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河南省概要 (http://wiki.chakuriki.net)


花木蘭祠 (はなもくらんし) (商丘市虞城 ぐじょう 県)

虞城県の県城南方35km、周荘村の南にある。

木蘭は本姓を魏といい、隋代の人。

女性であるが男装し、父の代わりに軍務について多々戦功をあげ凱旋。

皇帝が彼女を尚書 (大臣) に封じようとしたが受けず、帰郷を懇請したという。

正殿内は遠征する英姿さっそうとした木蘭の軍装の立像、父に代わって従軍、
作戦、凱旋して帰る彫塑の組み絵がある。


(河南省までの交通)

関西から直行便で鄭州新鄭国際空港(CGO)まで3時間。



1.少林寺がある。

少林寺には武術学校が併設され、敷地内では稽古に励むジャージ姿の拳法家で溢れている。

但し少林寺拳法の本部は日本にある。
(香川県、宗教法人金剛禅総本山少林寺)

2.洛陽には、世界遺産の龍門石窟がある。

3.中国古代文明発祥の地で殷周時代の都・安陽、後漢時代からの都・洛陽、北宋時代の都・開封の三大古都を擁する、
正真正銘の中華の地。

4.中国で 「民度最低省」 として認定。
無駄に人口多い。
人を見つければ金を吹っかけることしか考えない、などなど。

現に、北京市では就職活動の際 「河南省出身お断り」 とかあるらしい。
現に、広東省でも就職活動の際 「河南省出身お断り」 とかあるらしい。
中国で北にも南にも東にも属せず疎外されやすいらしい。

5.開封にはユダヤ人の末裔がいるらしい。

6.別に大阪の河南町とは何の関係もない。




城市の概要

鄭州

1.河南省都。
殷の時代からの歴史を誇るが、今のように繁栄しだしたのは20世紀。
鉄道の要衝となり、中共政府樹立後に洛陽に代わり河南省都となった。

2.少林寺拳法発祥の地。

3.さいたま市とは旧浦和市からの姉妹都市関係。
しかし大さいたま帝国で少林寺拳法が流行ったという話は聞かない。



略称
豫 yu


省都
鄭州 ていしゅう


位置
黄河の中下流に位置。
河北省、山西省、陝西省、湖北省、安徽省、山東省と隣接している。


面積
16万平方キロメートル。 (日本の面積の44%)


気候
亜熱帯と温帯の間に属し、年間平均気温は12.6℃から16.5℃。


人口
9,555万人。(2001年)


主な都市

鄭州 (ていしゅう) 市、南陽 (なんよう) 市、開封 (かいほう) 市、洛陽 (らくよう) 市、平頂山 (へいちょうざん) 市、
安陽 (あんよう) 市、濮陽 (ぼくよう) 市、新郷 (しんごう) 市、焦作 (しょうさく) 市、鶴壁 (かくへき) 市、
許昌 (きょしょう) 市、漯河 (らくが) 市、三門峡 (さんもんきょう) 市、商丘 (しょうきゅう) 市、
周口 (しゅうこう) 市、駐馬店 (ちゅうばてん) 市、信陽 (しんよう) 市、済源 (さいげん) 市。



概要

中部から東部は華北平原の南西部にあたり、西部は秦嶺山地の東部をなす伏牛山 (ふくぎゅうさん) 山脈、
外方山 (がいほうざん) 山脈などの山地である。

北部では黄河が黄土高原を出て、巨大な扇状地を形成して東流している。
黄河が分水界となっているために、右岸の河川は南東流して淮河に注いでおり、流域面積は省のニ分の一に及ぶ。

淮河流域の東部は、かつて黄河が河道変遷と氾濫を繰返していた地で、砂丘状の荒れ地やアルカリ土壌が広く分布する。
人民共和国成立後、淮河治水計画によって河道を改修し、堤防を建設し、ダムと遊水池を配置し、灌漑水路を引くなどの工事が行われた。


中華民族の発祥地と言われるように、数十万年前にはすでに人類が居住していた。

8000年前から5、6000年前に裴李崗 (はいりこう 新石器) 文化、仰韶 (ヤンシャオ) 文化、竜山文化が次々と出現している。
伝説では伏義、黄帝などもここを拠点としている。
夏王朝は嵩山、洛陽を中心とし、大禹 (たいう) の治水もこの場所。

殷商時代にもここには相当発達した文明が栄えていた。
安陽近郊の村、小屯で、殷代の遺跡 (殷墟) が見つかり、多くの甲骨文が発掘された。

春秋時代は宋国、衛国、鄭国に所属、秦時代に南陽郡を設置。
漢時代には豫州に所属、唐時代に河南道を設置、元時代になって河南行省を設置。
明代に、八府一州を設置して現在の省域が形成された。


食糧作物はコムギを中心に、トウモロコシ、コーリャン、芋類、豆類、水稲で、工芸作物としてはワタ、ゴマ、タバコ、ナンキンマメが多い。
西部の山地は木材、漢方薬材、柞蚕糸 (さくさんし) を産する。

地下資源は石炭が豊富で、焦作市、鶴壁市、平頂山市の炭鉱都市がある。
鉄、硫黄、石綿、石墨なども採掘されている。


主要都市には機械、紡織などの近代的な工場が立地し、鄭州市の綿紡織、洛陽市のトラクタが大規模である。
京広鉄道が通り、鄭州市で隴海 (ろうかい 連雲港-蘭州) 鉄道、
焦作市で焦枝 (焦作~湖北省宜昌市枝城鎮) 鉄道、太焦鉄道 (太原-焦作) が接続している。

特産物は、新鄭灰ナツメ、汴梁 (べんりょう) 西瓜、信陽毛尖茶、、新密寒羊皮、

禹州 (うしゅう) 陶器
、汝州 (じょしゅう) 陶器、開封刺繍、洛陽唐三彩、汴京ロースト・ダック、道口蒸し焼き鶏など。





観光スポット




鄭州市は、中原 (黄河中流域) の中心、黄河の南岸に開けた河南省の省都である。

古くから交通の要衝で、現在では中国の南北を結ぶ京広線 (北京-広州) と東西を結ぶ隴海線 (連雲港-蘭州) の二大鉄道路線、
そして中国の南北を結ぶ国道107号線と東西を結ぶ国道301号線がともに交わる中国の交通の枢軸となっている。

鄭州は黄河文明発祥の地としても有名で、市内には約3500年前の殷代の城壁跡も残っている。

市の人口は768万人。特産物は、草編み工芸品、玉石彫刻、桐の木の漆器など。
観光地は、嵩山少林寺、天地之中 (てんちのなか) 歴史建築群など。






① 嵩山少林寺 (すうざん しょうりんじ) (鄭州市登封) (世界遺産)

鄭州市登封にある中岳嵩山北麓にある寺院。

インドから中国に渡来した達磨による禅の発祥の地と伝えられ、中国禅の名刹である。

また少林武術の中心地としても世界的に有名。

伽藍は壮麗な七堂伽藍であり、北西には初祖庵 (しょそあん 達磨庵)、南西には二祖庵 (慧可 えか 庵) があり、五乳峰中には達磨洞がある。




李 連杰 (リー・リンチェイ、芸名:Jet Li)  [1963年-]

北京市出身の武術家、俳優。8歳から武術を学び、中国全国武術大会において5年5回連続で総合優勝を達成。
その身体能力を活かして1982年、『少林寺』 で映画デビュー。
1998年、ハリウッド映画にデビュー。 『キス・オブ・ザ・ドラゴン』 などに主演、世界的に有名なアクションスターとなった。





② 天地之中 (てんちのなか) 歴史建築群  (鄭州市登封)  (世界遺産)

「天地之中」 歴史建築群 (嵩山歴史建築群とも呼ばれる) は、河南省鄭州市登封にあり、太室闕 (たいしつけつ) と中岳廟、少室闕 (しょうしつけつ)、
啓母闕 (けいぼけつ)、嵩岳寺塔 (すうがくじどう)、少林寺建築群 (常住院、初祖庵、塔林)、会善寺、嵩陽書院、観星台など、
漢、魏、唐、宋、元、明、清時代に建てられた8ヶ所11件の歴史的建造物である。



(1) 太室闕 (たいしつけつ)

太室闕 は、中岳廟の前にある神道闕 (墓道の外に立てた石碑。左右2個あり、死者の姓名、官職を刻む) で、後漢安帝元初五年 (118年) に建てられたものである。

太室闕は石で建造され、東闕、西闕からなっている。

闕には曲芸、闘鶏、剣舞、鯀、楼閣、羊の頭、熊、カメ、トラなどの絵が刻まれている。

絵は質朴で、気勢は深く、古代の人々の芸術性の高さを表している。





(2) 中岳廟 (ちゅうがくびょう)

中岳廟は、太室山南麓の黄盖峰にあり、秦時代に建てられた。

前漢元封元年 (前110年) 武帝劉徹が嵩山を見物した時、祠宮を大規模に建造させた。

現存する廟の構造は明時代のもので、廟の大部分は清時代順治~乾隆年間に 「工部営造則例」 という作法によって改修されたものである。

中岳廟の敷地面積は117000平方メートルあまり、現存する中国五岳の中で規模が最大で、完全に保存された歴史的建築群である。

中岳廟にある現存する殿宇、楼閣、碑など建造物は高い歴史、芸術、科学的な価値を持っている。




(3) 少室闕 (しょうしつけつ)

少室闕は、少室山少姨廟前の神道闕で、後漢安帝延光二年 (123年) 前後に建てられた。

その構造は太室闕とほぼ同じである。

闕には宴会、剣術、猟などの絵がよく保存されている。







(4) 啓母闕 (けいぼけつ)

啓母闕は、啓母廟前の神道闕で、後漢安帝延光二年 (123年) に建てられ、太室闕、少室闕と共に 「中岳漢三闕」 と称される。

構造は太室闕と同じである。絵の内容は曲芸、幻術、龍などを含む。

啓母闕の銘文は三闕の中で保存状態が最も良い。

銘文は篆書で書かれ、字体が力強くて、高い文化的価値を持っている。





(5) 嵩岳寺塔 (すうがくじどう)

嵩岳寺塔は、嵩山南麓に位置し、北魏孝明帝正光年間 (520~525年) に建てられ、中国で現存する最も古いれんがの塔である。

塔は台座、塔身、塔刹からなり、平面が十二辺形の形である。

高さは36.78メートル。塔は煉瓦で建造られ、1490年を経っても堅固で巍然とそびえ立っている。

嵩岳寺塔は中国建築史上の典範とされている。




少林寺建築群 (常住院、初祖庵、塔林)


(6) 常住院

常住院は、少室山陰五乳峰に位置し、北魏太和十九年 (495年) 孝文帝期に建造された。

常住院の敷地面積は36000平方メートルで、院内に明、清時代の建物が沢山ある。






(7) 初祖庵  (しょそあん)

初祖庵、は宋時代の少林寺僧侶が仏教禅宗の開祖――菩提達磨を記念するために建造した建物で、
常住院西北の亀の背中の形をする丘にある。

庵には山門、大殿、千佛閣、大殿後ろの東側に聖公聖母亭、西側に面壁亭などの建物がある。

大殿は北宋時代に建造された建物で、他の建物は明、清以降に改修された。

また、庵内には宋、金以降の碑碣が40あまりある。




(8) 塔林

塔林は、少林寺院の西にあり、少林寺歴代高僧の墓地である。

この古塔は昂然としてそびえ立って、イメージはそれぞれ異なり、外見は空高くそびえる木のようで、勢いは密生する森林のようである。

塔林には唐、五代、宋、金、元、明、清7時代の古塔228がある。





(9) 会善寺 (かいぜんじ)

会善寺は、もともと北魏孝文帝が建造した離宮で、魏が滅亡した後に寺になった。

隋時代開皇年間 (585~600年) に会善寺という名に変えた。

会善寺は規模が大きく、高僧をたくさん輩出した。

五代後梁時代に一度廃棄された。宋開皇年間 (945-975年) 再度仏殿を修築した。

また、元、明、清時代にも改修。現在、寺には常住院、戒壇遺跡、古塔、碑碣がある。




(10) 嵩陽書院 (すうようしょいん)

嵩陽書院は、嵩山南麓の峻極峰に位置し、北魏太和八年 (484年) に建てられ、最初の名は嵩陽寺だった。

宋景祐二年 (1035年) 太室書院を改修後、嵩陽書院になった。

書院の敷地面積は9984平方メートル、建築配置は清時代の風格で、今までに残る清時代の建築は25である。

中軸線上の建物は南から北まで、順次に大門、先聖殿、講堂、道統祠、蔵書楼がある。

嵩陽書院は河南陽書院 (応天書院も呼ばれる)、湖南岳麓書院、江西白麓洞書院とともに中国四大書院と称される。




(11) 観星台 (かんせいだい)

観星台は登封市告成鎮の北側に位置し、周公測景台、周公廟とともに5550平方メートルの面積を占める。

観星台は元世祖至元十三年至十六年 (1267~1269年) に建てられ、中国で最も古い天文台であると同時に、
世界的にも天象を観測する最も早い建築物の一つである。










洛陽市は、北京の南西700km、河南省北西部にある古都で、紀元前771年の東周の都となって以来、後漢、北魏、隋、唐など9王朝の都となった地である。
黄河の南側に位置し、市街の中心部は黄河支流の洛河に沿っている。

市の人口は103万人。特産物は唐三彩と牡丹など。観光地は龍門石窟、関林など。







③ 龍門石窟 (洛陽市龍門文化旅游園区龍門村)  (世界遺産)

洛陽市の南12キロの所に位置し、敦煌の莫高窟、大同の雲岡石窟と並ぶ、中国三大石窟の一つである。

1キロに及ぶ岩肌に、10万体以上の仏像が刻まれている。

奉先寺石窟の本尊 「盧舎那仏 (るしゃなぶつ 高さ17m)」  は規模が最大で、仏像は神々しく、表情はおおらかで優雅である。

また、衣のヒダまではっきりと見える。日本の東大寺大仏の見本とされている。








④ 関林 (洛陽市関林南路2号)

洛陽市の南8kmにある三国志の英雄・関羽を祀る廟。

孫権に切られた関羽の首が曹操に送られ、曹操がここにその首を手厚く葬ったといわれており、
全国にある関帝廟の総本山となっている。

敷地の奥に首が埋められたとされる塚がある。

また、関羽所有の巨大で非常に重い刀も展示されている。






⑤ 殷墟  (安陽市) (世界遺産)

安陽市の西北郊、小屯村にある殷王朝後期の遺跡。

20世紀初めにこの地から出る甲骨に文字が発見され、1928年からの発掘調査でそれまで架空の存在だった 「殷」 の存在が確認された。

遺跡は東西6km、南北4kmに広がり、多数の甲骨や青銅器などの他、宮殿跡をはじめ多くの建物跡や墳墓も発見されている。

遺跡内には 「殷墟博物館」 がある。





河南省アラカルト






1. 唐三彩 (とうさんさい)

唐三彩は、唐時代に作られた軟質陶器で、黄色、緑、藍の三色で彩色されているので、「唐三彩」 と言う。

器形には盤、水瓶、壺のほか人物やらくだ、馬などを表わしたものがある。

文様は型押し、彫り、貼花による。多くは墓に副葬する明器 (めいき) として作られた。

この陶器は、奈良三彩 (「正倉院三彩」 など)、ペルシア三彩などに影響を与えた。







2. 官渡古戦場 (鄭州市中牟 ちゅうぼう 県官渡鎮) (三国志)

官渡 県城東北2.5kmの官渡橋村にあり、後漢代に曹操と袁紹が天下分け目の戦いを繰り広げた 「官渡の戦い」 の場所。

曹操の守った官渡城跡にある曹操の像がいくつか存在するが展示館などは閉鎖している。

曹操が馬をつないだとされる木などもある。近くには官渡寺があり関羽を祀る。


曹操騎馬像 (官渡古戦場)









3. 林冲 (りんちゅう) (水滸伝-林冲 vs 魯智深 Dailymotion)





あだ名は、豹子頭 (ひょうしとう)。 東京 (現在の開封市) 出身。

豪傑たちの中で一番最初に梁山泊入りし、初期の梁山泊で最も活躍する大豪傑である。

もともと八十万禁軍 (近衛兵) の槍棒の師範としてよく知られた存在。

ところが、悪役高俅 (こうきゅう) が彼を罪人として流刑にしたあげく、刺客を送って彼の命を狙わせた。

このために林冲はやむなく殺人を犯し、梁山泊へ逃れる。

こうして、林冲が加わったことで、古くからある梁山泊がまったく別な梁山泊へと変わりはじめ、やがて百八星が集う豪傑たちの巣窟となるのである。









4. 杜子春 (芥川龍之介)

ある年の春のたそがれ。

唐の京城洛陽の西門の下、ある若者がぼんやりと空を仰いでいる。

若者の名は杜子春という。

もともと富豪の息子だったが、財産を使い尽くしてしまい、今はその日暮らしの食うや食わずの身分におちぶれてしまっていた。

当時の洛陽は、繁盛をきわめた天下に並ぶもののない都だったから、大通りは車馬や人の往来が盛んで、にぎやかにごったがえしていた。


いにしえの都・洛陽を舞台にした芥川龍之介の作品は、中唐の作家、李復言 (775‐833) の唐代伝奇物語 「杜子春伝」 を底本としている。






「杜子春」 芥川龙之介    
         

春天的一个傍晚。时值大唐年间,京城洛阳西门下,有个年轻后生仰望长空,正自出神。
那后生名叫杜子春,本是财主之子,如今家财荡尽,无以度日,景况堪怜。

且说当年洛阳乃是繁华至极、天下无双的都城,街上车水马龙,络绎不绝。
夕阳西下,将城门照得油光锃亮。

这当口,有位老者头戴纱帽,耳挂土耳其女式金耳环,白马身配彩绦缰绳,走动不休,那情景真是美得如画。
这杜子春,身子依旧靠在门洞墙上,只管呆呆望着天。
天空里,晚霞缥缈,一弯新月,淡如爪痕。

“天色已黑,肚中又饥,不论投奔哪里,看来都无人收留——与其这样活着发愁,还不如投河,一了百了,或许更加痛快也难说。”
杜子春独自一直这样胡思乱想,没个头绪。

这时,不知从哪儿走来一位独眼老人,忽然站在他面前。
夕阳下,老人的身影,大大地映在城门上,目不转睛瞧着杜子春,倨傲地问道:

“郎君在此想什么呐?”
“我吗?我在想,今晚无处栖身,正不知如何是好。”

老人问得突兀,杜子春不觉低眉下眼,如实回答。
“是吗?可怜见的。”

老者沉吟片刻,指着照在大路上的夕阳说:
“待我教你个好法子吧。
你立刻去站在夕阳下,直到影子映到地上,等半夜时分,将影子的头部挖开,必有满满一车黄金可得。”

“当真?” 杜子春吃了一惊,抬起眼睛。
更奇怪的是,那老人已不知去向,周围连个影儿都没有。
只有天上的月亮比方才更白,还有两三只性急的蝙蝠,在川流不息的行人头上飞来飞去。






【注 釈】

【杜子春】 dù zǐ chūn  「杜子春」 (とししゅん)
芥川龍之介作。1920年 (大正9年) 雑誌 「赤い鳥」に発表。中国の古典、「杜子春伝」を童話化したもの。
杜子春が華山で仙術の修行をするが、愛の試練に耐えられず仙人となるのに失敗する話。

【芥川龙之介】 jiè chuān lóng zhī jiè 
「芥川龍之介」 (あくたがわりゅうのすけ) (1892~1927) 小説家。東京生れ。東大卒。
夏目漱石門下。菊池寛・久米正雄らと 「新思潮」 を刊行。「鼻」 「芋粥」 で注目された。
著作 「羅生門」 「地獄変」 「偸盗」 「河童」 「歯車」 「或阿呆の一生」など。1927年、自殺。

【时值大唐年间】 shí zhí dà táng nián jiān  時まさに唐朝の時代

【洛阳】 luò yang  洛陽 (らくよう)
中国河南省の都市。東周の平王の時代、鎬京 (長安) より都が移され洛邑と称した。
以後、後漢・晋・北魏・隋・後唐の都となり、今日も白馬寺・竜門石窟など旧跡が多い。

【年轻后生】 nián qīng hòu shēng  若者
【无以度日】 wú yǐ dù rì  その日の暮しにも困る
【景况堪怜】 jǐng kuàng kān lián  哀れな身分になる

【且说】 qiě shuō さて
【车水马龙】 chē shuǐ mǎ lóng  車馬の往来が盛ん

【络绎不绝】 luò yì bù jué  往来が継続して絶えない
【油光锃亮】 yóu guāng zèng liàng  ぴかぴかに輝く
【当口】 dāng kǒu  ちょうどその時

【头戴纱帽】 tóu dài shā mào  ラシャ (羅紗 raxa )の帽子を被った
羊毛の織物。厚地で保温性も高いため、外套や乗馬ズボン、帽子などに用いられる。

【耳挂土耳】 ěr guà tǔ ěr  土耳古(トルコ)の耳環をつけた
【彩绦缰绳】 cǎi tāo jiāng shéng  五彩の馬の手綱
【晚霞缥缈】 wǎn xiá piāo miǎo  うっすらとした夕焼け

【淡如爪痕】 dàn rú zhuǎ hén  爪の痕が微かに見える
【一了百了】 yì liǎo bǎi liǎo  何もかも終わりになる

【或许~也难说】 ひょっとしたら~かも知れない
【没个头绪】 méi gè tóu  とりとめがつかない

【目不转睛】 mù bù zhuǎn jīng  まばたきもせずに見つめる
【郎君】 láng jūn  若者
【倨傲】 jù ào  横柄に

【问得突兀】 wèn de tū wù  唐突に問う
【待】 dài   どれ。さてと。それでは。(感嘆詞)
【川流不息】 chuān liú bù xī  ひっきりなしに





【口語訳】


ある春のたそがれ時。
唐の京城洛陽の西門の下、ある若者がぼんやりと空を仰いでいる。

若者の名は杜子春という。もともと富豪の息子だったが、財産を使い尽くしてしまい、
今はその日暮らしの食うや食わずの身分におちぶれてしまっていた。

当時の洛陽は、繁盛をきわめた天下に並ぶもののない都だったから、
大通りは車馬や人の往来が盛んで、にぎやかにごったがえしていた。

西門に照り映える、油のようにつややかな夕日の中に、老人のかぶった羅沙(らしゃ)の帽子や、
トルコ女の金のイヤリングや、白馬に彩られた玉糸の手綱 (たずな)が、
絶えず流れ動く光景はあたかも一幅の絵のように美しかった。

しかし、杜子春は相変わらず体を西門の壁の上にもたれ、ぼうぜんと空をながめている。
空にはまるで爪の痕跡のような細長い月が、ゆらゆらと漂う霧の中にかすかに白く浮かんでいた。

「日は暮れるし、腹もへるし、それにどこへ行こうと、今晩身を落ち着ける場所はみつからないだろう。
…… こんなつらい生活を続けるより、いっそ川に身を投げて、すべて終わりにしてしまったほうがましかもしれない。」

杜子春は、さきほどからずっとこんなとりとめもないことを思いめぐらせていた。
すると一体どこから立ちあらわれたのか、片目の老人が彼の前に足をとめた。

老人は夕日の残光を浴びて、その長い影を城門の上に刻みながら、杜子春の顔をじっと見つめている。
「おまえは何を考えているのだ?」 老人は横柄にたずねた。

「私ですか? 私は今晩寝るところがないので、どうしたものかと考えているのです。」
老人がいかにも唐突にたずねたため、杜子春は思わず眼をふせて、正直に答えた。

「なるほど。それではあまりに可哀そうだな。」
老人はしばらく考えたあと、手を伸ばして大通りに照り映える夕日の残光を指して言った:

「それではおまえによい事を教えてやろう。
夕日の中に立って、おまえの影が地に照らされたら、夜半に影の頭の部分を掘ってみるとよい。
きっとそこには車いっぱいの黄金が埋まっているはずだ。」

「本当ですか?」
それを聞いて杜子春は大いに驚き、しばらくふせていた眼を挙げた。

不思議なことに、その老人はすでに消え失せていて、あたりには彼の影も形も見当たらない。

ただ上空にかかっている月が、さきほどに比べなお白くかがやき、往来の絶えない通りの上には、
もう気の早いコウモリが二、三匹ひらひらと飛び舞っているだけであった。













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