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    漢詩百選

【宋詞一】  温庭筠 韋荘 李珣  李煜 范仲淹 晏殊 晏幾道 欧陽修 黄庭堅 秦観 李清照 蘇軾


(温庭筠)

菩萨蛮  pú sà mán   (唐) 温庭筠    

小山重叠金明灭 xiǎo shān chóng dié jīn míng miè
鬓云欲度香腮雪 bìn yún yù dù xiāng sāi xuě
懒起画蛾眉 lǎn qǐ huà é méi
弄妆梳洗迟 nòng zhuāng shū xǐ chí
照花前后镜 zhào huā qián hòu jìng
花面交相映 huā miàn jiāo xiāng yìng
新贴绣罗襦 xīn tiē xiù luó rú
双双金鹧鸪 shuāng shuāng jīn zhè gū



【注 釈】

菩薩蛮(ぼさつばん)

小山(せうざん)重畳(ちょうじょう)として 金(きん)明滅(めいめつ)し
鬢(びん)の雲 度(わた)らんと欲す 香顋(かうさい)の雪

懶(いとふ)げに起き 蛾眉(まよね)画(か)く
妝(よそほ)ひを弄(もてあそ)びて 梳洗(そせん)遅(とどこほ)る

花を照らす 前後(あはせ)の 鏡(かがみ)
花の面(おも)交(こもご)も 相(あ)ひ映(は)ゆる

新たに帖(は)るは 羅襦(らじゅ)の綉(ぬひと)り
双双(さうさう)たり 金の鷓鴣(しゃこ)



【口語訳】

かんざしの うちかさなりて こがねにかがよひ
びんのうきくも しろたへの ほほにかからふ

けだるきままに おきいでて まよねかき
よそほひに かみをすくても とどこほる

はなのかんばせ あはせかがみに うちてらし
まとひつけたる うすぎぬの ころものうへに
つがいなしたる きんのしやこ 


【菩萨蛮】 pú sà mán     菩薩蛮(ぼさつばん)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ  ※01

唐の宮廷に仕える女性の物憂い朝化粧の姿を通じて、孤独な宮女の悲しみを詠ったもの。
彼女の衣装に刺繍された、つがいの鷓鴣(しゃこ)の紋様が女の孤独を際立たせている。

【小山重叠】 xiǎo shān chóng dié   「小山」は、屏風(びょうぶ)を表す。
「小山重叠」は、屏風が折り広げられているという意味だが、ここでは「幾重にも結い上げられた髪」を形容している

【金明灭】 jīn míng miè   金屏風が明滅しているという意味だが、
ここでは「髪に挿した花かんざしがきらきら揺れる」様子を形容している

【鬓云】 bìn yún  「雲」は、鬢の髪が豊かで美しいさまを形容している
【香腮雪】 xiāng sāi xuě     白く美しい頬
【蛾眉】 é méi     美しい眉
【弄妆】 nòng zhuāng     化粧する

【梳洗】 shū xǐ      髪を梳り、顔を洗う
【照花】 zhào huā     化粧した顔を鏡に映す
【花面】 huā miàn     顔
【绣罗襦】 xiù luó rú     刺繍をした薄衣の上着
【双双】 shuāng shuāng      ひとつがいの

【鹧鸪】 zhè gū     鳥の名。しゃこ(の紋様)
しゃこはキジ科の鳥で、雌雄仲睦まじいことから、男女の相思相愛の
象徴とされるが、ここでは逆に身の孤独を暗示、際立たせている



※01 詞牌(しはい)とは、楽曲の名であり、楽曲にあわせてうたわれる歌詞は、詞(し)と呼ばれる。
唐の玄宗は、宮廷の各種の行事に音楽を提供することを目的として、梨園に教坊を設け、楽師や舞人を養成した。
この教坊で使用された楽曲を、詞人たちは詞の題材としたのである。



温庭筠 wēn tíng jūn  (おんていいん) (812~872年)
晩唐の詩人、詞人。字は飛卿(ひけい)山西太原(たいげん)の人。
新興の詞(し)の表現様式を確立し、男女の別離の悲哀や閨怨を繊細優美にうたい、詞の文学的地位を不動のものとした。
晩唐期を代表する詞人として、韋荘(いそう)とともに「温韋」と並び称される。
唐・五代の詞選集「花間(かかん)集」には最多の詞が収められている。
著作に詩集「温飛卿(おんひけい)詩集」(七巻)




(韋荘)


菩萨蛮 pú sà mán(唐)韦庄    

红楼别夜堪惆怅 hóng lóu bié yè kān chóu chàng
香灯半卷流苏帐 xiāng dēng bàn juǎn liú sū zhàng
残月出门时 cán yuè chū mén shí
美人和泪辞 měi rén hé lèi cí
琵琶金翠羽 pí pá jīn cuì yǔ
弦上黄莺语 xián shàng huáng yīng yǔ
劝我早归家 quàn wǒ zǎo guī jiā
绿窗人似花 lǜ chuāng rén sì huā




【注 釈】

菩薩蛮(ぼさつばん)

紅楼(こうろう)の 別れの夜  惆悵(ちゅうちゃう)に堪へんや
香灯(かうとう)に 半(なか)ば捲(ま)く  流蘇(りうそ)の帳(とばり)を

残月(ざんげつ)門を出でし時
美人(よきひと)涙と和(とも)に辞(じ)す

琵琶(びは)金翠(きんすい)の羽(はね)
弦上(げんじゃう)黄鶯(くわうあう)を語る

我に勧(すす)む 早(つと)に 家に帰れと
緑窓(りょくさう) 人 花に似(に)たり


【口語訳】

たかどのの わかれのよるは いとどかなしく
ともしびは なかばかかげし とばりをてらす

ありあけのつき かたむきし あさとでに
よきひとと なみだながらに わかれゆく

びわはこがねの ひすいをかざし
いとのしらべは うぐひすのこえ

われにいふ はやくわがやへ かえれかし
まどにまつひと はなに にたれば


【菩萨蛮】 pú sà mán     菩薩蛮(ぼさつばん)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ

妓楼の遊女と別れた朝の情景を回想して詠ったもの。男がいよいよ去るという時「早くお帰りなさいませ」
と言いながら、彼女は琵琶を奏でてくれた。その調べは鶯の囀るが如く快いものだったと綴る。

【红楼】 hóng lóu 朱塗りの高殿(たかどの)多くは、妓楼を指す
【惆怅】 chóu chàng     もの悲しさ
【流苏帐】 juǎn liú sū zhàng     房垂れ飾りのついたとばり

【残月】 cán yuè   夜明けの空に懸かる月
【金翠羽】 jīn cuì yǔ   琵琶の胴の表面に施された黄金のカワセミの飾り
【黄莺语】 huáng yīng yǔ   琵琶の演奏の音を鶯の啼き声に喩えたもの
【绿窗】 lǜ chuāng   婦人部屋の窓。「紅楼」に対して、家庭の緑窓の意



韋荘 wéi zhuāng   (いそう) (836~910年)
晩唐の詩人、詞人。字は端己(たんき)陝西省西安の人。
唐滅亡後、前蜀に仕えて宰相に至る。唐末の都の荒廃をうたった長編の七言古詩「秦婦吟(しんぷぎん)」が古来有名。
艶美の中に清淡さを備えた詞に長じ、晩唐期を代表する詞人として、温庭筠(おんていいん)とともに「温韋」と並び称される。
著作に詩集「浣花(かんか)集」(十巻)




(李珣)


河传  hé chuán 二首其二 (五代)李珣    

春暮 微雨 chūn mù wēi yǔ
送君南浦 sòng jūn nán pǔ
愁敛双蛾 chóu liǎn shuāng é
落花深处 luò huā shēn chù
啼鸟似逐离歌 tí niǎo sì zhú lí gē
粉檀珠泪和

fěn tán zhū lèi hé

临流更把同心结 lín liú gèng bǎ tóng xīn jié
情哽咽 qíng gěng yè
后会何时节 hòu huì hé shí jié
不堪回首   bù kān huí shǒu 
相望已隔汀洲   xiāng wàng yǐ gé tīng zhōu 
橹声幽 lǔ shēng yōu



【注 釈】

河伝(かでん)

春の暮れ 微雨(びう)
君を南浦(なんほ)に送り 
愁ひに双蛾(さうが)を斂(ひそ)む 

落花 深き処(とき) 
啼鳥(ていてう)離歌(りか)を 逐(お)ふに似たり
粉檀(ふんだん)珠淚(しゅるい)和す 

流れに臨みて 更に同心(どうしん)を把(と)りて結べば 
情(じゃう)哽咽(かうえつ)す 
後会(こうかい)何(いづ)れの時節(じせつ)ぞ 

首(かうべ)を回(めぐ)らすに堪(た)へず 
相(あ)ひ望めば 已(すで)に汀洲(ていしう)を隔て
櫓声(ろせい)幽(かそ)かなり


【口語訳】

春くれて 雨ほそく 
南の浦(うら)に 君をおくれば 
愁ひに閉(と)ざす わが眉(まゆね)

散る花の つもれるところ 
鳥の音(ね)も 別れ歌 逐(お)ふとみえ
べにのおしろひ 涙にとける

水の辺で さらにちぎりし ふたりの誓(ちか)ひ
むせびなきつつ 
いつかまた あひみむまでと

ふりさけて みればかなしき 舟ははや
汀(みぎは)にとほく はなれたる
櫓(ろ)の音(ね) かすかに 


【河传】 hé chuán  河伝(かでん)詞牌(しはい)楽曲の名のひとつ

本作は、川辺に旅立つ男を見送る女の哀しみを詠ったもの。
後段、別れに臨み、女は変わらぬ愛を示すために、腰帯を同心結びにして見せ、
今度逢えるのは、いつのことかと尋ねる。
そして、辛さを押し切って眺めやれば、男の乗る舟は、早くも中洲の彼方へと
遠ざかり、櫓の音も微かになってしまったと嘆く。

【南浦】 nán pǔ  水辺の送別の地をいう
【双蛾】 shuāng é  左右の眉
【粉檀】 fěn tán  白粉と紅
【临流】 lín liú  舟の前で

【同心结】 tóng xīn jié  恋人同士の堅いちぎり。男女の別れの際などに
愛の誓いのしるしとして、解けないように固く結ぶ帯の結び方。
【后会】 hòu huì  今度逢えるのは
【汀洲】 tīng zhōu  中洲

李珣 lǐ xún (りじゅん)(855~930年)
五代十国の前蜀(907~925年)の詩人。字は德潤(とくじゅん)四川省梓州(ししゅう)の人。
祖先はペルシア人で、隋代にシルクロードを経て中国に移住してきた経歴がある。

幼少の頃から詩才にすぐれ、その詩はしばしば人の心を打ったという。
940年に編纂された詞集「花間(かかん)集」には37首が収められている。
著作に詞集「瓊瑤(けいよう)集」があったが、失われてしまった。




(李煜)

(虞美人) (蝶恋歌)


虞美人  yú měi rén   (五代) 李煜    

春花秋月何时了 chūn huā qiū yuè hé shí liǎo
往事知多少 wǎng shì zhī duō shao
小楼昨夜又东风 x iǎo lóu zuó yè yòu dōng fēng
故国不堪回首 月明中 gù guó bù kān huí shǒu yuè míng zhōng
雕栏玉砌应犹在 diāo lán yù qì yìng yóu zài
只是朱颜改 zhǐ shì zhū yán gǎi
问君能有几多愁 wèn jūn néng yǒu jǐ duō chóu
恰似一江春水 向东流 qià sì yī jiāng chūn shuǐ xiàng dōng liú




【注 釈】

虞美人(ぐびじん)

春花(しゅんくわ)秋月(しうげつ) 何(いつ)の時にか 了(きわま)らん
往事(わうし)多少(いくばく)かを 知らん
小楼(せうろう)昨夜(ゆふべ)又 東風(こちかぜ)
故国(ここく)は 首(かうべ)を回(めぐら)すに 堪へず 月明りの中(うち)

雕欄(てうらん)玉砌(ぎょくせい) 応(まさ)に猶(なほ)在り
只(ただ)是れ 朱顔(しゅがん)のみ 改まる

君に問ふ 能(よ)く 幾多(いくばく)の愁(うれ)ひ 有りや
恰(あたか)も似たり 一江(いつかう)の 春水(しゅんすい)東に向かひ流るるに


【口語訳】

春は花 秋は月とて ながらへて すぎにし思ひは はてしなく
小楼(せうろう)の ゆふべのそらに 東風(こち)ふきて
ありし日の みやこのそらは 仰ぐにたへぬ つきあかり

金玉(きんぎょく)の館(やかた)のすがたは かわらねど
くれなゐの わがおもかげは うつろひにけり いたづらに

わが愁(うれ)ひ いかばかりぞと 人(ひと)問はば 
あたかも流るる 春水(しゅんすい)の
東にむかひて みなぎるごとしと われはこたへむ


【虞美人】 yú měi rén     虞美人(ぐびじん)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ

南唐の国主であった李煜が、975年以降、宋に捕らえられ、軟禁された時期の作。
春の花や秋の月、季節の移ろいは、毎年変わらないのに、人の運命のほうは儚いものだと嘆じる。

そうした自身の悲しみは、いったいどれほどのものと言えばよいであろうか。それはちょうど、春となり
みなぎる長江の水が、ひたすら東へ流れゆくが如く、果ても無く溢れてやまないのだと詠う。


【何时了】 hé shí liǎo (季節の移ろいは)いつはてることであろうか
【知多少】 zhī duō shao (過ぎ去った昔の出来事は)どれほどあったか数えきれない

【不堪回首】 bù kān huí shǒu  思い起こすのも堪えられない
【雕栏】 diāo lán     彫刻した欄干
【玉砌】 yù qì     玉の石畳




蝶恋花 dié liàn huā   (五代) 李煜    

遥夜亭皋闲信步  yáo yè tíng gāo xián xìn bù
乍过清明  zhà guò qīng míng
早觉伤春暮  zǎo jué shāng chūn mù
数点雨声风约住  shǔ diǎn yǔ shēng fēng yuē zhù
朦胧淡月云来去  méng lóng dàn yuè yún lái qù
桃李依依春暗度  táo lǐ yī yī chūn àn dù
谁在秋千  shuí zài qiū qiān
笑里轻轻语  xiào lǐ qīng qīng yǔ
一片芳心千万绪  yí piàn fāng xīn qiān wàn xù
人间没个安排处  rén jiān méi gè ān pái chù




【注 釈】

蝶恋花(てふれんくわ)

遙(はる)かなる夜 亭皋(ていこう)のあたり
閑(そぞろ)に歩むに 信(まか)す
乍(たちま)ち 清明(せいめい)を過ぎしに
早(つと)に覚(おぼ)ゆ 春の暮るるを 傷(いた)むを
数点(すうてん)の 雨の声  風に約(お)し住(とど)められ
朦朧(もうろう)たる 淡き月 雲は 来去(らいきょ)す

桃李(たうり)依依(いい)として 春は暗(ひそ)かに 度(すぎ)ゆく
誰(たれ)か 秋千(しうせん)に 在りて
笑ひの裏(うち)に 軽軽(ささめき)て 語らふ
一片の 芳心(はうしん) 千万(せんばん)の緒(おも)ひ
人間(じんかん)に 個(ひとつ)として 安排(あんばい)する処 没(な)し


【口語訳】

小夜(さよ)ふけて 皋(さわ)のあずまや そぞろあるけば
清明(せいめい)の 過ぎたばかりに いち早く 春はたそがれ
にはかに そぼふりし雨 風にはためき
おぼろ月かげ 雲のゆきかふ

桃李(ももすもも)惜(おし)みても 春は過ぎゆき
いづれの娘(をとめ)か 秋千(しうせん)遊び
笑ひのうちに むつごと聞(き)こゆ

わかやぐ声に わが思ひ 千々(ちぢ)にみだるる
この世には 胸の安らぐ 処(ところ)のなきを



【蝶恋花】 dié liàn huā      蝶恋花(ちょうれんか)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ

南唐の国主であった李煜が、975年以降、宋に捕らえられ、軟禁された時期の作。
晩秋の夜、庭のあずまやの辺りを散歩していると、秋千(ぶらんこ)に乗った少女たちが、
何やら笑いながら、ひそひそ話をしているのが聞こえてきた。

何を話しているのか、はっきり分からないが、少女たちの若やいだ声は、異国にあって
逝く春を惜しむ李煜の胸を、切なく千々に乱れさせるのであった。

【亭皋】 tíng gāo     水辺のあずまや
【清明】 qīng míng     清明節(四月初旬頃)
【桃李】 táo lǐ     桃やすもも(春の情景)

【依依】 yī yī     名残を惜しむ
【秋千】 qiū qiān     ぶらんこ
【芳心】 fāng xīn     若やいだ一片の心情
【安排】 ān pái     心を落ち着ける



李煜  lǐ yù   (りいく) (937~978年)
五代十国時代の南唐(937~975年)の君王(在位961~975年)詞人。字は重光(ちょうこう)江蘇徐州の人。
975年、宋に降伏し幽閉されて没した。詞に巧みで、若き日のはなやかな宮廷生活と亡国後の悲しみとをうたった。
以降、詞は酒席の余興の目的を脱して、血と涙で綴られる文学作品としての新境地を展開することとなった。
著作に、父の李璟(りえい)との合作詞集「南唐二主詞(なんとうにしゅし)」(二巻)




(范仲淹)

(蘇幕遮) (御街行)


苏幕遮  sū mù zhē  (宋)  范仲淹    

碧云天 黄叶地 bì yún tiān huáng yè dì
秋色连波 波上寒烟翠 qiū sè lián bō bō shàng hán yān cuì
山映斜阳天连水 shān yìng xié yáng tiān lián shuǐ
芳草无情 更在斜阳外 fāng cǎo wú qíng gèng zài xié yáng wài
黯乡魂 追旅思 àn xiāng hún zhuī lǚ sī
夜夜除非 好梦留人睡 yè yè chú fēi hǎo mèng liú rén shuì
明月楼高休独倚 míng yuè lóu gāo xiū dú yǐ
酒入愁肠 化作相思泪 jiǔ rù chóu cháng huà zuò xiāng sī lèi




【注 釈】

蘇幕遮(そまくしゃ)

碧雲(へきうん)の天  黄葉(くわうえふ)の地
秋色(しうしょく)連なる波  波上(はじゃう)の寒煙(かんえん)翠(みどり)なり

山は 斜陽(しゃやう)に映じ 天は 水に連なる
芳草(はうさう)情(なさけ)無く   更に 斜陽(しゃやう)の外に 在り

黯(あん)たる 郷魂(きゃうこん)旅の思ひを 追ふ
夜夜(よごと)好夢(かうむ)の 人を留めて 睡(ねむ)るに非ざれば
心(こころ)なぐさむかたもなし

明月(めいげつ)楼高(ろうかう)独(ひと)り 倚(よ)るを 休(や)めよ
酒 愁腸(しうちゃう)に入りて 化して  相思(さうし)の涙と 作(な)る


【口語訳】

青雲(せいうん)の天 紅葉(こうえふ)の地
秋色(しうしき)波につらなり たなびく霞(かすみ)みどりなり

山 落日に映(は)え 天 水につらなる
つれなくもさす 夕影(ゆふかげ)の よそになほ
あはれぞまさる 芳草(かをりぐさ) 

ふるさとを 恋ふるこころの かきくもり 旅にある 
思ひはるけし 宵宵(よひよひ)に ただよき夢を むすぶより 
なぐさむかたも なかりけり

月あかき 高きうてなに ひとりのみ 
よりかかるまじ はらわたに 愁(うれ)ひの酒入りて
人恋(こ)ひ涙と かはりやもせむ


【苏幕遮】 sū mù zhē     蘇幕遮(そまくしゃ)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ。旅愁を歌う

高楼から見下ろした秋の風景を詠ったもの。夕日に照り映えた山の遠い彼方に、故郷が隔たっていて、
帰ることのできないことを嘆く。よく見ると、斜陽よりも遥か遠く、芳草が空の果てまで続いている。
そこで作者は、芳草は無情だと嘆く。郷愁にかられる自分の気持ちを少しも分ってくれないからだと。

【寒烟】 hán yān  寒々としたもや
【天连水】 tiān lián shuǐ  空の果て、水平線の彼方には、空と水との
区別がつきにくいほど、遠くかすんでいる。(淋しい秋景色をいう)

【芳草无情】 fāng cǎo wú qíng  無情な芳草は、作者の郷愁にかられる気持ちを少しも分ってくれない
【黯乡魂】 àn xiāng hún  故郷を思うにつけ、心は暗澹としてくる
【追旅思】 zhuī lǚ sī  そんな郷愁がさらに、旅路の愁いをいや増すのだ

【好梦留人睡】 hǎo mèng liú rén shuì  故郷の人と語り合う楽しい夢
(そんな夢を見る以外には、慰めてくれるものは何もない)
【愁肠】 rù chóu     郷愁に満ちたはらわた




御街行  yù jiē xíng  (宋)  范仲淹    

纷纷坠叶飘香砌 夜寂静 寒声碎 fēn fēn zhuì yè piāo xiāng qì yè jì jìng hán shēng suì
真珠帘卷玉楼空 天淡银河垂地 zhēn zhū lián juǎn yù lóu kòng tiān dàn yín hé chuí dì
年年今夜 月华如练 长是人千里 nián nián jīn yè yuè huá rú liàn cháng shì rén qiān lǐ
愁肠已断无由醉 酒未到 先成泪 chóu cháng yǐ duàn wú yóu zuì jiǔ wèi dào xiān chéng lèi
残灯明灭枕头敧 谙尽孤眠滋味 cán dēng míng miè zhěn tou qǐ ān jìn gū mián zī wèi
都来此事 眉间心上 无计相回避 dōu lái cǐ shì méi jiān xīn shàng wú jì xiāng huí bì




【注 釈】

御街行(ぎょがいかう)

紛紛(ふんふん)たる墜葉(つゐえふ)香砌(かうせい)に飄(ひるがへ)り
夜 寂静(じゃくせい)にして 寒声(かんせい)碎(くだ)く

真珠(しらたま)の簾(れん)卷きて 玉楼(ぎょくろう)空しく
天 淡(あわ)くして 銀河(あまのかは)地に垂(た)る

年年(ねんねん)の今夜(こよひ)月華(げつか)は 練(れん)の如く
長(とこし)へに是(こ)れ 人 千里(せんり)にあり

愁腸(しうちゃう)已(すで)に断たれて 醉(ゑ)ふに由(よし)無し
酒 未だ到(いた)らざるに 先(ま)ず涙(るい)を成す

残燈(ざんとう)明滅(めいめつ)して 枕頭(ちんとう)に 敧(そばだ)つ
諳(あん)じ尽(つ)くす 孤眠(こみん)の滋味(じみ)を

都来(とらい)此(かく)の事 眉間(みけん)心上(しんじゃう)より
相(あひ)回避せんとすれども 計(すべ) 無し


【口語訳】

落葉(らくよう)は みぎりにあふれ 
夜の静寂(しじま)に 風の音(ね)きこゆ

玉のすだれを かかげたる うてなに人の かげもなく
そらあはく あまのぎんがは 地にたるる

としどしの こよひの月は ねりぎぬの ぬめりのごとく さえかへり 
とこしえに 人をちさとに へだてたり

愁(うれ)ひの情(じゃう)の きわむるに 涙あふれて とどまらず 
いまだに酒の 酔ふによしなし

夜ふかく ともしびきえる まくらべに
かたはらさびし ひとりねの あじなき思ひ かみしめつ
なべてこのこと 眉(まゆ)のまに こころのうへに のがるよしなし


【御街行】 yù jiē xíng     御街行(ぎょがいこう)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ。

秋の十五夜、作者は、人影もない淋しい楼閣のすだれを掲げて、思い人の帰りを待ちわびている。
その人は、遠い旅に出かけてしまい、もう何年も戻らずにいるので、逢いたさはつのるばかりだ。

寂しさを酒で紛らわせようにも、愁いのはらわたが既に断ち切られて、酒に酔うすべもない。
ただただ眉間に刻まれた悲しみの皺(しわ)が更に増えるばかりであった。

【香砌】 xiāng qì   花が散り敷かれた石段
【寒声碎】 hán shēng suì   落ち葉などが風に吹かれて、かさこそと鳴るもの淋しい物音がする

【玉楼空】 yù lóu kòng  玉楼は人影もなく淋しい
【天淡】 tiān dàn   空がほんのり白む
【月华如练】 yuè huá rú liàn  月の光は、練り絹のごとく冴え
【人千里】 rén qiān lǐ   思い人は遠い旅の空にいる

【愁肠】 chóu cháng   愁いのはらわた
【残灯明灭】 cán dēng míng miè  消えかかった灯火が明るくなったり暗くなったりしている
【敧】 qǐ  (枕に)もたれる

【谙尽】 ān jìn   味わいをなめ尽くす
【孤眠滋味】 gū mián zī wèi  独り寝の深い味わい
【都来】 dōu lái   言うなれば(说起来) 
【眉间心上】 méi jiān xīn shàng  両眉のあいだは愁いの集まるところとされ、この哀愁から逃れるすべはない 



范仲淹  fàn zhòng yān   (はんちゅうえん)   (989~1052年)
北宋の文人、詩人。字は希文(きぶん)蘇州呉県の人。
1015年、科挙に及第、情熱的な憂国の士で、辺境を守って西夏(1038~1227年)の侵入を防ぎ、その功により副宰相となった。
北宋屈指の名臣と称えられ、また名文家としても知られ、特に「岳陽楼記」中の「先憂後楽」の語は有名。
著作に詩文集「范文正公集(はんぶんせいこうしゅう)」(二十四巻)




(晏殊)


浣溪沙 huàn xī shā   (宋)  晏殊    

一曲新词酒一杯 yì qǔ xīn cí jiǔ yì bēi
去年天气旧亭台 qù nián tiān qì jiù tíng tái
夕阳西下几时回 xī yáng xī xià jǐ shí huí
无可奈何花落去 wú kě nài hé huā luò qù
似曾相识燕归来 sì céng xiāng shí yàn guī lái
小园香径独徘徊 xiǎo yuán xiāng jìng dú pái huái




【注 釈】

浣溪沙(くわんけいさ)

一曲(ひとふし)の 新詞(しんし)酒 一杯(ひとつき)
去年(こぞ)の天気 旧(もと)の亭台(ていだい)
夕陽(ゆふひ)西に下(しづ)みて 幾(いづ)れの時か回(かへ)らん
奈何(いかん)とも す可(べ)き無く 花は 落(ち)り去(ゆ)く
曾(かつ)ての相識(あひし)るに似(に)て 燕(つばめ) 帰り来(きた)る
小園(せうゑん)の香径(かうけい)独(ひと)り徘徊(はいくわい)す


【口語訳】

ひとふしの詞(うた) ひとつきの酒
こぞの春色(しゅんしょく) もとの亭(あづまや) ありにしままに
西のかた 日はしづみゆきて いつかかへるべき
せんすべもなく 花はちりゆき 
かへりきたれる 燕(つばくろ)に 去りゆく春を
しのびつつ 花ちるこみち ひとりさまよふ


【浣溪沙】 huàn xī shā     浣溪沙(かんけいさ)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ。ゆく春を惜しむ歌

作者は、かつて昔なじみの友と酒を酌み交わした楼台に立ち、過ぎゆく春を惜しみつつ、
彼らもまた、一体どこへ去って行ってしまったのかと、孤独感や寂しさを感じている。

するとそこへ一羽の燕が、まるで昔なじみのように戻って来る。移ろいゆく時の流れに
無常感を抱いていた作者は、懐かしげに帰来した燕を見て、ほっと一息つくのであった。

【一曲新词】 yì qǔ xīn cí   詞(うた)を一曲詠んで(酒を一杯飲む)
【去年天气】 qù nián tiān qì  春の景色は去年と少しも変わらず
(かつて仲間たちと酒を酌み交わした楼台も、もとのままだ)

【夕阳西下】 xī yáng xī xià  昔なじみの仲間たちは、みないなくなってしまった
【几时回】 jǐ shí huí  彼らは一体いつ戻ってくるのだろうか

【似曾相识】 sì cénɡ xiānɡ shí  (好像曾经见过)昔なじみのように(ツバメだけが帰って来る)
【香径】 xiāng jìng  花が散り敷かれた小径



晏殊 yàn shū  (あんしゅ)   (991~1055年)
北宋の詩人。字は同叔(どうしゅく)江西省撫州(ぶしゅう)の人。
1006年、十五歳にして科挙に及第、要職を歴任し、仁宗の時、宰相に至る。詞文をよくし、特に小令(短篇詞)に長じる。

すぐれた人材を発掘したことでも知られ、門下からは范仲淹(はんちゅうえん)、欧陽修(おうようしゅう)らを輩出した。
また息子の晏幾道(あんきどう)も詞に優れ、二晏と称される。
著作に詞集「珠玉詞(しゅぎょくし)」(一巻)




(晏幾道)


蝶恋花 dié liàn huā   (宋)  晏几道    

梦入江南烟水路 mèng rù jiāng nán yān shuǐ lù
行尽江南 不与离人遇 xíng jǐn jiāng nán bù yǔ lí rén yù
睡里消魂无说处 shuì lǐ xiāo hún wú shuō chǔ
觉来惆怅消魂误 jué lái chóu chàng xiāo hún wù
欲尽此情书尺素 yù jìn cǐ qíng shū chǐ sù
浮雁沈鱼 终了无凭据 fú yàn chén yú zhōng liǎo wú píng jù
却倚缓弦歌别绪 què yǐ huǎn xián gē bié xù
断肠移破秦筝柱 duàn cháng yí pò qín zhēng zhù




【注 釈】

蝶恋花(てふれんくわ)

夢 江南(かうなん)に入り 煙(かす)める水路
江南(かうなん)を行き尽くすに
離れし人と遇(あ)はず
睡(ねぶり)の裏(うち) 魂(こん)消えて 説く拠(ところ)無く
覚(さ)め来たり 惆悵(ちゅうちょう)して 消魂(せうこん)誤(まど)ふ

此の情(じゃう)を 尺素(しゃくそ)に 書き尽(つ)くさんと欲するも
浮べる雁(かり) 沈める魚(うを)
終了(つひ)に憑(よ)る拠(ところ)無し
卻(かへ)りて緩弦(くわんげん)に倚(よ)り 別緒(べつしょ)を歌ふに
断腸(だんちゃう)の移り破るは 秦箏(しんさう)の柱(ことぢ)なり


【口語訳】

夢にみて 水うちかすむ 江南の 路(みち)とめゆけど
別れし人に あふこともなし
夢のうち さびしきこころ いはむかたなく
覚めきたりて せつなき愁(うれ)ひ いやまさりけり

この思ひ つくさむとて 文(ふみ)かきつくるに
雁(かり)もはかなく 魚(うを)もつれなく
つひに たのむかたも あらざれば
弦(げん)にことよせ この思ひ 歌はむとして
悲しさに 弦(げん)のことじも こぼちやりぬ


【蝶恋花】 dié liàn huā     蝶恋花(ちょうれんか)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ

別れた恋人への尽きない思いを詠う。夢の中で別れた人を探したのだが、ついに逢えなかった。
目が覚めてみれば失意はひとしおで、つらく寂しい思いを紛らわせようと手紙を書いたり、
琴を弾いたりするのだが、何をやっても更に深い失望と無力感に打ちのめされるばかりであった。

【梦入江南】 mèng rù jiāng nán  夢に見る江南の(霧にけぶる運河の路を)
【行尽江南】 xíng jǐn jiāng nán  江南各地を廻ったが(思い人には巡り会えなかった)
【睡里消魂】 shuì lǐ xiāo hún  夢の中の哀しい気持ちは(言い表すことができない)

【觉来惆怅】 jué lái chóu chàng  (梦醒来更觉得悲伤) 夢から覚めてますます哀しくなる
【消魂误】 xiāo hún wù  (因悲伤而迷失自己)哀しみのあげく自分を見失う
【尺素】 chǐ sù  短い手紙。
【雁鱼】 yàn yú   ともに手紙を運ぶ動物
【终了无凭据】 zhōng liǎo wú píng jù  結局、雁も魚も何の頼りにもならない

【倚缓弦】 yǐ huǎn xián gē  ゆるやかな琴のしらべに和して
【歌别绪】 gē bié xù   別れの思いを歌う
【断肠移】 duàn cháng yí   非常な悲しみのあまり
【破秦筝柱】 pò qín zhēng zhù   古箏のことじを壊してしまう。ことじは、琴の胴に立て弦を調節する器具



晏幾道  yàn jǐ dào  (あんきどう)   (1030~1106年)
北宋の詩人。字は叔原(しゅくげん)江西省撫州(ぶしゅう)の人。
晏殊(あんしゅ)の子で、官僚としてはあまり出世しなかったが、詞においては父と並んで「二晏」と称された。
傷心の詞人と呼ばれ、その感傷の深さにおいては父の晏殊をはるかにしのいでいたという。
著作に詞集「小山(しょうざん)詞」(一巻)




(欧陽修)


临江仙  lín jiāng xiān   (宋)  欧阳修  

柳外轻雷池上雨 雨声滴碎荷声 liǔ wài qīng léi chí shàng yǔ yǔ shēng dī suì hé shēng
小楼西角断虹明 阑干倚处 xiǎo lóu xī jiǎo duàn hóng míng lán gān yǐ chǔ
待得月华生 燕子飞来窥画栋 dài dé yuè huá shēng yàn zi fēi lái kuī huà dòng
玉钩垂下帘旌 凉波不动簟纹平 yù gōu chuí xià lián jīng liáng bō bú dòng diàn wén píng
水精双枕 傍有堕钗横 shuǐ jīng shuāng zhěn bàng yǒu duò chāi héng




【注 釈】

臨江仙(りんかうせん)

柳外(りうぐわい)に 軽(かろ)き雷(いかづち)池上(ちじゃう)の雨  
雨の声 滴(したた)りて 荷(はちす)を碎く声
小楼(せうらう)の西の角(かたへ)は 断(とぎ)れし 虹の明るく
闌幹(おばしま)に倚(よ)る処  月の華(はな)生ずるを待ち得(え)たり

燕子(えんし)飛び来たり 画棟(がたう)を窺(うかが)ひ
玉鉤(ぎょくこう)簾旌(れんせい)を垂れ下(お)ろせり
涼波(りょうは)動かず 簟紋(てんもん)平(たひ)らかにして
水精(すいせう)の双枕(さうちん)傍(かたは)らに
墮(お)ちし釵(かざし)の横たはる有り


【口語訳】

遠雷(えんらい)の 柳に鳴りて 池の面(おも) 雨うちそそぐ
荷(はす)にしたたる 雨の音(ね)の 砕(くだ)くるひびき
小楼(せうろう)の 西のかたへに 虹たちて明るく
欄干(おぼしま)に よりつつ月の 華(はな)さくをまつ

燕(つばくろ)の 来(きた)りて 棟木(むなぎ)の うちをのぞくに
玉だれの いろあざやかに たれこめて 
見ゆるは 水晶(すいしゃう) ともねの枕
   
平(たひ)らかに うち敷きたるは 波紋(はもん)すずしき簟(たかむしろ)
かたはらに 落ちたりし 釵(かんざし)ひとつ 



宋の仁宗の頃、あるとき洛陽の庭園で、文官たちが宴会を催した。

客たちがみな集まる中、宴席に興を添える歌妓が、だいぶ遅れてやってきた。

宴の催主が歌妓を責めたところ「暑さにあてられて、涼しい座敷へ行って居眠りを
している間にかんざし(金釵)を失くしてしまい、まだ見つからない」という。

すると催主は「宴に参加している欧陽修に、歌の詞を一首つくってもらったら、
紛失したかんざしのつぐないをしてやるぞ」という。

そのとき欧陽修は、即座にこの「柳外軽雷池上雨」の詞をつくった。

一座の客はことごとく感服し、歌妓に命じて杯になみなみと酒をついで、欧に送らせた。

そして公金でかんざしをつぐなわせたという。

このとき欧陽修は、弱冠25歳だったが、すでに著名な詩人であり、洛陽の朝廷では
推官(法務官)の役職にあった。

(堯山堂ぎょうざんどう外紀 明の蒋一葵しょういっき 1606年)


【临江仙】 lín jiāng xiān     臨江仙(りんこうせん)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ
【柳外轻雷】 liǔ wài qīng léi    柳の木の向こうに遠鳴りの雷の音が聞こえる
【阑干】 lán gān     欄干
【画栋】 huà dòng     彩色された棟木(むなぎ)

【玉钩】 yù gōu     簾のつりて
【帘旌】 lián jīng     簾を彩る飾り
【簟纹】 diàn wén     竹を編んだ敷物の模様
【水精】 shuǐ jīng     水晶
【双枕】 shuāng zhěn     共寝の枕



欧陽修  ōu yáng xiū  (おうようしゅう)   (1007~1072年)
北宋の詩人。字は永叔(えいしゅく)江西省吉安(きつあん)の人。
1030年、科挙に及第、仁宗・英宗・神宗の三代に仕え副宰相に至るも、王安石の新法に反対して退官した。
北宋随一の名文家で、唐宋八大家の一人。蘇軾(そしょく)ら宋代のすぐれた人材を発掘、育成した功績も大きい。
著作に詩集「欧陽文忠公全集(おうようぶんちゅうこうぜんしゅう)」(百五十三巻)




(黄庭堅)


清平乐  (宋)  黄庭堅    
 

春归何处  chūn guī hé chù
寂寞无行路  jì mò wú xíng lù
若有人知春去处  ruò yǒu rén zhī chūn qù chù
唤取归来同住  huàn qǔ guī lái tóng zhù
春无踪迹谁知  chūn wú zōng jì shuí zhī
除非问取黄鹂  chú fēi wèn qǔ huáng lí
百啭无人能解  bǎi zhuàn wú rén néng jiě
因风飞过蔷薇  yīn fēng fēi guò qiáng wēi




【注 釈】

清平楽(せいへいがく)

春 何処(いづこ)にや 帰(かへ)らん 
寂寞(せきばく)として 行く路(みち)無し
若し人ありて 春去りし処 知らば
喚(よ)び取り 帰(もど)し来りて 同(とも)に住まわん

春 踪跡(そうせき)なく 誰も知らず
黄鵬(くわうり)に 問(たづ)ぬるほかなけれど
百哢(さへづり)の 人能(よ)く解する無く
風に因りて 薔薇(さうび)を 飛び過ぎゆくのみ


【口語訳】

春は いづくにかゆきし
寂(せき)として ゆきし路(みち)なし
もしたれか 春のゆくへ 知る人あらば
よびとどめて ともに住まん

春は あしあともなし 知る人たれかある
うぐひすに たづぬるより ほかはなけれど
そのさへづりは ときうる人なく ただ風のまま
薔薇(さうび)の花まを 掠(かす)めゆくのみ


【清平乐】 qīng píng yuè     清平楽(せいへいがく)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ
【百啭】 bǎi zhuàn     うぐいすのさえずり

本作は「惜春歌」だが、単に春が暮れてしまうのを詠嘆するだけではなく、過ぎ去りし春を積極的に訪ね当てて、
しかもその春をここに連れ戻して一緒に暮らそうという、正に奇想天外で斬新な詩境を謳い上げている。



黄庭堅  huáng tíng jiān   (こうていけん) (1045~1105年)
北宋の詩人、書家。字は魯直(ろちょく)江西修水県(しゅうすいけん)の人。宋代四大家の一人。
詩風は、禅語を駆使し技巧を凝らしたもので「江西体」と呼ばれ、北宋末期から南宋初期にかけて詩壇を風靡した。
書は行書・草書にすぐれ「詩書画三絶」と讃えられ、師の蘇軾(そしょく)と名声を等しくして「蘇黄」と呼ばれた。
著作に詩集「山谷(さんこく)詩集」(二十巻)




(秦観)


鹊桥仙  què qiáo xiān    (宋) 秦观    

纤云弄巧,飞星传恨,银汉迢迢暗度 xiān yún nòng qiǎo,fēi xīng chuán hèn,yín hàn tiáo tiáo àn dù
金风玉露一相逢,便胜却人间无数 jīn fēng yù lù yì xiāng féng,biàn shèng què rén jiān wú shù
柔情似水,佳期如梦,忍顾鹊桥归路 róu qíng sì shuǐ,jiā qī rú mèng,rěn gù què qiáo guī lù
两情若是久长时,又岂在朝朝暮暮 liǎng qíng ruò shì jiǔ cháng shí,yòu qǐ zài zhāo zhāo mù mù




【注 釈】

鵲橋仙(じゃくけうせん) 秦観(しんくわん)

繊雲(せんうん)巧(かう)を弄(ろう)し 飛星(ひせい)恨みを伝へ
銀漢(ぎんかん)迢迢(はるばる)暗(ひそ)かに度(わた)る
金風(きんふう)玉露(ぎょくろ)一たび相ひ逢ふは
便(すなは)ち却(かへ)りて人間(じんかん)の無数なるに勝(まさ)れり

柔情(じうじゃう)水に似て 佳期(かき)夢の如く
忍びて顧(かへり)みるは 鵲橋(じゃくけう)の帰路(かへりぢ)
両情(りゃうじゃう)若(も)し是(これ)長久(ちゃうきう)ならん時
又(また)豈(あに)朝朝暮暮(てうてうぼぼ)たるに在(あ)らんや


【口語訳】

たなびける雲の繊絹(ほそぎぬ) 天かける恋ふる飛星(ひせい)
遥かにかかる かささぎの ひそかに渡る天の川
秋風に 玉成す露の七夕の ただ一たびの めぐりあひ 
人の世のあまたの逢瀬(あふせ)にまさりけり 

いとしき思ひは水とわき みじかき逢瀬(あふせ)は夢のごと
れんれんと かささぎの橋 ふりかえり見つ
これほどに ふたりの情(こころ)いく久しくと かよふなら
あへて朝ごと宵(よひ)ごとに ことさら逢ふにおよぶまい


【鹊桥仙】 què qiáo xiān   鵲橋仙(じゃっきょうせん)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ

本作は、七夕の夜、カササギが集まり、天の川を渡る橋(鵲橋)となり、織姫と彦星がその橋を
渡って出会うという伝説の情景を詠ったもの。

【纤云弄巧】 xiān yún nòng qiǎo  細かい雲が、巧みに様々な模様に変化する
【飞星传恨】 fēi xīng chuán hèn  流れ星が織姫と彦星の早く逢いたいと、はやる気持ちを伝える
【银汉迢迢暗度】 yín hàn tiáo tiáo àn dù  遠く隔たった天の川(银汉)を、ひそかに渡る
【金风玉露】 jīn fēng yù lù  秋露(七夕)の時期

【柔情】 róu qíng  いとおしい気持ち
【佳期】 jiā qī   夢のような出会いの時
【便胜却人间无数】 biàn shèng què rén jiān wú shù  すなわち世の中の無数といえるほどの(恋愛)に勝るのだ
【忍顾鹊桥归路】 rěn gù què qiáo guī lù  帰り道、カササギ橋を顧みるに忍びない
【又岂在朝朝暮暮】 yòu qǐ zài zhāo zhāo mù mù  朝な夕な(いつも出逢うこと)にこだわる必要があろうか



秦観 qín guān (しんかん)  (1049~1100年)
北宋の詩人、詞人。字は少游(しょうゆう)江蘇揚州の人。少壮のころから豪邁な気質で、好んで兵家の書を読んだ。
1085年、科挙に及第。中央で活躍し、蘇軾の門下の一人として「屈原・宋玉の才あり」と讃えられた。
だがその後、王安石の新法に反対したため、地方へ飛ばされ、任地を転々としたあげく、広西梧州で生涯を終えた。
作風は清新かつ流麗な修辞を得意とし、すぐれた抒情詩を多く残した。著作に詩文集「淮海集(わいかいしゅう)」(四十巻)




(李清照)

(酔花陰) (武陵春)


醉花阴 zuì huā yīn   (宋) 李清照    

薄雾浓云愁永昼 bó wù nóng yún chóu yǒng zhòu
瑞脑消金兽 ruì nǎo xiāo jīn shòu
佳节又重阳 jiā jié yòu chóng yáng
玉枕纱厨 yù zhěn shā chú
半夜凉初透 bàn yè liáng chū tòu
东篱把酒黄昏后 dōng lí bǎ jiǔ huáng hūn hòu
有暗香盈袖 yǒu àn xiāng yíng xiù
莫道不消魂 mò dào bù xiāo hún
帘卷西风 lián juǎn xī fēng
人比黄花瘦 rén bǐ huáng huā shòu




【注 釈】

酔花陰(すゐくわいん)

薄霧(うすぎり) 濃雲(のうう) 永き昼(ひ)を 愁ひ  
瑞腦(すいのう)金獣(きんじゅう)に 消へ    
佳節(かせつ) 又 重陽(ちゃうやう)   
玉枕(ぎょくちん) 紗厨(さつう)  
半夜に 涼 初めて透(とほ)る

東籬(とほり)に 酒を把(と)りて 黄昏の後
暗(ひそ)やかなる香 有りて 袖に盈(み)つ
道(い)ふ莫(なか)れ 消魂(せうこん)せざると  
簾(れん)西風に捲(ま)かるれば
人は 黄花(くわうくわ)比(よ)りも 痩せん


【口語訳】

薄く濃く 霧立つ日永(ひなが)に なやみては
燻(くゆ)る 香(かう)も消え果てて
折しも重陽(きく)の佳節とや
玉の枕(まくら)に 紗(しゃ)のとばり
夜半(よは)の涼しさ 身にしみとほる 

夕まぐれ 東の籬(まがき)に酒くめば
菊の香の 袖に溜(た)まりて たまも消ゆべき 風情(ふぜい)なり
秋風 簾(みす)を 吹きまきて 
黄菊(こうぎく)よりも 痩せつるよ


【醉花阴】 zuì huā yīn     酔花陰(すいかいん)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ
【瑞脑】 ruì nǎo  香料
【金兽】 jīn shòu  獣の形をした香炉
【玉枕】 yù zhěn  陶磁器のまくら

【纱厨】 shā chú  薄衣(うすぎぬ)の帳(とばり)
【半夜凉初透】 bàn yè liáng chū tòu  夜半、秋の涼しさがすぐさま行き渡った
【东篱】 dōng lí  東の間垣(まがき)

【有暗香盈袖】 yǒu àn xiāng yíng xiù  (黄昏の後まで菊の花を眺め、菊の酒を酌んでいたせいで)
菊の花のほのかな香り(暗香)が袖に移り籠もっている
【消魂】 xiāo hún  魂が消え去る(哀しみに溢れる)

【莫道不消魂】 mò dào bù xiāo hún  (重陽の節句で別れた人に思いを馳せ、淋しさが募っているので)
どうして哀しくないなどと言えようか
【人比黄花瘦】 rén bǐ huáng huā shòu  (菊花の酒のためにむしり取られた)菊の花よりも、やつれてしまった

李清照の新婚時の作。結婚後、夫が旅に出てしまい、長く帰らぬを愁いて、思慕のあまり、
前より非常にやつれてしまったことを綴った詞をつくり、夫のもとへ贈った。

贈られた夫は感激すると同時に、自分も負けじとばかりに五十首ほど作り、中に妻の作を
交えて友に見せたら、これが一番いいと指したのが妻の作だった、という逸話が伝わる。




武陵春  (宋)  李清照    

风住尘香花已尽  fēng zhù chén xiāng huā yǐ jìn
日晚倦梳头  rì wǎn juàn shū tóu
物是人非事事休  wù shì rén fēi shì shì xiū
欲语泪先流  yù yǔ lèi xiān liú
闻说双溪春尚好  wén shuō shuāng xī chūn shàng hǎo
也拟泛轻舟  yě nǐ fàn qīng zhōu
只恐双溪舴艋舟  zhǐ kǒng shuāng xī zé měng zhōu
载不动 许多愁 zǎi bú dòng xǔ duō chóu


 

【注 釈】

武陵春(ぶりょうしゅん)

風 住(や)み 塵(ちり)香(かを)りて 花 已(すで)に尽(つ)きたれば
日 晩(たか)くして 頭(かうべ)を梳(くし)けずるに 倦(ものう)し
物の是(ぜ)にして 人の非(ひ)なれば 事事(ことごと)に 休(きう)し
語らんと欲して 涙 先(さき)に流るるばかりなり

双渓(さうけい)の春 尚(なほ)好(このも)しと 聞説(ききおれ)ば
也(また)軽舟(けいしう)を泛(うか)べんと 擬(はか)る
只(ただ)恐るるばかりなり 双渓(さうけい)に舴艋舟(こぶね)うかぶるに 
許多(あまた)の愁ひを 載(の)せたれば 動かしえざらむを


【口語訳】

花はさり 風には塵(ちり)の 香(か)のありき
夕まぐれ 髪くしけづるに 物憂(ものう)しや
はかなき人世(ひとよ)ことごとに こころ愁ひて
もの言ふつどに 涙さしぐむ

双渓(さうけい)の春は なほ美わしと 人のいふ
小舟うかべて ゆきてみむ と思へど
あまたの愁ひ ともにのせたれば 
船のとどまりて 動かじと 思ひまどふ


【武陵春】 wǔ líng chūn     武陵春(ぶりょうしゅん)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ
【风住尘香】 fēng zhù chén xiāng  風で花が散ってしまい、塵に花の香りが移っている
【物是人非】 wù shì rén fēi   (事物依旧在,人不似往昔了)自然はそのままだが、人の世は変化が多い
【事事休】 shì shì xiū  (一切事情都不能随心所欲)何事も思うにまかせない
【双溪】 shuāng xī    地名。浙江省金華(きんか)
【舴艋】 zé měng    小舟

李清照の晩年の作。当時の北宋は北方の金と抗争しており、作者は戦乱を逃れて武陵(湖南省)に移り住んだ。
夫とはすでに死別し、身寄りもなく、異郷の地で悲嘆に暮れる心情がこの詞に滲み出ている。



李清照  lǐ qīng zhào   (りせいしょう)  (1084~1155年)
北宋の女流詩人。山東済南の人。
詩文書画に秀でた才女で「金石録(きんせきろく)」の著者として知られる趙明誠(ちょうめいせい)に嫁し、
趣味と学問の生活をともにしたが、北宋滅亡の混乱期に夫に死なれ、晩年は不遇であった。
その詩は、繊細な情熱を清新な発想で表現し、宋代を通じて一流に数えられる。
著作に詩集「漱玉(そうぎょく)詞」(一巻)




(蘇軾)


念奴娇 赤壁怀古   (宋) 苏轼   

大江东去 浪淘尽 千古风流人物 dà jiāng dōng qù làng táo jǐn qiān gǔ fēng liú rén wù 
故垒西边 人道是 三国周郎赤壁 gù lěi xī biān rén dào shì sān guó zhōu láng chì bì   
乱石穿空 惊涛拍岸 卷起千堆雪 luàn shí chuān kòng jīng tāo pāi àn juǎn qǐ qiān duī xuě  
江山如画 一时多少豪杰 jiāng shān rú huà yì shí duō shao háo jié 
遥想公瑾当年 小乔初嫁了 yáo xiǎng gōng jǐn dāng nián xiǎo qiáo chū jià liǎo  
雄姿英发 羽扇纶巾 xióng zī yīng fā yǔ shàn guān jīn  
谈笑间 樯橹灰飞烟灭  tán xiào jiān qiáng lǔ huī fēi yān miè
故国神游 多情应笑我 早生华发 gù guó shén yóu duō qíng yìng xiào wǒ zǎo shēng huá fà 
人生如梦 一樽还酹江月 rén shēng rú mèng yì zūn huán lèi jiāng yuè 

  


【注 釈】

念奴嬌(ねんどけう) 赤壁懐古(せきへきくわいこ)

大江(たいかう)東に去り
浪(なみ)は淘(あら)ひ尽くす 千古の風流人物(ますらを)を
故累(こるい)の西辺(せいへん)
人は道(い)ふ 是れ 三国(さんごく)周郞(しうらう)の赤壁なりと
乱石(らんせき)空(くう)を穿(うが)ち
驚濤(きゃうたう)岸を拍(う)ち
巻き起こす 千堆(せんたい)の雪
江山(かうざん)画(えが)けるが如く
一時(いちじ)多少(たせう)の豪傑(つはもの)ぞ

遙かに想ふ  公瑾(こうきん)の当年(たうねん)
小喬(せうけう)初めて 嫁(とつ)ぎ 了(を)へ
雄姿(ゆうし)英発(えいはつ)たり
羽扇(うせん)綸巾(りんきん)
談笑(だんせう)の間 檣櫓(しゃうろ)灰と飛び 煙と滅す
故国に 神(しん)は遊び
多情(たじゃう)応(まさ)に 我を笑ふべし
早(つと)に 華髪(くわはつ)を 生ぜしを
人生(じんせい)夢の如く
一尊(いっそん)還(な)ほ 江月(かうげつ)に注がん


【口語訳】

滔々(たうたう)と 流るる大河は 悉(ことごと)く
千古(せんこ)の丈夫(ますらを)淘(あら)ひ尽くせり
故(ふる)き 砦の 西の辺(べ)を 人はいふ
これぞ三国周郞(しうらう)の 赤壁なりと

むらだつ石は 雲を突き さかまく波は 岸を打ち
山なす雪の 波しぶき 
画(えが)けるごとき 山河(やまかは)は いにしえのまま
ありし日の あまたの豪傑(つはもの)いづこにか きえはつる

思えばかのとき 公瑾(こうきん)は 小喬(せうけう)娶りし ばかりにて
雄々しきすがた いさましく 羽扇(うせん)をうち振り  綸巾(りんきん)翻し 
笑談(せうだん)のうち あだなす敵は 煙と消え 灰と滅びゆきぬ

いまはまた わがこころ 故国のかたに 馳せゆくも
わが髪の はや白(しら)みしは 多情(たじゃう)のゆえと 笑わば笑え

人の世は さながら うつろふ夢に あひ似たり
まづは ひとつきの酒 水に映(うつ)りし 月にぞ そそがむ


【念奴娇】 niàn nú jiāo     念奴嬌(ねんどきょう)。詞牌(しはい)。楽曲の名のひとつ

本作は、三国時代の208年、呉・蜀の連合軍が魏の曹操の大軍を赤壁に破った時の立役者、
呉の将軍周瑜(しゅうゆ)の英姿を詠ったもの

【赤壁怀古】 chì bì huái gǔ     赤壁の戦いを懐古する
【千古风流人物】 qiān gǔ fēng liú rén wù  いにしえの英雄豪傑は(長江の波に洗い消されてしまった)
【故垒】 gù lěi     砦
【周郎】 zhōu láng     周瑜。(呉国の将軍)

【千堆雪】 qiān duī xuě     波しぶき
【公瑾】 gōng jǐn     周瑜の字(あざな)
【小乔】 xiǎo qiáo     喬氏の娘
【羽扇】 yǔ shàn     羽扇(うせん)。羽のうちわ
【纶巾】 guān jīn     綸巾(りんきん)。青糸の頭巾

【谈笑间】 tán xiào jiān     短い時間に(たやすく勝利した)
【樯橹】 qiáng lǔ     帆柱と櫓(やぐら)。敵(魏)の軍勢
【神游】 shén yóu     思いをはせる
【华发】 huá fà     白髪
【樽】 zūn     酒の杯



蘇軾 sū shì (そしょく)(1036~1101年)
北宋の詩人、詞人。字は子瞻(しせん)四川眉州(びしゅう)の人。
1057年、科挙に及第。英宗に仕えたが、王安石の新法に反対したため地方官に転出。
その後も直言をはばからぬ性格もあって、しばしば左遷され生涯の多くを地方長官で過して終った。
唐宋八大家のひとり。雄大な詩文にすぐれ、なかでも「赤壁賦」は古来有名。また書画にもすぐれていた。
著作に詩集「東坡(とうば)全集」(百十巻)