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黒竜江省概要 (http://wiki.chakuriki.net)



ホジェン (赫哲) 族 (黒竜江省)


(黒竜江省までの交通)

成田から北京首都国際空港(PEK)まで4時間。

北京からハルビン太平国際空港(HRB)まで2時間。


1.アムール川(黒竜江)は、ロシアと中国の国境を貫流する
全長4368kmの国際河川。

モンゴル高原から発してロシアと中国の国境沿いを経由し
オホーツク海に注ぐ。
条約により、双方の船舶が自由に航行することが認められている。

2.2005年10月、吉林省で発生した化学工場の爆発の影響で
発がん物質が川に大量流入で被害が出た。
汚染は、下流のロシアにも広がり、国際問題にも発展した。

3.黒竜江の人民は寒さに弱い。ちょっと肌寒いとすぐストーブをつける。
集中暖房装置のある家がほとんどなので、甘やかされて育っているのだ。

4.ターちんの油田が有名。
(大慶油田。命名は油田が建国10周年の節目で発見されたことに因む)

5.かの有名なチンポー湖 (鏡泊湖 きょうはくこ)がある。

6.中国最北の地 最北端には漠河 (ばくが) 北極村がある。
凄く寒いしオーロラも見られるらしいが、名前とは裏腹に北極圏ではない。
-50℃を下回ったことがある。

その漠河は日本の地図帳では読み仮名として 「モーホー」 と表記されている。

7.北海道に流れ着く流氷のふるさとの一つ。
(北海道東部の流氷の源は黒竜江の氷)
大阪人や北陸人の大好きな昆布の原料というわけ。

さらに江戸時代には北陸の漁師や薩摩藩を介して琉球、さらには中国中南部の人々の口へ…
旧満州発ロシア・日本経由華中・華南行き…


8.中国東北地方は日本の東北地方を大きく上回る寒さ。
大陸は島国と違い海で隔たっていないので寒波がひどい。
まあロシアのすさまじい寒波の影響だろう。

緯度自体全体的に上。でも夏は同じくらいらしい。
おおまかな気温は、夏:22度から33度 冬:-20度から-30度 (最高~最低気温) くらい。
夏の湿度は低く夜は涼しい為、日本人にとっては過ごしやすい程度の暑さ。

9.大連 (遼寧省) からハルビンまで高速鉄道ができ、さらにハルビン-チチハル、
チチハル-ジャムス (佳木斯)、ハルビン-牡丹江の都市間を結ぶ。
すごい勢いの高速鉄道。やっぱ社会主義の強み。

10.満州民族発祥の地、金の最初の首都は現在のハルビン周辺に建設されていた。





城市概要

哈尓浜 (ハルビン)

1.黒竜江省都。

2.女真族の金王朝発祥の地。 そして半島の金王朝発祥の地。かもしれない。

3.新潟市と旭川市と友好都市。 直通便が初めて運行されたのは新潟行き。現在は大阪行きもある。

4.韓国人にとっては安重根が伊藤博文を暗殺した栄光の地。
しかし現地の中国人にとってはどうでもいいことらしく、知名度がかなり低い。

5.「東方のパリ」 とか 「東のモスクワ」 と呼ばれるハイカラな都市。
ルーマニアのブカレストも 「東方のパリ」 と呼ばれる事があるらしい。

6.ここの市民は特に反日感情が強い。

7.ロシアへ向うためにロシア風建築物が多い。

8.ハルビン市の面積は約53000平方km。これは千葉県全体よりも少し大きいくらい。
よく見て。千葉県とは一桁違う。 中国地方+四国地方よりちょっと広いくらい。



略称
黒 hei


省都
哈尓浜 ハルビン


位置
中国で一番北の省、東北地区の北部に位置、東、北部はロシアと隣接している。


面積
46万平方キロメートル 。 (日本の1.2倍)


気候
温帯と寒帯の間の大陸性モンスーン気候で、年平均気温は-6℃から4℃。気温は南から北へと低くなり、南北の差は8℃。

一月の平均気温は北西部で-30℃、南東部で-18℃であり、七月は 18℃と 23℃。
西北部の気温が一番低く、全省の最低気温記録は-52.3℃ (1969年 漠河村)。


人口
人口 3,811万人。(2001年)。
満、朝鮮、モンゴル、回、ダフール、オロチョン、ホジェン、キルギス、エヴェンキなどの少数民族が住んでいる。


主な都市

哈尔滨市、齐齐哈尔 (チチハル) 市、綏化 (すいか) 市、大慶 (だいけい) 市、佳木斯 (ジャムス) 市、
牡丹江 (ぼたんこう) 市、鶏西 (けいせい) 市、鶴崗 (かくこう) 市、双鴨山 (そうおうざん) 市、
七台河 (しちだいが) 市、黒河 (こくか) 市、伊春 (いしゅん) 市、大興安嶺 (だいこうあんれい) 地区。



概要

黒竜江省は中国の最も北に位置する省である。
ロシアとの国境線は3,026kmに及び、北は黒竜江、東の大部分はウスリー川が国境になっている。

西北部に大興安嶺 (だいこうあんれい) 山脈、北部に小興安嶺 (しょうこうあんれい) 山脈、東南部には完達山脈がある。

南西には嫩江 (のんこう)、松花江 (しょうかこう) などの川があって南から北へとこの省を斜めに横断するように流れ、
北東部の三江 (黒竜江、嫩江、松花江) 平原、南西部の松嫩 (しょうのん 松花江、嫩江) 平原を形成している。

南東には興凱湖 (こうがいこ ハンカ湖) がある。

丘陵山地の標高は300~1780メートル前後で、省全域の総面積の約70%を占め、
平原地帯の標高は50~250メートル前後で、省全域の面積の約30%を占めている。

東北平原は、大興安嶺、小興安嶺及び長白山 (吉林省) の間に位置する平原で、
平原北側では嫩江が発し、平原内を中部に亘って横断し、平原南側は遼東湾に至っている。

平均海抜は200m程度、面積は35万平方kmで中国最大の平原である。
気候は寒冷だが土壌は肥沃であり、同国最大の食糧生産地となっている。

東北平原は細かく分類すると北部の松嫩平原、南部の遼河 (りょうが) 平原 (遼寧省)、東北部の三江平原に三分される。
この内の前者二つを合わせて松遼 (しょうりょう) 平原と言い、これが東北平原の大部分を占めている。

河川が多く、中国第3番目、世界で第8番目の長さ (4,416km) を誇る黒竜江 (アムール川) を筆頭とする。
また、嫩江、松花江、ウスリー川が流れ、最後にはすべてが黒竜江になる。

湖も中ロ国境にまたがる興凱湖 (こうがいこ)、1720年の火山の噴火に因ってできた五大連池。
そして中国のナイヤガラと呼ばれる吊水楼瀑布 (ちょうすいろうばくふ) を持つ鏡泊湖 (きょうはくこ) など数多い。


この地には古来からツングース系少数民族が居住していた。
漢代にはこの地域に最初の国家・夫余国が出現し、唐代には高句麗の遺民が吉林省に建国した渤海国が遷都し、黒竜江南部に都を置いた。

それ以降も遼・金と続く北方系の民族の領土となり、金の最初の国都は、ハルピン郊外の会寧府に置かれた。
元以降は中央政権の領土に組み込まれ、清代末期に黒竜江省となった。


黒竜江省は中国で最も高緯度にあり、冬が長く寒冷である。
一月の平均気温は北西部で-30℃、南東部で-18℃であり、七月は 18℃と 23℃。黒竜江は六ヵ月、松花江は五ヵ月間結氷する。

年降水量は 400~600mm。肥沃な黒土におおわれるが、低湿な荒れ地が広く分布。
大型機械を導入して開墾が進められ、多くの国営農場が建設された。

食糧作物はトウモロコシ、アワ、コムギを主とし、水稲の導入がはかられている。
大豆の産額は中国最大であり、テンサイ、アマ、ヒマワリも多い。

山地にはチョウセンゴヨウマツ、コウアンシラカバを主とする原生林があり、中国の重要なパルプ用材供給源となっている。
タカネイタチ、クロテンなどの毛皮獣や、アカシカ、ジャコウジカなどの狩猟、飼育も行われる。

鉱業は大慶市の石油が大規模である。
また東部の山地は石炭が豊富で、鶏西市、鶴崗市、双鴨山市などの炭鉱都市があり、佳木斯市、牡丹江市の工業都市が立地している。

黒竜江沿いでは砂金を産する。工業は重機械、自動車、鉄道車両、重電機が発達する。
ハルビン市とチチハル (齐齐哈尔) 市は機械の大型工場が立地する工業都市で、大慶市には石油化学コンビナートがある。

伊春市は林業基地で製材も盛ん。ほかに製紙、製糖、麻紡織、ゴムなどの工業も盛んである。
鉄道はハルビン市を中心に四通する。河川は夏季は水運が盛んで、冬季には雪ぞりが用いられる。

特産品は、東北三種の宝 (薬用人参・ミンク・鹿の角)、タンフール (冰糖葫芦 サンザシの蜜漬け)、
ロシア風パン、
酒心糖 (白酒入りチョコレート) など。





観光スポット




ハルピン市は、中国で最も北部に位置する黒竜江省の省都である。
シベリア鉄道でモスクワへと通じる東北アジアの交通の枢軸でもある。

2012年末にハルビン~大連間高速鉄道が開業し、長春や瀋陽、大連とのアクセスが改善された。

19世紀末までは小さな漁村にすぎなかったこの町を劇的に変化させたのが、清朝と帝政ロシアとの間で
結ばれた不平等条約 (1896年) により敷設が許された東清鉄道である。

東清鉄道とは、帝政ロシアが満洲北部に建設した鉄道路線である。

当時のシベリア鉄道は清国との国境線に沿って大きく北に迂回しながらウラジオストックと結ばれていた。
それを、清国から中国内に敷設権を獲得することで、満州里 (内モンゴル)、綏芬河 (スイフンガ) を
経由した最短距離でウラジオストックに達することを可能にした。

清国は日清戦争に敗北した直後であり、またロシアには三国干渉により、日本から遼東半島を清国に
返還させた恩があったために敷設権の要求を断ることができなかったのである。

いずれにしろハルビンは、鉄道建設の基地として発展を始め、今日の機械、石油化学工業を主とする
近代都市また中ロ貿易窓口都市へと変貌を遂げたのである。

やがて1920年代後半には、アメリカや欧州の商工会議所も置かれ、国際的な商業都市として発展した。

最も賑やかな通りである中央大街 (キタイスカヤ ロシア語で中国街の意) には、南からアメリカのインターナショナル銀行、
カフェ・ミニアチュール、モデルン・ホテル、秋林洋行 (デパート)、松浦洋行などの、アール・ヌーボー様式や西洋古典様式の建築が数多く建てられた。

その結果、今日のハルビンは、「東方のモスクワ (東方莫斯科)」 「東方の小パリ (東方小巴黎)」 などと呼ばれている。

ハルビンの見どころは、ほとんど市街区に集中している。
中央大街は、当時のロシア風の石造りの建物が立ち並ぶ石畳の街並みで、何とも言えぬエキゾチックな雰囲気が漂う。

その先に広がるのが斯大林 (スターリン) 公園。眼前には松花江が悠々と流れている。

松花江の対岸にある太陽島公園へは、船着き場から出ている船やロープウェイ、バスなどで行く。
太陽島側には中国版サファリパークともいえる東北虎林園もある。

ハルピンでは、毎年1月~2月には氷祭りが催され、雪の造形、氷の彫刻など雪と氷の祭典が繰り広げられ、冬の風物詩として多くの観光客を集めている。

市内の人口は994万人。
特産物は、マトリョーシカ (ロシア人形)、タンフール (冰糖葫芦)、ハルピンソーセージ、、酒心糖 (白酒入りチョコレートなど。
観光名所は、中央大街、スターリン公園、太陽島公園、東北虎林園、聖ソフィア大聖堂、黒龍江省博物館など。




① 中央大街 (ハルビン市中央大街)

中央大街はハルビンで最もにぎやかな商業地区である。

ロシア語で 「キタイスカヤ (中国大街)」 と呼ばれていた。
ルネサンス様式やバロック様式など、ヨーロッパ様式の建物が残っている。

なかでも有名なのが89号の
モデルンホテル (1913年創建)、107号の旧秋林 (チューリン) 洋行 (1919年創建)、
120号の旧松浦洋行 (現在の新華書店) など。
通りを散策していると、15~17世紀のヨーロッパが思い起こされる。







② 斯大林 (スターリン) 公園  (ハルビン市斯大林街3号)

ハルビン市を流れる松花江の南岸沿いに広がる、幅50m、全長1750mの細長い公園。1953年に建設された。

園内には、松花江に沿って続く遊歩道があり、彫塑が配置されている。

この公園では、夏はボートや釣り、冬は凍結した松花江でのスケートが楽しめる。








③ 太陽島公園  (ハルビン市松北区近郊阿城市)

太陽島は、ハルビン市を流れる松花江の中の島で、初めはロシア人の別荘地であったが、幾度かの造営の後、現在の姿になった。

公園内には、ロシアのアトラクションや、大水族館などがあり、ハルビンの憩いの場となっている。
また氷雪世界館では、夏も氷祭りが楽しめるようになっている。

20世紀初頭、東清鉄道の建設により、中国に居住している多くの外国人が次々とハルビンに来た。

彼らは太陽島が避暑にふさわしいことに気付き、多くの別荘を建てた。
彼らは家族とともに、ここで野外での食事や遊び、水浴びなどを楽しんだ。

これらはエキゾチックな生活習慣となり、太陽島のみならずハルビン全体の一種の文化現象ともなって、
今もなおハルビンの市民の普通の生活に影響している。






④ 東北虎林園 (ハルビン市松北区松北街88号)

松花江の北岸にある、東北虎のサファリパーク。敷地面積は120万㎡。
絶滅の危機を救うために造られたこの公園は、避暑地で有名な太陽島と一衣帯水の場所にある。

園内は成虎園・幼虎苑・科学普及展覧館の3つに分けられる。
成虎園では、専用のマイクロバス越しに、30頭の大人の虎が、36万㎡の縄張りを闊歩するのを眺めることができる。

時には相争うスリリングな場面に出くわすことも。
それとはうって変わって、幼虎苑にいるのは、元気でかわいい3歳以下、40頭余りの子供たち。

とはいえ、けんかもたくさん目にすることもできる。ここでは徒歩での見学も可能だ。







⑤ 聖ソフィア大聖堂 (ハルビン市道里区透籠街88号)

聖ソフィア大聖堂は、ハルピンの代表的な欧風建築物のひとつ。

兆麟街 (ちょうりんがい) でもひときわ人目を引くギリシア正教の教会である。
1907年3月、帝政ロシアの兵士の軍用教会として創建された。

その後もロシアの茶商人の出資などで拡張工事が行われ、1932年に現在の姿になった。
高さ53.35メートル、建築面積721平方メートル。

ビザンチン建築の影響を深く受けた教会は、二千人の収容能力がある。

現在、教会はハルピン建築芸術館として一般開放され、市内の建築物の写真や模型、絵画などを展覧している。







⑥ 黒龍江省博物館 (ハルビン市紅軍街50号)

黒龍江省博物館はロシア式の建物で、その前身は1904年にロシア人が設立したモスクワデパートである。
1922年にロシア人の提案で、ここに東省文物研究会を開設、その場所で博物館の開設を計画し設立した。

該当博物館は前後、ロシア人、日本人に経営、管理され、1951年に中国人民政府に接収管理されて、
松江省科学博物館と改名した。
松江省と黒龍江省は合併した後、黒龍江省博物館という名を使用し始めた。

博物館にはコレクション10.7万点余りがあり、展示品は自然と歴史の二分野からなる。
マンモスの化石から歴代の貨幣まで様々な展示品に特色があり、興味を持って見学できる。









⑦  ハルピン氷祭り (ハルビン市)



ハルビン氷祭りは、1985年から始まり、ハルビン市にて毎年1月5日頃から2月末頃まで開催されている祭りである。
主な会場は太陽島公園、兆麟公園、そして氷雪大世界の市内3ヶ所で開催している。

正式開催は1月であるが、12月末には見学が可能。
ハルビン市の各地の公園を中心に氷彫刻や氷の建造物が展示され色とりどりの蛍光灯やLEDでライトアップされ、
ハルビン市内の兆麒公園では国際的な氷彫刻大会も開催される。

氷雪大世界が開催される会場は松花河の河川敷で東京ドーム9個分の敷地内に高さ40メートル程の塔を中心に大規模な建造物が展示される。
氷は松花江より切り出した天然の氷を使用している。






⑧ 鏡泊湖 (きょうはくこ) と吊水楼瀑布 (ちょうすいろうばくふ)  (牡丹江市寧安県) 

黒竜江省南端の牡丹江 (ぼたんこう) 上流部にある湖。
約一万年前の火山の噴火で牡丹江の流れが溶岩流にせきとめられてできた湖である。

面積約90k㎡、南北約50km、深さは平均40m。
火山性の堰止湖としては中国最大のもの。湖名は鏡を抱く竜の伝説による。

周囲は山と緑に囲まれ、湖口に落差20メートルの吊水楼瀑布 (ちょうすいろうばくふ) がある。
ここは鏡泊湖の水が牡丹江の河口に流れ込む場所。

ダムができて人工の滝が生まれた。水流の落差は20m、幅は40m。
長い間、滝に打たれてえぐられた丸石には深い水溜りができていて、深さは数十mにも及ぶ。

鎖で囲まれた展望台から、滝の勢いのすさまじさを目の当たりにすることができる。







⑨ 五大連池景勝区 (黒河市五大連池県)

五大連池景勝地は中国で最も代表的な火山湖である。

最も近い時期に起きた火山の噴火によって当時の川の流れがふさがれ、5つの数珠 (じゅず) のように連なる火山湖ができ、
五大連池と称されるようになった。

科学研究や観光において重要な価値を持っており、「世界地質公園」、「世界生物圏保護区」、
「中国ミネラルウォーターの町」 にも選ばれている。








⑩ 小興安嶺 (しょうこうあんれい) 恐竜博物館 (伊春市伊春区)

伊春市の中心の水上公園西側に位置する東北地区最大の恐竜博物館。
館内には、黒龍江畔で発見された7個の恐竜の化石が展示されている。
中でも最大のものは、長さが10メートルにも達する。

恐竜展示室以外に小興安嶺の歴史的文物を展示するホールもある。
これらの恐竜の骨格標本の大部分は、伊春市嘉蔭県竜骨山で採集されたものである。

嘉蔭県竜骨山は、黒龍江中流の右岸に位置し、7千万年前の古代恐竜の化石が大量に
埋蔵されているとされ、視察にくる専門家が絶えない。






⑪ 北極村  (大興安嶺地区漠河県)

大興安嶺山脈の北側、七星山麓のアムール川 (黒竜江) 沿いに位置する中国最北端の村。
同川を挟んでロシアと国境を接している。
「北極村」 という村名は、「中国の北極」という意味から来ている。

中国国内で唯一、オーロラを見ることが出来るほか、夏季には白夜も見ることが出来る。
北極村の春は、つつじが満開。
夏は各種の花の香りが漂い、秋は紅葉に林を染め、冬は水墨画のような雪の世界に飾られる。

2008年六月、当村に於いて 「第18回 漠河オーロラ祭り」が開催された。
香港やロシア等からニ万人近くの観光客が詰めかけた。
訪れた観光客たちは、かがり火を焚いたりして、一晩中眠らずに 「オーロラ」 を楽しんだという。





黒竜江省アラカルト






1. マトリョーシカ  (Матрёшка)

「マトリョーシカ」 とはロシアの 「こけし」 の事で、卵の様な形をしてて、開けたらまた中に同じ 「こけし」 が出てくる。

次から次に出てくるのでロシアでは赤ちゃんが生まれる縁起物としても知られている。
なお、中国語では套娃 (タオワー) という。


ハルビン市のロシア工芸品の専門店で買ったマトリョーシカ。なかなかの美人さん。
このマトリョーシカ、中に入ってるのもみんな同じ顔のべっぴんさん。

開けても開けても出てくるマトリョーシカ、いったいいくつ出てくるのか…。
なんとびっくり10人!!

さすがに最後の一人は顔ありません 。。。 この小ささ恐るべし!







2. ホジェン (赫哲) 族  (人口4,500人 2000年)

ホジェン族は、ツングース (シベリア) 系の少数民族で、その祖先は早くから黒龍江、松花江、ウスリー川の河川流域で暮らしてきた。
彼らは漁労を中心とし魚皮衣をまとい、シャーマニズム (自然崇拝) を信仰し、特に火と水への敬意が生活に反映されているという。

ホジェン族は日本軍の虐殺政策によって中国国内で300人まで減少したが、現在は4500人までに回復、
ロシア領内にナナイ族という名で呼ばれる約一万人の同胞が生活している。






3. 丹頂鶴の里

チチハル (齐齐哈尔) 市は、ハルピンの北西290km、嫩江の中流域にある。
チチハルとは、少数民族のダフール族の言葉で 「辺境の要塞」 を意味する。

周囲には草原が広がり遊牧が行われている。
南の郊外には広大な湿原があり、渡り鳥など野生動物の宝庫になっている。

チチハルの東にある扎竜 (ザーロン) 自然保護区は、鶴の里とも呼ばれ、特に丹頂鶴が有名。
日本の釧路と共に数少ない生息地になっている。

日本ではなかなか見られない湿原と草原で縁取られた地平線と、手の届きそうな高さを舞う丹頂鶴は必見である。






4. 満州事変

1931年 (昭和6年) 9月18日、奉天 (現在の遼寧省瀋陽) 郊外の柳条湖で満鉄線路の爆破事件を契機として始まった日本軍の中国東北への侵略戦争である。

若槻内閣は不拡大方針をとったが、関東軍は東北三省を占領。
翌年、「満州国」 を樹立し、以後15年に及ぶ日中戦争の発端となった。

昭和20年 (1945) 8月9日、日本に宣戦を布告したソ連軍が満州国に進撃して関東軍を撃破すると、各地に民衆の反乱が起こり、満州国は壊滅した。

共産党指導による抗日ゲリラ活動もこの地域を中心に活発に行われた。
日本の降伏後、黒竜江は共産軍が全国に先駆けて最初に開放した省となった。




5. 国境の町 (こっきょうのまち)



満州事変の翌年には関東軍主導で満州国が建国され、多くの日本人が新天地を夢見て大陸へ渡った。
こうした時代を背景に、流行歌の世界では 「満州もの」 が人気を呼んだ。

東海林太郎の 「国境の町」 はその代表的な歌である。

「国境の町」 とは、満州とロシアの境にある、現在の黒竜江省牡丹江市内の綏芬河 (スイフンガ) 周辺を指すとされている。

満鉄出身の東海林太郎にとっては、哀しみを湛 (たた) え赤い夕陽に照らされた満州は青春の地であり、その歌唱には万感の思いがあった。

満州での実体験が歌にリアリティーや哀愁をまとわせ、一層の共感を呼んだのであろう。

この曲は大ヒットし、流行歌手の座を不動のものにした東海林太郎は、1965年 (昭和40年)、歌手として初の紫綬褒章 (しじゅほうしょう) を受章した。







中国語講座 「美しい小興安嶺」


美丽的小兴安岭  

我国东北的小兴安岭,有数不清的红松、白桦、栎树……几百里连成一片,就像绿色的海洋。

春天,树木抽出新的枝条,长出嫩绿的叶子。
山上的积雪融化了,雪水汇成小溪,淙淙地流着。

小鹿在溪边散步。它们有的俯下身子喝水,有的侧着脑袋欣赏自己映在水里的影子。
溪里涨满了春水,一根根原木随着流水往前淌,像一支舰队在前进。

夏天,树木长得葱葱茏茏,密密层层的枝叶把森林封得严严实实的,
挡住了人们的视线,遮住了蓝蓝的天空。
早晨,雾从山谷里升起来,整个森林浸在乳白色的浓雾里。

太阳出来了,千万缕像利剑一样的金光,穿过树梢,照射在工人宿舍门前的草地上。
草地上盛开着各种各样的野花,红的、白的、黄的、紫的,真像个美丽的大花坛。

秋天,白桦和栎树的叶子变黄了,松柏显得更苍翠了。
秋风吹来,落叶在林间飞舞。

这时候,森林向人们献出了酸甜可口的山葡萄,又香又脆的榛子,
鲜嫩的蘑菇和木耳,还有人参等名贵药材。

冬天,雪花在空中飞舞。树上积满了白雪。地上的雪厚厚的,又松又软,常常没过膝盖。
西北风呼呼地刮过树梢。紫貂和黑熊不得不躲进各自的洞里。

紫貂捕到一只野兔当美餐,黑熊只好用舌头舔着自己又肥又厚的脚掌。
松鼠靠秋天收藏在树洞里的松子过日子,有时候还到枝头散散步,看看春天是不是快要来临。

小兴安岭一年四季景色诱人,是一座美丽的大花园,也是一座巨大的宝库。




【注 釈】

【小兴安岭】 xiǎo xīng ān lǐng  小興安嶺 (しょうこうあんれい)
黒竜江省北部を北西から南東に走る山脈。長さ500km。最高峰は標高1429mの平頂山

【栎树】 lì shù  クヌギ。(=橡树  xiàng shù)
【连成一片】 lián chéng yí piàn  ひとつに連なる
【抽出新的枝条】 chōu chū xīn de zhī tiáo  新たに枝を出す。抽出 (=长出)

【嫩绿的叶子】 nèn lǜ de yè zi  柔らかい緑の葉
【汇成小溪】 huì chéng xiǎo xī  合流して渓流になる
【淙淙地流着】 cóng cóng de liú zhe  さらさらと流れる。
【随着流水往前淌】 suí zhe liú shuǐ wǎng qián tǎng   流れる水に従って進む。淌(=往下流)

【葱葱茏茏】 cōng cōng lóng lóng  青々と茂る
【封得严严实实的】 fēng de yán yán shí shí de   びっしりと隙間なく閉ざして
【千万缕】 qiān wàn lǚ  幾筋もの
【又香又脆的榛子】 yòu xiāng yòu cuì de zhēn zi   さくさくとおいしいハシバミの実

【又松又软】 yòu sōng yòu ruǎn  ふんわりと柔らかい。松(=不坚实 soft)
【紫貂】 zǐ diāo  〈動〉クロテン
【黑熊】 hēi xióng (=狗熊) 〈動〉ツキノワグマ

【靠秋天收藏在树洞里的松子】kào qiū tiān shōu cáng zài shù dòng lǐ de sōng zǐ
秋の内に木のほらにたくわえた松の実
「靠」は、依存を表す介詞
<用例> 我家靠丈夫的工资 gōng zī 维持 wéi chí 生活
(我が家は夫の給料で生活している)



【口語訳】

我が国の東北にある小興安嶺には、数えきれないベニマツ、シラカバ、クヌギがあり、幾百里も連なる一帯は、緑の海原のようです。

春、樹木は新しい枝を伸ばし、黄緑の若葉を生やします。
山の根雪が溶けて、雪どけ水が集まって小川となり、さらさらと流れます。
谷川は春の水で一杯になります。
小鹿は谷川の周りを散歩し、あるものは身を屈めて水を飲み、あるものは頭を傾けて自分の水面に映る影を眺めます。

夏、樹木は青々と茂り、密集した枝葉は森林を隙間なく包んで、人々の視線を阻み、真っ青な空を遮ります。
早朝、霧が谷合から上ってきて、森林全体が乳白色の濃霧に浸ります。
太陽が昇ると、千万すじもの鋭い剣のような金の光が、梢を貫き、労働者の宿舎の前の草原を照らします。
草原では各種の野の花が満開で、赤、白、黄色、紫のもの、本当に美しい大花壇のようです。

秋、シラカバとクヌギの葉は黄色に変わり、松や檜は更に青々となります。
秋風が吹くと、落ち葉は林の中を舞い飛びます。
この季節、森林は人々に甘酸っぱくて美味しい山葡萄、香りよくサクサクしたハシバミの実、新鮮で柔らかいキノコとキクラゲ、更には高麗人参などの貴重な薬材を提供します。

冬、雪が空中を舞い飛びます。
木の上には白雪が積もっています。
地上の雪はとても厚くて、粗く柔らかく、たびたび膝までもぐります。
西北の風はヒューヒューと梢を吹きすぎます。
クロテンやツキノワグマは自分の洞穴にもぐりこむしかありません。

クロテンはごちそうの野兎を一匹捕まえましたが、ツキノワグマは肥えて厚い自分の掌を舌で嘗めるしかありません。
リスは秋に木のうろに蓄えた松の実を頼りに日を過ごし、時には枝の上を散歩し、春がもうすぐやって来るかどうか確かめています。

小興安嶺は一年四季を通じて景色が人々を魅了し、それは美しく大きな花園の様で、またとても大きな (自然の) 宝庫でもあります。








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