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江西省概要 (http://wiki.chakuriki.net)


竜虎山の船棺葬 (せんかんそう)

道教の聖地・竜虎山には、死者を船にかたどった棺桶に埋葬し、断崖絶壁に
埋葬するという奇習があった。

これは棺桶を船と結び付け、その船が天空を飛翔する姿を仮想したものといわれている。

古人は、棺桶を高く架ければ、それだけ天界に近づき、自分の先祖が桃源郷のような
世界で永眠できると考えたのである。


(江西省までの交通)

成田から上海浦東国際空港(PVG)まで3時間。

上海から南昌昌北国際空港(KHN)まで1時間30分。




1.省内を南北に、赣江(かんこう)という川が貫いている。
それで略称も「赣(かん)」となっている。


2.北西部の景徳鎮(けいとくちん)は「磁器の都」

広東省の仏山(ぶつざん)湖北省の漢口(かんこう)河南省の朱仙鎮(しゅせんちん)
と合わせて「中国四大名鎮」と呼ばれている。


3.南西部の井岡山(せいこうざん)は「革命の聖地」
1927年、毛沢東が最初の革命根拠地を建設した場所。

南東部の瑞金(ずいきん)は、1931年、中国共産党が臨時政府を樹立した場所で
ここも革命史跡となっている。


4.北部の廬山(ろざん)は、世界遺産に登録されている名山。
北宋の詩人蘇軾(そしょく)による「廬山の真面目(しんめんもく)」という言葉は有名。

「廬山の本当の姿が分からないのは、自分が廬山の中にいるからだ」という詩の一節から
「真相を知るには局外より客観視する必要がある」という意味を表している。


5.省都の南昌に滕王閣(とうおうかく)という楼閣がある。

653年、滕王(唐の高祖李淵の末子、元嬰げんえい)の築いた楼閣で、
初唐の詩人王勃 (おうぼつ)に詩があり、画題としても有名。

湖南省岳陽市の岳陽楼(がくようろう)湖北省武漢市の黄鶴楼(こうかくろう)
と並んで「江南の三大名楼」と呼ばれる。





略称
赣 gàn

省都
南昌 なんしょう


位置
陽子江の中下流の南岸に位置。
東は浙江省、福建省、南は広東省、西は湖南省、北は湖北省,安徽省と接している。


面積
16.7万平方キロメートル 。(日本の面積の44%)


気候
年間平均気温は約18度。江西省の北東部、北西部および長江沿いの年間平均気温はやや低く、16度から27度。
濱湖、赣江の中下流地区、撫河、袁水地域と江西省南西山間部の年間平均気温は17度から18度。
撫州、吉安地区南部と信江中流地域は18度から19度。江西省南部の盆地の年間平均気温は一番高く、19度から20度。


人口
4,140万人 。回、苗族等の少数民族が住んでいる。


主な都市

南昌 (なんしょう) 市、九江 (きゅうこう) 市、景徳鎮 (けいとくちん) 市、萍郷 (へいきょう) 市、
新余 (しんよ) 市、鷹潭 (ようたん) 市、贛州 (かんしゅう) 市、宜春 (ぎしゅん) 市、
上饒 (じょうじょう) 市、吉安 (きつあん) 市、撫州 (ぶしゅう) 市。



概要

北縁を長江が東流し、北部には盆地状の鄱阳湖 (はんようこ) 平原があり、中部から南部は丘陵と山地である。
省境の山地から多数の河川が流出して、鄱阳湖に注いでいる。
最大の河川は赣江で、省の二分の一を流域とする。

平均気温は一月で4~9℃であるが、山脈に囲まれるために七月では 28~30℃に達する。
年降水量は 1300~2000mmで、4~6月に集中し、秋と冬は乾燥する。

鄱阳湖平原は面積2万km2で、古くから 「魚米之郷」 の名がある。
山間には大小の盆地と広い谷が開け、重要な農業地域である。

食糧作物の播種面積のうち 80%を水稲が占める。
工芸作物はアブラナを中心に、ワタ、カラムシなどがある。

丘陵では北部は茶、南東部は柑橘類、南部はサトウキビを栽培し、つばき油、桐油の産出も多い。
漁業も盛んであり、長江沿岸は稚魚の産地として知られる。

南部にタングステンの大鉱床があり、贛州市大余 (だいよ) 県などで採掘されている。
鉄、石炭、銅、スズ、マンガンなどの鉱山もある。

工業は鉄鋼、冶金をはじめ、機械、化学、電力、紡織、製紙、製糖、製茶などが比較的発達している。
二分の一以上の県に化学肥料の工場がある。

南昌市は鄱阳湖平原の赣江東岸にあり、浙贛鉄道 (せっかん 杭州市-株州市)、南潯鉄道 (なんじん 南昌市-九江市) が接続していて、
省の水陸交通の中心である。

九江市は長江の重要河港の一つ。北東部の景徳鎮市は中国最大の陶磁器産地。
贛州市は赣江の上流にのぞみ、省南部の中心地である。


春秋時代から中国東南部の有力要地として発展していた。
秦代には九江郡が置かれ、漢代は揚州と呼ばれた。

唐の時代、江南西道の管轄に置かれたので江西と称されるようになった。
明代に布政使 (ふせいし 行政府) が設置され、江西13府78県を管轄し、現在の省域が形成された。


省都・南昌は1927年8月1日に中国共産党が武装蜂起した所。
井岡山は毛沢東が 「秋収蜂起」 を指導し数百の兵士を率いて立てこもり、農村革命の根拠地 「中央蘇 (そ) 区」 を築いた。
また福建省との境の瑞金 (ずいきん) はかつての中央労農政府の所在地である。

特産物は、廬山雲霧茶、武寧紅茶、撫州西瓜、南豊ミカン、広昌白蓮、
景徳鎮の陶器
修水赭 (しゅうすいあか) すずり、玉山羅紋すずり、婺源 (ぶげん) 竜尾すずり、
星子金星すずり (四大すずり)、瑞金の扣紙 (こうし 唐紙) など。



観光スポット




南昌市は、江西省の省都。中国歴史文化名城のひとつ。

江西省の北部、赣江下流に位置し、東北に中国最大の淡水湖、鄱阳湖に臨む平原地帯にある。
南昌の歴史は古く、紀元前202年、漢の高祖の命により築城されたのが町の起源とされ、翌年にはこの地に南昌県が設置された。

この南昌が広く世間に知られるようになったのは、1927年の 「八一南昌起義」 という中国共産党による武装蜂起事件。
中国人民解放軍の発祥の地であり、南昌は 「英雄城」 と呼ばれ讃えられるようになった。

市の人口は507万人。特産物は肉でんぶ、陶器版画など。
観光地は唐代の滕王閣、八一南昌起義記念館など。






① 滕王閣  (とうおうかく) (南昌市仿古街58号)

八一大橋南側の赣江沿いに立つ楼閣。
岳陽楼 (湖南省岳陽市)、黄鶴楼 (湖北省武漢市) と並び、江南三大名楼のひとつに数えられる。

唐の高祖李淵の子である李元嬰 (りげんえい) により、653年に創建。
李元嬰が滕王と呼ばれており、完成した楼閣は滕王閣と命名された。

その後、何度も再建されており、現在の建物は1989年に再建されたもので29代目に当たる。
最上階からは南昌市内を一望でき、多くの文人がこの楼の上で詩を詠んだ。

一番美しい季節は秋で、初唐の詩人王勃 (おうぼつ) の 「落霞與孤鶩斉飛,秋水共長天一色」
(落霞 らくか、孤鶩 こぼく と齊 ひと しく飛び、秋水 長天と共に一色) という名句が残されている。
また楼内では定期的に古典芸能が披露されている。






② 江西省歴史博物館 (南昌市)

南昌市の中心、南昌市人民広場の南側にある。
石器、銅器、鉄器、陶磁器、玉器などに分れて展示されるが、最も特徴的なのは、陶磁器である。

江西省における陶磁器の歴史は古い。6000年まえの粗陶に始まる。
また、省内に洪州窯、吉州窯、景徳鎮窯などの窯 (かまど) を擁してきた。

それだけに展示品も豊富である。
六朝時代から唐代の青磁、宋代の影青磁、元から明代の青花釉裏紅 (せいかゆうりほん) など、中国の陶磁工芸の歴史を見渡すことができる。

また、「井崗山革命闘争史陳列」 は、中国最初の農村革命根拠地である井崗山の様子を写真や図で示したもの。
毛沢東が1927年、1000名の規模で建設し、その後、朱徳の軍や湖南の軍が合流し、規模を拡大する。

命令に敏速に服従すること。貧農からものを没収しないこと。
地主から没収したものも私せずに政府に引き渡して処分すること。
これを三大規律とした統率のとれた工農軍が組織され、その後の毛沢東の農村革命のモデル的存在となった。







③ 廬山  (ろざん) (九江市廬山区牯嶺鎮)  (世界遺産)

九江市南部にある名山。

峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名。

最高峰である漢陽峰は海抜1,474メートル。

廬山は、古来より名勝として知られ、陶淵明、李白、白居易ら多くの詩人に歌われている。








③ 景徳鎮古窯民俗博覧区  (景徳鎮市昌江区瓷都大道古窯路1号)

景徳鎮市の西にある楓樹山 (ほうじゅさん) 蟠竜崗 (ばんりゅうこう) に位置。

景徳鎮の陶器は昔から玉石のように白く、鏡のように輝き、紙のように薄く、

澄んだ音がするのが特徴で、国内外によく知られている。

ここでは、景徳鎮の陶器に関する歴史や文化を理解できる。

なかでも清の雍正、乾隆年間 (1723-1795) に造られた鎮窯 (ちんよう) は必見である。

中国の伝統的な焼き窯の最高水準のものといわれ、保存状態も良い。


青花紅彩龍濤文盤 (せいかこうさい りゅうとうもんばん)
清、雍正 (ようせい) 年間 (1723-1735)  口径47.2 ㎝ 






④ 三清山  (上饒市玉山県) (世界遺産)

江西三清山は中国道教の名山の一つ。別称 「小黄山」 と呼ばれる。

三清山は上饒地区の玉山県と徳興県の境目の所に位置する。

三清山の面積は220k㎡で、主峰の玉京峰は海抜1819.9m。

玉京峰、玉華峰、玉虚峰の3峰からなる。

中国道教の3大神である玉清境洞真教主元始天尊、上清境洞玄教主霊宝天尊、太清境洞神教主道徳天尊は
肩を並べて座るようであり、その名が付けられた。

山の中で、道観、亭閣、石刻、石彫、山の門、橋など200箇所があり、その規模が大きく、気勢が雄大で、
青城山、武当山、龍虎山と比べても、見劣りしない。

そのため 「露天道教博物館」 とも呼ばれている。








⑤ 竜虎山  (鷹潭市貴渓県)  (世界遺産)

中国では、「丹霞 (たんか) 地形」という地理用語は、特別な地形的特徴と独特な赤色を持つ地形景観で、
「薔薇色の雲」 あるいは 「朱色の霞」 のようなものを指している。

「中国丹霞地形」 は湖南省の莨山 (ろうざん)、広東省の丹霞山、福建省の泰寧、江西省の竜虎山 (亀峰を含む)、
貴州省の赤水 (せきすい)、浙江省の江郎山などで、中国南方の湿潤地域にある。

6カ所とも有名な丹霞地形の観光地区になっている。
2010年8月、6カ所の丹霞地形を一組として、世界自然遺産に登録された。

竜虎山は老年期の丹霞地形を属し、山の塊は散り散りになり、峰々は林の木々のようで、地形の高さの差は相対的に小さい。
そのため全体的に落ち着いた美しい姿に見える。

竜虎山の丹霞地形の種類は多様で、大きく竜虎山と仙水岩観光地区に分かれ、約40平方キロメートルの範囲に分布している。
観光地区の中に瀘渓 (ろけい) 川が流れていて、両岸の丹崖地形と一体になって、碧水丹崖の美しい景観を特徴づけている。






江西省アラカルト



1. 景徳鎮 (けいとくちん)

景徳鎮市にある中国最大の窯業都市。
五代のころより青磁を焼成。

北宋の景徳年間 (1004年-1007年) にすぐれた青白磁を焼いたことから名声を博した。

青白磁は、白の素地に青みをおびた透明性の釉薬 (ゆうやく) がかかっている。

そのため、文様は白地にうす青くあらわれて、玉石のように輝き、清純な美しさを感じさせるのが特徴である。






2. 竜虎山 (水滸伝)

竜虎山は鷹潭 (ようたん) 市貴渓県にある道教の総本山である。

「水滸伝」 の冒頭によれば、唐の時代に道士・洞玄国師が龍虎山の地下に百八の魔王を封じ込め、そこに伏魔殿が建てられたという。

ところが、北宋時代に龍虎山を訪れた官僚洪信 (こうしん) によって封印が暴かれ、魔王が世に放たれてしまった。

この魔王たちの生まれ変わりこそが 「水滸伝」 の中心人物たちである。

ある者は軍人に、ある者は役人に、またあるものは山賊の姿を借りた豪傑として梁山泊 (りょうざんぱく) に結集するのである。






3. 潯陽楼 (じんようろう) (水滸伝)

水運の要衝、九江市は、かつて潯陽 (じんよう) と呼ばれていた。

長江のほとりに建つ潯陽楼は、九江市のシンボルで、遠く唐の時代からその名が知られている。

この楼閣をとくに有名にしているのは、古典小説 「水滸伝」 との係わりである。

主人公宋江 (そうこう) は潯陽楼に登り、素晴らしい風景と見事な料理に心を打たれ、詩を詠む。

しかし、これが反体制の詩とみなされたため、朝廷から追われる身となってしまう。

やがて宋江は梁山泊 (りょうざんぱく) に豪傑を集め、腐敗した朝廷に反抗し、弱者を助ける英雄伝を繰り広げてゆくことになる。





4. 李逵 (りき) (水滸伝)



梁山泊の切り込み隊長。あだなは 「黒旋風」。

またその怪力、色の黒さからよく 「鉄牛」 とも呼ばれる。

集団での乱戦において凄まじい実力を発揮、その二丁の手斧を止めることは誰にもできない。

一方で正式に武芸の修行を積んでいないためか、武芸を極めた達人級との一騎討ちでは苦戦したりあっさり敗れる事が多い。

もと江州 (江西省九江) の牢役人であったが、流刑に来た宋江をしたい、のち梁山泊に仲間入りした。

無知凶暴であるが、子どものように純粋な心を持ち、「水滸伝」 の中で最も魅力的な人物の一人である。









中国語講座(漢詩) 「廬山の瀑布を望む」 「西林の壁に題す」


 
望庐山瀑布 wàng lú shān pù bù (唐)李白   

日照香炉生紫烟   rì zhào xiāng lú shēng zǐ yān
遥看瀑布挂前川   yáo kàn pù bù guà qián chuān
飞流直下三千尺   fēi liú zhí xià sān qiān chǐ
疑是银河落九天   yí shì yín hé luò jiǔ tiān



【注 釈】

廬山(ろざん)の瀑布(ばくふ)を望む

日は香炉(かうろ)を照(て)らして 紫烟(しえん)を生(しゃう)じ
遥(はる)かに看る 瀑布(ばくふ)の長川(ちゃうせん)に挂(か)くるを

飛流(ひりう) 直下(ちょくか) 三千尺(さんぜんせき)
疑(うたが)ふらくは是れ 銀河(ぎんが)の九天(きうてん)より落つるかと



【庐山】 lú shān  廬山 (ろざん)

江西省の北部にある名山。最高峰の漢陽峰は標高1474メートル。

景勝の地で世界遺産、また仏教の霊跡として知られる。
李渤 (りぼつ) の白鹿洞 (はくろくどう) 書院、陶淵明の靖節 (せいせつ) 書院、香炉峰などの古跡がある。



【口語訳】

日が香炉峰を照らし、山が紫色に煙っている。
はるか彼方には滝が長い川のようにかかっているのが見える。

その滝のまっすぐに流れ落ちる長さは三千尺。
まるで銀河が天から落ちてきたかのようだ。








题西林壁 tí xī lín bì (宋)苏轼  

横看成岭侧成峰 héng kàn chéng lǐng cè chéng fēng
远近高低各不同 yuǎn jìn gāo dī gè bù tóng
不识庐山真面目 bù shí lú shān zhēn miàn mù
只缘身在此山中 zhǐ yuán shēn zài cǐ shān zhōng



【注 釈】

西林(せいりん)の壁(へき)に題(だい)す 

横看(わうかん)すれば 嶺(れい)を成(な)し 側(そく)は峰(ほう)を成(な)す
遠近(ゑんきん) 高低(かうてい) 各(おのおの) 同(おな)じからず

廬山(ろざん)の真面目(しんめんもく)を識(し)らざるは
只(ただ)身(み)の此(こ)の山中(さんちゅう)に在(あ)るに縁(よ)る



【西林】 xī lín   西林寺。廬山のふもとに西林寺と東林寺がある。
【题壁】 tí bì   壁に詩を書きつける。
【真面目】 zhēn miàn mù   本来の姿。

【苏轼】 sū shì 蘇軾(そしょく) (1036~1101年)
北宋の詩人、詞人。字は子瞻(しせん)四川眉州(びしゅう)の人。

1057年、科挙に及第。英宗に仕えたが、王安石の新法に反対したため地方官に転出。
その後も直言をはばからぬ性格もあって、しばしば左遷され生涯の多くを地方長官で過して終った。

唐宋八大家のひとり。雄大な詩文にすぐれ、なかでも「赤壁賦」は古来有名。また書画にもすぐれていた。
著作に詩集「東坡(とうば)全集」(百十巻)





【口語訳】

横から見れば嶺のかたち、側から見れば峰のかたち、見る角度によって遠近も高低も異なって見える。

廬山の真の姿がわからないのは、自分自身が廬山の真ん中にいるためだ。






























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