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湖南省概要 (http://wiki.chakuriki.net)
トウチャ (土家) 族 (湖南省)
(湖南省までの交通)
成田から上海虹橋国際空港(SHA)まで3時間。
上海から長沙黄花国際空港(CSX)まで2時間。
1.湖南省は長江の中流、洞庭湖の南にあるため湖南と呼ばれる。
2.洞庭湖は養殖漁業の漁場として有名で、
その付近は全国有数の 『魚米の郷』 と呼ばれる富裕な地。
米のほかにも茶油、茶、柑橘類、桐油などの生産が盛ん。
また非鉄金属の埋蔵量も多い。
3.毛沢東の 「聖地」 が沢山ある。
中国共産党の農民運動と蜂起がここで行われた。
毛沢東・劉少奇・胡耀邦はじめ中国共産党の指導者を数多く生んだ地として有名。
毛沢東の故郷・韶山 (しょうざん) は革命の聖地となっている。
4.春秋時代は楚国 (四面楚歌の楚) に属していた。
その後秦の始皇帝が中国を統一し、長沙・黔中 (けんちゅう) の2郡を設けた。
4.ユネスコ世界遺産の武陵源。
柱のような巨大な岩山がボコボコ生えている。
国立公園の歩道には少林寺の修行場のように長短さまざまの細い丸太が立ち並んでいるが、石柱を見ながら丸太の上を歩くのは危険だしほぼ不可能。
5.湖南料理は辛い。やたら辛い。
毛沢東は湖南料理に使う唐辛子が大好きで、「唐辛子を食わないと革命家になれない」 とよく言っていたそうな。
6.女の子の背が小さい。
城市の概要
長沙
1.湖南省都。毛沢東ゆかりの地でもあり、その歴史は3000年に及ぶ。
湖南料理はひたすら辛い。素材が何であるかにかかわらず、トウガラシの味しかしないような気がする。
2.さりげなく鹿児島市と友好都市関係。
3.国防科学技術大学で2000年に開発された二足歩行ロボットは、その全貌が発表されるやたちまち全世界を震撼させた。
あんまり詳しく書くと中華キャノン撃たれるぞ。
4.実は平和堂がある。 しかも7階建て。 偶然にも滋賀に同じ名前の市がある。
5.漢時代は荊州に所属し、『長沙馬王堆漢墓』 の発掘により前漢時代に高度な文明が築かれていたことが証明された。
6.1972年、長沙近郊の 『馬王堆(まおうたい)古墳』 で2000年前の大公夫人のミイラと副葬品が発見され、世界を驚かせた。
略称
湘 xiang
省都
長沙 ちょうさ
位置
洞庭湖の南に位置。
面積
21万平方キロメートル。 (東京都とほぼ同じ)
気候
大陸型中亜熱帯モンスーン湿潤気候に属し、年間平均気温は16℃から18℃。
四季の気温の変化が激しく、冬は寒く、夏は蒸し暑い。
春と夏は雨が多く、秋と冬は乾燥している。
人口
約6,355万人。
土家、苗、トン、瑶、回、ウイグル、チワン族などの少数民族が住んでいる。
主な都市
長沙 (ちょうさ) 市、湘潭 (しょうたん) 市、懐化 (かいか) 市、永州 (えいしゅう) 市、
邵陽 (しょうよう )市、郴州 (ちんしゅう) 市、常徳 (じょうとく) 市、衡陽 (こうよう) 市、
岳陽 (がくよう) 市、益陽 (えきよう) 市、株洲 (しゅしゅう) 市、張家界 (ちょうかかい) 市、
婁底 (ろうてい) 市、湘西 (しょうせい) トゥチャ族ミャオ族自治州。
概要
長江中下流に位置し、洞庭湖 (中国三大湖の一) の南に広がるため、湖南と呼ばれる。
また省内を南から北へと流れる湘江にちなみ 「湘」 と略称される。
東 (羅霄山 らしょう)、南 (南嶺)、西部 (武陵山) の三方を山地に囲まれ、北部は洞庭湖平原、中部は丘陵地帯、盆地となっている。
主な河川は長江で、湖南省内を貫く河川は洞庭湖を経て長江に流入する。
洞庭湖に入る 「四大河川」 (四水) には、湘江、資江、沅江 (げんこう)、澧水 (れいすい) がある。
その他の河川には、汨羅江 (べきらこう) や、湘江の支流・瀟水 (しょうすい) などがあり、いずれも水運に利用されている。
春秋戦国時代には楚国の一部で、漢代には荊州に属した。
唐代に湖南観察使が置かれ、「湖南」 の名称が初めて使われるようになった。
元代の湖南行省を経て清代に現在の湖南省と呼ばれるようになった。
19世紀半ばの太平天国の乱では、同省出身の曽国藩が湘軍を率いて鎮圧に活躍した。
曽国藩だけでなく、清末の諸改革において譚嗣同 (たんしどう) や唐才常 (とうさいじょう) などの人材を輩出し、
二十世紀には中国共産党の中心となる毛沢東、劉少奇、胡耀邦などを輩出した。
水稲生産が盛んで、中国の主要な米産地である。
湖南の農業は種類が多く、全国でも水稲・油菜・麻・茶・柑橘・豚・竹などの主要な生産地として知られている。
農業特産品としては、湖南キウイ・フルーツ、雪峰蜜橘 (みつきつ ミカン)、湘蓮 (レンコン)、
瀏陽 (りょうよう) の浜納豆、金柑 (キンカン)、君山銀針茶、大庸毛尖茶 (だいようもうせんちゃ)、杜仲茶、
張家界の葛根湯、岩茸、わらび粉 (三宝一絶)、湘南辰杉、寧郷 (ねいきょう) 豚、湘黄鶏、淑浦 (しゅくうら) ガチョウなどが有名。
「有色金属の郷」 として知られ、全世界のアンチモン (活字合金や半導体で用いる) の貯蔵量の70%を占めている。
冷水江の錫鉱・アンチモン鉱や水口山の鉛鉱・亜鉛鉱などが全国的にも有名。
株洲が湖南有色金属冶金の中心地となっている。
工業では株洲の電気車両、湘潭の鉱山機械、長沙の電力機械などが知られる。
伝統工芸では、長沙の刺繍、醴陵 (れいりょう) の焼物、瀏陽 (りょうよう) の麻布、菊花石彫、
益陽の竹製品、洞庭湖の真珠、銅官の陶器などが全国でも名が知られている。
観光スポット
長沙市は、長江や洞庭湖の南岸に位置する湖南省の省都である。
春秋戦国時代には楚国に属し、漢代には長沙国がおかれた。
隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展し、中華民国が成立すると1933年に長沙市と改称、湖南省の省都とされ現在に至っている。
古い歴史をもつ国家歴史文化名城であり、温暖な気候、水資源に恵まれ、中国屈指の穀倉地帯の中心都市でもある。
また毛沢東が青年時代を過した地であり、第一師範学校跡、共産党湘区委員会跡など、市内にはその活動を偲ぶ旧跡が多い。
市の人口は661万人。
特産品は、湖南刺繍品 (湘繍)、羽毛製品、湘蓮 (しょうれん レンコン)、朱みかん、トウガラシ油など。
観光地は、岳麓山、岳麓書院など。
① 岳麓山 (長沙市岳麓区登高路58号)
岳麓山は湘江の西岸に広がる景勝エリア。
中国五岳のひとつ、衡山の山麓という意味で岳麓と呼ばれる。
最高地点は海抜 300.8m。
最大の特徴は、儒教、道教、仏教が共存していること。
麓には儒教関連の岳麓書院 (北宋期創建)、山腹には仏教寺院である麓山寺 (西晋期創建)、
山頂には道教寺院の曇麓宮 (たんろくぐう 明代創建) がある。
また、中国四大名亭のひとつに挙げられる愛晩亭も有名だ。
② 岳麓書院 (長沙市岳麓区麓山路273号)
岳麓山の東岳に位置し、中国四大書院の一つに数えられる。
976年 (北宋の開宝9年) にときの潭州 (たんしゅう) 太守朱洞が創建した学問機関で、千年学府と呼ばれている。
南宋の理学者、張拭 (ちょうしょく) と朱熹がここで講義を行ったことは有名。
敷地内には講堂、御書楼、大成殿などがあるが、現存するものは明清代に健立されたものが多い。
北側には孔子を祀った文廟もあり、入口にかかっている 「惟楚有材、于斯為盛」
(ただ楚に材あれば、これにて盛となす) という対聯のとおり、
特に清末には、曾国藩 (そうこくはん)、左宗棠 (さそうとう)、陳天華など中国近代史に足跡を印した著名人が輩出した。
③ 洞庭湖 (岳陽市)
岳陽楼の下を流れる洞庭湖は、面積2820平方キロ。(びわ湖の約4倍)
現在の湖の面積は以前の半分になってしまったが、中国で二番目に大きい淡水湖として有名である。
ちなみに、第1位は、江西省のポーヤン湖 (鄱陽湖 はようこ) 3210平方キロ。
塩水湖では、青海省の青海湖 4200平方キロ。
洞庭湖の美しさは、古来より多くの文人・詩人に賛美されてきた。
湖に浮かぶ島、君山 (くんざん) で産出される茶葉、君山銀針は高級品として知られている。
④ 岳陽楼 (岳陽市洞庭北路)
岳陽楼は、洞庭湖畔に位置し、北に長江の流れを望むことができる。
高さ21.35メートルで、主楼は三層、くぎが一つも使用されていない。
武漢の黄鶴楼、南昌の滕王閣 (とうおうかく) と並び 「江南三大名楼」 の一つである。
伝わるところによると、岳陽楼の前身は、三国時代で、東呉の大将魯粛が水軍を訓練する軍楼として建設。
唐代に岳陽楼という名前が付けられた。
風光明媚な場所にあることから、歴代、文人墨客が訪れ、多くの文学作品を残している。
中でも宋代の 「岳陽楼記」 が有名で、散文の中に洞庭湖一帯の美しい風景が描写されている。
唐代には、大詩人の李白、杜甫、白居易などの詩人もここで詩を詠んだ。
⑤ 武陵源 (張家界市) (世界遺産)
総面積2万6千ヘクタール以上の広大な自然公園。
高さ200メートルを超える巨大な岩の柱が3100本以上も林立する絶景が望める。
そそり立つ奇岩の峰々の下には清らかな渓流が流れ、豊かな森林が広がる。
地下には40もの洞窟があり、まさに仙境、山水画の世界。
この山深い秘境には、少数民族のトウチャ (土家) 族が暮らしている。
⑥ 鳳凰古城 (湘西土家族苗族自治州鳳凰県)
昔ながらの町並みを今も残しており、中国で最も美しい街の一つと称讃されている鳳凰古城。
そこには春秋戦国時代から清代に至るまで、軍事政治の中心として繁栄した当時の風景がほぼ完全な形で残っている。
ここはかつてニュージーランドの著名作家アイリー氏が 「中国で最も美しい小城」 と称賛したことでも知られている。
「吊脚楼 (ちょうきゃくろう)」 は、川に杭を打ち、その上に地形に合わせて住居を構える建築様式。
水面に吊り下がっているように見え、まるで空中に浮いているかのように思わされる。
鳳凰古城の城壁に沿って、ゆっくりと流れる一つの川がある。
この川は 「沱江 (だこう) 河」 と呼ばれ、この古城の母親のように見守っている。
⑦ 莨山丹霞 (ろうざんたんか) (邵陽市新寧県) (世界遺産)
中国では、「丹霞 (たんか) 地形」 という地理用語は、特別な地形的特徴と独特な赤色を持つ地形景観で、
「薔薇色の雲」 あるいは 「朱色の霞」 のようなものを指している。
「中国丹霞地形」 は湖南省の莨山 (ろうざん)、広東省の丹霞山、福建省の泰寧、江西省の竜虎山 (亀峰を含む)、
貴州省の赤水 (せきすい)、浙江省の江郎山などで、中国南方の湿潤地域にある。
6カ所とも有名な丹霞地形の観光地区になっている。
2010年8月、6カ所の丹霞地形を一組として、世界自然遺産に登録された。
莨山 (桂林資源八角寨と莨山) は丹霞地形の壮年期早期の代表である。
「丹霞地形」 の命名者である陳国達氏に 「丹霞の魂、国の宝物」 と評価された。
莨山の丹霞地形は多種多様で、高さ、険しさ、深さ、長さ、狭さが一体的に揃っている。
生き生きとした将軍石、真に迫る駱駝峰や辣椒峰、さらにたくさん特有な螺の形をした地形、まるで 「クジラが群れている」 ような地形があり、非常に壮観である。
湖南省アラカルト
1. トゥチャ族民謡 「美麗的西蘭卡普」 (北京中央電視台 中国民歌 2012仙居恩施)
西兰卡普哟 西兰卡普哟 美丽的西兰卡普哟
你可见过吊脚楼里的西兰卡普哟 你可听过山歌里唱的西兰卡普哟
你可看过篝火边跳的西兰卡普哟 你可想过清江河畔的西兰卡普哟 哟喂
她是幺妹头上的一弯彩虹 她是幺妹心中的一片相思林
她是幺妹梦中的一只火凤凰 她是幺妹脸上的一朵羞红的云
她是茶叶飘香的咸丰古韵 她是口口相传的美人王眧君
她是代代不变的丰收摆手舞 她是土家山寨的灿烂民族魂
トゥチャ族は湖南省を中心に、いくつかの自治州を形成し、標高1000mの空中田園に暮らす。
紀元前の春秋戦国時代、戦乱から逃れ山深くに独自の社会と文化を築いたが、早くから漢族の影響も受け、
人口に対して、独自の言語を話す人の割合が非常に少ない民族である。
トゥチャ族の民芸品として有名なのが、「西蘭卡普 (花模様を施した布団)」 と呼ばれる絹織物。
その名の通り、花模様を散りばめた図柄が特徴的だが、この織物を生み出した少女の物語が伝わる。
昔、西蘭という娘がいた。西蘭は機織りの技術では右に出る者がなく、花を愛していた。
日々山を歩いては花を摘み取り、家へ戻って機織機のそばに挿すと、その花の模様を次々と織り込んだ。
その花は実に色鮮やかで、蝶や蜜蜂が止まるほどだった。
ある日西蘭は、村の老婆にこう尋ねた。
『おばあさん、村中の花を織り終えてしまったの。この世にほかに花はないのかしら』
『百果花という、夜にしか咲かない花がある。夜、山へ行って、花が咲くのを待ってごらん』
西蘭は言われた通り、夜ごと外へ出ては百果花の樹の下に座り、開花を待った。
ある夜、とうとう咲いた百果花を手にし、うっとりする西蘭だった。
しかし、男と逢引きしていたと誤解した父が現れ西蘭を棒で殴りつけた。
それがもとで西蘭は、百果花の樹の下で息を引き取るのだった。
トゥチャ族の少女たちは、自分の婚礼道具の1つとして、幼い頃から機織りを学ぶ。
この一帯を歩けば、西蘭の愛した花模様が施された西蘭卡普を身に着けた姿を見ることができるだろう。
2. 毛沢東 (もうたくとう) [1893-1976]
政治家・思想家。湖南省湘潭 (しょうたん) 県韶山 (しょうざん) 村出身。
1919年、湖南省立第一師範学校を卒業後、北京へ上京。
北京大学図書館にて司書補として勤務のかたわら、
館長の李大釗からマルクス主義思想の影響を受ける。
1921年、中国共産党創立大会 (上海) に湖南代表として参加。
以後,地元湖南で農民運動に専念し、土地改革の必要性を説く。
1926年、広州農民運動講習所長に就任。
1927年、秋収暴動を指導して失敗し、井岡山 (江西省) に退き根拠地とした。
1931年、瑞金を首都として臨時政府、中華ソビエト共和国を樹立、その主席となる。
1934年、国民党軍の度重なる攻撃によって江西ソビエトを手放し、延安 (陝西省)
まで約一万二千キロもの道のりを敗走する。(長征)
1937年、共産党の指導者となり国民党政府と協力、日本軍と対峙する。
1945年、日本の降伏後は、国民党軍と内戦となり、人民解放軍を率いて戦う。
1949年、国民党政府の根拠地・首都南京を制圧後、天安門にて中華人民共和国
の建国を宣言、初代国家主席となる。
著作に「新民主主義論」「連合政府論」「矛盾論」「実践論」など。
青年毛沢東像 長沙市岳麓区橘子洲 (きっししゅう) (高さ32m 重さ 2000トン)
3. 桃源郷 (常徳市桃源県)
東晋の詩人陶潜 (365~427) の詩に、穴をくぐって行ったところ、桃源郷に出たというくだりがある。
陶潜は、湖南の山奥に世から隔絶された豊かな村があると 「桃花源記」 に記している。
この事から、中国では理想郷を 「桃源郷」 と呼ぶようになった。
常徳市の郊外、桃源県の 「桃花源」 という村が、桃源郷のモデルとされている。
ここは桃の花が咲きほこる美しい公園で、桃源郷が本当に存在するような気になってくる。
「桃花源記」
晋の太元年間、武陵の地に漁師の男がいた。
ある日、山奥へ谷川に沿って船を漕いで遡って行った。
突如、桃の木だけが生え、桃の花が一面に咲き乱れる林が両岸に広がった。
その香り、美しさ、花びらが舞う様子に心を魅かれた。
男は、その水源を探ろうと、さらに桃の花の中を遡り、ついにその水源に行き当たった。
そこは山になっていて、山腹に人が一人通り抜けられるかどうかの穴があった。
その穴の奥から光が見えたので、男は穴の中に入っていった。
穴を抜けると、驚いたことに山の反対側は広い平野になっていたのだ。
そこは家も田畑も池も、桑畑もみな立派で美しいところだった。
行き交う人々は異国人のような装いで、みな微笑みを絶やさず働いていた。
人々は漁師を温かく迎えてくれたので、夢のような日々を過ごした。
この村の人たちの話では、「秦の時代に乱を逃れて、一族郎党を率いてこの地にやってきた。
それ以来ここから外へ出たことがなく、外の世界とは断絶して暮らしてきた。
今がどんな時代かも知らない」 という。
その後、漢の時代があったことも知らなければ、魏や晋のことも何も知らなかった。
漁師がその後のことを聞かせてやると、みな一様に驚くばかりだった。
男は、数日間、村の家々を回り、いよいよ自分の家に帰ることにして別れを告げた。
村人たちは 「ここのことはあまり外の世界では話さないでほしい」 と言って男を見送った。
穴から出た男は自分の船を見つけ、目印をつけながら川を下って家に戻った。
自分の村に帰った漁師は、あの美しい平和な村のことをどうしても忘れることができない。
そしてとうとう、友だちと酒を飲みながら、ついあの村のことをしゃべってしまった。
するとその友だちが次々としゃべってしまい、桃源郷のうわさは、役人にまで知られてしまったのである。
役人は 「お前は桃源郷という所に行ったそうだな。私達もそこに案内しろ!」 と要求した。
役人は捜索隊を出し、漁師の目印を手掛かりに川を遡ったが、ついにあの村の入り口である水源も桃の林も見付けることはできなかった。
中国語講座 「継ぎ当て」
补丁
毛主席生活非常俭朴,他的衣服袜子很多都打了补丁。刚进北京的时候,毛主席住在香山。
有一天,他要接见一位客人。警卫员找了又找,也找不到一条不带补丁的裤子。
毛主席说;有补丁不要紧,整齐干净就行。他穿着带补丁的裤子接见了那位客人。
新中国成立以候,毛主席的生活仍然很俭朴。
每次接见外宾,警卫员总要提醒他,坐沙发的时候要把腿收回来。
因为他的袜子大多是补过的,往外伸腿,袜子上的补丁就会露出来。
警卫员多次提出,要给毛主席添置一些衣物。
毛主席说,国家还穷,不能开浪费的头。没条件讲究的时候不讲究,这一条好做到;
有条件讲究的时候不讲究,这一条难做到。共产党人就是要做难做的事。
【注 釈】
【毛主席】 máo zhǔ xí 毛泽东 máo zédōng 主席
毛沢東 (もうたくとう) [1893-1976]
政治家・思想家。湖南省出身。
【俭朴】 jiǎn pǔ 質素である。
【袜子】 wà zi 靴下。
【补丁】 bǔ ding (布地のやぶれに当てる)継ぎ。
【香山】 xiāng shān 北京市の西郊外区に位置する山林公園。
主峰の 「鬼見愁」 は海抜は557メートル。紅葉の名所。
【裤子】 kù zi ズボン。
【不要紧】 bú yào jǐn かまわない。差し支えない。
【整齐干净】 hěng qí gān jìng 清潔できちんとしている。
【添置】 tiān zhì 買い入れる。購入する。
添置(=在原有的基础上再购置。购买)
<用例> 添置一套设备。(設備を増設する)
【开浪费的头】 kāi làng fèi de tóu 率先して浪費する。
【没条件讲究的时候不讲究】 讲究 (=享受)
méi tiáo jiàn jiǎng jiū de shí hou bù jiǎng jiū
享受する条件が無い時 (生活の余裕がない時) は倹約する。
【好做到】 hǎo zuò dào 実行しやすい。
「好」は、動作が容易に出来る意を表す助動詞。
<用例> 这只笔很好使。(このペンは使いやすい)
【有条件讲究的时候不讲究】 条件 (=经济条件)
yǒu tiáo jiàn jiǎng jiū de shí hou bù jiǎng jiū
経済的に余裕ができた時も倹約を心がける。
【口語訳】
毛主席はとても質素に暮らしている。衣服も靴下も継ぎ当てだらけだ。
北京にいた頃、毛主席は香山に住んでいた。
ある日、彼は来客と会うことになった。
警備員は、継ぎ当ての無いズボンを探したけれども、どうしても見つからない。
「継ぎ当てがあってもかまわんよ。清潔できちんとしていればそれでよい」 毛主席はこう言った。
彼は継ぎ当てのついたズボンはいてその客と会った。
新中国になっても、毛主席は相変わらず、地味な生活を送っていた。
外国からの客に会うたびに、警備員は、毛主席に足をそろえてソファに座るよう注意をうながしている。
靴下のあちこちに継ぎ当てがあるので、足を伸ばすと、継ぎ当てが露わになってしまうからだ。
警備員は、毛主席にいくらかの衣服と身の回り品を買い入れるよう何度も忠告するのだった。
「国家はまだまだ貧しい。決して浪費するくせをつけてはならない」 と、毛主席は言う。
「生活に余裕が無いときには倹約する。これは誰にでもできることだ。
経済的に余裕ができた時も倹約を心がける。これはなかなか容易にはできないことだ。
この容易にはできないことをあえてやる、それが共産党員の生き方だよ」
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