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    漢詩百選

【元明清】  梅花尼 薩都剌 高啓 袁凱 劉績 呉偉業 査慎行 王士禎   朱彝尊 袁枚 


(梅花尼)


咏梅花  yǒng méi huā   (元) 梅花尼     

终日寻春不见春 zhōng rì xún chūn bú jiàn chūn
芒鞋踏破岭头云 máng xié tà pò lǐng tóu yún 
归来偶把梅花嗅 guī lái ǒu bǎ méi huā xiù
春在枝头已十分 chūn zài zhī tóu yǐ shí fēn

 

 
【注 釈】

梅の花を詠む

終日(しゅうじつ)春を尋(たづ)ねて 春を見ず
草履(ざうり)踏破(たふは)す 嶺頭(りゃうとう)の雲
帰り来りて 偶(たま)さかに 梅花(ばいくわ)を 把(と)りて 嗅(か)ぎみれば
春は 枝頭(しとう)に在(あ)りて 已(すで)に十分


【口語訳】

春を尋ねて ひねもすを
草鞋(わらじ)を履きて 歩きつつ
幾重か超えし 雲の峰 

春なほ在(あ)らず 帰り来て
庭面(にわも)の梅を たまさかに
手折りて見れば あなおかし

花かぐはしき 梅の香の
ふふみて春は 庭にありけり


【芒鞋】 máng xié    わらじ
【岭头云】 lǐng tóu yún    雲のように群がり咲く梅花

孟子が「道は近きにあり」と言うように、求める物は、案外すぐ手近なところにあるものだと述べる。



梅花尼 méi huā ní   (ばいかに)  生年没不詳
元中期の尼僧、詩人。生没年、経歴、いっさい不詳。よく知られたこの詩の作者としてのみ名が伝わる。




(薩都剌)


游西湖  yóu xī hú  (元) 萨都拉  

涌金门外上湖船  狂客风流忆往年     yǒng jīn mén wài shàng hú chuán kuáng kè fēng liú yì wǎng nián
十八女儿摇艇子 隔船笑掷买花钱     shí bā nǚ ér yáo tǐng zǐ gé chuán xiào zhì mǎi huā qián
少年豪饮醉忘归 不觉湖船旋旋移     shào nián háo yǐn zuì wàng guī bù jué hú chuán xuàn xuàn yí
水面夜凉银烛小 越娘低唱月生眉    shuǐ miàn yè liáng yín zhú xiǎo yuè niáng dī chàng yuè shēng méi
惜春曾向湖船宿 酒渴吴姬夜破橙     xī chūn céng xiàng hú chuán sù jiǔ kě wú jī yè pò chéng
蓦听郎君呼小字 转头含笑背银灯     mò tīng láng jūn hū xiǎo zì zhuǎn tóu hán xiào bèi yín dēng
待得郎君半醉时 笑将纨扇索题诗     dài dé láng jūn bàn zuì shí xiào jiāng wán shàn suǒ tí shī
小红帘卷春波绿 渡水杨花落砚池     xiǎo hóng lián juǎn chūn bō lǜ dù shuǐ yáng huā luò yàn chí




【注 釈】

西湖(せいこ)に游ぶ

湧金(ゆうきん)門外(もんぐわい)湖船(こせん)に上る
狂客(きゃうかく)の風流(ふうりう)往年(わうねん)を憶(おも)ふ
十八の女兒(をとめご)艇子(ていし)を揺(うご)かし
船を隔(へだ)てて 笑ひ擲(なげう)つ 花を買ふの錢(ぜに)

少年(せうねん)豪飲(がういん)し 醉(よ)うて歸(かへ)るを忘る
覺(おぼ)えず 湖船(こせん)の旋旋(せんせん)として移る
水面(みのも)夜の凉(すずし)くして 銀燭(ぎんしょく)小(せう)なり
越娘(えつぢゃう)低唱(ていしゃう)すれば 月(つき)眉(まゆ)に生ず

春を惜しみ 曾(かつ)て湖船(こせん)に向ひて宿(やど)す
酒(さけ)渇(かは)けば 吳姬(ごき)夜に橙(だいだい)を破(やぶ)る
驀(たちま)ち郎君(らうくん)の 小字(せうじ)を呼ぶを聴き
頭(かうべ)を轉(てん)じ 笑ひを含んで 銀燈(ぎんとう)に背(そむ)く

郎君(らうくん)半醉(はんすい)の時を 待(ま)ち得(え)て
笑ひて紈扇(がんせん)を將(もち)て 題詩(だいし)を索(もと)む
小紅簾(せうこうれん)捲(ま)いて 春波(しゅんは)緑(みどり)に
水(みづ)を渡るの楊花(やうくわ)硯池(けんち)に落(お)つ


【口語訳】    訳詩:山田勝美(歴代中国詩選)

西湖に遊ぶ

湧金門外から西湖一周の舟に乗ったが その昔 酔客たちが風流な遊びをした様子が偲ばれる
いまも現に 鬼も十八といわれる娘が 小舟をこぎまわし 舟ごしに笑いさざめきながら
銭を投げて 花を買っている様子などは いかにもなまめかしい

若者が痛飲泥酔して 帰宅するのも忘れ 湖上の舟がだんだんに移り去るのも知らぬげである
やがて涼しい夜となり 舟中の銀燭もほの暗くなるころ 低い声で歌う越国生まれの
伎女の横顔を 月が照らしていた

惜春の情に堪えず 湖船に泊まってみたところ 酔い覚めの水代わりに 呉国の伎女が夜
だいだいをむいて 食べさせてくれた
不意に呉姫は 遊客からその幼名を呼ばれるのを聞くや 笑いながら頭をくるりと向けて
燈火のかげに隠れてしまった

遊客の少し酔いのまわったころを見計らって その呉姫は ほほえみながら扇を差し出して
詩を書いてくださいとせがむ
船の小さな赤いすだれが巻き上げられて 春の湖面は 緑の波をたてている
おりから水面を飛んできた柳の白い花が 硯池(すずりいけ)の中に舞い落ちた


【涌金门】 yǒng jīn mén  湧金門(ようきんもん)西湖西岸にある五代十国時代の門

作者が、西湖(浙江省)に舟遊した時の作品。
題材がみずみずしく、かつ抒情的で、元詩の特徴をよくあらわした作品と評価されている。

【艇子】 tǐng zi  小舟
【旋旋】 xuàn xuàn  舟が移り行くさま
【银烛】 yín zhú  明るいともしび
【越娘】 yuè niáng  越国生まれの伎女

【郎君】 láng jūn  遊客
【小字】 xiǎo zì  幼名。幼い時の名前
【纨扇】 wán shàn  白い絹のうちわ
【砚池】 yàn chí  すずりの水を入れるへこんだところ



薩都剌 sà dōu lā(さっとら)(1308~1359年)
元の詩人。字は天錫(てんしゃく)山西省雁門(がんもん)の人。
1327年(泰定4年)19歳で進士に及第し、官途についたが、イスラム系西域人であり、
モンゴル人ではなかったために、さほど出世せず、地方官として各地を経巡った。

元末の混乱が激しくなると官界を退き、晩年は杭州に隠棲して余生を送ったという。
その詩は、清新な抒情のうちに唐詩の風格を備え、文豪の魯迅をはじめ多くの愛好者をもつ。
また書画にも秀でていた。著作に詩集「雁門(がんもん)集」(八巻)




(高啓)

(尋胡隠君) (逆旅逢郷) (田舎夜春) (送陳秀才) (水上洗手) (階前苔) (青邱子歌)


寻胡隐君 xún hú yǐn jūn   (明)  高启    

渡水复渡水  dù shuǐ fù dù shuǐ
看花还看花  kàn huā huán kàn huā
春风江上路  chūn fēng jiāng shàng lù
不觉到君家  bù jué dào jūn jiā 

 

 
【注 釈】

胡隠君(こいんくん)を尋ぬ

水を渡り 復(また)水を渡る
花を看て 還(また)花を看る
春風(しゅんぷう)江上(かうじゃう)の路(みち)
覚えず君が 家に到る


【口語訳】

水また水を わたりつつ
花また花を ながめつつ
吹く春風に おくられて
ふとしも君が 門に来つ


【寻胡隐君】 xún hú yǐn jūn     隠者の胡君を尋ねて

江南の春、作者が花にうかれて、隠者の胡なにがしの家を訪れたときの作。
隠者を尋ねる題材は、会えないことが基本となっているが、会える会えないは問題ではない。
隠者を尋ねる過程の中で、自然の美を詠うといった山水花鳥の趣が詩のねらいとなっている。




逆旅逢乡人 nì lǚ féng xiāng rén   (明)  高启    

客中皆念客中身  kè zhōng jiē niàn kè zhōng shēn
唯汝相逢意更亲  wéi rǔ xiāng féng yì gèng qīn
不向灯前听吴语  bù xiàng dēng qián tīng wú yǔ
何由知是故乡人  hé yóu zhī shì gù xiāng rén



【注 釈】

旅の宿で里人に逢ふ

客中(かくちう)皆な念(おも)ふ 客中(かくちう)の身
唯(ただ)汝(なんぢ)と相逢ひて 意(い)更に親(した)し
灯前(とうぜん)に向ひて 呉語(おくになまり)を聴かずんば
何に由りてか知らん 是れ故郷(こきゃう)の人なるを


【口語訳】

旅ゆく人は 旅ごころ おなじ想ひにつながれど
なに故かくも 君にのみ われの心の引かれしや

旅宿(はたご)の暗き ともし火に 君と向かひて語らへば
君が言葉の 国なまり さこそ然らめ 君われと
故郷(ふるさと)おなじき 人なりし 


【逆旅逢乡人】 nì lǚ féng xiāng rén     旅の宿で里人に出逢う

作者が旅先で耳にした、同郷の呉(蘇州)の方言にほっこりした時の気持ちを詠んだもの。

【逆旅】 nì lǚ  「逆旅」は、旅の宿。「逆」は(旅人を)むかえるの意
【客中身】 kè zhōng shēn    (旅行中は何かと)他の客への関心(が増える)

【不向灯前】 bù xiàng dēng qián     (灯前はとりわけ人に親近の感じを与える場所だから)
灯前に向かって(呉の国のなまりを聞かないかぎりは)




田舍夜春 tián shè yè chūn   (明)  高启    

新妇春粮独睡迟  xīn fù chūn liáng dú shuì chí
夜寒茅屋雨来时  yè hán máo wū yǔ lái shí
灯前每嘱儿休哭  dēng qián měi zhǔ ér xiū kū
明日行人要早炊  míng rì xíng rén yào zǎo chuī 

 


【注 釈】

農村の春の夜

新婦(しんふ)糧(かて)を春(うすづ)き 独(ひと)り 眠(ねむ)り 遅し
夜寒く 茅屋(ぼうおく)雨 来(きた)るの時
灯前(とうぜん)毎(つね)に嘱(しょく)す 児(ちご)よ 哭(な)くを休(や)めよと
明日(あした)行人(ゆきびと)に 早く 炊(た)かんことを要す


【口語訳】

農家のわかき 母親は 米 白(しら)ぐべく  いたづきて 眠りにつくも いとおそし
夜の寒きは たへがたく 茅屋(ばうおく)雨の たたくころ

灯(ひ)かげに眠る 幼な子の 母を慕ひて むづかれば 母はなだめつ すかしつつ
泣きやるなかれ 今しばし たまたま宿る 客人(まれびと)に 明朝(あした)供(そな)へむ 糧(かて)なれば


【田舍夜春】 tián shè yè chūn     農村の春の夜
【春粮】 chūn liáng     穀物をうすでつく
【每嘱】 měi zhǔ     何度も(赤ん坊を)あやす

作者が旅の途中、農家に泊した時の所見を詠んだもの。夜遅く農家の嫁が穀物をうすでついているが、これは春先の
農家の重要な労働であった。灯火のもと、赤児をあやしながら、仕事をしているのが目に見えるようだ。




送陈秀才还沙上省墓 sòng chén xiù cái huán shā shàng xǐng mù   (明)  高启

         

满衣血泪与尘埃  mǎn yī xiě lèi yǔ chén āi
乱后还乡亦可哀  luàn hòu huán xiāng yì kě āi
风雨梨花寒食过  fēng yǔ lí huā hán shí guò
几家坟上子孙来  jǐ jiā fén shàng zǐ sūn lái




【注 釈】

墓参りに里に帰る陳氏を見送る

衣(ころも)に満つるは 血涙(くえつるい)と塵埃(ぢんあい)
乱の後(のち)郷(さと)に還(かへ)るは 亦(また)哀(かな)しむべし
風雨(ふうう)梨花(りくわ)寒食(かんしょく)過ぐ
幾ばくの 家(いへ)の墳(ふん)のほとりにか 子孫の来(きた)る


【口語訳】

汗に涙に はた塵(ちり)に まみれし衣を 身につけて
戦ひやみて 程もなく 荒れ果てにつる 故郷(ふるさと)に
訪ね行くこそ 哀れなれ
頃は風雨の 立ち添いて 梨の花散る 彼岸(ひがん)どき
先祖の眠る おくつきに ぬかづく人の 有り無きや


【送陈秀才还沙上省墓】  sòng chén xiù cái huán shā shàng xǐng mù
友人の陳秀才(ちんしゅうさい)が故郷の沙上(さじゃう 江蘇省)に帰り、墓に省(もう)ずるを送る。

【满衣】 mǎn yī     衣服は(血涙と塵埃に)まみれている
【几家坟上】 jǐ jiā fén shàng    どれだけの家の墓に(子孫が参ることやら)
【寒食】 hán shí     清明節の前日

作者が生きた元末、明初の時代には、紅巾の乱をはじめとする農民反乱が相次いで発生した。
この陳秀才という作者の友人は、そうした戦乱をくぐり抜けて帰郷するものと思われる。
それゆえ寒食(清明)の時節に、どれだけの家の墓に子孫が参ることやら、と詠っている。




水上盥手 shuǐ shàng guàn shǒu   (明)  高启    

盥手爱春水  guàn shǒu ài chūn shuǐ
水香手应绿  shuǐ xiāng shǒu yìng lǜ
沄沄细浪起  yún yún xì làng qǐ
杳杳惊鱼伏  yǎo yǎo jīng yú fú
怊怅坐沙边  chāo chàng zuò shā biān
流花去难掬  liú huā qù nán jū 




【注 釈】

春水にて手を盥(あら)ふ

手を盥(あら)ひて  春水(しゅんすい)を愛す
水 香(かんば)しく  手もまさに緑なるべし

云云(うんうん)として  細浪(さいろう)起り
杳杳(ようよう)として  驚魚(けいぎょ)伏(しず)む

怊悵(ちょうちょう)として  沙辺(さへん)に坐(ざ)せば
流花(りうくわ)去りて 掬(すく)ひがたし


【口語訳】

川の流れに手をひたし なぐさむ程ぞ 春はよき
水香(かぐわ)しく ひたす手も 緑の色に 染まるべし

手を動かせば 水の輪の ゆるくひろごり 果(はて)もなく
水面(みなも)を伝ひ ゆくところ しばし夢なる わが思ひ

波間の魚(うを)の おどろきて 沈(しづ)むやふかき 水の底
川原の沙(すな)に 休(やす)らへば 花ぞ流るる ゆくへ無(な)み


【沄沄】 yún yún     (さざ波が)盛んに起こる
【杳杳】 yǎo yǎo     (魚が沈み)消え失せる
【怊怅】 chāo chàng     いたみ悲しむ

作者があるとき、春の川辺で手を洗ったときに、散り落ちた春の花を
掬い取ろうとしたが難しく、そのまま流れ去ってしまった。
そのときの過ぎ行く春を惜しむような寂しげな気持ちを詠ったもの。




阶前苔  jiē qián tái  (明)  高启  

莫扫雨馀绿  mò sǎo yǔ yú lǜ
任满闲阶路  rèn mǎn xián jiē lù
留藉落来花  liú jí luò lái huā
春泥免相污  chūn ní miǎn xiāng wū



【注 釈】

階前(かいぜん)の苔(こけ)

雨餘(うよ)の緑(みどり)を 掃(はら)ふ莫(な)かれ
間階(かんかい)の路(みち)に 満つるに任(まか)せよ
留(とど)めて 落ち来(きた)る 花に籍(し)けば
春泥(しゅんでい)相(あ)ひ汚(けが)すを免(まぬか)れん


【口語訳】

雨後(うご)の緑(みどり)に 手な触れそ 
よしや小径(こみち)を埋(うづ)むとも 苔(こけ)の緑のなすままに
掃(は)はずにおけば おのづから 花散る折の 好(よ)きしとね
かくこそ泥(ひぢ)に汚(よご)さるる 憂目(うきめ)を 花もまぬかれん


【雨馀绿】 yǔ yú lǜ  雨上がりに生えた緑の苔
【闲阶路】 xián jiē lù  ひっそりとした石段の路
【留藉】 liú jí  (その苔を、散ってくる花の)下敷きにする

石段に生えるコケを採らず、その上に落ちる花の敷物として、花が泥に汚されないようにと、
雨後の瑞々しい緑のコケと、落花とに寄せる、作者の思いがこめられている。

【春泥】 chūn ní  春雨にぬれた土
【免相污】 miǎn xiāng wū  春の泥に汚されずにすむ


青邱子歌  qīng qiū zǐ gē      ()  高启    

青邱子  臞而清     qīng qiū zǐ  qú ér qīng
本是五云阁下之仙卿     běn shì wǔ yún gé xià zhī xiān qīng
何年降谪在世间     hé nián jiàng zhé zài shì jiān
向人不道姓与名     xiàng rén bù dào xìng yǔ míng
蹑履厌远游     niè lǚ yàn yuǎn yóu
荷锄懒躬耕     hé chú lǎn gōng gēng
有剑任锈涩     yǒu jiàn rèn xiù sè
有书任纵横     yǒu shū rèn zòng héng
不肯折腰为五斗米     bù kěn zhé yāo wèi wǔ dòu mǐ
不肯掉舌下七十城     bù kěn diào shé xià qī shí chéng
但好觅诗句     dàn hǎo mì shī jù
自吟自酬赓     zì yín zì chóu gēng
田间曳杖复带索     tián jiān yè zhàng fù dài suǒ
傍人不识笑且轻    bàng rén bù shí xiào qiě qīng
谓是鲁迂儒    wèi shì lǔ yū rú
楚狂生    chǔ kuáng shēng
青邱子闻之不介意    qīng qiū zǐ wén zhī bú jiè yì
吟声出吻不绝咿咿鸣    yín shēng chū wěn bù jué yī yī míng
朝吟忘其饥    cháo yín wàng qí jī
暮吟散不平    mù yín sàn bù píng
当其苦吟时    dāng qí kǔ yín shí
兀兀如被酲    wù wù rú bèi chéng
头发不暇栉    tóu fà bù xiá jié
家事不及营    jiā shì bù jí yíng
儿啼不知怜    ér tí bù zhī lián
客至不果迎    kè zhì bù guǒ yíng
不忧回也空    bù yōu huí yě kōnɡ
不慕猗氏盈    bù mù ě shì yíng
不惭被宽褐    bù cán bèi kuān hè
不羡垂华缨    bù xiàn chuí huá yīng
不问龙虎苦战斗    bù wèn lóng hǔ kǔ zhàn dòu
不管乌兔忙奔倾    bù guǎn wū tù máng bēn qīng
向水际独坐    xiàng shuǐ jì dú zuò
林中独行    lín zhōng dú xíng
斲元气 搜元精    zhuó yuán qì sōu yuán jīng
造化万物难隐情    zào huà wàn wù nán yǐn qíng



【注 釈】

青邱子(せいきうし)の歌

青邱子(せいきうし)臞(や)せて清(きよ)し
本(も)と 是(こ)れ 五雲閣下(ごうんかくか)の仙卿(せんけい)なり
何(いづ)れの年か 降謫(かうたく)されて世間に在(あ)り
人に向かひて 姓と名とを道(い)はず
履(くつ)を躡(は)くも 遠遊(えんいう)を厭(いと)ひ
鋤(すき)を荷(にな)うも 躬耕(きゅうかう)に懶(ものう)し
剣(つるぎ)有るも 鏽渋(しゅうじふ)するに任(まか)せ
書(しょ)有るも 縦横(じゅうわう)たるに任(まか)す

腰を折りて 五斗米(ごとべい)の為にするを 肯(がへん)ぜず
舌(した)を掉(ふる)ひて 七十城(しちじふじゃう)を下すを 肯(がへん)ぜず
但(ただ) 好みて詩句(しいく)を覓(もと)め
自(みずか)ら吟じ 自ら酬賡(しうこう)す
田間(でんかん)に杖を曳(つ)き 復(また)索(つな)を帯(おび)とす
傍人(ばうじん)識(し)らず  笑い且(か)つ 軽(かろ)んず
謂(い)ふ  是(こ)れ 魯(ろ)の迂儒(うじゅ)ぞ
楚(そ)の狂生(きゃうぜ)ぞと

青邱子(せいきうし)之(こ)れを聞くも 意に介(かい)せず
吟声(ぎんせい)吻(くち)を出(い)で  絶へず咿咿(いい)として鳴(な)る
朝(あした)に吟じては 其の飢(うゑ)を忘れ
暮(くれ)に吟じては 不平を散(さん)ず
其(そ)の苦吟(くぎん)する時に当たりては
兀兀(ごつごつ)として酲(てい)を 被(かうむ)るが如し
頭髪(とうはつ)櫛(くし)けずるに 暇(いとま)あらず
家事(かじ)営(いとな)むに及ばず
児(こ)啼(な)くも 憐(あわ)れむを知らず
客(かく)至るも 迎うるを果たさず

回也(かいや)の空(くう)なるも憂(うれ)へず
猗氏(いし)の盈(み)つるも慕(した)はず
寛褐(くわんかつ)を被(かうむ)るを慙(は)じず 
華纓(かえい)を垂(た)るるも羨(うらや)まず
龍虎(りゅうこ)の戦闘(たたかひ)に苦しむを問はず

烏兎(うと)の奔傾(ほんけい)に忙しきに管(かん)せず
水際(すいさい)に向かひて独り坐(ざ)し
林中(りんちう)に独り行(ゆ)く
元気を斲(き)り  元精(げんせい)を捜(さぐ)る
造化(ざうか)万物(ばんぶつ)も情(じゃう)を隠し難(がた)し


【口語訳】 「訳詩: 森鴎外(於母影)」

青邱(せいきう)が身は いややせに 痩せにたれども 其昔 
五雲閣下に すまひけむ 清き姿ぞしのばるる
いつか此世に おりぬらむ しが名つげぬも 哀(あはれ)なり
草まくら たびねせず 鋤(すき)とりて たがへさず
さびにさびたり 剣太刀(つるぎたち) 乱れまさりぬ 文の巻

五斗米ほしと 腰を折らめや 城降(くだ)さむと 舌掉(ふる)はめや
朝夕歌ふ から歌に 歌ひふけりて 小山田の
水田(みずた)の畔(くろ)に 杖曳(つ)くを
魯(ろ)の迂儒(うじゅ) 楚の狂生(きゃうぜ)と 口々にいひあへりけり

心をおかぬ 青邱(せいきう)は うたふ絶間(たえま)ぞ なかりける
きのふは飢えを 打ちわすれ けふはうさをや 晴らすらむ
歌ひほれ 酔ひにたる 時しきたれば 蓬(よもぎ)なす 
髪のみだれも 解かばこそ 我子の啼けども 慰めず 
まらうど呼べども いらへせず

顔回(がんくわい)のまづしきも 猗頓氏(いとんし)の富みたるも 
うれへねばこそ 恋もせね
恥づかしとせず やれ衣を 妬(ねた)ましとせず かがふりを
鳥兎(てうと)奔(はし)れど われ追わず 
龍虎(りゅうこ)搏(う)てども 顧(かへりみ)ず

岸辺にひとり たたずみつ 木の間を 独(ひとり)さまよひつ
其の源(みなもと)を きはむれば 造化万物(ざうかばんぶつ)のこりなく 
われに真心 あかすなり


青邱子】 qīng qiū zǐ     青邱子(せいきゅうし)高啓の号。
蘇州(江蘇省)郊外の青邱という丘に住む作者は、自らを「青邱子」と名乗った。

1358年、高啓23歳の作。本作は、作者自身を客観的に描写した自画像を詩にしたものだが、
もとは仙界の住人だったと詠っているように、かくありたい自分の理想の姿を描いている。


【青邱子臞而清】青邱子(せいきうし)臞(や)せて清(きよ)し
青邱子は  すらりと痩せている

【本是五雲閣下之仙卿】本(も)と 是(こ)れ 五雲閣下(ごうんかくか)の仙卿(せんけい)なり
もとは五雲閣にはべる仙官であった
【五云阁下】 wǔ yún gé xià   五雲たなびく仙界の建物
【仙卿】 xiān qīng   仙界の高官

【何年降謫在世間】何(いづ)れの年か 降謫(かうたく)されて世間に在(あ)り
あるとき天上から追放され  いまは下界にいるが
【降谪】 jiàng zhé   仙界から追放される

【向人不道姓与名】人に向かひて 姓と名とを道(い)はず
姓も名もあかさない

【躡厭遠遊】履(くつ)を躡(は)くも 遠遊(えんいう)を厭(いと)ひ
履をはいても  遠くへの旅は好まず

【荷鋤懶躬耕】鋤(すき)を荷(にな)うも 躬耕(きゅうかう)に懶(ものう)し
鋤を担いでも  畑仕事はうっとうしいと言い

【有剣任銹渋】剣(つるぎ)有るも 鏽渋(しゅうじふ)するに任(まか)せ
剣はあっても  錆びるにまかせ
【锈涩】 xiù sè   さびて切れない

【有書任縦横】書(しょ)有るも 縦横(じゅうわう)たるに任(まか)す
書物なんぞは  ほったらかしだ
【纵横】 zòng héng   乱雑となる

【不肯折腰為五斗米】腰を折りて 五斗米(ごとべい)の為にするを 肯(がへん)ぜず
わずかな扶持米(ふちまい)のために  上司にへいこらするなんてまっぴら
【折腰为五斗米】 zhé yāo wèi wǔ dòu mǐ   扶持米を得るために腰をかがめる

【不肯掉舌下七十城】舌(した)を掉(ふる)ひて 七十城(しちじふじゃう)を下すを 肯(がへん)ぜず
雄弁をふるって  敵の城を落とすなんて真似は  とんでもないことだ
【掉舌下七十城】 diào shé xià qī shí chéng   弁舌だけで城をおとす

【但好覓詩句】但(ただ) 好みて詩句(しいく)を覓(もと)め
ただ詩句を探すのが大好きで

【自吟自酬赓】自(みずか)ら吟じ 自ら酬賡(しうこう)す
みずから歌い  みずからそれに答える
【酬赓】 chóu gēng   唱和する

【田間曳杖復帯索】田間(でんかん)に杖を曳(つ)き 復(また)索(つな)を帯(おび)とす
田んぼのなかを  杖をつきぶらぶら歩いて  帯のかわりに縄を締めている

【傍人不識笑且軽】傍人(ばうじん)識(し)らず  笑い且(か)つ 軽(かろ)んず
近所の者は  私が何者であるかを知らず

【謂之魯迂儒】謂(い)ふ  是(こ)れ 魯(ろ)の迂儒(うじゅ)ぞ
笑いものにして  魯国のとんま学者とか 
【鲁迂儒】 lǔ yū rú   世事にうとい儒者
  
【楚狂生】楚(そ)の狂生(きゃうぜ)ぞと
楚国の気ちがい書生だのと 言いはやす
【楚狂生】 chǔ kuáng shēng   気のふれた書生

【青丘子聞之不介意】青邱子(せいきうし)之(こ)れを聞くも 意に介(かい)せず
青邱子は それを聞いても気にかけず

【吟声出吻不絶咿咿鳴】吟声(ぎんせい)吻(くち)を出(い)で  絶へず咿咿(いい)として鳴(な)る
口から出るのは 咿(あ)とか咿(う)とかの唸り声
【咿咿】 yī yī   意味不明の声

【朝吟忘其飢】朝(あした)に吟じては 其の飢(うゑ)を忘れ
朝に吟じては  飢えを忘れ

【暮吟散不平】暮(くれ)に吟じては 不平を散(さん)ず
夕べに吟じては 鬱憤をはらす

【当其苦吟時】其(そ)の苦吟(くぎん)する時に当たりては
苦吟している最中には

【兀兀如被酲】兀兀(ごつごつ)として酲(てい)を 被(かうむ)るが如し
ぐったりとなって  まるで二日酔いをしたみたい
【兀兀】 wù wù   意識がもうろうとする
【酲】 chéng   悪酔いする

【頭髪不暇櫛】頭髪(とうはつ)櫛(くし)けずるに 暇(いとま)あらず
髪を整えるひまもなければ

【家事不及営】家事(かじ)営(いとな)むに及ばず
家事の仕事もほったらかし

【児啼不知憐】児(こ)啼(な)くも 憐(あわ)れむを知らず
子供が泣いても  あやすすべを知らず

【客至不果迎】客(かく)至るも 迎うるを果たさず
客が来ても  ろくに応対もせぬ

【不憂回也空】回也(かいや)の空(くう)なるも憂(うれ)へず
顔回のように  一文無しになっても平気だし
【回也空】 huí yě kōnɡ   顔回(孔子の弟子)は常に貧乏なり

【不慕猗氏盈】猗氏(いし)の盈(み)つるも慕(した)はず
猗氏のような大富豪を羨みもしない
【猗氏】 ě shì   春秋時代の成り上がりで財をなした猗頓(いとん)

【不慙被寛褐】寛褐(くわんかつ)を被(かうむ)るを慙(は)じず 
みすぼらしい着物を着ていても  恥ずかしいと思わぬし

【不羨垂華纓】華纓(かえい)を垂(た)るるも羨(うらや)まず
華やかな帽子をかぶった 貴人を見ても妬まない
【华缨】 huá yīng   冠のひも(高位高官の意)

【不問竜虎苦戦闘】龍虎(りゅうこ)の戦闘(たたかひ)に苦しむを問はず
龍虎が  ここ一番の勝負とばかり  戦っているのを見ても  われ関せずと
【龙虎苦战斗】 lóng hǔ kǔ zhàn dòu   龍虎(軍閥)が激しく争う

【不管烏兎忙奔傾】烏兎(うと)の奔傾(ほんけい)に忙しきに管(かん)せず
月日がどんどん過ぎ去るのも  まるで意にかけず

【向水際独坐】水際(すいさい)に向かひて独り坐(ざ)し
水のほとりで  ひとり座り込み

【林中独行】林中(りんちう)に独り行(ゆ)く
林の中を  ひとりぶらついて

【斲元気捜元精】元気を斲(き)り  元精(げんせい)を捜(さぐ)る
天地の本源を探り出し  その本質を追究する
【元气】 yuán qì   宇宙の根源の気

【造化萬物難隠情】造化(ざうか)万物(ばんぶつ)も情(じゃう)を隠し難(がた)し
森羅万象も  彼の前にあっては  その秘奥を隠すことは出来ないのだ 
【造化万物】 zào huà wàn wù   森羅万象



高啓  gāo qǐ   (こうけい)  (1336~1374年)
明初の詩人。字は季迪(きてき)青邱子(せいきゅうし)と号す。江蘇省蘇州の人。
1369年、明の太祖の召しに応じて「元史」の編纂に従事、才を認められて戸部侍郎(中央の財務次官)に抜擢されたが固辞して帰郷。
のち詩の中で太祖の好色を風刺したため、1374年、腰斬(ようざん)の刑に処せられた。享年三十八。
詩風は華麗にして平易、短い生涯に、2000首以上の作品を残し、明代随一の大詩人とされる。
著作に詩集「高太史大全(こうたいしたいぜん)集」(十八巻)




(袁凱)


京师得家书  (明) 袁凯    

江水三千里 jiāng shuǐ sān qiān lǐ     
家书十五行 jiā shū shí wǔ háng     
行行无别语 háng háng wú bié yǔ     
只道早还乡 zhǐ dào zǎo huán xiāng


 

【注 釈】  

京師(けいし)にて家書(かしょ)を得(う)

江水(かうすい) 三千里(さんぜんり) 
家書(かしょ) 十五行(じふごぎゃう)
行行(ぎゃうぎゃう) 別語(べつご)無く 
只(ただ)道(い)ふ 早(と)く郷(くに)へ帰(かへ)れと 


【口語訳】

家を離れて三千里 たまさか得たる母の文
開くれば僅か十五行 書ける言葉は外ならず
繰り返し ただ繰り返し 早く帰れとあるばかり


【京师】 jīng shī      国都。都で故郷からの便りを手に入れる
【江水】 jiāng shuǐ    長江の流れ  

作者が明の都(南京)に滞在していたとき、故郷の母からの手紙を読んで、望郷の念にかられた
ことを詠ったもの。手紙の内容は、短く簡潔だが、それがかえって深い情愛を感じさせる。



袁凱 yuán kǎi   (えんがい)   生没年不詳
明初の詩人。字は景文(けいぶん)浙江省松江(しょうこう)の人。
明初に洪武帝に仕え御史(中央の官吏)となったが、帝の不興をかい、辞職し帰郷した。
博学で詩にすぐれ、特に七言絶句を得意とした。代表作に詩集「海叟(かいそう)集」(四巻)




(劉績)

(征夫詞) (征婦詞)


征夫词  zhēng fū cí   (明)  刘绩    

征夫语征妇 zhēng fū yǔ zhēng fù
死生不可知 sǐ shēng bù kě zhī
欲慰泉下魂 yù wèi quán xià hún
但视褓中儿 dàn shì bǎo zhōng ér



     
【注 釈】

征夫(せいふ)の詞(うた)

征夫(せいふ) 征婦(せいふ)に語る
死生知るべからず
泉下(せんか)の魂を  慰めんと欲せば
但だ視(み)よ  褓中(ほうちゅう)の児(じ)を


【口語訳】

戦ひの場に征(ゆ)く人の いとしき妻に語るらく
生きて再び帰られじ わが亡き後を弔(とむら)はば
稚(をさな)き者をはぐくみて 成人せしむを望むなり


【征夫词】 zhēng fū cí     出征する夫の歌
【泉下魂】 quán xià hún     戦士した魂
【褓中儿】 bǎo zhōng ér     産着の中の小児

出征軍人が妻に言い残した言葉を詠った詩。若し自分が戦死したら供養はいらぬ。
ただ一つ、残された幼き子供の将来を宜しく頼むと告げる。




征妇词 zhēng fù cí   (明)  刘绩    

征妇语征夫  zhēng fù yǔ zhēng fū
有身当殉国  yǒu shēn dāng xùn guó
君为塞下土  jūn wèi sài xià tǔ
妾作山头石  qiè zuò shān tóu shí



      
【注 釈】

征婦(せいふ)の詞(うた)

征婦(せいふ) 征夫(せいふ)に語る
身(み)あらば 当(まさ)に国に殉ずべし
君は塞下(さいか)の土(ど)とならば
妾(せふ)は山頭(さんとう)の石とならん


【口語訳】

征(い)で立つ君に 残るる妻の 心ををしく 語るらく
われ身ごもれる 身なりとも 祖国を想ふ まごころは
やはか吾が背に 劣らめや

君もし武運 つたなくて いのち果てしと 聞く時は
われ故里(ふるさと)の 岡に立ち 妻夫石(めをといし)と 身を化して
妹背(いもせ)の契(ちぎ)り たたじかし


【征妇词】 zhēng fù cí     出征軍人の妻の歌
【塞下土】 sài xià tǔ     辺塞で戦死し土となる

出征していく夫の言葉に「あなたが死ねば山頭の石となりませう」と答えた妻の詩。
良人が戦死したならば、自分は貞節を全うし、化して山頭の妻夫石になると告げる。



劉績  liú jì   (りゅうせき)   生年没不詳
明の詩人。字は孟熙(もうき)浙江省紹興(しょうこう)の人。
四書五経に通じるも、郷里で塾の先生として暮らし、役人になろうとはしなかった。
塾の名の西江草堂から、世に西江(せいこう)先生と称された。
著作に古今の神話伝説を集めた伝承文集「霏雪録(ひせつろく)」(二巻)




呉偉業


任丘 rèn qiū  (清) 吴伟业    

回首乡关乱客愁 huí shǒu xiāng guān luàn kè chóu
满身风雪宿任丘

mǎn shēn fēng xuě sù rèn qiū

忽闻石调边儿曲 hū wén shí diào biān ér qǔ
不作征人也泪流 bú zuò zhēng rén yě lèi liú




【注 釈】

任丘(じんきう)

首(かうべ)を郷関(きゃうくわん)に回(めぐ)らせば 客愁(かくしう)乱(みだ)る
身(み)に風雪(ふうせつ)を満(み)たし 任丘(じんきう)に宿(やど)る
勿(たちま)ち聞く 石調(せきてう)辺児(へんじ)の曲
征人(せいじん)に作(あ)らざるも 也(ま)た涙(なみだ)流る


【口語訳】

われ任丘(じんきう)に宿(やど)りして 吹雪(ふぶき)き しぐるる夕ぐれに
故郷(こきゃう)のかたを見かへれば 旅の愁(うれ)ひぞ 身(み)にせまる

折しもひびく楽(がく)の音(ね)よ これぞ国境(こくきゃう)守備(しゅび)の曲
われ征人(せいじん)にあらねども 聞くに涙(なみだ)の放(はふ)り落つ


【客愁】 kè chóu  (旅客的愁思)旅愁。旅先で感じる心細さやもの寂しさ
【任丘】 rèn qiū  滄州任丘(そうしゅうじんきゅう)県(現在の河北省滄州市)
【石调边儿曲】 shí diào biān r qǔ  (塞下曲)国境守備の曲
【征人】 zhēng rén  (出征的军人)出征した兵士

さいはての辺境で歌われた国境警備の歌は、勇ましいというより、家族との別離の哀しみや
望郷の念を題材にするなど、聴く者の心を打つ歌が多かった。

作者は、出征兵士ではなかったが、旅にある身の憂愁を感じていただけに、この歌を聴くと
涙があふれ出て止まらなくなってしまった。



呉偉業 wú wěi yè (ごいぎょう)(1609~1672年)
清初の詩人。字は駿公(しゅんこう)号は梅村(ばいそん)江蘇太倉たいそう(蘇州市)の人。

1631年(明の崇禎4年)23歳の若さでに進士に及第し、翰林(かんりん 皇帝直属の秘書)
として明清の両朝に仕えた。その詩は華麗な才気にあふれ、とりわけ長編の七言詩にすぐれ、
明末の動乱、亡国の悲劇を哀愁をこめてにうたいあげた。著作に詩集「梅村集」(四十巻)




(査慎行)

(舟夜書所見) (鴉拾粒行)


舟夜书所见 zhōu yè shū suǒ jiàn  (清)查慎行    

月黑见渔灯  yuè hēi jiàn yú dēng
孤光一点萤  gū guāng yì diǎn yíng
微微风簇浪  wēi wēi fēng cù làng
散作满河星 

sàn zuò mǎn hé xīng



【注 釈】

舟夜(しうや)見る所を書(しょ)す

月黒くして 漁灯(ぎょとう)を見る 
孤光(こくわう) 一点の蛍(ほたる) 
微々として 風は浪(なみ)を 簇(あつ)め 
散りて作(な)す  満河(まんが)の星


【口語訳】

月なき夜の 闇の中 見ゆるはただに 漁舟(ぎょしう)の篝(かがり)
一点ぽつりと 川面(かはも)に放つ 蛍(ほたる)の光
そよ吹く風に さざ波立つや 星屑のごと ちぢに砕(くだ)くる


【簇浪】 cù làng    さざ波を立てる
【散作】 sàn zuò   (水面の光は)ちぢにくだけて
【满河星】 mǎn hé xīng     一面の星屑がひろがる

舟泊りの夜、作者がふと遠くを眺めやると、まるで蛍の微光のような漁灯が見えてくる。
折しも夜風が川面に小さな波を立て、水面に一点だけぽつんと映じた蛍の光が次第に広がり、
まるで夜空にさんざめく綺羅星のように、美しい奇観を呈するのだった。
川面に映じた篝火が、波に砕け、星屑を散らしたようだ、という詩情あふれる作品。




鸦拾粒行  yā shí lì xíng  (清) 查慎行    

牛前仰而犁  niú qián yǎng ér lí
鸦后俯以拾  yā hòu fǔ yǐ shí
牛岂为鸦耕  niú qǐ wèi yā gēng
鸦因牛得粒 

yā yīn niú dé lì

农夫喂牛长苦饥 

nóng fū wèi niú cháng kǔ jī

鸦群饱食东西飞  yā qún bǎo shí dōng xī fēi



【注 釈】

稲粒(いなつぶ)を拾(ひろ)う鴉(からす)の行(うた)

牛(うし)が前(まへ)を仰(あふ)ぎて犁(すき)をひき
鴉(からす)が後(あと)から俯(ふ)して拾(ひろ)ふ
牛(うし)は豈(あ)に鴉(からす)の為(ため)に耕(たがや)すにあらんや
鴉(からす)は牛(うし)に因(よ)りて粒(つぶ)を得たり
農夫(のうふ)は牛(うし)を飼(やしな)ひて長(なが)らく飢(うゑ)に苦しみ 
鴉(からす)の群(む)れは食(た)べ飽(あ)きて東西(あちこち)飛びたてり


【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

牛が上むいて 犂(すき)ひくあとから
鴉(からす)が下むいて チョンチョン拾う
牛は 鴉のために 耕しているのじゃないが
鴉はおかげで 稲粒食える
百姓は牛飼っても ひもじいおもい
鴉はたらふく食って 何処(どこ)へでも飛んでいく


【岂为鸦耕】 qǐ wèi yā gēng   何も鴉のために耕しているわけではない。「岂」は打消の意
【东西飞】 dōng xī fēi    あちこち飛んで行く

本作は、はたらく農民と、その上にあぐらをかく階級とを、牛と鴉になぞらえて風刺したもの。



査慎行  chá shèn xíng  (さしんこう)(1650~1727年)
清初の詩人。字は悔余(かいよ)号は初白(しょはく)浙江省海寧(かいねい)県の人。
1703年、進士に及第、翰林院(かんりんいん 皇帝秘書)として康煕帝に仕えた。

1713年、官僚生活が肌に合わず、官を辞して故郷に帰り、田園生活を楽しんだ。
その詩は、自然の趣を尊ぶ清新な作風で、風景や旅情を詠った佳篇が多い。
著作に詩集「敬業堂(けいぎょうどう)詩集」(五十巻)




(王士禎)


广州竹枝  guǎng zhōu zhú zhī 六首其六 (清) 王士祯    

才到花朝似夏阑 

cái dào huā zhāo sì xià lán

雨纱雾縠间冰纨  yǔ shā wù hú jiān bīng wán
洋船新买红鹦鹉  yáng chuán xīn mǎi hóng yīng wǔ
却苦羊城特地寒 

què kǔ yáng chéng tè dì hán



【注 釈】

広州竹枝(くわうしうちくし)

才(まさ)に花朝(くわてう)に到りて 夏(なつ)闌(たけなは)に似たり
雨紗(うさ)霧殺(むこく)氷執(ひょうがん)を間(まじ)う
洋船(やうせん)より新(あら)たに買いし紅鸚鵡(こうあうむ)
却(かへ)りて苦しむ 羊城(やうじゃう)特地(とく)に寒(さむ)きに


【口語訳】

夏たちそむる 羊城(ようじょう)は 折からの 花の祭りの 幕開けで 

行き交う人の装いも 雨はじく薄絹や 透き通る縮緬(ちりめん)や 
真白き絹の衣裳など 街中(まちなか)すでに 夏もよう

ただ一羽(いちわ) 舶来の 船より買いし 紅(あか)鸚鵡(おうむ)
暖かき 天気なれども うらはらに そぞろ寒しと 縮こまる  


【广州竹枝】 guǎng zhōu zhú zhī   広州竹枝(こうしゅうちくし)広州ゆかりの風物を詠った詩

1685年2月、当時、政府高官だった作者が広州へ視察に訪れたときの見聞を詠ったもの。
広州の地は、長らく海のシルクロードの起点として栄えてきた。そうした繁栄の様子が
人々の服装や、西洋の船から買った鸚鵡などの描写を通じて、生き生きと詠われている。

【花朝】 huā zhāo    花朝節(かちょうせつ)花や草木の豊穣を祝う祭り(旧暦2月12日)
【雨纱】 yǔ shā    薄絹(うすぎぬ)
【雾縠】 wù hú    縮緬(ちりめん)
【冰纨】 bīng wán    白絹(しらぎぬ)
【却】 què    なんとまあ(意外さを示す語気副詞)
【羊城】 yáng chéng    羊城(ようじょう)広州の別名。五頭のヤギが稲作を伝えたとする伝説がある



王士禎  wáng shì zhēn (おうしてい)(1634~1711年)
清初の詩人。字は貽上(いじょう)号は漁洋山人(ぎょようさんじん)山東省新城(しんじょう)の人。
1658年、進士に及第、以後多く中央にあって刑部尚書(法務大臣)などを務めた。
清朝詩壇の大家として、朱彝尊 (しゅいそん) とともに「朱王」と称された。
著作に詩文集「帯経堂(たいけいどう)集」(九十二巻)




(朱彝尊)


荷花  hé huā  (清) 朱彞尊    

梁间巢燕几曾来  liáng jiān cháo yàn jǐ céng lái
灶下狸奴去不回  zào xià lí nú qù bù huí
犹有荷花怜旧雨  yóu yǒu hé huā lián jiù yǔ
年年一为主人开 

nián nián yī wéi zhǔ rén kāi



【注 釈】 

荷花(かくわ)

梁間(りゃうかん)の巣燕(さうえん)幾曽(いつ)か来たる
竈下(さうか)の狸奴(りど)去りて回(かへ)らず
猶(な)ほ 荷花(かくわ)の旧雨(きうう)を憐(あは)れむ有りて
年年 一たび主人(あるじ)の為に開く


【口語訳】

軒下に 巣くふ燕(つばめ)の 飛び去りて いつ戻らむと ひとり待つ
かまどの下に ねぐら定めし あの猫は どこへ行きしか ひとり待つ
ただ蓮花(はすはな)の 馴染みの吾を 慰むと 年にひとたび 咲きいでぬ


【狸奴】 lí nú    猫
【旧雨】 jiù yǔ    昔馴染みの友(雨と友が発音が似ているため、旧友の意で用いている)

軒下のつばめも住み着いていた猫もいなくなってしまった。そんな寂しさを、年に一度開花する蓮の花が
癒してくれた。動物や花を友として、共に暮らしていきたいという作者の思いが込められている。



朱彝尊  zhū yí zūn  (しゅいそん)(1629~1709年)
清初の詩人、文人。字は錫鬯(せきちょう)浙江省秀水(しゅうすい)の人。
若い時から官途を求めず、長年各地を遊歴し、古学を究めた。在野の学者としてその名は高まり
1679年、朝廷に召されて翰林院(歴史官)に任ぜられ「明史」編集に従った。
その詩は、広い学力を駆使した気骨ある風格で、清朝詩壇の大家として王士禎と並び称された。
著作に詩文集「曝書亭 (ばくしょてい) 集」(八十巻)




(袁枚)

(銷夏詩) (銭) (栽樹自嘲)   (所見)    (普陀寺)


销夏诗 xiāo xià shī   (清) 袁枚     

不着衣冠近半年 bù zhuó yī guān jìn bàn nián
水云深处抱花眠 shuǐ yún shēn chù bào huā mián
平生自想无官乐 píng shēng zì xiǎng wú guān lè
第一骄人六月天 dì yī jiāo rén liù yuè tiān




【注 釈】

銷夏(せうか)の詩

衣冠(いくわん)を 着(つ)けざること 半年(はんねん)に近く
水雲(すいうん) 深き処 花を抱(いだ)きて眠る
平生(へいぜい) 自(みづか)ら想(おも)ふ 無官(むくわん)の楽(たのしみ)
第一に 人に驕(おご)るは 六月(ろくぐわつ)の天(てん)


【口語訳】

浮世の民となりてより   いまだ六月(むつき)を 経(へ)ざる身の
流るる水や ゆく雲や 草にうづもれ 花に寝る 

わけても暑き水無月の 人みな労苦(らうく)の炎天下
驕(おご)るに足るは われひとり 悠々自適(いういうじてき)の気楽さよ
かねてより 夢に想ひし安らぎを 今のただかに われ知りぬ


【销夏诗】 xiāo xià shī     夏の暑さをしのぐ詩(うた)
 
役人生活のわずらわしさを炎暑にたとえ、無位無官となって、悠々自適する楽しさを詠ったもの。




qián   (清) 袁枚     

百物最可爱 bǎi wù zuì kě ài
惟钱最寡趣 wéi qián zuì guǎ qù
生时招不来 shēng shí zhāo bù lái
死时带不去 sǐ shí dài bù qù




【注 釈】

銭(ぜに)

百(すべて)の物 最も愛すべきなれど
唯(ただ)銭は最(とりわ)け 趣(おもむき)寡(すくな)し
生くる時 招(よ)べと来たらず
死ぬる時 帯(も)ちて去(ゆ)けず 


【口語訳】 「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

どんな物でも わしは好きだが
銭ちゅうものが いちばんつまらん
生きてるときに 飛んで来やせぬし
あの世へいくとき 持っちゃゆかれない


38歳で官職を辞し、以後83歳の没年まで在野の詩人として活躍した作者は、人間の心理(欲)を
ついた作品が多い。本作は「銭」をむさぼる人をあざ笑って詠んだもの。



栽树自嘲  zāi shù zì cháo  (清) 袁枚     

七十犹栽树 qī shí yóu zāi shù
旁人莫笑痴 páng rén mò xiào chī
古来虽有死 gǔ lái suī yǒu sǐ
好在不先知 hǎo zài bù xiān zhī



【注 釈】

樹を栽(う)えて自ら嘲(あざけ)る

七十(しちじう)にして なお樹を栽(う)  
旁人(かたがた) 痴(ち)を笑う莫(なか)れ  
古来 死有りといえども  
好在(さいわひ) 先に知らざれば


【口語訳】 「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

七十のわしが 樹を植えたとて
笑いたもうな ばかなことだと
にんげん死ぬには きまっているが
その日がくるまで 知らぬがほとけぢゃ


老人が樹を植えることにちなんで詠んだもの。人間生活の核心にふれた作品。




所见 suǒ jiàn  (清) 袁枚    

牧童骑黄牛 mù tóng qí huáng niú
歌声振林樾 gē shēng zhèn lín yuè
意欲捕鸣蝉 yì yù bǔ míng chán
忽然闭口立 hū rán bì kǒu lì 



【注 釈】

所見(しょけん)

牧童 黄牛(あめうし)に騎(の)り
歌声 林陰(りんえつ)を振るわす
意(こころ)に 鳴蝉(めいせん)を捕らえんと欲し
忽然(こつぜん)として 口を閉ざして立つ


【口語訳】

黄牛(あめうし)の 背に騎(の)る わらべ
歩みつれ 歌声高く 林の奥に こだまする
ふと鳴く蝉を 捕らえんと 口をつぐみて
そろりたたずむ 木の真下(ました)


【所见】 suǒ jiàn     見るもの聞くもの(見聞したこと)
【林樾】 lín yuè       林の深奥

牛の背に乗って無邪気に歌っていた牧童が、蝉を見つけ、急に真顔になる様子が面白い。
叙情あふれる牧歌詩であり、作者の田園生活への深い愛着と憧憬が込められている。




普陀寺 pǔ tuó sì (清)袁枚    

一寺藏山凹 yī sì cáng shān āo
松竹淡如许 sōng zhú dàn rú xǔ
古佛坐无言 gǔ fó zuò wú yán
流泉代作语 liú quán dài zuò yǔ 



【注 釈】

普陀寺(ふだじ)

一寺(いちじ) 山凹(さんあふ)に蔵(かく)れ
松竹(しょうちく)淡(あは)きこと 許(かく)の如し
古仏(こぶつ)坐して 言(げん) 無く
流泉(りうせん)代(か)はりて 語(ご)を作(な)す


【口語訳】  「訳詩: 荒川太郎(踏花帖)」

み寺は 山の窪(くぼ)にあり
見るも清(すが)しき 松と竹
仏(ほとけ)は 寂(ひそ)と いませども
代(か)はりて語る 流水(みづ)の声


【普陀寺】 pǔ tuó sì   南普陀寺(福建省廈門あもい市)
【山凹】 shān āo   山の凹(おう)なる所

山の窪地に隠れるように寺が建っている。古仏は無言で坐っているが、代わって流れる泉が
言葉を発するという、まさに奇想天外で斬新な詩境を謳い上げている。



袁枚  yuán méi   (えんばい) (1716~1798年)
清の詩人、文学者。字は子才(しさい)浙江銭塘(せんとう)の人。
1739年、科挙に及第、県知事を歴任して名知事の誉れ高かったが、三十八歳で辞職し、
以降八十二歳の没年まで在野の詩人として活躍した。

詩風は、高潔にして風雅、入門を望む者や詩文の執筆を依頼する者が続出し、収入には事欠かなかったという。
著作に詩集「小倉山房(しょうそうさんぼう)集」(八十二巻)、「随園詩話(ずいえんしわ)」(二十六巻)。
また有名な食通でもあり、料理手引書「随園食単(ずいえんしょくたん)」(一巻)がある。