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江蘇省概要 (http://wiki.chakuriki.net)


唐城 / 水滸城 / 三国城 (無錫市濱湖区)

中国の国営テレビ局 「中央電視台」 の撮影基地。

「三国志」 や 「水滸伝」 などの撮影が行われたところで、
テーマパークのようにして現在もロケの再現などを見ることができる。

太湖に面した観光地であり、「三国志」 に出てくる呉の軍用船を模した
遊覧船での太湖めぐりもできる。


(江蘇省までの交通)

成田から直行便で南京禄口国際空港(NKG)まで3時間。



城市の概要

南京
1.日本では南京が有名だがそれが江蘇省ということはあまり知られていない。

2.南京大虐殺記念館に半そで短パン便所スリッパで入場しようとすると門前払いを喰らう。

日本語で言う虐殺は中国では屠殺という。
おそらく自虐的な意図ではない。

3.運河がいっぱい。

4.太湖へ観光に行って 『太湖には何がある?』 と聞くと 『水はいっぱいある』 と答えるらしい。

5.すずめを一羽捕まえても料理しないが、蛇を一匹捕まえたら料理する。

6.宜興市 (無錫市) の歩行者用の信号機は青になると足が動く。

7.人口比で統計を取ると、日本よりも犯罪が少ないらしい。

8.江蘇省内で方言の差が激しい。

上海・蘇州・無錫・南京で結構違う。
南京は中華民国時代に首都だっただけあって呉方言の上海語より北京官話に近いらしい。

9.当たり前だが反日感情が強い地域。
結構旅行には注意が必要。

江蘇省全体では地域によって反日表示が違う。
反日感情が強烈なところとポーズであるところの温度差がある。

無錫・蘇州とか上海寄りの町はは基本危なくない。
不用意なこと以外云わなければ全然大丈夫。

10.江蘇省は南京のほかに蘇州市があり、近年蘇州市は国全体の貿易額の多いほうから4番目の都市になった。

11.江蘇省北部に国家級5つ星と呼ばれる最高ランクの港が建設中 (2009年ごろから) で河でなく海に面しているため輸送に有利。

また同地域は近隣に工業区、教育区、住居区、商業区のほか、空港を建設中または計画。 連雲港のことかなあ?
実はシルクロードの大陸部分の終点は連雲港。

12.江蘇省には日本人が一万人程度長期滞在している。

13.日本車最大手企業の研究所が江蘇省に出来たが、これが引き金となってごく短い間に周辺地区にモラルや品位の急激な低下をもたらしており影響が懸念される。
14.海抜差が少なく水の流れは悪い。大雨などでも水位が簡単に上昇、暫く下がらない。 逆に水がないと藻が沸く。

15.大気汚染が深刻化してきている。
別の地域から流れ込んだものかそうでないかは不明。雨が降らないと青空を見ることは非常に少ない。

16.中国版新幹線が出来た。上海から南京方面と北京方面の2路線が地域を走る。
これに伴い普通列車が高速鉄道へ大幅に置き換えられた。

ただ値段は在来線の2-3倍 (上海―無錫なら在来線は20元、高鉄は60元) なので、嫌われている。
「貧乏人は緑皮車 (在来線) に乗る、金持ちは車に乗る。誰が高鉄なんぞに乗るものか。」

17.南京にシャープが工場を出そうとしたがうまくいかなかった。
現地地方政府が世界最高水準の技術レベルでの工場なら許可するらしいと情報が流れるが、技術を盗もうとしているのが分かり易すぎる。

18.上海ガニは蘇州の湖 (陽澄湖) から獲れるものを指す。
本物はそれほど多くないはずなのに町に溢れている。

19.江蘇省は全体にハイテク産業が多い。
パソコン関連や液晶テレビ、半導体など。自動車、ソフトウェア、化学などは少ない。

20.比較的簡易な技術で生産できる工場形態では最近売り上げが落ちているため、環境技術などへ業界転換を地方政府は勧めている。

21.江蘇省に限らないが従業員のコスト問題でストなど度々ニュースになる。工場を内陸に移転する企業が増えてきている。

22.日本料理は他の地域に比べそれほど高くない。天津、上海の半分程度。 質もその程度。

23.無錫市は太湖の富栄養化で全国ニュースになった不名誉な記録がある。 水道水まで汚染して大騒動。
いつもは15元のタンクの水がその時だけ60元になった。

24.都市ごとに地方政府がある。やりたい放題なので基準、規制、法令が統一されていない。(税金がほしい)

25.北京オリンピック前後から地価高騰が全国的に起こっており、隣接する上海市の地価上昇に合わせ周辺地区も上昇。
最近は落ち着きを取り戻したが今度は下落に転じている。

26.料理は広州のように味が薄いわけでなく、四川のように辛くもない。食事は普通にできる。むしろ甘い地域もある。
無錫料理はひどく甘い。
無錫排骨 (スペアリブ) は中山路に三鳳橋の名店があるが、ドッグフードと称されるほどまずい。

27.ファミリーマートが最近多くみられる。地域のコンビニ地図を大きく書き換えている。

28.地域GDPが全国平均より高く、日本人を含む外国人も多いため内陸部に比べ治安は良い。

29.日系企業が多い。

30.突然できた観光地が多い。そういった観光地は共通点が多い。
入場料が高いのもそのうちの一つ。 無錫にはCCTVが撮影に使った「唐城」がある。

31.都市部で物価が高騰してきているため、地方政府が一時的に特定食品を条件付きで強制的に値下げさせることがある。

32.ニセモノ、違法性の高い商品を扱っている場合は人目につく場所から撤去させている。
しかし別の場所でオープンするためイタチごっこである。

33.ビルやインフラ建設には、僅かの鉄筋、水で薄めたコンクリと、ゴミで作られている。 これは全国どこでも。

34.南京に続く江蘇第二の町は無錫。蘇Bのプレートは無錫人の誇り。



略称
蘇 su


省都
南京 ナンキン


位置
陽子江の下流に位置し、黄海に臨んでいる。


面積
10万平方キロメートル。 (北海道と四国を合わせた面積)


気候
淮河を境とし、以南は亜熱帯湿潤季節風気候に属し、以北は暖温帯湿潤季節風気候に属する。
年間平均気温は13℃から16℃。1月の平均気温は-2℃から-4℃、7月の平均気温は26℃から29℃。
夏季の降水量が年間の半分を占める。


人口
7,438万人。


主な都市

南京市 (なんきん) 市、蘇州市 (そしゅう) 市、無錫市 (むしゃく) 市、揚州市 (ようしゅう) 市、
徐州市 (じょしゅう) 市、南通市 (なんつう) 市、連雲港市 (れんうんこう) 市、淮安市 (わいあん) 市、
塩城市 (えんじょう) 市、鎮江市 (ちんこう) 市、泰州市 (たいしゅう) 市、宿遷市 (しゅくせん) 市、常州市 (じょうしゅう) 市。



概要

広々とした平原、肥沃な土地、豊富な物産、密集する湖沼で知られ、中国最長の大河・長江が東西を横切り、
世界最古の運河 「京杭大運河」 が南北を貫く。

また中国第三の淡水湖・太湖および第四の淡水湖・洪沢湖がその広々とした水面に青々とした水をたたえている。
古来 「魚米の郷」 と呼ばれる江蘇省は、江南屈指の豊かさを誇る穀倉地帯・淡水漁業地帯である。


春秋時代には呉、楚等の国に所属していた。
BC514年、呉の国の都としてはじめて蘇州城が造られた。

隋王朝の開皇9年、州となって郊外の姑蘇山にちなんで蘇州と名づけられた。
漢時代は揚州、徐州に所属、唐代・宋代は三道に属した。

清朝初期 (1667年)、当時の江南省が江蘇省と安徽省に分離され、省として成立した。
江蘇の名は江寧 (現在南京市) と蘇州から来ている。


主作物は長江流域では水稲、ワタ、アブラナ、北部はコムギ、トウモロコシ、芋類である。
太湖を中心とする江南平原で養蚕、北部で養豚が盛ん。

淡水漁業、沿岸漁業がともに盛んで、連雲港市には大型漁港がある。

南京市は中国有数の重化学工業都市であるが、江南の蘇州市、無錫市などでも、
伝統産業の絹織物、綿織物工業が近代化されたほか、鉄鋼、機械、化学などの工場が建設された。

北部では徐州市、連雲港市に重工業がある。
北東部の海岸は塩田が多く、淮北塩田と総称される。

鉄道の大動脈である京滬 (けいこ) 線 (北京・上海間) が通るが、 水路網 (京杭大運河) も交通に大きな役割を果している。

工芸品は、南京雨花石 (うかせき メノウの一種)、南京雲錦 (絹織物) 、
蘇繍 (蘇州刺繍)、蘇州宋錦 (絹織物)
揚州漆砂硯、揚州の玉器、漆器、
剪紙 (切り紙)、無錫の太湖石、太湖真珠、恵山泥人形など。




観光スポット




南京市は、鎮江の西60km、江蘇省南西部の省都。
三国時代の呉が都を置いて以後、6つの王朝の都になった古都である。

近代では、現中国の建国まで国民党政府の首都が置かれ、また真偽に議論があるが、
日本軍の南京大虐殺があったと主張されている地である。

市の人口は639万人。
特産物は、塩付けアヒル、南京香肚 (こうと) (ソーセージ)、雨花石 (うかせき) (メノウの一種) など。
観光地としては明孝陵、中山陵など。







① 明孝陵 (みんこうりょう)  (南京市東郊外鐘山)  (世界遺産)


南京の東にある紫金山の南麓に位置する明の太祖洪武帝朱元璋と后妃の陵墓。

この陵墓は蒋山寺 (しょうざんじ) と呼ばれていた霊谷寺を移転し、その地に造営された。
造営には25年の歳月が費やされた。

1961年、「全国重点文物保護単位」 に指定。
2003年に世界遺産 「明・清王朝の皇帝墓群」 (2000年登録) に追加する形で登録された。

方城の北にある宝頂 (宝城) の地下に朱元璋と馬皇后が眠る地下宮殿 「玄宮」 がある。
しかし、地下宮殿は未発掘のために多くの謎が残されている。

周辺には神道、梅花山、紅楼芸文苑、海底世界、定林山庄、紫霞湖 (しかこ) があり
明孝陵を中心とした観光区を 「明孝陵景区」 としている。

世界遺産に登録されているが、外国人観光客は少なめである。

しかし、見学者は多く、中国各地から団体で観光客が訪れる。
朱元璋が葬られている宝頂には登ることができる。

2月は近くの梅花山の梅が見ごろで観光イベントが行われている。
梅花山には三国志の呉の孫権の墓もある。
明孝陵周辺には中山陵や霊谷寺といった観光地があり南京の主要観光地となっている。







② 中山陵 (ちゅうざんりょう) (南京市東郊外鐘山)


明孝陵の東1kmの紫金山にある、中国革命の指導者・孫文の陵墓。

孫文は、1911年の中華民国樹立から臨時大統領となり、1925年に北京で58歳で死去したが、
遺志によって1929年にここに遺体が移された。

392段の石段を登ると巨大な祭堂があり、一帯は広大な陵園となっている。











蘇州市は、上海の西80km、紀元前6世紀に呉の国の都が置かれた古い町で、古典庭園が点在する。
北に長江、西に太湖があり、市内に運河が多い水郷の街でもある。

古い市街は東西3km、南北5kmのほぼ長方形をした運河 「外城河」 で囲まれている。
人口は350万人。特産物は蘇繍 (蘇州刺繍)、ジャスミン茶、蘇州扇など。
観光地は拙政園、留園、寒山寺、虎丘など。





③ 蘇州古典園林 (蘇州市姑蘇区東北街178号) (世界遺産)

蘇州の町は、紀元前514年、呉国の王により作られ、すでに2500余年の歴史がある。
春秋時代、呉国の都になり、今なお西施 (中国の美女) 等の人物に関わる古跡をとどめている。

589年に、蘇州という名前になり現在に至る。
蘇州の町は作られたのも早く、規模も大きく、水陸両方の交通の便がよい。

また、古城区は国内でも珍しく、今でも元の場所に残っている。
蘇州は、その庭園の美しさが有名な町で、水路のある景色とあいまって 「東洋のベニス」 とも呼ばれている。

中国四大庭園のうち、2つが蘇州にあり、それは拙政園 (せっせいえん) と留園である。

中でも、拙政園は、規模の大きな江南庭園で、内部には白黒の落ち着いた配色の中国式建築やあずまや、回廊などと、
蓮の咲き乱れる池とのバランスが非常に美しい。

その他の見所は、「綱師園 (もうしえん)」、「獅子林」、「虎丘」、「寒山寺」、「シルク博物館」などがある。


拙政園




留園  (蘇州市姑蘇区留園路338号)


1997年世界遺産に登録された留園は、明代の1525年頃に造園された個人庭園。

最初は 「寒碧山荘 (かんへきさんそう)」 という名であった。

清代に劉蓉峰 (りゅうようほう) が改築をした際に劉園と改め、その後、同じ発音の留園となった。

中国の四大庭園のひとつに数えられる。










寒山寺  (蘇州市姑蘇区寒山寺弄24号)

南北朝時代の天監年間に創建された寺で、当初は妙利晋明塔院という名だった。

唐代の僧、寒山がこの寺に移り住んでからは寒山寺と呼ばれるようになった。
何度も焼失と再建を重ね、現在の建物は1911年の建築。

唐代の詩人、張継が 「楓橋夜泊 (ふうきょうやはく)」 という詩でこの寺を詠んだことから寒山寺の名は中国の内外に知られるようになった。
「月落烏啼霜満天」 で始まる七言絶句の詩文は、山門を通って右側の碑廊にある。

境内には寒山をはじめ3人の僧の石刻像や大雄宝殿、鐘楼、五百羅漢、楓江楼 (ふうこうろう)、碑廊 (ひろう) など歴史文物が数多く残されている。 
また、山門前には 「江村橋」 という有名な太鼓橋もある。





虎丘 (こきゅう)  (蘇州市姑蘇区虎丘山門内8号)


蘇州の城外西北に位置する標高30メートルあまりの小高い丘を指す。
太古の時代には海中の小島であった。

虎丘の歴史は長く、歴史ロマンをかきたてる遺跡も少なくない。
春秋時代の呉王の闔閭 (こうりょ) がここに葬られ、三日後には白虎がここに臥していたという伝説から虎丘と名づけられた。

剣を愛した父・闔閭のために息子の夫差が3000本の剣を埋めたと言われる 「剣池」 は、秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られたと伝えられている。

他に、唐妓・女真娘の高潔を偲ぶ 「真娘の墓」、闔閭の墓を建造した千人の工匠達を殺戮し、鮮血に染まったと伝えられる
巨岩の 「千人石」 など、歴史にまつわる見所は多い。

丘の上には蘇州のシンボルである北宋年間 (961年) 創建の 「雲岩寺塔」 (別称・「虎丘塔」) がそびえ立つ。
高さ48m、八角七層の古塔は中国で最も古い塔の一つで、全国重点保護文物に指定されている。

たびたびの火災で傾き、中国のピサの斜塔とも言われている。








無錫(むしゃく)市は、上海市と南京市のほぼ中間に位置する。市の人口は643万人、面積4,788平方キロメートルの都市である。
南に五大淡水湖のひとつである太湖を臨む、長江流域「江南」の美しい古都で、古くから「魚米の里」(物産豊かな所)として知られている。

観光地としては太湖、黿頭渚(げんとうしょ)公園、唐城、水滸城、三国城など。
特産物は、太湖石、淡水真珠、恵山(けいざん)泥人形、など。






④ 太湖(たいこ)  (無錫市)



江蘇省と浙江省にまたがる太湖は、中国五大湖の一つで、鄱陽湖(はようこ)、洞庭湖に次ぎ中国で三番目に大きな淡水湖である。

面積は2,400平方キロメートル(琵琶湖の約三倍)、最大水深は48m、周囲は400km。

湖には大小約48の島が浮かび、多くの半島が連なり、湖を囲む峰の数は72を数える。
洞庭東山、西山、馬跡山、三山などが著名な山々で、これらの山や湖が入り組む景観は天然の絵画ともいえる美しさを呈している。











⑤ 黿頭渚(げんとうしょ)公園  (無錫市)        


太湖の北西に位置する黿頭渚公園は、半島がひとつの風景区になっている。
太湖から突き出る半島がスッポンの頭の形に似ていることから名付けられた。

園内には日本から贈られた桜の木が多数植えられ、春にはたくさんの花見客で賑わう。
西側には「太湖黿頭渚」と刻まれた太湖石がある。

太湖石は太湖のみで出産される貴重な石で、蘇州はじめ中国各地の庭園に置かれている。



 


游客您好,咱们现在游览的是有「太湖第一名胜」之称的鼋头渚。为什么叫「鼋头渚」呢?

「鼋」一种长得很像龟的动物,古代人们就把它看做神龟,您看,鼋头渚的山形突入太湖水中,
或者说鼋头渚从太湖水中突出来,造成山形三面临水,好像一只巨大的鼋将头伸出水面的景象,因此呢,这里便得名「鼋头渚」。

鼋头渚作为太湖最佳游览地,我们游览鼋头渚自然也必要了解一下太湖,太湖横贯江、浙两省,是我国第三大淡水湖,面积巨大,
号称「三万六千顷」,湖边的山和湖中的岛称「72峰」,都是天下胜景,鼋头渚就是其中最为著名的一处。



【鼋头渚】yuán tóu zhǔ  鼋頭渚(げんとうしょ)
【山形三面临水】shān xíng sān miàn lín shuǐ  山の三方が水に面している形状

【鼋】yuán  スッポン
【三万六千顷】2400平方キロメートル。「顷qīng」は、66.7平方メートル。
【岛称72峰】dǎo chēng 72 fēng  (湖を囲む山や)島の峰の数は72を数える




観光客の皆さん、こんにちは。私たちが今見学しているのは「太湖第一の名所」とされる「鼋頭渚(げんとうしょ)」です。
でもなぜこのように呼ばれるのでしょうか?

「鼋(げん)」というのは、一種の亀に似ている動物です。古代の人々は、これを「神亀」と呼んで、あがめていました。
鼋头渚の先の半島の部分が太湖の中に伸びていますよね? あるいは太湖から突き出ているように見えるかもしれません。

そしてこの突き出ている半島の三方が水に面している形になっています。まるで巨大なスッポンが頭をもたげているようです。
このように、スッポンの頭が小島のようになっていることから、「鼋頭渚」という名前になったのです。

鼋头渚は、太湖の最も美しい観光地とされています。そして、鼋头渚の見学にあたっては、太湖についても知っておく必要があります。

太湖は、江蘇省と浙江省の二省にまたがる、我が国で三番目に大きい淡水湖です。湖の面積は、2400平方キロメートル。

湖畔の山と島の数は72を数える天下一の名勝であり、鼋头渚は、その中でも最も著名な景勝地として知られています。







江蘇省アラカルト




1.  「無錫旅情」 (むしゃくりょじょう)



「無錫旅情」 は、1986年9月にリリースされた歌手・尾形大作のシングルである。

作詞・作曲は中山大三郎による。発売当時130万枚以上売れるなど大ヒットソングとなった。
(オリコン年間8位) 尾形の代表曲である。

この曲で尾形は、1987年の第29回日本レコード大賞金賞を受賞。
また、この曲で1987年の第38回NHK紅白歌合戦に初出場した。

無錫市の太湖の湖畔にある鼈頭渚 (げんとうしょ) 公園には、本作の中国語版の歌碑がたっている。





2. 南京虫

「トコジラミ」 の別名。
この害虫は海外からの荷物に付着して伝わってきたと考えられていた。
中国語では 「臭虫 くさむし」 と呼ばれる。

「南京」 とは、海外から渡来したものに付けられる名だった。
他の用例として南京錠、南京豆、南京袋、南京玉すだれ、などが挙げられる。





3. 南京事件 (なんきんじけん)

日中戦争 (支那事変) 初期の1937年 (昭和12年)。
日本軍が、中華民国の首都南京市を陥落させた後、日本兵が中国側の投降兵 (捕虜) および一般市民を虐殺。

また略奪・強姦・放火・拉致等を行ったとされる事件のことである。
この事件については、事件の規模、存否を含めさまざまな論争が存在している。(南京大虐殺論争)。





4. 恵山(けいざん)泥人形 (無錫市)


無錫市恵山の麓で採れるきめ細やかで滑らかな泥から、窯で焼かずに陰干しして作られる人形。

その歴史は明の時代にまでさかのぼり、すでに四百年以上の歴史がある。

幸せの象徴とされ、ふくよかな子供の姿をした大阿福(だいあふく)や歴史上の人物をかたどったもの等が有名。













5. 孫権 (そんけん) [182~252]

三国時代、呉の初代皇帝。(在位222~252)。
揚州呉郡 (現在の蘇州市) 出身。

呉の礎を築いた父孫堅、勇猛で恐れられた兄孫策を相次いで亡くし、19歳で孫氏軍閥の当主となる。
父や兄から引き継いだ家臣団をまとめあげると共に、積極的な人材登用を行った。

208年、曹操軍が大軍を率いて南下すると、降伏か開戦かの決断を迫られる。
周瑜・魯粛の言を聞き、開戦を決断。

蜀 (しょく) の劉備と結んで曹操の南下を赤壁に阻止し、江南に勢力を確立。
222年呉王と称し、229年帝位につく。231年建業 (南京) に都した。


孫権像 (南京市)






6. 花果山 (西遊記) (連雲港市)


江蘇省の最高峰、雲台山 (海抜 625m) には 「西遊記」 の舞台となった花果山がある。

明末に作者の呉承恩がここに滞在して 「西遊記」 を書き上げたという。

路線バスで花果山のふもとまで20分程度で付くので、後は徒歩か専用バスで山頂を目指す。

山頂付近には、孫悟空が生まれたという大岩や、最初に住み着いたと言われる水簾洞もある。

山頂にたどりつくと、そこにはおサルさんがたくさんいて楽しませてくれる。

下りは是非徒歩で巨岩めぐりをしながら下山するといいだろう。















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