所学。
其盘费余事,弟自代为处置,亦不枉兄之谬识矣。”
当下即命小童进去速封五十两白银并两套冬衣。
又云:“十九日乃黄道之期,兄可即买舟西上。
待雄飞高举,明冬再晤,岂非大快之事?”
雨村收了银衣,不过略谢一语,并不介意,仍是吃酒谈笑。
那天已交三鼓,二人方散。

【15】

士隐送雨村去后,回房一觉,直至红日三竿方醒。
因思昨夜之事,意欲写荐书两封与雨村带至都中去,使雨村投谒个仕宦之家为寄身之地,因使人过去请时,那家人回来说:“
和尚说,贾爷今日五鼓已进京去了,也曾留下话与和尚转达老爷,说:“读书人不在黄道黑道,总以事理为要,不及面辞了。””
士隐听了,也只得罢了。

真是闲处光阴易过,倏忽又是元宵佳节。
士隐令家人霍启抱了英莲去看社火花灯。
半夜中,霍启因要小解,便将英莲放在一家门坎上坐着。
待他小解完了来抱时,那有英莲的踪影?
急的霍启直寻了半夜,至天明不见,那霍启也不敢回来见主人,便逃往他乡去了。

那士隐夫妇见女儿一夜不归,便知有些不好,再使几个人去找寻,回来皆云音讯全无。
夫妻二人,半世只生此女,一旦失去,何等烦恼!
因此,昼夜啼哭,几乎不顾性命。
看看一月,士隐已先得病;夫人封氏,也因思女构疾,日日请医问卦。

不想这日,三月十五,葫芦庙中炸供,那和尚不小心,油锅火逸,便烧着窗纸。
此方人家俱用竹篱木壁,也是劫数应当如此,于是接二连三,牵五挂四,将一条街烧得如火焰山一般。
彼时虽有军民来救,那火已成了势了,如何救得下!直烧了一夜方息,也不知烧了多少人家。
只可怜甄家在隔壁,早成了一堆瓦砾场了,只有他夫妇并几个家人的性命不曾伤了。
急的士隐惟跌足长叹而已。与妻子商议,且到田庄上去住。
偏值近年水旱不收,盗贼蜂起,官兵剿捕,田庄上又难以安身。
只得将田地都折变了,携了妻子与两个丫鬟投他岳丈家去。  

他岳丈名唤封肃,本贯大如州人氏,虽是务农,家中却还殷实。
今见女婿这等狼狈而来,心中便有些不乐。幸而士隐还有折变田产的银子在身边,拿出来托他随便置买些房地,以为后日衣食之计。
那封肃便半用半赚的,略与他些薄田破屋。
士隐乃读书之人,不惯生理稼穑等事,勉强支持了一二年,越发穷了。
封肃见面时便说些现成话儿,且人前人后又怨他不会过,只一味好吃懒做。
士隐知道了,心中未免悔恨,再兼上年惊唬,急忿怨痛:暮年之人,那禁得贫病交攻?
竟渐渐的露出那下世的光景来。
可巧这日拄了拐挣扎到街前散散心时,忽见那边来了一个跛足道人,疯狂落拓,麻鞋鹑衣,口内念着几句言词道:

世人都晓神仙好,惟有功名忘不了。古今将相在何方?荒冢一堆草没了!
世人都晓神仙好,只有金银忘不了。终朝只恨聚无多,及到多时眼闭了!
世人都晓神仙好,只有姣妻忘不了。君生日日说恩情,君死又随人去了!
世人都晓神仙好,只有儿孙忘不了。痴心父母古来多,孝顺子孙谁见了!

士隐听了,便迎上来道:“你满口说些什么?
只听见些“好了”“好了”。”
那道人笑道:“你若果听见“好了”二字,还算你明白!
可知世上万般“好”便是“了”,“了”便是“好”;若不“了”便不“好”;若要“好”,须是“了”。
我这歌儿便叫《好了歌》。”

士隐本是有夙慧的,一闻此言,心中早已悟彻,因笑道:“且住!待我将你这《好了歌》注解出来,何如?”
道人笑道:“你就请解。”士隐乃说道:

陋室空堂,当年笏满床;衰草枯杨,曾为歌舞场。
蛛丝儿结满雕梁,绿纱今又糊在蓬窗上。
说甚么脂正浓,粉正香!如何两鬓又成霜?
昨日黄土陇头埋白骨,今宵红绡帐底卧鸳鸯。
金满箱,银满箱,转眼乞丐人皆谤。
正叹他人命不长,那知自己归来丧?
训有方,保不定日后作强梁;择膏粱,谁承望流落在烟花巷!因嫌纱帽小,致使锁枷扛。
昨怜破袄寒,今嫌紫蟒长。
乱烘烘,你方唱罢我登场,反认他乡是故乡。
甚荒唐,到头来,都是为他人作嫁衣裳!

那疯跛道人听了,拍掌大笑道:“解得切,解得切!”士隐便说一声“走罢”,将道人肩上的搭裢抢了过来背上,竟不回家,同着疯道人飘飘而去。

当下哄动街坊,众人当作一件新闻传说。
封氏闻知此信,哭个死去活来,只得与父亲商议,遣人各处访寻。
那讨音信? 无奈何,只得依靠着他父母度日。
幸而身边还有两个旧日的丫鬟伏侍,主仆三人日夜做些针线,帮着父亲用度。
那封肃虽然每日抱怨,也无可奈何了。  

这日,那甄家的大丫鬟在门前买线,忽听得街上喝道之声,众人都说:“新太爷到任了。”
丫鬟隐在门内看时,只见军牢快手一对一对过去,俄而大轿内抬着一个乌帽猩袍的官府来了。
那丫鬟倒发了个怔,自思:“这官儿好面善!倒像在那里见过的?”
于是进入房中,也就丢过,不在心上。
至晚间,正待歇息之时,忽听一片声打的门响,许多人乱嚷,说:“本县太爷的差人来传人问话!”封肃听了,唬得目瞪口呆。
不知有何祸事,且听下回分解。





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【注 釈】

【红楼梦】 hóng lóu mèng  紅楼夢 (こうろうむ)

清代初期の長編小説。「金瓶梅 (きんぺいばい)」 と並んで中国の風俗小説の最高峰とされる。
全120回。曹雪芹 (そうせっきん) の作。

もともと80回本だったが、その後30年ほどの間に何人かの手で続作40回が書かれ、120回本になった。
発刊直後から人気を博し、その熱狂的ファンは 「紅迷」、その研究は 「紅学」 と呼ばれた。

大貴族の御曹司・賈宝玉 (かほうぎょく) と 「金陵十二釵 (きんりょうじゅうにさ)」 と呼ばれる十二人の美女たちの物語で、
とくに、賈宝玉と 「金陵十二釵」 の一人・林黛玉 (りんたいぎょく) の恋愛模様が物語の軸となる。

豪奢な生活を送っていた賈家が急激に没落する過程が背景となっており、物語は悲劇性を帯びている。


【曹雪芹】 cá xuě qín   曹雪芹 (そうせっきん) (1715~1763年)

清の小説家。満州貴族の出。南京の豪家に生まれた。10歳前後に没落、不遇の中に栄華を回想して
「紅楼夢」を書いた。しかし、未完のまま病没。


【6】

【当日】 dāng rì  女媧(じょか)氏が石で天を補うとき、大地が東南に落ちくぼんだとの神話から
【姑苏城】 gū sū chéng  姑蘇城(こそじょう)蘇州の街
【阊门】 chāng mén  蘇州の西北門
【仁清巷】 rén qīng xiàng  人情路などの意
【葫芦庙】 hú lu miào  ひょうたん寺の意
【乡宦】 xiāng huàn  郷宦(ごうかん)。官を辞して田舎に隠退している有力者

【甄士隐】 zhēn shì yǐn  甄士隠(しんしいん)
姑蘇(蘇州)の由緒ある家柄の紳士。隣人の貧乏書生・賈雨村(かうそん)を見込んで
科挙受験のための上京費用を援助する。
だがその後、一人娘の英蓮をさらわれ、屋敷を火事で失うなど、運命の激変に襲われる。

【嫡妻】 dí qī  嫡妻(ちゃくさい)。正妻
【望族】 wàng zú  名望ある家柄

【7】

【风流公案】 fēng liú gōng àn  痴情沙太
【风流冤家】 fēng liú yuān jia  恨めしいが実はいとしい人々。転生する仙女(金陵十二釵 きんりょうじゅうにさ)を指す。
【造劫历世】 zào jié lì shì  苦難をかえりみず浮世に下生する

【8】

【灵河岸上】 líng hé àn shang  霊河(れいが)の岸。西方極楽の意
【三生石】 sān shēng shí  三生石(さんしょうせき)。前世・今世・後生の意。姻縁は三生なり、ともいわれる

【绛珠草】 jiàng zhū cǎo  絳珠草(こうじゅそう)。仙草。(後の林黛玉 りんたいぎょく)
もともとは仙界の仙草であったが、神瑛侍者(しんえいじしゃ)に甘露の水をかけて貰い仙女となる。
のちに、その恩を返すため神瑛侍者の後を追って人間界に転生する。

【警幻仙子】 jǐng huàn xiān zǐ  警幻仙女(けいげんせんにょ)
太虚幻境(たいきょげんきょう 仙界)を治めている仙女。
人間界の男女の色恋を司る仙女であり、絳珠草(こうじゅそう)と神瑛侍者(しんえいじしゃ)の因縁に決着をつけるべく、
大勢の仙女たち(金陵十二釵 きんりょうじゅうにさ)を地上につかわす。

【赤霞宫】 chì xiá gōng  赤瑕宮(せきかきゅう)。金色堂の意

【神瑛侍者】 shén yīng shì zhě  神瑛侍者(しんえいじしゃ)仙童の意。
仙界(太虚幻境)の花を愛した神瑛侍者(しんえいじしゃ)は、下界に下り、やがて大貴族の賈家に生まれる。
これが本作の主人公・賈宝玉である。この際女媧氏の石(通霊宝玉)が化して彼の口中に含まれていた。
彼が天上で殊に愛した絳珠草(こうじゅそう)は、彼を慕って楊州の林家に生まれ、林黛玉となる。
その他多くの仙女たち(恋の仇役)も地上に下り、林黛玉をはじめとする主要な12人は「金陵十二釵」といわれる。

【离恨天】 lí hèn tiān  離恨天(りこんてん)。仏教の三十三天の一。離れて会えぬ恨みを抱く者の世界
【秘情果】 mì qíng guǒ  蜜青果(みつせいか)。想像上の果物。秘められた愛情の意
【灌愁水】 guàn chóu shuǐ  灌愁海(かんしゅうかい)の水。想像上の水。愁いを抱く意
【缠绵不尽】 chán mián bú jìn  身をやつすこと限りなし
【风流冤家】 fēng liú yuān jia  恋の仇役。すきものたち(絳珠草とともに下界へ下りた仙女たちを指す)
【造历幻缘】 zào lì huàn yuán  下界に縁(えにし)を刻む

【9】

【沉沦之苦】 chén lún zhī kǔ  煩悩の苦しみ
【玄机】 xuán jī  天機(天の機密)
【火坑】 huǒ kēng  生死・煩悩の苦界
【一面之缘】 yí miàn zhī yuán  ゆきずりの縁がある

【通灵宝玉】 tōng líng bǎo yù  通霊宝玉(つうれいほうぎょく)。
大荒山に捨てられたかの仙石。後に茫茫大士(ぼうぼうたいし)と渺渺真人(びょうびょうしんじん)の手により
賈宝玉(かほうぎょく)として人間界に転生する。

【牌坊】 pái fāng  牌坊(はいぼう)。忠孝の人物の功績を記した鳥居形の門
【太虚幻境】 tài xū huàn jìng  (たいきょげんきょう)仙界の意

【10】

【癞头跣足】 lài tóu xiǎn zú (光着脚,头上长黄癣的人) くされ頭ではだしの僧侶。
かつて仙界の石を人間界に導いた神仙で、名を茫茫大士(ぼうぼうたいし)という。
甄士隠(しんしいん)を出家させるために、くされ頭の僧侶に姿を変え仏の道を説いた。

【跛足蓬头】 bǒ zú péng tóu (腿脚有毛病,头发散乱的人) ぼさぼさ頭でちんばの道士。
かつて仙界の石を人間界に導いた神仙で、名を渺渺真人(びょうびょうしんじん)という。
甄士隠(しんしいん)を出家させるために、ちんばの道士に姿を変え仏の道を勧めた。

【惯养娇生】 guàn yǎng jiāo shēng  甘やかして育てられた娘
【菱花】 líng huā  ヒシの花。のちに香菱(こうりょう)と改名する英蓮(えいれん)を暗示している
【对雪澌澌】 duì xuě sī sī   雪は「薛xue」と同音。のちに英蓮が薛家(せつけ)のために苦労することを暗示している
【佳节元宵】 jiā jié yuán xiāo  元宵節。(げんしょうせつ)陰暦正月15日の夜に行われる祭。美しく飾った灯籠を掲げて仏を祭る

【11】

【三劫】 sān jié   (さんごう)過去・現在・未来の三世の劫。きわめて長い時間
【北邙山】 běi máng shān  北邙山(ほくぼうさん)河南省洛陽市の東北にある山。
【销号】 xiāo hào  お役御免こうむる(自分の果たす役割はそこまでである)(完成任务)

【贾雨村】 jiǎ yǔ cūn   賈雨村(かうそん)
一族が落ちぶれたのち、姑蘇(蘇州)でくすぶっていた貧乏書生。
隣人の名士、甄士隠(しんしいん)の援助で上京し、科挙に及第して官界に入る。
やがて蘇州の知事として赴任するも、上司と衝突し、免職となってしまう。
その後、諸国を旅していた時、揚州の名門・林家の一人娘・林黛玉の家庭教師を頼まれる。

【诗书仕宦】 shī shū shì huàn  詩書をよくし役人を目指す
【末世】 mò shì  家が没落したころ(衰亡的年代)
【根基】 gēn jī  家の財産(家财)
【求取宝名】 qiú qǔ bǎo míng  科挙に合格し名をあげる
【淹蹇】 yān jiǎn  ぶらぶらする(潦倒)
【常造之客】 cháng zào zhī kè  客が来るのは毎度のこと

【12】

【敞巾】 chǎng jīn  ぼろぼろの(破烂)
【周济】 zhōu jì  援助する(救助)
【巨眼】 jù yǎn  すぐれた鑑識眼(锐利的观察)
【英豪】 yīng háo  英雄豪傑(英雄豪杰)

【13】

【卜】 bǔ  叶える(实现)
【敛额】 liǎn é  眉を寄せる(皱眉)
【俦】 chóu  伴侶(伴侣)
【蟾光】 chán guāng  月光(月亮的光)
【玉人】 yù rén  美女(美人)
【苦未逢时】 kǔ wèi féng shí  どうにも時に恵まれない(苦于不逢时)

【玉】 yù  宝石(ここでは雨村自身を指す)
【椟】 dú  木箱
【钗】 chāi  かんざし(ここでは士隐家の女中を指す)
【奁】 lián  化粧箱
【何期】 hé qī  つゆほども期待していない(谁能料到)

【芹意】 qín yì  寸志(微薄的心意)
【谬爱】 miù ài  ご好意(错爱)
【飞觥献斝】 fēi gōng xiàn jiǎ  さしつさされつ(频频举杯劝酒)
【飞彩凝辉】 fēi cǎi níng huī  冴えわたる(天空云彩飘动、月色皎洁)
【一绝】 yì jué  絶句一首
【三五】 sān wǔ  十五夜(中秋節)
【满把】 mǎn bǎ  あちこち(到处)
【天上一轮】 tiān shàng yì lún 天上の一輪(の明月)(ここでは雨村自身を指す)

【14】

【接履】 jiē lǚ    次々と(接连不断)
【卖字撰文】 mài zì zhuàn wén    売文稼業の者(以卖字卖文而自给的人)
【谬识】 miù shí    誤って知りあいになる。自分のようなふつつか者を友達とみなしてもらった、という謙遜の口上(错误的认识)
【三鼓】 sān gǔ    夜中の12時頃(三更)





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【口語訳】

第一回 (2)

【6】

按(あん)ずるに那(そ)の石头(いし)の上の书(しょ)に云(い)はく:
当(まさ)に地の东南(とうなん)に陷(おちい)りし日(とき)、这(こ)の东南(とうなん)に姑苏城(こそじゃう)なるもの有(あ)り。
城(まち)の中に阊门(しゃうもん)あり、最(もっと)も是(こ)れ、红尘(うきよ)の中で一二を等(あらそ)うほど
富贵な风流(ふうりう)の地なり。

这(こ)の阊门(しゃうもん)の外に十里街(じうりぐわい)が有り、その街内(まちなか)に仁清巷(じんせいかう)なるもの有り。
その巷内(ろじない)に(ひと)つの古庙(こべう)が有って、その地方(ところ)が狭窄(てぜま)ゆえ、
人皆(み)な作葫芦庙(ころべう)と呼(よ)んでいた。

その庙(べう)の旁(かたわ)らに住着(すまひ)たる一家(いっけん)の乡宦(がうし)、
姓は甄(しん)、名は费(ひ)、字(あざな)は士隐(しいん)、嫡妻(ほんさい 正妻)は封氏(ふうし)といふ。
(その正妻は)性情(ひととなり)贤淑(しとやか)にして、深く礼义(れいぎ)明(あきら)かなり。

その家中(いへ)は甚(はなは)だ富贵にあらざると虽(いへど)も、
然(さり)とて本地(とちびと)は也(また)他(かれ)を推(うやま)ひて望族(いへがら)あるものと为(みと)めていた。

这(こ)の甄士隐(しんしいん)なるものは禀性(ひんせい)恬淡(たんぱく)にして、
功名(かうみゃう)を以为(もとむ)る念(ねん)もなく、每日(まいにち)只(ただ)花を观(め)で、竹(たけ)を种(つく)り、
酒を酌(く)み、诗(うた)を吟(ぎん)ずるを乐(たのしみ)と为(な)したる因(ゆ)え、
倒是(むしろ)神仙(しんせん)の一流(やう)な人物なり。

只是(ただ)一件(ひとつ)だけ不足(ふそく)ありて、その年(とし)过(すで)に半百(ごじゅう)なれど、
膝下(ひざもと)に儿(むすこ)無く、只(ただ)一女(むすめ)のみ有りて、
乳名(をさなな)を英莲(えいれん)といひ、年は方(やっ)と三岁(さんさい)にてあり。


【7】

ある一日、炎夏(なつ)の永昼(ひなか)に、士隐(しいん)は书房(しょさい)に闲(ゆるり)と坐(すわ)っていたが、
手が倦(けだる)く书(しょ)を抛(な)げだし、几(つくえ)に伏(ふ)して盹睡(うとうと)していた。

不觉(おぼ)えず朦胧(とろとろ)している中(うち)に一处(どこか)に走(やって)至(き)たやうであるが、
是(ま)たそれが何地方(どこ)であるか辨(わから)なかった。
忽(たちま)ち见(きづ)くと那(そ)の厢(むかふ)から一(ひとり)の僧と一(ひとり)の道(だうし)が、
且(なに)か谈(はな)しながら、行(ある)いてやって来た。

听(き)いて只(い)るとその道人(だうし)が(その僧に)问(たづ)ねて道(い)はく:
你(あなた)は此(こん)な物(もの)を携(つ)れて、何(どこ)に往(ゆ)きなさる意欲(おつもり)か?

那(か)の僧は笑(えみ)をうかべて道(い)った: 你放心(ごあんしん)なされ。
如今(いま)现(げん)に一段(ひとくだり)の风流公案(つやごと)が有(あ)って、
正(ちゃうど)该(これ)にて结(しまひ)になりまする。

这(それ)らの风流冤家(すきもの)の一干(やから)は尚(まだ)この世に投胎入(うまれかは)っていないゆえ、
此(こ)の机会(おり)に、此(こ)の物(もの)もその中(なか)に夹(はさ)み带(こ)んで、
他(きゃつ)に经历(うきよ)を经历(みきき)去(さ)せてやろうと思ひまする。

那(か)の道人(だうし)道(い)わく:
原来(なん)と近日(ちかごろ)の风流冤家(すきものども)は又(わざわざ)世に历(くだっ)て
劫(くなん)を造(へ)ようというのですかな。
但(しかし)何(どこ)の处(どこ)起(か)ら何方(いづこ)に(生まれ)落(お)つるかは知りませぬが。


【8】

那(か)の僧道(い)はく: 此(こ)の事は说(はな)して来(み)れば笑(わら)いぐさ。
只因(さて)西方(さいほう)は灵河(れいが)の岸上(きし)の三生石(さんしゃうせき)の畔(ほとり)に、
一株(ひとかぶ)の绛珠草(さんしゅさう)が有(あ)った。

那时(そのとき)这(か)の石头(いし)は娲皇(ぢょくわう)が未(いま)だ用(もち)いずに因(よ)りて、
却也(かえって)落(お)つること逍遥自在(いうやうじざい)、各处(ここかしこ)に游玩(うかれ)去(ゆ)き、
ある一日(とき)警幻仙子(けいげんせんにょ)の处(もと)に来たれり。

那(か)の仙子(せんにょ)は他(かれ)に有些(いささか)来历(いはれ)あるを知(し)り、
因(よ)りて他(かれ)を赤霞宫(せきかきう)に留(とど)め居住(お)き、
他(かれ)を赤霞宫(せきかきう)は神瑛侍者(しんえいじしゃ)と名づけたり。

他(かれ)は常(つねひごろ)灵河(れいが)の岸上(きし)を行(そぞろ)に走(ある)いていたが、
那(か)の灵河岸上(れいがのきし)の三生石(さんしゃうせき)の畔(ほとり)に
绛珠仙草(さんしゅせんさう)有(あ)るを看见(みつけ)たり。
その娇娜(あでやか)にして可爱(いとし)きこと十分(かぎり)なし。

遂日(ひび)に甘露(かんろ)を灌溉(かけ)たるに、这(こ)の绛珠草(さんしゅさう)は
始(やうや)く久延(くをん)の岁月(さいげつ)を得(え)たり。

后来(かくして)天地(てんち)の精华(せいくわ)を受(う)け、复(また)甘露(かんろ)の滋养(やしなひ)を得(え)て、
遂(つひ)に草木(さうもく)の胎(みがら)を脱(ぬ)けだして、人の形(かたち)に幻化(かは)り、
仅仅(やうや)く女(むすめ)の体に修成(なりはて)ぬ。

终日(しうじつ)离恨天外(りこんてんぐわい)に游(あそ)び、饥(う)えては秘情果(ひじゃうくわ)を餐(しょく)し、
渴(かっ)しては灌愁水(くわんしうすい)を饮(いん)す。

只(しか)し未(いま)だ尚(なほ)灌溉(やしなわ)れた德(おん)を酬报(むくい)つくさずに因(よ)りて、
故(すなわ)ち五内(みがら)のうちに一段(いっそう)缠绵不尽(やるせなき)意(おもひ)が
郁结(うっせき)するに甚至(いた)れり。

常(つね)に说(い)はく: 自己(みづか)ら受(け)し他(あのかた)の雨露(かんろ)の惠(めぐみ)、
我(わたくし)は此(これ)に还(かへ)すべき水(みづ)もあらず; 他(あのかた)が若(も)し世に下(くだ)りて
人(ひと)と为(な)りせば、我(わたくし)も也(また)一遭(ひとたび)同(とも)に去走(ゆ)かん。

但(た)だ我(わたくし)が一生所有(もてるだけ)の眼泪(なみだ)を他(あのかた)に还(かへ)さば、
也(また)还得过(つぐなひ)になりませう。一事(それから)、就(また)多少(いくにん)かの风流冤家(すきものたち)を
勾出(さそ)ひて都(とも)に下凡(げしゃう)せん。

因此(かくて)那(か)の绛珠仙草(さんしゅせんさう)も也(また)其の中(うち)にありて、
幻(うきよ)の缘(えにし)に历(けいせき)を造(とど)めんとす。

今日(いま)这(こ)の石(いし 神瑛侍者)の正(まさ)に世に下(くだ)らんとするに、
我(おのれ 绛珠仙草)は特地(あへ)て他(かれら 风流冤家)を仍带(ともなひ)て
警幻仙子(けいげんせんにょ)の案前(もと)に到(ゆ)き、
号(ゆるし)を挂了(うけ)てのち、这些(これら)の情鬼(すきもの)と同(とも)に下凡(くだ)らば、
此(こ)の案(こと)も一了(しまひ)とならん。


那(そ)の道人(だうし)道(い)はく:
果是(いかにも)好笑(めづらし)く、从来(かねて)より泪(なみだ)で还(かえ)すと说(いふ)やうなことは闻(き)かざるなり。
趁此(これから)你我(たがひ)に也(また)世に下(くだ)りて几个(かれら)を度脱(たすけ)たら何不(よい)でせう、
岂(それこ)そ一场(ひとつ)の宝德(くどく)に不是(あらざらん)や。

那(か)の僧道(い)はく:正(まさ)に吾(わ)が意を合(え)たり。
你(あなた)も且(どう)か我(わたし)と警幻仙子(けいげんせんにょ)の宫中(きうちう)に到(ゆ)き、
这(そ)の蠢物(もの 石头)を清楚(まさし)く交(ひ)き割(わた)してのち、
这(か)の一干风流孽鬼(すきものども)が世に下(くだ)るを待(み)て、你我(われら)も再(ま)た去(ゆ)きませう。
如今(いま)(かれらの)一半(なかば)は尘(うきよ)に落(い)でたりしが、
然(しかる)に犹(な)お全(すべ)て集(そろ)わざれば。

道人(だうし)道(い)はく:如此(さやう)ならば、你(あなた)に随(つ)いて去来(ゆ)きませう。


【9】

却说(すると)甄士隐(しんしいん)は俱(み)な明白(すっかり)そのことを听(き)いたが、
遂(つひ)に禁(たま)りかねて上(すす)み前(ゆ)きて礼(れい)を施(ほどこ)しながら、
笑(にこやか)に问ひて道(い)はく:
二位仙师(おふたかた)、ちと请了(うかがひます)。

那(そ)の僧も道(だうし)も也(また)忙(さっそ)く答礼(たうれい)して相(やうむき)を问ふ。

因(さて)士隐は说(たづ)ねて道(い)はく:
适(たまたま)仙师(おふたかた)の因果(いんぐわ)の所谈(はなし)を闻(うけたまは)りますれば、
实(じつ)に人世(よ)に闻者(きくこと)罕(まれ)なことでしたが、
但(しか)し弟子(みども)は愚拙(ふつつか)ゆえ、洞悉(はっきり)明白(わかり)ませぬ。

若(も)し大开(よく)痴顽(おきかせ)备细一闻(くだされ)ば、弟子(みども)もよく耳を洗(あら)ひて谛听(うけたまは)り、
それで稍能(めが)警省(さめ)ましたら、亦(また)沉沦(まよひ)の苦(くるしみ)を免(まぬかる)ことが可(でき)ませう。

二仙(ふたり)は笑(ほほえみ)て道(い)はく:
此(こ)れ乃(すなわ)ち玄机(てんき 天の機密)にて、预(あらかじ)め泄(もら)すことのできぬもの。
那(そ)の时(とき)に到(な)りて只(ただ)我(われ)ら二人を忘了(わすれ)なさらなければ、
その火坑(くわかう 苦界)を跳出(のがれで)ることができませう。

士隐は听了(きいて)、再(さら)に问(き)くのは不便(さしさはり)あるとかんがへ、
因(そこ)で笑(えみ)をうかべて道(い)った:
玄机(てんき)は固(もと)より泄露(もら)すべからずとなれば、
但(さ)て适(ただいま)蠢物(もの)といふことを云(うかが)ひましだが、不知(して)それは为何(なんで)ございますか?
或(あるひ)は得见(はいけん)可(でき)ますまいか、否(いかが)でせう?

すると那(そ)の僧は说(い)ふ:
若(も)し此(そ)の物(もの)のことを问(と)ひているなら、倒有(かへって)一面之缘(えんがなきにしもあらず)。
そう说(い)ひて、取り出(だ)して士隐に递(わた)した。
  
士隐は接了(うけとっ)て看时(みれば)、それは原来(なんと)块(ひとかたまり)の鲜明(あざやか)な美玉(たま)であった。
上面(うへ)には字迹(もんごん)分明(あきらか)に、通灵宝玉(つうれいはうぎょく)の四字(よんもじ)が镌着(ほりつけ)てあり、
后面(うら)には还(さら)に几行(いくぎゃう)かの小字(せうじ)が有(あ)った。

正(まさ)に细(しさい)を看时(みやう)と欲するも、那(か)の僧、便(すなわ)ち说(い)ふ:
已(すで)に幻境(げんきゃう)に到(いた)れり、と。
就(さっそ)く强(し)いて手(て)の中(うち)从(よ)り夺了(うば)ひ去(と)りて、
竟(つひ)に那(そ)の道人(だうし)とともに大石(いし)の牌坊(はいばう)のほうに过了(いっ)てしまった。

その(牌坊の)上面(うへ)には乃(すなわ)ち太虚幻境(たいきょげんきゃう)の四字(よんもじ)が大きく书(か)かれてあり、
その两边(りゃうわき)には又(また)一副(いっぷく)の对联(たいれん)有(あ)りて道(い)はく:

假(か)を真(しん)と作(な)す时(とき)、真(しん)も亦(また)假(か)、
无(む)の有(う)为(た)る处(ところ)、有(う)も还(また)无(む)。

(仮を真と見なさば、真も亦仮にて、無が有であれば、有と云ふことも亦無に等しきなり)


【10】

士隐は也(また)意欲跟着过去(ついてゆかう)と、方(まさ)に步(あし)を举(あ)げやうとした时(とき)、
忽(にわか)に山崩地陷(てんちにとどろく)若(やう)な一声(いっせん)の霹雳(へきれき)を听(き)いた。

士隐は大叫(あっ)と一声(いひ)て、睛(め)を定(あ)げて看时(みると)、
只见(そこには)炎炎(まっさかり)の烈日(ひざし)のなかに、芭蕉(ばせうのは)が冉冉(ゆらゆら)としているばかりで、
梦中之事(ゆめにみたこと)は便(もは)や一半(はんぶんかた)忘了(わすれさって)いた。

そこへ又见(ちゃうど)奶母(うば)が英莲(えいれん)を抱(だ)いて走来了(やってきた)。

士隐は越发(だんだん)よく生得(そだ)ち粉妆玉琢(きりゃううつくし)く、
乖觉(りこう)で可喜(かはい)くなりゆく女儿(むすめ)を见(み)るなり、便(つ)と手(て)を伸(だ)して、怀中(ふところ)に抱(だ)き、
一回(しばらく)斗他玩耍(あやし)て、又(さら)に街(まち)まで带(つれ)て至(で)て、
那(そ)の过会的(まつり)の热闹(にぎわひ)を前看(み)てから、方(まさ)に进(すす)み来(ゆ)かうと欲(し)た时(とき)、
只见(ちゃうど)那边(むかう)从(か)ら一(ひとり)の僧と一(ひとり)の道(だうし)が来了(やってきた)。

那(そ)の僧は跣足(はだし)で癞头(くされあたま)、また那(そ)の道(だうし)は跛足(ちんば)で蓬头(おどろがみ)、
やや疯疯癫癫(きちがひじみ)て、挥霍(やたら)になにか谈笑(い)ひ而(ながら)やって至(き)た。

他(そ)の门前(もんぜん)まで到了(さしかかる)に及(およ)んで、士隐が英莲(えいれん)を抱着(だいて)いるのを看见(めにとめ)ると、
那(そ)の僧は便(いきな)り大(こえだか)に哭(な)き起来(はじめ)、又(そ)して士隐に向(むか)ひて道(い)った:

施主(だんなさま)、你(あなた)は这(そ)の爹娘(おや)に有命无运(あはれ)な累(わざわひ)を及(もたら)す物(もの)を
抱在怀内(だいて)、いったい甚(どう)作(なさ)るおつもりか?

士隐はそれを听(き)いて、疯话(つまらぬたわごと)と知(おも)ひ、也(べつ)に他(それ)を睬(かま)おうとしなかった。
那(そ)の僧は还(なほ)も: 我(わたし)に舍(くだ)され!我(わたし)に舍(くだ)され!、と说(い)ふ。

士隐は耐烦(うるさく)てならず、便(すぐさま)女儿(むすめ)を抱(だ)き、转身(みをそむ)けて进去(たちさ)らうとした。
那(そ)の僧は他(しいん)を乃(つ)と指着(ゆびさし)て、大笑(たかわらひ)し、
口内(くちに)四句の言词(うた)を念(よん)で道(い)はく:

惯养(くわんやう)の娇生(かうせい)你(なんぢ)の痴(ち)なるを笑(わら)わん、
菱花(りゃうくわ)空(むな)しく雪(ゆき)の澌澌(しし)たるに对(たい)せん。
好(よ)く防(ふせ)げよ、佳节元宵(かせつげんせう)の后(のち)、
便(すなわ)ち是(こ)れ烟(けむり)消(き)え 火の灭(めっ)する时(とき)なり。  

(蝶よ花よの溺愛ぶりも 菱のあだ花 雪こそつもれ 用心せよかし 元宵ののち すべて煙と消え去れば)


【11】

士隐は明白(すっかり)听得(きいた)ものの、心下(ないしん)犹豫(むなさわぎ)がして、
他(かれ)に(そのうたの)来历(わけ)を问(たづね)て意欲(みやう)とした。

只听(すると)道人(だうし)が(僧に)说道(い)った: 你我(おたがひ)同行(ともにゆく)不必(ことはよしませう)。
就此(ここで)分手(わかれて)、各(それぞれ)の营生(つとめ)を干去罢(はたすこと)としませう。

三劫(そ)の后(のち)、我(わたし)は北邙山(ほくぼうさん)で、你(あなた 僧)と等(ま)ち会齐了(あはし)て、
同(とも)に太虚幻境(たいきょげんきゃう)へ往(ゆ)き、号(つとめ)を销(をへる)こととしませう。

那(そ)の僧は道(い)った: 最妙、最妙(じつにけっこう、じつにけっこう)。

说(い)ひ毕(をはって)、二人が一去(立ち去る)と、再び个(そ)の踪影(すがた)を不见了(みることはできなかった)。

士隐は此时(このとき)自(みづか)ら心の中で忖(かんがへ)た。这两人(このふたり)には必ず(なにか)来历(わけ)が有るに違いなく、
他(かれら)に一问(ひとこと)问(きいて)很该(みるべきであった)が、
如今(今となって)は后悔(くやんで)却(みて)も已(すで)に晚了(ておくれ)である。

这(この)士隐が正在(しきりに)痴想(かんがへている)と、忽见(ふと)隔壁(となり)の葫芦庙(ころべう)の内(なか)に
寄居的(きりうしている)一个(ひとり)の穷儒(びんばふしょせい)、姓は贾(か)、名は化(くわ)、表字(あざな)は时飞(じひ)、
そして别号(がう)を雨村的(うそんというもの)が走(やって)来た。
这(この)贾雨村(かうそん)は原系(もともと)湖州(こしう)の人氏(ひと)で、
也是(また)诗书(ししょ)をよくし仕宦之(やくにんの)族(いへがら)であった。

他(かれ)は末世(れいらくしたいへ)に生于(うまれた)因(た)め、父母(ふぼ)や
祖宗(せんぞ)の根基(かとく)は已(すで)に尽きはて、人口(かぞく)も衰丧(うしな)ひ、
只(ただ)剩得(のこった)ものは他(おのれ)の一身一口(みひとつ)であった。
家乡(うち)にいても无益(しかたなく)、因(もと)より京(みやこ)に进(のぼ)り、
求取(やくにん)となり宝名(なをあげ)、再び基业(いへ)を整えようとした。

自前岁(さくねん)此(ここ)へ来たものの、又(まだ)淹蹇(ぶらぶら)して住了(いて)、
暂(しばら)く庙(べう)の中に安身(み)を寄せて、
每日(ふだん)は卖文作字(かきもの)などして为生(せいかつ)していた。
故(それゆえ)士隐と他(かれ 雨村)は常に交接(つきあひ)があったのである。

当下(このとき)雨村が士隐を见了(みかける)と、忙(いそいで)施礼(おじぎ)をして、陪笑(あいそわらひ)をして道(い)った。
老先生は门倚(たって)敢(ひたすら)街市上(まちのほう)を伫望(ながめ)ておられたが、
有甚(なにか)新闻么(めずらしいことでも)ありましたか?

士隐は笑って道(い)った。非也(さうではありませんよ)。
适(ちゃうど)小女(むすめ)が啼哭(ぐづり)ました因(の)で、引出(つれだし)て来(き)て作耍(あやして)いたのです。

正是(ほんとうに)无聊的(たいくつ)很(このうへない)ところでした。
贾兄(あなた)が来得(こられ)て正好(じつによいころあひ)です。
请(どうぞ)小斋(しょさい)に入って、彼此俱(おたがひ)此(こ)の永昼(ひなか)を可消(やりすごし)ませんか?

说着(そういふと)、便(さっそく)人に女儿(むすめ)を送(つれて)进去(ゆかせ)、自(みづか)ら雨村を携了(あんない)して、
书房(しょさい)の中に来至(やってきた)。

小童(こども)が茶を献(けん)じて、方(それから)三五句话(ふたことみこと)谈得(はなした)ところで、
忽(いきなり)家人(いへのもの)が飞(かけつけ)て报(しらせ)た。
严老爷(げんのだんなさま)が来拜(おみえ)です。

士隐は慌忙(あわて)て身(からだ)を起こし、谢(わび)て道(い)った。诓驾之罪(しつれいのだん)お恕(ゆるし)ください。
请(どうぞ)且(しばらく)略坐(すわって)いてください。弟(わたし)は即(すぐ)に来(もどって)奉陪(おあいて)しますので。

雨村も身(からだ)を起こすと让(へりくだって)道(い)った。老先生、请(どうぞ)便(おかまひなく)。
晚生(わたしのほうも)造之客(らいきゃく)は乃常(まいど)のことで、稍候(しばらくまつのは)何妨(なにほどのことではありません)。
说着(そういふそばから)、士隐は已(すで)に前厅(まへ)の方へ出去了(でていってしまった)。


【12】

这里(そこで)雨村は且(しばら)く诗籍(ほん)などを翻弄(み)て解闷(ひまつぶし)をしていた。
忽(ふと)窗外(そと)に女子(をんな)の嗽声(こえ)が听得(する)ので、
雨村は遂(すぐさま)身(からだ)を起こして往外(そと)を一看(みる)と、
原来是(なんと)一个(ひとり)の丫鬟(ぢょちう)が那里(そこ)で花を掐儿(つんでいた)。

生得仪容(きりゃう)は不俗(あかぬけて)、眉目清秀(めもとすずしく)、无十分姿色(ひどくべっぴんとは)虽(いへぬ)が、
却也(さりとてまた)有动人之处(すてがたきところがあった)。
雨村は不觉(おもはず)看得呆了(みとれてしまった)。

那(そ)の甄家(しんけ)の丫鬟(ぢょちう)は花を掐了(つんで)、方(やが)て欲走(ゆかうとした)时(とき)、
猛(ふと)头(かうべ)を抬(あ)げて见(み)ると、窗内(まどべ)に人が有(い)た。

敞巾(みすぼらしい)旧服(みなり)で贫窘(びんばふそのもの)虽是(であるが)、
その然生得(ふうばう)は腰(こし)が圆(ひろ)く背(せ)が厚(あつ)く、面(かほ)が阔(ひろ)く口が方(ひきしまっ)て、
更(さら)に兼剑眉(まゆがりりしく)星眼(めがすずしく)、直鼻(はなすぢとほ)り方腮(あごがゆたか)であった。

这(そ)の丫鬟(ぢょちう)は忙(いそいで)转身(せをむけ)て回避(たちさらう)としたが、心下(ないしん)で自想(おもった)。
这(あ)の人(かた)は生的这样(あんなに)雄壮(たくましい)却又(のに)这样(あのやうに)褴褛(みすぼらしいなり)をしている。

我家(うち)には并无(つひ)ぞ这样(あんなに)贫窘(びんばう)な亲友(かた)はいないので、想(おほかた)他(かれ)は
定是(きっと)主人(だんなさま)が常(いつも)说的(いはれる)贾雨村(かうそん)什么(とかいうひと)了(だらう)。

怪道(そういへば)又(また)(だんなさま)は他(かれ)のことを久(いつまでも)困之人(こまっているひと)必非(ではない)
と说(い)っていた。每每(いつも)他(かれ)を帮助(なんとか)周济(たすけてやり)有意(たいとおもう)が、
只是(ただ)什么(どうも)その机会(をり)が没有(なかった)とのこと。

如此(このやうに)一想(かんがへる)と、不免(おもはず)又(また)一两次(にどばかり)回头(ふりかへってみた)。
雨村は他(かのじょ)が回头(ふりかえる)のを见ると、便(すぐさま)这(こ)の女子(ぢょちう)は心中(ないしん)
于他(じぶん)に有意(きがある)と以为(おもひ)、遂(たちまち)狂喜不禁(うれしくてたまらず)、
这(こ)の女子(ぢょちう)必是(こそ)巨眼英豪(めききすぐれた)、风尘(うきよ)の中で
知己(おのれをしるもの)であると自谓(みづからかんがへ)た。

一时(まもなく)、小童(こども)が进(やっ)て来た。
雨村は(士隐が)前面(きゃく)と留饭(のみくひする)と打听得(きいた)ので、久待(ながくまつ)不可(べきではない)と、
遂(すぐさま)夹道中(ろうか)を从(とほ)り自便(かって)に门(もん)から出去了(でていった)。

士隐は客が既散(かへった)待(あと)で、雨村が已(すで)に去(かへった)ことを知(しった)が、
便也(あらためて)再(ま)た邀(よびにいかう)不去(とはしなかった)。


【13】

一日(はやくも)中秋佳节(ちうしうのかせつ)到了(となり)、士隐の家の宴(いはひ)は已(すで)に毕(す)んだので、
又(また)另(べつに)一席を书房(しょさい)に具(ようい)すると、自己(みづから)月(つきあかりのなか)を步いて
庙(べう)の中にいる雨村を来邀(よびに)至(いった)。

原来(じつは)雨村は自(みづから)那(あ)の日甄家(しんけ)の丫鬟(ぢょちう)が曾回顾(ふりかへって)
两次(にど)も他(じぶん)を见了(みた)ので、是个(あれこそ)知己(おのれをしるもの)だと自谓(おもう)ては
时刻(いつも)心上(こころに)放在(とめていた)。

今(いま)又(また)正值(まさに)中秋となり、不免(おもはず)对月有怀(ちぢにものかなしく)なり
因而(よって)五言の一律(りっし)を口占(くちずさんで)云(い)ふ。

未(いま)だ三生(さんせい)の愿(ねがひ)を卜(ぼく)せず、频(しきり)に一段(いちだん)の愁(うれひ)を添(そ)ふ。
闷(もだ)え来(きた)る时(とき)额(ひたひ)を敛(あつ)め、行(ゆ)き去(さ)らんとして
几(いくたび)か头(かうべ)を回(めぐら)す。
自(みづか)ら顾(かへりみる)に风前(ふうぜん)の影のごとし、谁(たれ)か月下(げつか)の俦(とも)に堪(たへ)んや?
蟾光(せんくわう)意(い)有(あ)るが如(ごと)く、先(ま)づ上(のぼ)る玉人(ぎょくじん)の楼(ろう)。

(いまだ三世の約束をした妻もなく、頻りに物さみしく感じ、思ひ来たりては打ちなやみ、行き去らんとして又たふりかへる。
それもその筈、身は風前の影に似て、誰ぞ月下に伴ふ者なく、月光何の意ありてか、先づ佳人の楼を照らさん)


雨村は吟(ぎん)じ罢(おは)ると又(また)平生(ひごろ)の抱负(こころざし)が、
苦(いかんせん)未(いま)だ时(とき)に逢(めぐまれぬ)ことに思及(おもひいたった)因(ので)、
乃又(やがてまた)首(かうべ)を搔(か)きながら天に对(むけ)て长叹(ちゃうたん)し、
复(また)一つの联(れん)を高吟(ぎん)じて云(い)ふ。

玉(たま)は椟中(きちう)に在(あ)りて善价(ぜんか)を求(もと)め、
钗(さ)は奁内(れんない)に于(あ)りて时(とき)待(も)て飞(とば)んとす。

(我いま箱の中に在れどもやがて我が身にふさわしき地位を求めん。彼女もまた箱の中に在れどもやがて時を得て飛ばんと欲せり)


恰值(ちょうど)士隐が走(やって)来てそれを听见(きく)と、笑って道(い)った。
雨村兄(どの)は真(まこと)に不凡(おおき)な抱负(こころざしをおもち)也(ですね)!

雨村は忙(あわて)て笑道(い)った。不敢(おそれいります)。
偶(たまたま)前人(いにしえ)の句(く)を吟(ぎん)じたに不过(すぎません)、
何(どうして)如此(そんな)过誉(だいそれたこと)を期(のぞみましょうや)!
雨村は因(そこで)士隐に问(たづね)た。老先生、何兴(なんのごよう)で至此(こちらまで)?

士隐は笑って道(い)った。
今夜は中秋で、俗に团圆之节(だんえんのせつ)と谓(い)ひますが、想(おもう)に尊兄(あなた)は
こんな僧房(てら)に旅寄(わびずまい)しており、寂寥之感(さびしくされている)に不无(ちがいない)、
故(それゆえ)小酌(ざしき)を特具(ようい)し、
兄(あなた)を敝(わたし)の斋(しょさい)に邀(むかへ)て一饮(いっこんさしあげたい)。
不知(いかがでせう)芹意(こころばかり)ですが可纳(おいで)否(ねがえますか)?

雨村は听了(きく)と、推辞(じたい)并不(せず)に、笑って道(い)った。
谬爱(ごこうい)を蒙(うけた)既(からには)、何敢(どうして)此(そ)の盛情(おきもち)に拂(そむけましょうや)?

说着(そういふと)、士隐と同(ともに)便(さっそ)く这边(こちら)の书院(しょさい)の中に复过(やっ)て来了(きた)。
须臾(しばらく)して、茶が毕(す)むと、早已(さっそく)杯盘(ちそう)が设下(ならべられた)。
那(そ)の美酒や佳肴(さかな)などの(ぜいたくさ)は自(もと)より不必说(いふまでもない)。

二人は归(ふたた)び坐りなほすと、先是(まずは)款酌(ゆるゆる)と慢(ねんごろ)に饮(の)み、
渐次(しだい)に谈(はなし)が兴(きょう)に浓(の)り、
不觉(しらずしらず)に飞觥献斝(さしつさされつ)に起来(なった)。

当时(そのころ)街坊(まち)の上(ほう)でも家家(いへごと)に箫管(ふえのね)や、户户(のきごと)に笙歌(ことうた)などが流れ、
当头(うへ)には一轮(いちりん)の明月が飞彩凝辉(さえわたる)ので、二人は愈(ますます)豪兴(きょう)を添え、
酒を到(さ)しては杯(さかづき)を干(ほ)すありさまとなった。

雨村は此时(このとき)已有(すでに)七八分酒意(できあがり)、狂兴(たのしく)て不禁(たまらず)、
乃(やがて)月に对(むかひ)ての怀(おもひ)を、一绝に口占(くちずさんで)云(い)ふ。

时(とき)に三五(さんご)に逢(あう)て便(すなは)ち团圞(だんえん)し、
满把(まんは)の清光(せいくわう)玉栏(ぎょくらん)を护(まも)る。
天上(てんじゃう)一轮(いちりん)才(わづか)に捧(ささげ)出(いづ)れば、
人间(じんかん)万姓(ばんせい)头(かうべ)を仰(あふい)で看(み)る。

(時しも中秋の満月、照らさぬ隅なく欄干に上る、総て一輪の明月天上より輾り出づる時、万人首を仰ぎて之を望まん)


【14】


士隐はそれを听(き)くと、大声あげて叫(さけ)んだ。妙极!(なんともすばらしい)
弟(わたし)は每(いつ)も兄(あなた)は必(けっ)して久(いつまで)も人の下に居る者ではないと谓(いっ)ていたが、
今(いま)吟(ぎん)じた句には、飞腾(ひやく)の兆(きざし)が已(すで)に见(み)えている。

不日(ちかいうち)に可(かならず)や接履(つぎつぎ)と云霄之上(りっしんしゅっせ)することだろう。
可贺,可贺!(いや、めでたい)と、乃(さっそ)く亲(みずか)ら贺(いわい)の为(しるし)に一斗(さかづき)を斟(く)んだ。

雨村は饮み干しながら、忽(ふ)と叹(たん)じて道(い)ふ:晚生(わたし)は酒の后(うえ)で狂(くどくど)言うわけでないが、
若(も)し时尚(こんにち)の学(がくもん)を论(ろん)じるのであれば、
晚生(わたし)も或(あるい)は、充数(にんずうあわせ)に名を挂(つら)ねることが可(でき)るかも知れない。

只是(ただ)如今(いまのところ)行李路费(ろぎん)のめどが、一概(まったく)无措(たた)ず、
また神京(みやこ)は路远(とお)いので、卖字撰文(びんぼうしょせい)の赖(たちば)では、能到(たどりつける)はずもない。

すると士隐は说完(いいおわる)のを不待(またず)に道(い)ふ:兄(あなた)は何(なぜ)それを早く言わなかったのですか?
弟(わたし)は已久(かねて)より此(それ)を意(きにかけ)ていたのに、每(いつ)も兄(あなた)に遇った时には、
并(つい)ぞ谈(はなし)が及ぶことがなかった。故(それゆえ)敢(あへ)て唐突(きりだせ)なかったのだ。

今(いま)既(すで)に如此(かくのごとく)であるならば、弟(わたし)は不才(ふつつかもの)だが、
义利(ぎり)という二字だけは、却还(いささか)ながら识得(こころえて)いるつもりだ。

且(こと)に喜(ちょうど)明岁(らいねん)は、正(まさ)に大比(かきょのしけん)に当たるため、
兄(あなた)は宜作(ぜひとも)速やかに都に入られ、春闱(しけん)を一度、捷(うけ)てこそ、
方(せっかく)の兄(あなた)の学(がくもん)に负(そむか)ずにいられるというもの。

其れらの盘费(ろぎん)余事(そのた)は、弟(わたし)が自(みずか)ら代为处置(たてかえ)いたします。
これで亦(ま)た、兄(あなた)に谬识(みこんで)いただいた不枉(かい)もあったというわけです。

当下(そのとき)小童(こども)に命じて进去(へやのおく)に行かせ、速(いそ)いで五十两の白银(かね)と
冬衣(ふゆふく)两套(にちゃく)を封(つつ)んで来させ、又(かさ)ねて云(い)ふ:

十九日は乃(まさ)に黄道の期(きちじつ)、兄(あなた)は可即(すぐ)に舟を买(かっ)て西に向けて上京され、
雄飞高举(みごとごうかく)を待って、明(らいねん)の冬に再(ま)た晤(あ)えたら、
岂(それこそ)大いに快(ゆかい)な事ではありませんか?”

雨村は银(かね)と衣(きもの)を收めると、不过略(ほんの)一语(ひとこと)だけ谢(れいをいい)、
并(かくべつ)意に介さず、仍是(そのまま)酒を吃(の)みながら谈笑し、那(そ)の天(ひ)は、
已(えんえん)三鼓(やはん)に交(いたっ)て、方(ようや)く二人は散(わか)れた。