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寧夏回族自治区概要 (http://wiki.chakuriki.net)


回族 (寧夏回族自治区)


(寧夏回族自治区までの交通)

成田から北京首都国際空港(PEK)まで4時間。

北京から銀川河東国際空港(INC)まで2時間。



1.11~13世紀にチベット系の西夏王朝(1038~1227年)が栄えた。

仏教が栄え、漢字を基にした西夏文字による膨大な仏典が制作されたが、
1227年、チンギス・ハンに滅ぼされてしまった。

井上靖の小説「敦煌」は、この西夏の時代が舞台となっている。

2.回族=イスラム教徒達の自治区。

3.纏足しながら一日五回の礼拝を欠かさない婆さんがいた。

3.中国一の高品質ワイン生産地。ボルドー産にも勝る味らしい。

4.黄砂の発生源の一つとも言われている。

5.農作物や資源に恵まれているが、近年砂漠化が進行中。




略称
寧 ning


省都
銀川 ぎんせん


位置
黄河中域に位置する。
東は陝西省、北は内蒙古自治区、南は甘粛省と隣接している。


面積
51,800平方キロメートル。(九州より若干広い面積)


気候
典型的な大陸性気候で、冬は寒さが厳しく、夏は酷暑となる。


人口
563万人。(2001年)。
人口の3分の1を回族が占める。その他満州族等の少数民族が住んでいる。


主な都市

銀川 (ぎんせん) 市、固原 (こげん) 市、石嘴山 (せきしざん) 市、呉忠 (ごちゅう) 市、中衛 (ちゅうえい) 市。




概要

長らく遊牧民の支配下にあったが、秦代から漢、唐と中央の出先機関が置かれた。
最も繁栄したのは、1038~1227年にかけて中国の西北部、寧夏、甘粛、陝西を領有したタングート族の国家西夏の時代である。

その時代、現在の銀川が首都となり興慶府と呼ばれた。
その後寧夏は、甘粛や陝西に分割され、1958年に寧夏回族自治区が成立した。

西夏王朝は、チンギスハンに滅ぼされて以降、忽然と歴史の表舞台から姿を消してしまった。
そのために、幻の王国とも呼ばれる。


漢字をもとに作られた独自の西夏文字を持ち、仏教を国教としていた。
その痕跡は、郊外の西夏王陵・甘粛省安西の楡林窟・内モンゴル自治区エチナのカラホトで見ることができる。

寧夏回族自治区の名前が示すように、回族の自治区である。
回族とは、7世紀頃から貿易のために中国にやってきたアラブ商人を祖先とし、明代以降中国に住み着いたイスラム教を人々を指す。

同化が進み、見た目には漢族とほとんど変わらず、言葉も中国語を使用している。
イスラム教を信じているために風俗習慣が大きく異なる。

男性は白い帽子を被っている人が多いため、漢族と区別することができる。


イスラム教は7世紀頃中国に伝来し、現在中国国内でイスラム教人口は1,800万人もおり、
回族・ウイグル族・カザフ族などの少数民族で多く信仰されている。
そのため、自治区内では豚肉を提供しない回民食堂 (清真食堂) が多数見られる。


黄土高原の北西端にあり、北部は黄河に沿った寧夏平原である。
寧夏平原は年降水量 200mmにすぎないが、土壌が肥沃で、紀元前から灌漑農業が行われてきた。
人民共和国成立後は用水路が整備、拡張され、防砂林が造成され、青銅峡に大型ダムが建設されるなどして灌漑面積が増大した。

黄土高原では黄土層の厚さはところによって 100mに達する。
年降水量は 700mmであるが、夏季に集中し、土壌の流失が激しい。
植林や段畑の造成、貯水池の建設によって、水土の保持がはかられている。


食糧作物はコムギ、イネ、雑穀で、工芸作物としてはゴマ、アサ、アブラナ、ワタ、テンサイがある。
寧夏平原はクコ、カンゾウの特産があり、また良質の羊皮を産する。

地下資源としては石炭、石油、鉄、塩、リンなどがあり、水力発電、火力発電の発達もめざましい。
銀川市に鉄鋼、機械、化学肥料などの工業があり、石嘴山市は炭田地帯の新興工業都市である。


包蘭鉄道 (ほうらん 包頭-蘭州) が北部を通る。
住民は回族が 30%を占め、ほかに漢族、満州族、モンゴル族、チベット族、ミャオ族など。

中国の西北地区では、最も小さい省・自治区で、農業・牧畜業は盛んだが、工業は立ち後れ、経済的には貧困自治区に数えられる。
資源は石炭・鉄・石膏が豊富にあるため、今後、交通網の整備による発展が期待される。
しかし内モンゴル自治区と同様、乾燥化が進み、砂漠化が発展の阻害要因になっている。

特産品は、西瓜、枸杞、麻黄、蓮藕 (レンコン)、
白宝灘羊皮 (はくほうたんようひ アンゴラ羊の皮)、
銀川絨毯、
賀蘭石硯、賀蘭石刻、清真食品 (イスラム教の食品) など。







観光スポット




銀川市は、自治区の行政、工業、商業と文化教育の中心都市。
宋時代に興慶府と言われ、西夏国の首都だった。

井上靖の小説 「敦煌」 は、この西夏の建国期が舞台となっている。
現在は、イスラム教徒である回族が多く暮らす街で、市内のあちこちにモスクが立っている。

人口は168万人。
特産物は、ジャカード・ブランケット (イスラム教風のお菓子) など。
観光地は、西夏王陵、西夏博物館、賀蘭山岩画など。





① 西夏王陵   (銀川市西郊外賀蘭山東麓)

銀川の西35km、賀蘭山東麓に位置し、50平方kmに渡る王陵遺跡。

西夏時代の9基の王陵と、140余りの王族や官僚の副葬墓が地勢の起伏に沿って立ち並んでいる。

角楼、門闕、碑亭、外廓、内城、献殿、塔状霊台など、一連の建築群が現存する。

お椀をひっくりかえしたような形が印象的。










② 西夏博物館  (銀川市金鳳区人民広場東街6号)

西夏王朝陵を背後に、西夏王国の盛衰の歴史を再現する博物館。

敷地面積5300平方メートル、西夏仏塔式建築だが、モダン的な雰囲気が漂う。

館内は、精選された代表的な西夏の文物671件と、専門家の著書、論文、雑誌など413冊が展示されている。

出土品の中では、龍の彫刻が施された石柱、石馬、碑文、石刻像、仏教経典、仏画、鎧、西夏磁器、官印などがある。











③ 賀蘭山岩画  (がらんさんがんが)    (銀川市賀蘭県西賀蘭口)

賀蘭山は、寧夏平原西部の障壁、古くから、匈奴、突厥、党項、トルファン、
モンゴルなど古代少数民族が此処で遊牧、狩猟していた。

北側の石嘴山から、南の中衛までの10あまりの山に大量の岩画が発見された。

約600メートルの谷の両側の岩肌に、約300の人頭像、馬、ロバ、牛、羊及び狩人が描かれ、
古代の人々の生活様式、宗教などが伺える。

これらの岩画は、古代賀蘭山地域少数民族の歴史を研究するのに大変貴重な史料となっている。










④ 沙湖自然保護区   (石嘴山市 せきしざんし)

銀川から北へ56km離れたところにある、砂漠と湖と湿地からなる観光区。
沙湖は、山津波などによっていくつかの渓谷の水が、砂漠内に長期にわたってたまり形成された湖で、
賀蘭山を背景に紺碧の湖と黄色い砂のコントラストが見事な絶景を生み出している。


   



游客朋友您好,欢迎您来到美丽的沙湖观光游览,希望这里的碧水金沙能使您在这里度过一段轻松惬意的时光。
现在就让我来简单的为您介绍一下沙湖的情况。

沙湖是一处新兴的旅游胜地,因为景区南面的万顷沙漠和北面的千亩平湖相伴相生而得名。
它以自然景点为依托,游湖戏沙为内容,形成了融观赏性和参与性于一体的塞上旅游独有风格,吸引了大批海内外宾客前来观光旅游。
沙湖总面积为80.10平方公里,其中湖泊面积为45平方公里,流动沙丘面积为22.5平方公里。

或许您要问了:这么大的沙湖是怎样形成的?
银川在历史上虽有七十二连湖之说,可是从历史地图看,在银川的贺兰沟以北能称得上湖的水面的只有一处,那就是历史上的沙湖。

沙湖这个地名是古代从平罗威镇堡到归德沟、韭菜沟中间唯一的地名,而且在地图上的跨度长达216年。
文字记载473年。
历代地图在沙湖的位置上都分布有大量的沙丘,沙丘和湖面融为一体,湖的形成也自然有它的历史原因。

在古代漫长的历史上,在没有排水沟的情况下,大武口沟口、韭菜沟、归德沟等入沙湖。
现在,这几条大沟和十几条小沟的山洪要长期在这里滞留,必然在这块洼地形成一个很大的湖面,而且形成的年代久远。
新中国成立后,沙湖划归前进农场。

1958年秋季山洪爆发,导致排水沟决口,沟水大量排人洼地,形成面积达一万多亩的湖泊,因为湖泊外形很像一只大元宝,故名元宝湖。
1989年9月,当时的宁夏回族自治区主席白立忱到前进农场视察,为这里的湖光"沙色"所吸引,提出了开发元宝湖建立旅游区的设想。

1990年,白立忱再次来到这里,他以该景区特有的两大资源--湖泊和沙丘为主题,欣然的将元宝湖更名为沙湖。
从此,沙湖旅游区的建设便拉开了序幕。

此后在国家旅游局举办的一系列活动中,沙湖与广西的桂林山水、海南的天涯海角、湖南的张家界等著名的景区一起被推向海外旅游市场,
成了全国首批35个王牌旅游景点之一。
听了我的介绍您是不是对沙湖是不是更向往了呢,现在就让我们一同去欣赏一下这被誉为“塞上明珠”的沙湖吧。




【注釈】

【万顷沙漠】wàn qǐng shā mò  広大な砂漠
【相伴相生而得名】xiāng bàn xiāng shēng ér dé míng  (砂漠と湖)に因んで名づけられた

【游湖戏沙】yóu hú xì shā  湖と砂漠をともに楽しむ
【观赏性和参与性】guān shǎng xìng hé cān yù xìng  見て楽しむことに加えて実際に体験する

【塞上旅游】sài shang lǚ yóu  辺境の観光
【流动沙丘】liú dòng shā qiū 強風により飛ばされてきた砂が堆積されてできた砂丘

【七十二连湖】qī shí èr lián hú  七十二連湖。銀川は湿地・湖沼が多く「湖沼の街」と称される
【贺兰沟】hè lán gōu  賀蘭溝(がらんこう)。銀川市賀蘭県に位置する渓谷

【平罗威镇堡】píng luó wēi zhèn bǎo dào   石嘴山(せきしざん)市平羅(へいら)県威鎮堡(いちんほ)
【归德沟】guī dé gōu  帰徳溝(きとくこう)石嘴山(せきしざん)市賀蘭山

【韭菜沟】jiǔ cài gōu  韮菜溝(きゅうさいこう)。石嘴山(せきしざん)市大武口区
【跨度】kuà dù   記載された年数

【大武口沟】dà wǔ kǒu gōu  大武口溝(だいぶこうこう)。石嘴山(せきしざん)市大武口区
【山洪】shān hóng  山津波

【元宝】yuán bǎo  過去に通貨として用いられた馬蹄銀
【塞上明珠】sài shang míng zhū  辺境の宝石




観光客の皆さん、こんにちは。美しい「沙湖」の観光にようこそ。

紺碧の湖と黄色い砂で、ゆったりとした時間を過ごしていただきたいと思います。
では、簡単に「沙湖」についてご紹介します。

沙湖は新興の観光名所で、南北に広がる砂漠と湖が共存していることから名づけられました。

自然の魅力満載の湖と砂漠を見て楽しみ、そして実際に歩いて体験するという、鑑賞性と参加性を一体化した
辺境観光の独自のスタイルを形成して、大勢の国内外の観光客を集めています。

沙湖の総面積は80.10平方キロメートル、うち湖の面積は45平方キロメートル、流動砂丘の面積は22.5平方キロメートルです。


このような大きな砂の湖はどのようにしてできたのかと思われるかもしれません。
銀川は歴史的には七十二の湖がありますが、地図を見る限り、銀川の北側にある賀蘭溝(渓谷)で湖と呼べる場所は
沙湖一カ所だけしかありません。

沙湖という地名は、古代では平羅威鎮堡から帰徳溝、韮菜溝(いずれも渓谷名)までの間にある唯一の地名であり、
地図上に記載された年数は216年に渡り、文字として記録された年数は473年にも及んでいます。

歴代の地図では、沙湖の位置に大量の砂丘が分布しています。
このように、砂丘と湖面が一体となって、ひとつの湖が形成されたのは、当然歴史的な理由があったのです。


古代の長い歴史の中で、排水溝のなかった時代には、大武口溝、帰徳溝、そして韮菜溝が沙湖に入り込んでいました。

このいくつかの大きな渓谷と十数本の小さな渓谷の山津波(土石流)が長い間ここに留まり、
必然的にこの窪地に大きな湖を形成させたとされています。
新中国成立後、沙湖は前進農場(国営農場)に編入されました。

1958年の秋、山津波によって排水溝が決壊し、大量の排水が窪地に流れ込み、面積七平方キロメートルの湖が形成されました。
そのときの湖の形が大きな元宝通貨に似ていたため、元宝湖と呼ばれていました。


1989年9月、当時の寧夏回族自治区主席の白立忱(はくりつしん)が前進農場を視察した際、
この湖の「砂の色」に惹かれ、元宝湖を開発して観光地を作る構想を打ち出しました。

1990年、白立忱は再びここを訪れ、この景勝地特有の二大資源である湖と砂丘をテーマに、元宝湖を「沙湖」と自ら命名しました。
この時から、沙湖観光地の建設が始まりました。

その後、国家観光局の一連の活動により、沙湖は広西チワン族自治区の桂林風景区、海南省の天涯海角、湖南省の張家界とともに、
海外の観光客向けの観光地として、全国初の三十五の一級景勝地の一つとなりました。

これで皆さんも、沙湖への憧れが増したのではないでしょうか。さあ、一緒に「辺境の宝石」と呼ばれる沙湖を鑑賞しに行きましょう。









寧夏回族自治区アラカルト







1. 回族

回族は、中国最大のムスリム (イスラム教徒) 民族集団である。
回族とされる人々は、言語・形質等は漢族と同じだが、イスラム教を信仰する。

人口は約900万人で、中国に住むムスリム人口のおよそ半数を占める。
主に寧夏回族自治区に集中的に居住し、甘粛省、青海省、河南省、河北省、山東省、雲南省などの地域に
規模は異なるが集中的に居住している区域がある。

中国のその他の地域には多くの回族の人びとが集中的に居住している区域と分散して居住している区域がある。
回族は幅広く分布し、全国各地に散在し、中国で分布地域の最も広い少数民族である。

回族の起源は、対外交易が盛んであった唐から元の時代に、中央アジアやインド洋を経由して渡ってきた
アラブ系・ペルシア系の外来ムスリムと、彼らと通婚し改宗した在来の中国人 (主に漢族) にあると言われている。



回族のコミュニティには普通、モスクがあり、聖者廟を有する場合もある。
言語は漢語を用いるが、イスラムに関わる用語にアラビア語・ペルシア語・テュルク語に由来する語彙を持つ。

姓名は漢族と異ならないが、預言者ムハンマドの名から取った 「馬」 の姓が多く見られるともいう。
回族は漢族などと雑居しながらもイスラムにのっとった生活を行い、漢族とは食習慣や冠婚葬祭などの習俗を大きく異にしており、
この違いが回族の民族としてのアイデンティティの拠り所となっている。

清の末期には甘粛省など中国西部で反乱を起こした回民の集団がおり、清に鎮圧されたのちその一部はロシア帝国領に渡って中央アジアに定住した。
彼らの子孫はドンガン人 (東干人) と呼ばれる民族集団となって現在もカザフスタンやキルギスタンに居住している。







2. 華夏西部影視城  (かかせいぶえいしじょう)   (銀川市西夏区鎮北堡華西村)

銀川市の郊外にある華夏西部影視城は、草原と言う広大な土地を上手く利用して作った映画村で、
数多くの映画やドラマのセットが見られる。

「紅いコーリャン」 など、ここから世界に羽ばたいて行った映画も少なく無い。
映画のポスターや撮影された映画の紹介展示館など、いろいろ見所がある。

古代から文化大革命のころまで幅広くセットが組まれているので、あらゆる時代に心はタイムスリップをすることができる。


映画 「紅いコーリャン」  の舞台 「十八里坡」










3. 中華回郷文化園 (銀川市永寧県納家戸清真大寺北側)

寧夏回族自治区にはイスラム文化の香りが漂う。

銀川市内から南18キロにある中華回郷文化園は、白を基調としたイスラム建築群で構成されている。

メインゲートはインドのタージ・マハルを模している。

そのゲートをくぐって中に進むと、正面には中国回族博物館がある。

豊富な資料と貴重な実物、模型などで回族の歴史や文化を詳しく紹介しており、興味深い展示も多い。

園内の建築様式は全てイスラム教の名建築から借用していて、中国回族博物館、回族礼儀大殿、民俗村、演芸大殿、レストランなどがある。









4. 八宝茶

「八宝」 とは、「大切なものがたくさん」 という意味。

中国茶葉以外に、数種類の素材をブレンドした健康養生茶である。

八宝茶は、中国西北のシルクロード地方の回族に起源を持つといわれる。

蓋碗 (ガイワン=蓋と受け皿の付いた中国茶用のお碗) で飲まれる。

そのため蓋碗の容器を意味する 「三泡台 (サンパオタイ)」 という名で、八宝茶そのものを指すことがある。

   
   
   八宝茶によく使われる素材&効能
   菊花 (菊の花) 眼精疲労の緩和、解毒。
   龍眼 (リュウガン) 鎮静、健胃、めまい・不眠・健忘症などの緩和。
   枸杞 (クコ) 老化予防、免疫力向上、血圧・コレステロール降下。
   銀耳 (白キクラゲ) 滋養、免疫力向上、肌荒れ防止。
   杏子 (あんず) 便秘、咳、のどの痛み。
   葡萄 (ぶどう) 疲労回復、高血圧・動脈硬化の予防。
   山査子 (サンザシ) 抗ガン、疲労回復、高脂血症・動脈硬化の予防。
   











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