Top Page   中国語講座

吉林省概要 (http://wiki.chakuriki.net)


朝鮮族 (吉林省)


(吉林省までの交通)

成田から北京首都国際空港(PEK)まで4時間。

北京から長春龍嘉国際空港(CGQ)まで2時間。



城市概要

長春

1.お米の量産地として、有名。

2.トウモロコシの産量がかなり大きい。

3.工業発展は遅いが変わりに自然環境がよいのもありかも。

中国最古の自動車メーカー「中国第一汽車集団」がある。
紅旗(ホンチー)という高級車の生産で有名。
今や長春でプリウスを作っている。

冬は平気でマイナス40℃。

酔ったオッサンが路上で倒れて翌日冷凍マグロで発見されたりすることがある

4.朝鮮人がいっぱいいてその中に脱北してきた人が隠れてる。
「狗肉館」 (犬肉レストラン) があちこちで大繁盛している。

5.公衆トイレ (大) では扉を閉めてしている人は少ない。
というか扉や壁があたりまえに無い所がある。

なんだかんだでちゃんと扉のあるトイレも増えてきた。
だが大抵は鍵が壊れてる。

6.ヨシリンではない。 読みは中国語で 「チーリン」 だそうです。
チーリン?お菓子・・・ 台湾の女優さんかよ (レッドクリフに出てた)



略称
吉 ji


省都
長春 ちょうしゅん


位置
中国東北地区の中部、東南は北朝鮮、ロシアと隣接している。


面積
18.47万平方キロメートル。 (日本の面積の半分)


気候
温帯大陸季節風気候に属し、季節の移り替わりが著しい。
年平均気温は3℃から5℃。東は黄海と日本海に近いので、気候は温暖湿潤で、雨もかなり多い。
西は海から遠く離れ、蒙古高原にも近いため、気候は乾燥している。


人口
2,691万人。(2001年) 朝鮮、満、回、蒙古、シボなど、44の少数民族が住んでいる。


主な都市

長春 (ちょうしゅん) 市、吉林 (きつりん) 市、四平 (しへい) 市、遼源 (りょうげん) 市、
通化 (つうか) 市、白山 (はくさん) 市、松原 (しょうげん) 市、白城 (はくじょう) 市、延辺 (えんぺん) 朝鮮族自治州。

県級市

長春市 
朝陽区 (ちょうよう)寛城区 ( かんじょう )二道区 ( にどう )南関区 ( なんかん )緑園区 ( りょくえん )双陽区 ( そうよう )
九台市 ( きゅうだい )楡樹市 ( ゆじゅ )徳恵市 ( とくけい )農安県 ( のうあん)
吉林市 
船営区 ( せんえい )昌邑区 ( しょうゆう )竜潭区 ( りゅうたん )豊満区 ( ほうまん )舒蘭市 ( じょらん )
樺甸市 ( かでん )蛟河市 ( こうが )磐石市 ( ばんせき )永吉県 ( えいきつ )
四平市 
鉄西区 ( てつせい )鉄東区 ( てつとう )公主嶺市 ( こうしゅれい )双遼市 ( そうりょう )梨樹県 ( りじゅ )伊通満族自治県 ( いつう )
遼源市 
竜山区 ( りゅうざん )西安区 ( せいあん )東遼県 ( とうりょう )東豊県 ( とうほう )
通化市 
東昌区 ( とうしょう )二道江区 ( にどうこう )梅河口市 ( ばいかこう )集安市 ( しゅうあん )通化県 ( つうか )輝南県 ( きなん )柳河県 ( りゅうか )
白山市 
渾江区 ( こんこう )江源区 ( こうげん )臨江市 ( りんこう ) 撫松県 ( ぶしょう )靖宇県 ( せいう ) 長白朝鮮族自治県 ( ちょうはく )
松原市

寧江区 ( ねいこう )乾安県 ( かんあん )長嶺県 ( ちょうれい )扶余県 ( ふよ )前ゴルロス・モンゴル族自治県 ( ぜんごるろす )
白城市 
北区 ( とうほく )大安市 ( だいあん )南市 ( とうなん )鎮賚県 ( ちんらい )通楡県 ( つうゆ )
延辺朝鮮族自治州 
延吉市 ( えんきつ )図們市 ( ともん )敦化市 ( とんか )竜井市 ( りゅうせい )琿春市 ( こんしゅん )和竜市 ( わりゅう )安図県 ( あんと )汪清県 ( おうせい )



概要

吉林省は東北三省の真ん中に位置し、南東部は長白山脈の山々が連なり、渓谷や盆地が多く、
西北部は松遼平原でなだらかな大地が広がっている。

また南東部はロシアと北朝鮮と国境を接している。
北朝鮮との国境線は約700kmにも及び、中心の長白山から流れ出た東の図們江 (ともんこう 豆満江 とまんこう)、
西の鴨緑江 (おうりょくこう) が国境になっている。


この地には古来からツングース系少数民族が居住していた。
漢代に夫余、唐代に渤海、それ以降も遼・金と続く北方系の民族の領土となり、
元以降は中央政権の領土に組み込まれ、清代末期に吉林省となった。


主要農業地域は中部の丘陵地で、食糧作物はトウモロコシ、コーリャン、アワを主とする。
吉林市と東部の山間で水稲が広く栽培される。

大豆は中国有数の産地で、テンサイ、タバコも多い。
東北平原では牧畜の比重が大きい。

長白山地はチョウセンゴヨウマツ、カラマツなどの用材のほか、
チョウセンニンジン、毛皮、鹿茸、キクラゲ、キノコ類、チョウセンヤマブドウを産する。

地下資源は南東部の山間に多く、遼源市、通化市、白山市渾江 (こんこう) 区の石炭、
延辺朝鮮族自治州延吉市天宝山の銅、鉛、亜鉛、吉林市樺甸 (かでん) 県のオイルシェールが規模が大きい。

重工業は長春市と吉林市に発達している。
延辺朝鮮族自治州図們 (ともん) 市付近に製紙の大工場があり、通化市は製鉄、四平市は機械を中心とした新興工業都市。

鉄道は長春市、四平市を中心に省の各地に通じ、夏季は松花江の水運も盛ん。
東部の延辺朝鮮族自治州延吉市は朝鮮族の教育、文化の中心地である。

特産品は、松花石硯、
白山木画 (木材を象眼して図柄を描いたもの)、
根彫り (木の根の彫刻)、東北三種の宝 (薬用人参・ミンク・鹿の角)、吉林ワインなど。





観光スポット



長春市は、吉林省の行政、工業、商業、交通と文化の中心都市。
1931年の 「九・一八」 事変 (満州事変) 後に一時満州国の首都 (新京) となり、市内にはその時代の建物の多くが残っている。

1930年代から1945年まで、長春には多くの日本人が暮らしていた。
現在は、国内外の自動車会社の工場がある町としても知られ、映画の製作も盛んに行われている。

長春市の見どころは、何と言っても満州国皇宮 (中国では偽満州国という) などの満州国建築遺構である。

日本侵略者の政治傀儡である偽満州国皇帝が登極した場所の 「偽満州国皇宮」 は、現在は博物館となっている。
市内には 「偽満州国」 の国務院司法部、旧関東軍司令部、交通部などの 「八大部」 の旧跡が残っている。

また市内にある 「長春映画撮影所」 (長春電影製作廠) は、かつては 「満映」 と呼ばれた中国を代表する映画撮影所である。
李香蘭がデビューをしたのもここからであった。

革命後は 「白毛女」 「人、中年に到る」 など中国映画を代表する作品がここで作られた。
内部には映画村もあって見学できるようになっており、毎年8月には長春国際映画祭も開催されている。

長春市は 「北国春城」 と言われ、南湖と郊外の浄月潭が有名な風致地区として指定されている。

市の人口は756万人。特産物は朝鮮人参タバコ、君子蘭、
羽毛画 (羽毛を貼って図柄を描いたもの) など。
観光地は、偽満州国皇宮、関東軍司令部旧址、浄月潭風景区など。






① 偽満州国皇宮  (長春市)

ラストエンペラー溥儀が、満州国の傀儡皇帝として生活した場所で長春市の光復路に位置する。
面積は12ヘクタールあり、現在は西院が陳列館となっている。

偽皇宮の主な建築は、黄色い瑠璃瓦で覆われた二階建ての小楼と、勤民楼、緝煕楼 (しょうきろう)、同徳殿。
それぞれ風格が異なり、西洋と東洋の折衷様式となっている。

緝煕楼は生活区で、1932年から1945年まで溥儀が住んだ2階の西側には、寝室や書斎、仏堂などが展示されている。
2階の東側は皇后媛容が住んだ場所で、寝室、吸煙室や媛容の蝋人形が展示されている。

1階の東側では、溥儀や皇后、皇妃の生活写真の展示、西側では皇后譚玉齢が住んだ場所の展示が行われている。

勤民楼は溥儀が政務を行った場所で、1階では、日本の植民地時代から東北が解放されるまでの様子を写真と実物資料を用いて紹介している。
2階には、法律や法令を発布したり、外国の使節に接見した御学問所、様々なパーティーが開かれた (糸食) 宴場などがある。
そのほか、明治時代以降の日本の陶磁器が展示されている。

陳列館にはほかに、溥儀が皇帝から一般市民に戻るまでを写真や遺留品を用い紹介した従皇帝到公民展覧。
食器や日本の昭和天皇から贈られた屏風などの遺物が展示される偽満皇宮遺物展覧などの展覧室がある。





② 関東軍司令部旧址 (長春市)

1933年建造、建築面積15276㎡、敷地面積34221㎡、長春市新発広場の西北に位置している。

日露戦争から満州事変、そして満州国建国と日本の大陸政策の尖兵としての役割をになってきた関東軍。
日露戦争以来、その司令部は旅順に置かれてきたが、満州国が建国された後の1934年、ここ新京に移転してきた。

この建物はその新京時代に新築された関東軍総司令部跡である。
現在は吉林共産党委員会の建物として使われている。

ヨーロッパ建築と日本の伝統建築をミックスした大陸様式と呼ばれる当時流行したデザインの建物で、
戦国時代の城郭を思わせるその形から現地の日本人は親しみと揶揄をこめて 「お城」 と呼んでいたという。
西側は関東軍司令部の官邸で、現在は松苑賓館となっている。







③ 浄月潭風景区 (長春市南関区)

浄月潭風景区は、長春市の東南部に位置するアジア最大の人工樹海である。
台湾日月潭の姉妹潭とも称されている。

浄月潭にダムが作られ、その形状が三日月のようであり、また湖水は清浄なことから 「浄月潭」 と名づけられた。
エリア内は、浄月潭国家重点風景名勝区、浄月潭国家森林公園、吉林省浄月潭旅游リゾート区の三つの部分から構成される。

区内には、チョウセンマツ、クロマツ、樟子松、カラマツなど30種あまりの樹木が植えられ、
緑豊かな山紫水明の地であり、四季を通じて変化が楽しめる。

夏季には、炎天下の中、木陰に身を置くと涼しく、冬季には積雪が30ミリになり、天然のスキー場となる。
その他、ゴルフ場、水上娯楽施設などもあり、観光、リゾート、リラックスに最適な場所である。





吉林市は、長春から東に70キロ。吉林省の中央部にある。
満州語で 「大きい川沿い」 の意味。

町の中を松花江が湾曲して流れる。しっとりとした美しい町である。
また、冬の樹氷の美しさでも知られる。

市の人口は430万人。特産物は朝鮮人参、ろくじょうなど。観光地は松花湖、龍潭山など。





④ 松花湖 (しょうかこ) (吉林市松花湖風景区)

吉林市郊外の松花江上流にある吉林省最大の湖である。
長白山から流れる第二松花江を水源とする。

満州国時代の1937年に着工、1942年に完成した豊満水力発電所によって松花江の水を堰き止めた人工湖である。
湖面面積は550平方キロメートル、最大貯水量は108億立方メートルである。

湖の形は細長く、周囲を峻険な山々に囲まれた風光明媚な湖である。
松花湖は1988年に国務院によって国家重点風景名勝区に指定された。







⑤ 龍潭山公園 (りゅうたんざんこうえん) (吉林市龍潭区)

龍潭山公園は、市内東部に位置する、中国きっての都市型森林公園である。
海抜は388mに達し、山は100種・120万本以上の木々で覆われている。

中には、樹齢百年以上を数える老木も130本余り見られる。
また、高句麗時代の遺跡も見られる。

山には、水深約10mの 「龍潭」 と呼ばれる泉が湧いている。
「水神である竜王の生み出した深い水たまり」 という意味で、公園の名前はここから取られている。

水は澄みきっていて、外部に露出することもなければ、外部から別の水が入り込むこともないため、
一年中澄んでいて、枯れることはない。
5世紀頃、この付近では、吉林を支配した高句麗軍が陣を敷いていた。
「龍潭」 は、貯水池として使われたとされている。






延辺朝鮮族自治州は、吉林省南東部にある自治州。州都は延吉市。
総人口約220万人のうち、漢族が6割、朝鮮族が4割を占める。

中国東北の最高峰・長白山を擁し、全体的に山がちの地形のため、大陸性気候と相まって冬の寒さは厳しい。
厳冬期には最低気温-30℃にもなり、中朝国境の豆満江も凍りつく。

州都の延吉市は人口約45万人。そのうち朝鮮族は6割を占める。
家屋の形も、朝鮮族のそれは漢族とは違い、丸みを帯びた優しい造りになっている。

市場に行くと、キムチ、鱈の乾物などが溢れていて、売り手も買い手も朝鮮語という他の町とは異なる雰囲気を醸し出している。
また、朝鮮族の聖地、長白山登山の足場にもなっている。


  


⑥ 長白山 (白頭山) (延辺朝鮮族自治州)

長白山は吉林省の東南部、延辺朝鮮族自治州と北朝鮮の国境にそびえる休火山。
山頂にカルデラ湖の 「天池」 があり、松花江や鴨緑江 (おうりょくこう) 、図們江 (豆満江)の源流となっている。

東北平原の南に隆起した独立峰で、東西200km、南北310kmものボリュームを持ち、標高は2744m。
この山より北には、これ以上高い山がないため、北極海から流れ込む寒気がぶつかって気候は非常に厳しい。

その美しさと雄大さから、長白山は古来から人々に崇められてきた。
韓国、北朝鮮、中国の朝鮮族などでは白頭山と呼んで、朝鮮民族の聖山になっている。
ちょうど日本での富士山のような存在である。

また、清朝を建国した満州族も長白山を民族発祥の地として、長らく入山禁止にしてきた。
長白山の山麓は、中国側でも朝鮮族がまとまって暮らす地域になっている。

漢字とハングル文字が併用され、韓国語が飛び交うなど、中国の他の地方とは違う独特の雰囲気がある。
また、料理や生活文化にも朝鮮と中国両方の文化が混ざり合っている。


 



长白山是松花江、鸭绿江、图们江的发源地,也是满族的发祥地、朝鲜族的聚居地。
清政府于康熙十六年、乾隆四十一年两次对长白山区下令封禁,起到了保护自然生态的作用。
新中国成立以来,十分重视保护长白山区的生态系统。1986年,被批准为国家级自然保护区,2003年,评选为中华十大名山。

长白山是 “人参、貂皮、鹿茸”的主产地。
共有野生动物 1586 种,有东北虎等一级保护动物 10种,野生植物 2639种,其中人参等一级保护植物 3种,灵芝等药用植物 300多种。
针叶林带处于海拔 1100-1700米之间,这里气温显著下降,冬季严寒,夏季凉爽。
以耐寒的云杉、冷杉为主。常见的兽类有紫貂、松鼠等;鸟类有三齿啄木鸟、黑琴鸡等。

天池是长白山最具风姿、最为壮丽、最有神秘色彩的景观。它形似落叶,略呈椭圆形。
南北长 4.4千米,东西宽 3.37千米。
湖面海拔 2189.1米,水域面积为 9.82平方千米,是我国海拔最高、积水最深、面积最大的火山口湖。

天池比较神秘的主要有两点: 一是仅有一个出水口而没有入水口,但是湖面海拔却终年保持不变;
二是虽然从 1962 年开始就有人说看到了天池怪兽并拍下了照片,但到底有没有怪兽至今仍 是个谜。

温泉群距长白瀑布约 900米,水温在 60℃-83℃之间,属高热温泉。
其水温之高, 水质之好,流量之大,堪称我国温泉之最。
温泉水中含有的矿物质对关节炎、风湿等疗效较好。



【图们江】 tú mén jiāng  図們江 (ともんこう 豆満江 とまんこう)
【康熙十六年】 kāng xī  康熙帝(こうきてい)の十六年。1677年
【乾隆四十一年】 qián lóng  乾隆帝(けんりゅうてい)の四十一年。1776年

【下令封禁】 xià lìng fēng jìn  入山禁止を布告する
【貂皮】 diāo pí  ミンクの毛皮
【鹿茸】 lù róng  鹿茸(ろくじょう)雄鹿の角。滋養強壮に用いる

【东北虎】 dōng běi hǔ  シベリアトラ
【灵芝】 líng zhī  レイシ。きのこの一種で漢方薬に用いる
【针叶林带】 zhēn yè lín dài  針葉樹林

【云杉】 yún shān  トウヒ。マツ科の針葉樹。建築材に使われる
【冷杉】 lěng shān  モミ。マツ科の針葉樹。建築材に使われる

【紫貂】 zǐ diāo  クロテン
【黑琴鸡】 hēi qín jī  クロライチョウ
【风湿】 fēng shī   関節リウマチ


長白山は松花江、鴨緑江、図們江の水源地であり、また満洲族の発祥地、朝鮮族の居住地でもある。

清政府は康煕十六年と乾隆四十一年の二度にわたって長白山区に入山禁止令を下し、自然生態系を保護する施策を講じている。
中国成立以来、長白山区の生態系の保護は非常に重視され、1986年には国家級自然保護区に認定された。
また、2003年には中華十大名山に選ばれている。

長白山は「高麗人参、ミンク、鹿茸」の主産地である。
野生動物1586種、シベリア虎など一級保護動物10種、野生植物2639種、そのうち高麗人参など一級保護植物3種、霊芝など薬用植物300種余り。

海抜1100メートルから1700メートルの間にある針葉樹林帯は、気温が著しく下がり、冬は厳しく、夏は涼しい。
寒さに強いトウヒやモミが主である。
一般的な獣類は、クロテン、リスなど。鳥類には、キツツキやクロライチョウなどがいる。

天池は長白山の最も美しく、壮麗で、神秘的な景勝地である。
落ち葉のような形をしており、やや楕円形をしている。南北は四・四キロ、東西は三・三七キロ。
湖面の海抜は2189.1メートル、水域面積は9.82平方キロで、国内で海抜が最も高く、水が最も深く、面積が最大のカルデラ湖である。

天池は、神秘的な二つの特徴がある。
一つ目は、水の出口はあるが、入り口はない。しかし湖の海抜は一年中同じままである。
二つ目は、1962年から天地に怪獣がいて、写真も撮ったと言われているが、本当に怪獣がいたかどうかは今も謎になっている。

長白瀑布から約900メートル離れた温泉群の水温は60℃から83℃の間である。
その水温の高さ、水質の良さ、流量の大きさは、わが国の温泉の中で最大のものと言われている。
温泉水に含まれるミネラルは関節炎やリウマチなどに効果がある。






⑦ 古代高句麗王国の首都と古墳群 (通化市集安県)  (世界遺産)

集安を中心に分布する高句麗の都城、王と貴族の墓で、高句麗前期の遺跡。
2004年7月、北朝鮮の平安南道平壌市と黄海南道浦にある高句麗後期の古墳群とともに、同時に世界文化遺産に登録された。

高句麗は紀元前37年に五女山城 (卒本城) を都として建国し、西暦3年丸都山城に遷都、
その後平城の国内城に移り、427年北朝鮮の平壌に再び遷都した。
668年に唐、新羅連合軍によって滅ぼされている。

今回、登録された都城遺跡は、「五女山城」 (遼寧省桓仁 かんじん 県)、「丸都山城」、「国内城」 (吉林省集安県)で、
古墳群は、長寿王墓とされる将軍塚を始めとする14基と貴族墓26基である。
遺跡の多くは当時の文化や風俗を生き生きと伝える壁画古墳である。

北朝鮮の主な高句麗壁画古墳には安岳3号墳、徳興里古墳、修山里古墳、江西大墓などがあるが、
これらの古墳壁画のなかには日本の明日香村の高松塚古墳壁画との関連を指摘されるものもあり、古代日本に与えた影響も見逃せない。


将軍塚古墳 (集安県)
龍山を背景にして緩やかな丘の上に築かれた古墳は、四角い花崗岩の切石を階段式に積み上げた積石塚である。
中国では 「東方金字塔」 と呼ばれている。





吉林省アラカルト






1. .朝鮮族

1910年 (明治43年) に、日本帝国主義が朝鮮を併合。

帝国主義の残酷な抑圧と搾取に堪えられなくなった朝鮮の人たちの多くが中国の東北地区へ移住。

その数は、1918年までに36万余人に達した。

この人たちは東北地区に定住し、次第に中国の少数民族の一つになった。

吉林省に約120万人が居住し、吉林省南部の延辺朝鮮族自治州 (首府延吉市) に約80万人が集中している。

朝鮮族の人々は寒い北方での水稲の栽培に長じ、産出される米は純白で、栄養が豊富である。

また老人を敬い、幼きを大事にすることは朝鮮族の人びとの美徳とされている。





2. 高麗人参

長白山森林地帯の特産物である高麗人参、貂 (てん) の毛皮、鹿茸 (ろくじょう シカの角) は
「東北の三宝」 とたたえられている。

高麗人参にはサポニン、アミノ酸、芳香油、植物ステロール、ビタミン糖質などが豊富に含まれ、
すぐれた薬草として重宝されている。

長白山特有の黒く砂交じりの水はけの良い火山灰土壌、直射日光を遮るうっそうとした原生林、
高緯度で冷涼な高地栽培が高麗人参の生育に適しているとされている。


また中国では古来から鹿茸 (ろくじょう) が強壮、強精、長寿を目的として珍貴な漢方薬に位置づけられている。

長白山の梅花鹿は国家一級保護動物で、夏期になると全身が白い花のような斑点で覆われ、梅の花が咲いているように見えることからこの名がついた。

鹿茸は雄鹿の生え始めの幼角を乾燥したもので、若いほど薬用としての価値が高いとされている。






3. 満州 海外引揚者の証言



引揚者とは、さきの大戦の終結に伴い、生活の本拠としていた海外から故国日本への引揚げを余儀なくされた人々をいう。
身の危険が迫る中、すべてを捨て、大変な労苦を体験しながら故国を目指したが、引揚げ途中で亡くなった方も多くいた。

一番最初に死んだのが幼児であった。飢えてもう死にそうになった幼児はその地に置き去りにされた。
幼児は泣くと見つかるというので殺しもした。女子供や老人も手足まといで引率者 (軍関係者) の自由がきかないので自決を迫った。

手足まといと悟った老人、などは自ら川に入り流されて死んでいった。
しっかりした引率者を欠く所ではパニックで母親達が殺気だつ、我が子の首を絞め、あるいは銃で撃ってくれと我が子を指した。

そして自らは青酸カリで自決。
引き揚げてくる開拓団は指導者がなく指揮する責任者もなく危機状況のなかでいろいろな判断ミスからも多くが命をおとしたといわれる。


1932年の旧満州国建国当時、旧満州国の総人口は3000万人、日本人の人口は租借地の大連・旅順を含め24万人しかいなかった。
しかし、1940年になると総人口4200万人、日本人は開拓団も併せると132万人に達していたと言われる。

満蒙開拓移民は、国策として積極的に推し進められた。
特に開拓団の集団入植地は現在の黒竜江省に集中し、数多くの中国人の土地を収奪していった。

満蒙開拓は、日本人人口を増加させて治安維持と対ソ戦備の一手段にするのが主目的で、昭和恐慌による農村の救済も意味していた。
そのため、移民は日本の山村の次男・三男などが多く、後には寒村まるごとの移民団もあり、主に抗日ゲリラの遊撃地周辺やソ連国境付近に重点的に配置された。

しかし戦局が悪化してくると、開拓団はしだいに切り捨てられていった。
1945年の6月、根こそぎ動員により、入植地に残った27万人は、村の指導者を除けば、老人や女・子供だけだった。

(1941年当初、旧満州の日本軍は70万人に達していたが、1945年までに主力部隊は南方戦線に転出させられた。
6月には旧満州にいる成年男子35万人は、行政・警備・産業に携わる10万人を除く、25万人が現地招集された)

そして8月9日のソ連参戦。
ソ連軍の機甲部隊の電撃侵攻で、集団自決を含め1万人以上、栄養失調・発疹チフス・寒さ等で、1945年中に9万人、1946年の5月までにさらに4万人が亡くなった。

また逃避行の、悲惨な状況の中で、後の残留孤児・残留婦人問題が生まれた。
旧満州からの引き上げが始まったのは1946年5月からだった。

更に、根こそぎ動員された壮年男子、居留民のほとんどががソ連に送られ強制労働に従事させられた。
シベリヤ抑留と呼ばれているが、その数は60万人 (樺太・千島からの移送者を含む) を数え、内約6万人が犠牲となった。

その引き上げは更に遅れ、1946年12月から始まり、1956年12月まで続いた。









先頭へ戻る