Top Page        中国語講座


【第五課 第三十八節】   小説読解


  红楼梦  (曹雪芹)  


【1】

第一回(1)  甄士隐梦幻识通灵贾雨村风尘怀闺秀

此开卷第一回也。
作者自云曾历过一番梦幻之后,故将真事隐去,
而借“通灵”说此《石头记》一书也,
故曰“甄士隐”云云。但书中所记何事何人?

自己又云:今风尘碌碌,一事无成,忽念及当日所有之女子,
一一细考较去,觉其行止见识皆出我之上,我堂堂须眉,诚不若彼裙钗。

我实愧则有余,悔又无益,大无可如何之日也!
当此日,欲将已往所赖天恩祖德、锦衣纨裤之时,饫甘餍肥之日,
背父兄教育之恩,负师友规训之德,
以致今日一技无成,半生潦倒之罪,编述一集,以告天下。
知我之负罪固多,然闺阁中历历有人,万不可因我之不肖自护己短,
可破一时之闷,醒同人之目,不亦宜乎?
故曰“贾雨村”云云。
更于篇中间用“梦”“幻”等字,却是此书本旨,兼寓提醒阅者之意。

【2】

看官!你道此书从何而起? 说来虽近荒唐,细玩深有趣味。

却说那女娲氏炼石补天之时,于大荒山无稽崖炼成高十二丈、见方二十四丈大的顽石三万六千五百零一块。
那娲皇只用了三万六千五百块,单单剩下一块未用,弃在青埂峰下。
谁知此石自经锻炼之后,灵性已通,自去自来,可大可小。
因见众石俱得补天,独自己无才,不得入选,遂自怨自愧,日夜悲哀。

一日,正当嗟悼之际,俄见一僧一道,远远而来,生得骨格不凡,丰神迥异。
来到这青埂峰下,席地坐谈,见着这块鲜莹明洁的石头,且又缩成扇坠一般,甚属可爱。
那僧托于掌上,笑道:“形体倒也是个灵物了,只是没有实在的好处;须得再镌上几个字,使人人见了,
便知你是件奇物,然后携你到那昌明隆盛之邦、诗礼簪缨之族、花柳繁华之地、温柔富贵之乡那里去走一遭。”

石头听了大喜,因问:“不知可镌何字?携到何方?望乞明示。”
那僧笑道:“你且莫问,日后自然明白。”
说毕,便袖了,同那道人飘然而去,竟不知投向何方。

【3】

又不知过了几世几劫,因有个空空道人访道求仙,从这大荒山无稽崖青埂峰下经过,忽见一块大石,上面字迹分明,编述历历。
空空道人乃从头一看,原来是无才补天,幻形入世,被那茫茫大士渺渺真人携入红尘,引登彼岸的一块顽石。
上面叙着堕落之乡,投胎之处,以及家庭琐事,闺阁闲情,诗词谜语,倒还全备,只是朝代年纪失落无考。
后面又有一偈云:

无才可去补苍天,枉入红尘若许年。此系身前身后事,倩谁记去作奇传?

【4】

空空道人看了一回,晓得这石头有些来历,遂向石头说道:“石兄,你这一段故事,据你自己说来,有些趣味,故镌写在此,意欲闻世传奇。
据我看来,第一件,无朝代年纪可考;第二件,并无大贤大忠理朝廷、治风俗的善政,其中只不过几个异样女子,
或情,或痴,或小才微善:我纵然抄去,也算不得一种奇书。”

石头果然答道:“我师何必太痴?我想历来野史的朝代,无非假借汉唐的名色;莫如我这石头所记,不借此套,只按自己的事体情理,反倒新鲜别致。
况且那野史中,或讪谤君相,或贬人妻女,奸淫凶恶,不可胜数,更有一种风月笔墨,其淫秽污臭,最易坏人子弟。
至于才子佳人等书,则又开口文君,满篇子建,千部一腔,千人一面,且终不能不涉淫滥。
在作者不过要写出自己的两首情诗艳赋来,故假捏出男女二人名姓,又必旁添一小人,拨乱其间,如戏中小丑一般。

更可厌者,“之乎者也”,非理即文,大不近情,自相矛盾。
竟不如我半世亲见亲闻的这几个女子,虽不敢说强似前代书中所有之人,但观其事迹原委,亦可消愁破闷。
至于几首歪诗,亦可以喷饭供酒。
其间离合悲欢,兴衰际遇,俱是按迹循踪,不敢稍加穿凿,至失其真。
只愿世人当那醉余睡醒之时,或避事消愁之际,把此一玩,不但是洗了旧套,换新眼目,却也省了些寿命筋力,不更去谋虚逐妄了。
我师意为如何?”

【5】

空空道人听如此说,思忖半晌,将这《石头记》再检阅一遍。
因见上面大旨不过谈情,亦只实录其事,绝无伤时诲淫之病,方从头至尾抄写回来,闻世传奇。
从此,空空道人因空见色,由色生情,传情入色,自色悟空,遂改名情僧,改《石头记》为《情僧录》。
东鲁孔梅溪题曰《风月宝鉴》。
后因曹雪芹于悼红轩中披阅十载,增删五次,纂成目录,分出章回,又题曰《金陵十二钗》,并题一绝。
──即此便是《石头记》的缘起。诗云:

满纸荒唐言,一把辛酸泪。都云作者痴,谁解其中味?  

《石头记》缘起既明,正不知那石头上面记着何人何事?看官请听:




------------------------------------------------------------------------------------------

【注 釈】

【红楼梦】 hóng lóu mèng  紅楼夢 (こうろうむ)

清代初期の長編小説。「金瓶梅 (きんぺいばい)」 と並んで中国の風俗小説の最高峰とされる。
全120回。曹雪芹 (そうせっきん) の作。

もともと80回本だったが、その後30年ほどの間に何人かの手で続作40回が書かれ、120回本になった。
発刊直後から人気を博し、その熱狂的ファンは 「紅迷」、その研究は 「紅学」 と呼ばれた。

大貴族の御曹司・賈宝玉 (かほうぎょく) と 「金陵十二釵 (きんりょうじゅうにさ)」 と呼ばれる十二人の美女たちの物語で、
とくに、賈宝玉と 「金陵十二釵」 の一人・林黛玉 (りんたいぎょく) の恋愛模様が物語の軸となる。

豪奢な生活を送っていた賈家が急激に没落する過程が背景となっており、物語は悲劇性を帯びている。


【曹雪芹】 cá xuě qín   曹雪芹 (そうせっきん) (1715~1763年)

清の小説家。満州貴族の出。南京の豪家に生まれた。10歳前後に没落、不遇の中に栄華を回想して
「紅楼夢」を書いた。しかし、未完のまま病没。


【1】

【甄士隐】 zhēn shì yǐn  甄士隠(しんしいん)官職を辞した名士。道士の啓示を受けて悟りを開く。
その名前は「真事隠」(真実を隠す)と音が同じ。

【通灵】 tōng líng  霊妙不思議に通じる

【贾雨村】 jiǎ yǔ cūn  賈雨村(かうそん)科挙を目指す貧乏書生。士隠の知人。
その名前は「假語村言」(うそや野卑なことば)という音に通じる。

【风尘】 fēng chén  浮き世
【闺秀】 guī xiù  才学優れた婦人(闺中之秀)

【作者】 zuò zhě  作者(仙界の石)
「紅楼夢」は別名を「石頭記」とも言い、仙界の石が人間界に下っての見聞録という設定である。
だが、石が物語を創作出来る筈もなく、執筆しているのは勿論、人間の作者「曹雪芹」であり、
作者が「石の視点」で描いた仙界と人間界の物語という事になる。

【碌碌】 lù lù  あくせく働く
【一事无成】 yí shì wú chéng  何事も成し遂げられない
【行止见识】 xíng zhǐ jiàn shi  品行見識
【须眉】 xū méi  ひげとまゆ。りっぱな男子
【裙钗】 qún chāi  スカートとかんざし。十二人の女性
【无可如何】 wú kě rú hé  どうしようもない(无可奈何)
【纨绔】 wán kù  絹のズボン。華美な服装(细绢制的裤)
【饫】 yù  満腹になる(饱食)
【餍】 yàn  満腹する(吃饱)
【潦倒】 liáo dǎo  落ちぶれる
【闺阁】 guī gé  閨房。女性の寝室。ここでは十二人の女性
【历历】 lì lì  一つ一つはっきりと
【不亦宜乎】 bù yì yí hū  人を喜ばせるのではないか(不也是宜人)
【寓】 yù  意味を含ませる(隐含)

【2】

【看官】 kàn guān  皆様。読み手への呼びかけ(各位听众)
【荒唐】 huāng tang  とりとめがない
【玩】 wán  鑑賞する

【女娲】 nǚ wā  女媧(じょか)。古代神話に登場する女神。
天地を補修し、人類を創造した造物主として知られる。

太古に天を支えていた柱が折れると大地は裂け、至る所に火災が発生し、洪水が大地を覆った。
そこで彼女は三万六千五百個の精錬した石を使って天を補った後、余った一個の石を捨てる。

精錬されたために霊性を具えた石は、補天の選にもれたことで昼夜嘆き悲しむ。
その石が、僧侶と道士に出会い人間界に憧れ、玉(通霊宝玉)に姿を変えて下界に天下る。
こうして紅楼夢の幕が上がったのである。

【大荒山】 dà huāng shān  だいこうざん。でたらめ山。
【无稽崖】 wú jī yá  むけいがい。荒唐無稽のがけ。
【炼】 liàn  鍛錬する
【见方】 jiàn fāng  四方
【顽石】 wán shí  石ころ
【青埂峰】 qīng gěng fēng  せいこうほう。架空の峰
【嗟悼】 jiè dào  嘆き悲しむ(叹息)
【俄】 é  にわかに(忽然)
【骨骼】 gǔ gé  骨格
【丰神】 fēng shén  容姿風采(外貌和神采)
【迥异】 jiǒng yì  大いに異なる(差别很大)
【鲜莹明洁】 xiān yíng míng jié  透き通って光る
【扇坠】 shàn zhuì  扇子の柄に下げる飾り物
【镌】 juān  刻む。彫る
【昌明隆盛之邦】 chāng míng lóng shèng zhī bāng  勢いが盛んな国。長安。昌明(繁栄する)
【诗礼簪缨之族】 shī lǐ zān yīng zhī zú  学問の伝統を誇る名家。栄国府。簪缨(かんざしと冠のひも)
【花柳繁华之地】 huā liǔ fán huá zhī dì  にぎやかな街。大観園。花柳(歓楽街)
【温柔富贵之乡】 wēn róu fù guì zhī xiāng  安楽と富貴の郷
【投向】 tóu xiàng  目指す方向

【3】

【空空道人】 kōng kōng dào rén  空空道人(くうくうどうじん)
求道の坊主。石の表面に記された物語を見て、これは珍しいと一部始終を書き写す。
これを世に表したのが「石頭記」(紅楼夢)である。

【乃】 nǎi  そこで(于是)

【茫茫大士】 máng máng dà shì  茫茫大士(ぼうぼうたいし)
渺渺真人(びょうびょうしんじん)と共に仙界の石を人間界に導いた僧侶(神仙)。
また甄士隠(しんしいん)を出家させるために、くされ頭の僧侶に姿を変え仏の道を説いた。

【渺渺真人】 miǎo miǎo zhēn rén  渺渺真人(びょうびょうしんじん)
茫茫大士(ぼうぼうたいし)と共に仙界(太虚幻境)と人間界を結ぶ役割を果たしていた道士(神仙)。
また甄士隠(しんしいん)を出家させるために、ちんばの道士に姿を変え仏の道を勧めた。

【引登】 yǐn dēng  手引きする(引诱)
【叙】 xù  述べる
【投胎】 tóu tāi  生を受ける
【闺阁】 guī gé  閨房。ここでは女人のこと
【偈】 jì  仏の教えを詩の形で述べたもの
【枉】 wǎng  むだに。いたずらに(徒然)
【系】 xì  関わる
【倩】 qiàn  人に頼む(请人做事)

【4】

【野史】 yě shǐ  民間の歴史書
【套】 tào  世の常(因袭)
【讪谤】 shàn bàng  皮肉を言い、悪口を言う(讥讽并诽谤)
【君相】 jūn xiāng    君主と宰相
【风月】 fēng yuè  色恋事(男女情爱)
【文君】 wén jūn  前漢時代の才女
【子建】 zǐ jiàn  曹操の子
【千部一腔】 qiān bù yì qiāng  千遍一律
【千人一面】 qiān rén yí miàn  似たり寄ったり
【淫滥】 yín lǎn  放縦で節度がない(放纵情欲,没有节制)

【之乎者也】 zhī hū zhě yě    (いずれも文語の助詞から)飾り立てた文章。
【原委】 yuán wěi    一部始終(经过)
【歪诗】 wāi shī    たわむれに書いた詩
【喷饭】 pēn fàn    失笑する
【际遇】 jì yù    めぐり合わせ
【按迹循踪】 àn jì xún zōng    事実に基づく
【穿凿】 chuān záo   こじつける(牵强附会)
【謀虚逐妄】 móu xū zhú wàng    うそ偽りを求める

【5】

【伤时诲淫】 shāng shí huì yín  世をけなし邪淫に陥る(对时局十分哀伤而引起盗窃)

【情僧录】 qíng sēng lù  情僧录(じょうそうろく)石頭記(紅楼夢)の別名。
空空道人が改名し、情僧(じょうそう)と名乗ったことから。

【东鲁】 dōng lǔ 山東省の旧名。
【孔梅溪】 kǒng méi xī  孔梅渓(こうばいけい)。清朝の詩人。孔子の子孫とされる。
【风月宝鉴】 fēng yuè bǎo jiàn  風月宝鑑(ふうげつほうかん)石頭記(紅楼夢)の別名。
【悼红轩】 dào hóng xuān  悼紅軒(とうこうけん)。曹雪芹の書斎名とされる。
【十载】 shí zǎi  十年間

【金陵十二钗】 jīn líng shí èr chāi 金陵十二釵(きんりょうじゅうにさ)
石頭記(紅楼夢)の別名。石頭記の中に、主要な12名の美女が登場することから。

【一绝】 yì jué  絶句一首(五言からなる四行詩)
【一把】 yì bǎ  一部始終(全都)




----------------------------------------------------------

【口語訳】

第一回(1)

【1】

甄士隐(しんしいん)、梦幻(ゆめ)に通灵(ふしぎ)を识(さと)り、贾雨村(かうそん)、风尘(うきよ)に闺秀(つま)を怀(おも)ふ。

此(こ)れ、开卷 (かいくわん) 第一回(だいいくわい)也(なり)。
作者(さくしゃ)自(みづか) ら云 (い)ふ。

曾(かつ)て梦幻(ゆめ)を一番(いちど) 历(み)て 后(のち)、故(ことさら)に真事(しんじつ)を隐(かく)し去(さ)り、
通灵(ふしぎ)に借(よ)りて、此(こ)の石头记(せきとうき)の 一书 (いつしょ)を说 (と) く 也 (なり)。
故(ゆえ)に、甄士隐 (しんしいん 真事隠 真実を隠す) 云云(うんぬん)と曰(い)ふ。

但(しから)ば、书(しょ)の中に记(き)する所(ところ)は何事(なんごと)何人(なんびと)かと、自己(みづか)ら又(また)云(い)ふ。
今(いま)风尘(うきよ)に碌碌(ろくろく)として、一事(いちじ)も成(な)すこと无(な)く、
忽(たちま)ち、当日(そのひ)有(あ)りし所(ところ)の女子(をなご)を念(おも)ひ及(や)り、
一一(いちいち)细(こまか)に考较(しらべ)去(みれ)ば、
其(そ)の行止见识(ふるまひけんしき)など、皆(み)な我(わがみ)より上(うへ)に出(あ)るように觉(おも)ふ。

我(わがみ)は堂堂(さうさう)たる须眉(をとこ)でありながら、诚(まこと)に彼(か)の裙钗(をんな)にも若(し)かざるよし、
实(じつ)に愧(はじ)ること有余(あまりありて)、悔(く)いても又(また)益(えき)无(な)く、
如何(いかん)とも大无可(でき)ぬ日(とき)なり。

此(こ)の日(とき)に当(お)いて、已往(これまで)天恩祖德(てんおんそとく)に赖(よ)りて、
锦衣(よきもの)を纨袴之(きていた)时(とき)、甘(あま)きに饫(あ)き、肥(うまき)に餍(あ)きし日(ひ)には、
父兄(ふけい)の教育(おしえ)の恩(おん)に背(そむ)き、师友(しゆう)の规训(いましめ)の德(とく)に负(そむ)いて、
今日(こんにち)に致(いたる)まで、一技(なに)も无成(できず)、
半生(はんせい)を潦倒(ぐづぐつ)していた罪(つみ)をなしたれば、一集(このしょ)を编述(へんじゅつ)して、
以(もつ)て天下(てんか)に告(つ)げんとするものなり。

我(わがみ)は、固(もと)より罪(つみ)多(おほ)きことおもい知(し)れど、
然(しか)し、闺阁(ふじんたち)の中(なか)には、历历(かしこ)き人(ひと)の多(おほ)く有(あ)りて、
万(すべ)て我(わがみ)の不肖(ふつつか) 因(ゆえ)に、自己(みづか)らの 短(あら)を护(かく)す不可(べく)もあらず。

可(まさ)に、同人(ひとびと)の目(め)を醒(さ)まし、一时(ひととき)の闷(なぐさめ)と 破(な)れば、
不亦宜乎(しごくよきこと)にあらずや? 故(ゆえ)に贾雨村(かうそん 假語村之言 凡俗の言)云云(うんぬん)と曰(い)ふ。

更(さら)には、篇(ふみ)の中间(なか)に 「梦 ゆめ」 や 「幻 まぼろし」 等(など)の字(もんごん)を用(もち)いるは、
此(こ)の书(しょ)の本旨(ほんし)であり、兼(あわ)せて阅者(しょくん)の提醒(とくしん)を
寓(うなが)す意(おもむき)あるがゆえなり。


【2】

看官(さて)、你 (みなさまがた)は、此(こ)の书(しょ) が何而(いずこ) 从(よ)り 起(いで)たるかと道 (おぼ) しめすや?
说 (と)き来(お)こせば、近(ち)と荒唐(つくりごと)めきますれど、
细(こま) かに玩(あん)じ いただければ、深有趣味(おくゆかしき)ものがありますれば。


却说(さて)、那(か)の 女娲氏(ぢょかし)が石(いし)を炼(ねっ)て天(てん)を补(おぎな)ふ 时(とき)に、
大荒山(たいくわうざん)の无稽崖(むけいがい)に于(おい)て、
高さ十二丈、见方(さしわたし)二十四丈の大きさの顽石(あらいし)三万六千五百零一块(こ)を炼(ね)り成(つく)った。

那(そ)の娲皇(ぢょくわう)は、只(ただ)三万六千五百块(こ)を用了(つかっ)て、单单(ただ)一块(いっこ)を
剩下(あまし)て未用(つかはず)、青埂峰(せいかうほう)の下(もと)に弃(す)て在(おい)た。

谁(たれ)か 知らん 此の石は、锻炼(つくられ)て后(のち)、灵性(れいせい)已(すで)に通じ、
自去自来(じゅうおうむげ)にして、可大可小(みがらじざい)であった。

众石(あまたのいし)は 俱(み)な 天を补(おぎな)っていたが、独(ひとり)自己(おのれ)のみ 才(やく)に无(た)たず、
不得入选(とりのこされ)たるを见て、遂(つひ)に自(みづか)ら怨(うら)み、自(みづか)ら愧(はじい)り、
日夜悲(なげ)き哀(うれへ)ていた。

ある一日、正当(まさ)に嗟悼(うれへ)ている际(とき)、俄(にわか)に生得骨格(うまれつきこっかく)は凡(ただ)ならず、
丰神(ふうさい)迥(はるか)に异(こと)なる一(ひと)りの僧と一(ひと)りの道(だうし)が、
远远(むこう)から而来(やってく)るのを见た。

かれらは 这(こ)の青埂峰(せいかうほう)の下(もと)に来到(いた)りて、席地(ち)に坐(ざ)して谈(たん)じていたが、
ふと这块(そ)の 鲜莹明洁(みごとににすきとほっ)て、且又(かつまた)扇坠(ねつけ 扇子の柄の飾り)一般(ほど)に
缩成(な)りて、甚属(ことさら)可爱(めづらし)き 石头(いし)を见つけた。

那(そ)の僧は、それを掌上(てのひら)に托(の)せ、笑(えみ)をうかべて道(い)った。
この形体(いし)は倒也是个(なんとも)灵物(くすしきもの)であるが、
只是(ただ)实在(これといった)好处(みどころ)は没有(ない)。

再(なほ) 几个字(いささかのもんごん)を镌上(ほりつけ)て、
人人(ひと)が见て、便(す)ぐ 你是(こ)れが奇物(めづらしきもの)と知(わか)るようにする 须得(ひつよう)があろう。

然后(しかるのち)、你(おまへ)を携(たづさへ)て、那(か)の昌明隆盛之邦(さきはふ くに)、诗礼簪缨之族(まなびゆかしきいへ)、
花柳繁华之地(はなやかなるち)、温柔富贵之乡(やさしきふうきのさと)那里(まで)去走(つれ)て一遭(ごらん)にいれよう。

石头(いし)は、これを听(き)き、大(たいそう)喜んで问(たづ)ねた。
不知(して)何(いか)なる字(もんごん)を镌(ほ)ってくださるのか?
何(いか)なる方(ところ)へ携到(つれゆきて)くださるのか? 望乞(どうか)お明示(しめし)くだされませ。

すると那(そ)の僧は、笑(にこやか)に道(い)った。
你(おまへ)は且(いま)问(たづ)ぬること莫(な)かれ、日后(やがて)自然(おのづから)明白(わかる)であろう。
そう 说毕(い)ふと、便(さっそく) 石を袖(そで)にいれ、那(か)の道人(だうし)と同(とも)に飘然(へうぜん)とそこを去り、
竟(つひ)に何(いづ)れの方(ほう)へ投(さし)て向(ゆき)しか、ゆくえ不知 (しれ)ずとなりぬ。


【3】

又(また)几世几劫(いくせいいくごう)过了(たち)しか不知(しれざり)しに、
个(ひとり)の空空道人(くうくうだうじん)なるもの有りて、道を访(と)ひ、仙を求(もと)めつつ、这(こ)の大荒山は
无稽崖(むけいがい)の青埂峰(せいかうほう)の下(もと)に经过(さしかかり)しとき、
忽(ふ)と一块(ひとつ)の大石(いし)の上面(うへ)に历历(れきれき)と
字迹(もんごん)分明(あきらか)に编述(しるし)あるを见たり。

空空道人は乃(そこ)で从头(はじめから)一看(よみてみる)と、原来(なんと)是(これ)は天を补(おぎな)ふ才(さい)无(な)く、
幻形(うまれかはっ)て世に入るや、那(か)の茫茫大士(ばうばうだいし)と渺渺真人(べうべうしんじん)より、
红尘(うきよ)に携(つ)れ入(こ)まれ、彼岸(さとりのみち)へと引登(みちびかれ)た一块(ひとつ)の顽石(いし)のことであった。

石の上面(うへ)には、堕落(ついらく)せし乡(とち)や投胎(やどりきた)る 处(ところ)、
以及(はて)は家庭(いへ)の琐事(こまごと)、闺阁(ねや)の闲情(つれづれ)、诗词谜语(なぞうた)まで、
全(すっかり)备(そなわっ)て叙(しるされ)ていた。
只是(ただ)その朝代年纪(みよねんだい)が失落(もれて)いて考(しらべ)やうが无(な)かった。

その后面(うら)に又(また)、一つの偈(げ)有りて云(い)はく:

才(さい)の去(ゆき)て苍天(さうてん)を补(おぎな)ふ可(べき)无(な)く、
枉(まげ)て红尘(こうじん)に入る若许(いくばく)の年、此の身前身后(しんぜんしんご)に系(かか)る事は、
谁(たれ)を倩(やと)ひ 记(しる)し去(さっ)て奇传(でんき)を作らんや?

(自分は補天の才無きゆえに、かくも徒に娑婆に出でて幾年月、我が身の過去未来の因縁は、誰あってか、能く書き伝えてくれるものぞ)


【4】

空空道人は一回(いちど)看了(よみ)て、这(こ)の石头(いし)に些(いささか)来历(いわく)有りやと晓(さと)り、
遂(つひ)に石头(いし)に向(むか)ひて说道(い)った。

さても石兄(いしけい)、你(おぬし)自己(みづから)の 说(ことば)に据(よ)れば、
这(こ)の一段(ひとわたり)の故事(けいれき)は、些(なかなか)趣味(おもむき)有るが故(ゆえ)に、
在此(ここ)に镌写(かきとめ)て、传奇(でんき)として世に闻(と)いたき意欲(しょぞん)なれど、
我(わたし)の看来(みる)据(と)ころ、第(だい)一件(いち)に、朝代年纪(みよねんだい)が考(あきら)か无可(なら)ず。

第(だい)二件(に)は、大贤大忠(かしこきひと)が朝廷(てうてい)を理(をさ)めたり、风俗を治(あらた)めたという善政(こと)は
并(つひ)ぞ无(な)く、其中(そのなか)には、只(ただ)几个(いくにんか)の异样(いやう)な女子(をなご)たちの情(じゃう)や
痴(こけ)、或(あるひ)は小才(こざかし)き微善(せきぜん)のこと不过(ばかり)で、纵然(たとへ)我(わたし)がそれを
抄(うつ)し去(だし)ても、一种(いちだい)の奇书(きしょ)にはとうてい算不得(なりますまい)。

果然(はたせる)かな、石头(いし)は答(こたへ)て道(い)ふ。
我が师(し)よ、何必(さても)太痴(おろか)なりや? 我(てまへ)想(おもひ)まするに、历来(れきだい)の野史(やし)にある、
汉(かん)なり唐(たう)なりの 朝代(みよ)の名色(な)を假借(はいしゃく)しては无非(いかが)かと存ずる。

我(てまへ)这(こ)の石头(せきとう)に记(しる)す所は、只(ただ)自己(みづから)の情理(じゃうり)に
按(か)なう事体(ことがら)のみ、反倒(むしろ)此(これまで)の套(ならひ)に不借(そわぬ)莫如(ほう)が
新鲜(しんせん)な别致(あぢはひ)があるもの。

况且(ましてや)那(か)の野史(やし)に中(おいて)は、或(あるひ)は君相(うえ)を讪谤(そしる)とか、
或(あるひ)は人の妻女(さいぢょ)を贬(けなす)とか、奸淫(かんいん)凶恶(きょうあく)なること、胜数(かぞ)え不可(きれませ)ぬ。
更に有一种(あるしゅ)の风月(いろごと)の笔墨(しょもつ)などは、其(そ)の淫秽污臭(きたなさ)ときたら、
人の子弟(してい)を坏(そこなふ)に最易(あまりある)ものと申せましょう。

才子佳人(さいしかじん)等(など)の书 に至(いた)っては、则(すなは)ち又(また)口を开(ひら)けばこれ文君(ぶんくん)、
满篇(すべて)が子建(しけん)と、千部一腔(せんべんいちりつ)、千人一面(にたりよったり)、
且(かつ)终(つひ)には淫滥(いんらん)に涉(わた)らぬわけにはまいりませぬ。

不过(ただ)作者(さくしゃ)が自己(おのれ)の两首(わずか)な情诗艳赋(つやものがたり)を写(か)き出来(ださん)と
要(する)故(ため)に、假(そこ)に男女(なんにょ)二人の名姓(な)を捏(つく)り出し、そして又(また)其(そ)の间 に
必ず一小人(わるもの)を旁(はさ)み添(い)れて、如(まるで)戏(しばい)の中の小丑(かたきやく)一般(ふぜい)の
拨乱(さわぎ)をおこすありさま。

更(さら)に可厌(いむべき)者(こと)は、理(こじつけ)に非(あらざ)れば即(すなは)ち之乎者也(けばけばし)き文(もんごん)、
情(じゃう)から大(おほ)ひに不近(かけはな)れ、自相(たがひ)に矛盾(くひちが)ふことばかり。

我(てまへ)が半世(これま)で亲(したし)く见(あひ)て、亲(したし)く闻(きき)し这(こ)の几个(いくにん)かの女子(をなご)は、
敢(あへ)て前代(かねて)より有るところの书中(しょちう)の人(ひと)似(よ)り强(まさ)るとは说(いひ)にくい虽(けれど)も、
但(しか)し其(そ)の原委(もろもろ)の事迹(おこなひ)は、竟(かへ)って消愁破(うさばらし)に闷(な)って、
不如(よき)やうに观(おも)はれまする。

几首(いくたりか)の歪(ちんぷ)な诗(うた)に至(いた)っては、これ亦(また)喷饭(わらひぐさ)、供酒(さけのさかな)になりませう。
其(そ)の间(なか)の离合(あひわかれ)や悲欢(なきわらひ)、兴衰(うきしづみ)や际遇(めぐりあひ)などは、
俱(すべから)く按迹循踪(ことこまか)を旨(むね)とし、敢(あへ)て稍加(いくばく)かの凿(てごころ)を穿(くわ)へて、
其(そ)の真(しんじつ)を失(うしな)ふことなきようはからひたり。

只(ただ)愿(ねが)はくは、世の人が当(まさ)に那(そ)の醉(よ)ひが睡醒(さめ)て余(のち)、
或(あるひ)は事(いざこざ)を避け、愁(うれひ)をうち消す际(さい)に、此(こ)れを把(と)り、一玩(もてあそ)ばば、
旧(ふる)き套(しきたり)を洗(はな)るるに不但(とどまら)ず、更(さらに)は虚(むな)しく妄(つま)らぬものを
逐(お)ひ谋(もと)むることなく、眼目(じもく)を换新(あらた)にして、却(かへ)って寿命(じゅみゃう)や筋力(からだ)にも
省(このまし)くなるというもの。我が师(し)よ、如何(いかが)意为(おぼしめす)や?


【5】

空空道人は此(こ)の如(やう)な说(はなし)を听(き)いて、半晌(しばらく)思忖(かんが)へ、
此(こ)の石头记(せきとうき)を再(ま)た一遍(ひととほり)检阅(しらべ)たり。

上面(なか)を见(み)ると、大旨(よく)情(じゃう)を谈(たん)ずるにしても、
亦(また)其事(そのこと)を实(ありのまま)に录(かきとめ)た不过(だけ)で、
时(じだい)を伤(けな)し、诲淫(くわいいん)の病(やまひ)におちいること绝(た)へて无(な)し。

方(やが)て头(はじめ)从(か)ら尾(しまひ)至(ま)で抄写(うつしとり)て回来(もちかへ)り、世に闻くところの奇を传(つたへ)たり。
此(これ)に从(よ)り、空空道人、空(くう)に因(よ)りて色(しき)を见(み)、色(くう)由(よ)り情(じゃう)を生(しゃう)じて、
情(じゃう)を传(つたへ)て色(しき)に入り、色(しき)自(よ)り空(くう)を悟(さと)り、
遂(つひ)に情僧(じゃうそう)と名(な)を改(か)へ、石头记(せきとうき)を改(あらた)めて情僧录(じゃうそうろく)と为(な)す。

东鲁(とうろ)の孔梅溪(こうばいけい)が题して风月宝鉴(ふうげつほうかん)と曰(い)うたが、
后(のち)に曹雪芹(さうせつきん)が悼红轩(たうかうけん)の中にて披阅(よみしらべ)ること十载(じゅっさい)、
增删(てをいれること)五次(ごたび)して、目录(もくろく)を纂成(へんさん)し、章回(しゃうくわい)を分出(わけいだ)したり。

又(また)题(だい)していはく金陵十二钗(きんりゃうじゅうにさ)、并(また)一绝(いちぜつ)を题(だい)す。
此(こ)れ即(すなわ)ち石头记(せきとうき)の缘起(いはれ)なり。诗(うた)に云はく:

满纸(まんし)荒唐(くわうたん)の言(げん)、一把(みな)辛酸(しんさん)の泪(なみだ)。
都(すべて)云(い)ふ作者(さくしゃ)痴(ち)なりと。
谁(たれ)か其中(そのうち)の味(あぢわひ)を解(かい)せん?

(全体が荒唐の言なれども、又悉く辛酸の涙の物語。世人は作者甚だ痴なりと言わん。誰か其の妙味を解する者ぞや) 

石头记(せきとうき)の缘起(いはれ)既(すで)に明(あきら)かなれば、
正(まさ)に那(そ)の石头(いし)の上面(うへ)に何人何事(なんびとなんごと)か记着(しるし)あるや、
看官(さて)もお听(き)きなされませ: