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青海省概要 (http://wiki.chakuriki.net)



青海湖 (西寧市)

青海湖盆地にある中国最大の塩水湖である。

面積5,694平方キロ、海抜3,205メートル、周囲360キロ。

平均水深約19メートル、最大水深28メートル。

青海湖沿岸は、例年7月の中旬には満開の菜の花で黄色く染まる。

この風景を観るため世界中から多くの写真家が集まるという。

また菜種油、はちみつ、漢方薬としての花粉、食材として、様々な用途に使える菜の花栽培は青海省の重要な収入源となっている。



(青海省までの交通)

成田から北京首都国際空港(PEK)まで4時間。

北京から西寧曹家堡空港(XNN)まで8時間。




1.青海湖 (せいかいこ) は四国より大きい。

2.ここの奥地のどこかにある池に入ると、異性の体に変身できるようになる。
パンダに変身できる池も在るらしい。

十年程前に、ある女子高生に変身出来るようになる池が出来た。
なお現在、青海省にパンダは生息していない。

その池の近くには、村の女が余所者に負けた時、余所者が女であれば殺し、男であれば結婚しなくてはならないという掟を持つ少数民族がいるらしい。

女やパンダが溺れたのはまだわかるが、蛸なんてどこから沸いて来たのやら・・・。

3.青い海は無いと思う。 青い湖ならある。
なおパンダには変身しない。

4.中国でのド田舎の代名詞。
最大の都市までは北京から鉄道で3日もかかる。

青海鉄道は巨費を投じて建設された。
途中の駅は、世界最高点にあると言われている。

5.本当はチベットのアムド地方なのだが中共の陰謀によってチベットと分断された。
実は最初に分断したのはチベット人同士の内乱に業を煮やした清の雍正帝。

6.西寧市はチベットにとってはツォンカパ誕生の聖地。
しかし西寧市は現在漢族人口は9割を超えるのでチベット独立の際、青海省の一部と共に中国領に留まりチベットのプロイセンになる予定。
むしろラトビアみたいになるような気が。

7.江東区にも存在する。

8.糸魚川市にも存在する。


略称
青 qing

省都
西寧 せいねい

位置
中国西北部、青蔵高原の東北部に位置する。

面積
721,200平方キロメートル。(日本の面積の1.9倍)

気候
大陸性の高原型気候で、冬が長く暖かく、夏は短く涼しい。
雨が少なく日差しは厳しい。

人口
518万人。チベット、回、トゥー、サラ、蒙古、カザフなど33の少数民族が住む。


主な都市

西寧 (せいねい) 市、海東 (かいとう) 地区、海北 (かいほく) 蔵族自治州、
海南 (かいなん) 蔵族自治州、黄南 (こうなん) 蔵族自治州、果洛 (ごろく) 蔵族自治州、
玉樹 (ぎょくじゅ) 蔵族自治州、海西 (かいせい) モンゴル族蔵族自治州。



概要

青蔵高原の東北部に位置。
長江と黄河はいずれもここに源を発している。

省内に中国最大の内陸塩水湖・青海湖があることからその名がついた。

漢代には西方の少数民族・西羌の居住地で、隋の時代には西海・河源などの郡が置かれた。
唐・宋の時代にはチベット人の王朝・吐蕃 (とばん) が支配をした。

清代には東部は甘粛省に属し、西部は青海モンゴル族の放牧地とされていた。
民国時代の1928年に省制が敷かれた。


崑崙山系に属する多数の山脈が東西に並行し、標高は一般に 4000mをこえる。
中央から南部にかけては主脈の巴顔喀拉 (ばやんから) 山脈などが占め、長江、黄河、瀾滄江 (らんそうこう メコン川の上流) などアジアの大河の源流域である。

気候は寒冷で乾燥しており、一月の平均気温は-8℃以下で、七月で0~20℃である。
年降水量も一般に 300mmをこえない。

しかし、山頂の多くは万年雪に覆われるため、河水や地下水が豊富で、なだらかな山腹や盆地、広い谷などが、夏季には草原に覆われる。
また東端には黄河と支流の湟水 (こうすい) の谷があり、標高 2000m前後で、年降水量は 500mmとなり、省の穀倉である。

北西部には面積 20万平方kmに及ぶツァイダム (柴達木) 盆地が広がる。
主産業は牧畜で、ヒツジを中心にヤク、ウシ、ウマ、ロバ、ラクダを放牧する。
特に羊毛と羊皮が品質のよさで知られている。

農業はコムギ、チンクオと呼ばれるハダカムギ、アワ、エンドウ、ジャガイモ、アブラナを中心とする。
用水路の建設やアルカリ土壌の改良によって耕地が拡大している。

ツァイダム盆地は地下資源が豊富で、石油と天然ガスの大鉱床があるほか、塩湖では塩が採掘される。
北部の祁連山脈では大通回族土族自治県の炭田が有名。

西寧市や鉱業地域の都市で鉄鋼、化学などの重工業が行なわれている。
甘粛省蘭州市から西寧市へ蘭青鉄道が通じ、チベット自治区のラサ市へ青蔵鉄道が通じる。

また自動車道が隣接各省に通じる。
住民は 63%を占める漢族のほか、チベット族、モンゴル族、ホイ族、トゥ族、サラール族など。
黄河の谷を中心とする西寧市と海東地区に人口が集中し、高原面は六自治州に分かれる。

特産品は、雪蓮花 (せつれんか 薬草)、だいおう、冬虫夏草、麝香 (じゃこう)、西寧羊毛、白鳥の彩色玉子、絨毯など。




観光スポット



西寧市は、青海省の省都で、政治、経済、文化、交通の中心都市。
紀元前121年、西に進んで湟水 (こうすい) 流域に着いた漢の軍はそこで軍を駐屯し開墾に従事した。
漢の霍去病が建てた軍事基地 (西寧亭) が西寧市の始まりである。

北宋の崇寧3年 (紀元1104年) 西寧州が設立され、その時から西寧の名は初めて史料に現れた。
1929年、青海省が設立された時、西寧は省都として指定された。

ツォンカ地方 (湟中県) はチベット仏教ゲルク派の宗祖ツォンカパの生誕地で、後、この地にタール寺が建立され、
モンゴル、チベットからの巡礼者、修行僧が集い、チベット六大僧院のひとつとして繁栄した。
ダライラマ14世の出生地 (西寧市湟中県) としても知られる。

市の人口は199万人。特産物は、炒面片 (ちぎった麺の炒め)、羊腸面、そら豆など。
観光地は、東関清真大寺、青海省博物館、タール寺など。





① 東関清真大寺 (西寧市城東区東関大街31号)

西寧市東関の東大街路の南側に位置する青海地区最大規模のイスラム寺院。
創建は明の洪武年間 (1368-98)。

普段でも三千人もの信者が参拝に訪れている。
20世紀になり、三度にわたる大規模な拡張工事が行われ、現在の規模になった。

寺のメインは単檐入母屋造りの大殿。
正面に八本の赤い柱が立つ。
広さは1100平方メートルで、五千人の礼拝者を収容できる。





② 青海省博物館 (西寧市城西区西関大街58号)

軍閥馬歩芳 (ばほほう) の私邸馨廬 (けいろ) があった所に建てられた近代的な大型博物館。
2001年5月に一般開放された。9つの展示室がある。

「有史以前の文明」、「民族文物」、「チベット仏教の芸術」、「黄河の源の奇石」の四つのテーマ別に展示される。
展示室には青海の歴史、文化及び民俗風情が紹介されている。




③ 塔爾寺 (タール寺)  (西寧市湟中県金塔路南端金堂巷2号)

西寧から西南へ25キロの湟中にある。
チベット仏教ゲルク派の創始者であるツォンカパ (1357~1419) の生地を記念して1560年に建てられた。

チベット名はクンブル寺。クンブルとは十万仏の意。
寺の中にはツォンカパの遺物が納められている。

毎年旧暦の一月、四月、六月、九月に大法会が行われる。
それ以外に小法会が二月と十月。

法会とはラマ憎が法を説き、仏を供養するなどのために行われる行事である。
タール寺ではそれに加え、仮面踊り、タンカ晒し、バター細工の展示などが行われ、多くの信徒を集める。





青海省アラカルト



1. 「草原情歌」 (青海省民謡)



中国西部、チベットに接する高度2000m から3000m の青蔵高原。
広々とした草原で楽しく暮らす若者が、遠い村に住む娘に寄せる恋の歌である。

日本では昭和20年代末に、映画 「白毛女」の主題歌として訳詞・編曲され、「草原情歌」 として歌い継がれてきた。


「草原情歌」 訳詞

遥か離れたそのまた向こう 誰にでも好かれるきれいな娘がいる
彼女の家の窓辺を通る時 だれもが彼女を振り返る

バラ色の笑顔は太陽のよう 輝く瞳は夜空に輝く月のよう
私は全てを捨てて彼女と放牧に行き あの笑顔を毎日見つめていたい 

私は子羊になって彼女のそばに寄りそっていたい 
その鞭で優しく私を叩いておくれ




2. 冬虫夏草 (とうちゅうかそう)

チベット高原に生息するキノコの一種である。
中国では古くから薬草として用いられ、宮廷において 「強精強壮・不老長寿の妙薬」 として珍重されてきた。

「冬虫夏草」 の名称は、チベットで古くに、この菌が冬は虫の姿で過ごし、夏になると草になると考えたことから名付けられた。

冬虫夏草が一躍有名になったのが1993年の世界陸上選手権大会。
女子陸上チーム 「馬軍団」 が世界記録を次々とぬりかえる驚異的な活躍をみせた。

その恐るべきパワーの秘密が愛飲していた 「冬虫夏草入りドリンク」 だったと世界中に報道されてからである。
今ではプロスポーツ選手を中心に広く利用されているといわれている。





3. 長江 (ちょうこう) の源流



長江は、青海省のチベット高原を水源地域とし中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川である。
全長は6300kmで、中国およびアジアで最長、世界でも第3位。

中国国外では、最下流部の異称である 「揚子江」 (ようすこう) の名で良く知られる。

青海省の唐古拉 (タンラ) 山脈からチベット高原、四川盆地、三峡を経て湖北省宜昌市に至るまでが長江上流 (金沙江)、宜昌から江西省湖口県までが中流 (荊江)、湖口から上海市の東シナ海河口までが下流 (揚子江) にあたる。

その流域には成都、武漢、重慶などの重要工業都市、上海、南京などの商業都市を含む中国の19の省 (市、自治区) があり、全流域の人口は4億5000万にも達している。
古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。







4. 黄河の源流



黄河は玉樹 (ぎょくじゅ) チベット族自治州の東端に近い巴顔喀拉 (ばやんから) 山脈 (海抜4500m) に源流があり、青海、四川、甘粛、寧夏、内蒙古、山西、陜西、河南、山東の9省を流れ、山東省の省都済南市の北側を通り、渤海湾に注ぐ。

全長5464km、流域面積75万k㎡ (日本国土の約2倍)、長江に次ぐ中国第2位の河川である。

上流から流れてくる膨大な量の土砂の堆積により、山東省の河口付近には広大なデルタ地帯を形成している。

黄河から海へ流入する土砂の量は、年に16億トンから17億トン以上にものぼる。

渤海は黄海に属するが、黄海の名は黄河から流れ込む黄土などによって海面が黄色く濁って見えることからつけられた名である。






中国語講座 「黄河はどのように変化したか」       


黄河是怎样变化的

人们都说,黄河是中华民族的摇篮。
可是一查黄河近2000年来的“表现”,却叫人大吃一惊。
黄河在近2000年间竟决口1500多次,改道26次,给两岸人民带来了深重的苦难。
人们不禁要问:像这样一条多灾多难的祸河,怎么能成为中华民族的“摇篮”呢?
说来有趣,在数千年到数万年前,黄土高原乃至黄河流域,自然条件是很好的,可与今日的江淮流域媲美 pìměi。
那时候,黄河流域气候温暖,森林茂密,土地肥沃,尤其是下游一带自然条件更好。

因此,我们的祖先才选择这里生息繁衍 fányǎn。
可是,后来黄河变了,它开始变得凶猛暴烈起来,折腾得两岸百姓叫苦不迭 bùdié。
黄河成了中华民族的忧患。
黄河是世界上含沙量最大的大河,其含沙量相当于长江的68倍。
黄河每年从中游带到下游的泥沙总重量达16亿吨,其中12亿吨被搬到了大海,4亿吨则沉积在下游河道中。
问题就出在这4亿吨泥沙上。

他使黄河的河床逐年升高,结果有的河段高出两岸农田3-4米,有的甚至高出10米以上,使黄河成了悬河。
每到洪水季节,黄河这些地段的堤坝 dībà 很容易决口 juékǒu,造成可怕的大水灾。
据科学家研究,黄河发生变化有两方面的原因,一是自秦朝以后,黄土高原气温转寒,暴雨集中。
加上黄土本身结构松散,很容易受侵蚀 qīnshí 和崩塌 bēngtā,助长 zhùzhǎng 了水土流失,使大量泥沙进入黄河。

二是人口迅速增长,无限制的开垦放牧 fàngmù,使森林毁灭 huǐmiè,草原破坏,绿色的植被遭到严重破坏,黄土高原失去天然的保护 bǎohù 层,引起严重的水土流失。
每年,黄河流域每平方公里就有4000吨宝贵的土壤 tǔrǎng 被侵蚀 qīnshí 掉,相当于一年破坏耕地550万亩!
更严重的是,水土流失使土壤的肥力显著下降,造成农作物大量减产。
越是减产,人们就越要多开垦荒地;越多垦荒,水土流失就越严重。
这样越垦越穷,越穷越垦,黄河中的泥沙也就越来越多,因而黄河决口、改道的次数也就越来频繁。
把黄河治理好,关键是要把泥沙管住,不能让它随心所欲地流进黄河。

新中国成立后,科学家已经为治理黄河设计了方案。
他们认为黄土高原地区应该坚持牧、林为主的经营方向。
一定要保持好森林资源,使失去的植被尽快恢复。
要使人人都明白这样一个道理:破坏森林是不折不扣 búkòu 的自杀行为;要合理规划利用土地,同时还要大量修筑水利工程。
这样数管 shùguǎn 齐下,一定能防止水土流失,黄河变好的梦想一定能成为现实。


【注 釈】

【生息繁衍】 shēng xī fán yǎn  生息繁栄を続ける。
【数管齐下】 shù guǎn qí xià   多方面に対応を進める。
比喻做一件事多个方面同时进行或多种方法同时使用。
CF双管齐下 比喻做一件事两个方面同时进行或两种方法同时使用。
両面作戦。両備え。二つの面から同時に進める。


【口語訳】

黄河はどのように変化したか

「黄河は中華民族の揺りかご」 といわれている。
しかし、ここ2000年来の 「揺りかごの現実」 は、惨憺たるものがある。

黄河は、ここ2000年の間、氾濫発生は1500余回、河筋を変えたのが26回、両岸の人民に深刻な苦難をもたらした。
人々は思わずつぶやく。こんな災害多発の 「害河」 を、どうして中華民族の 「揺りかご」 などと言えようか?

興味深いことに、数千年から数万年前、黄土高原さらに黄河流域の自然環境はとても良好で、今日の長江と淮河流域の状況に匹敵するといえる。
そのころ、黄河流域の気候は温暖で、森林は密生し、土地は肥沃、特に下流一帯の自然環境はかなり良好であった。

そのため、私達の祖先は、この地を選び、生息繁栄を続けて来た。
しかし、その後、黄河は変貌した。荒々しく狂暴になり、両岸の庶民に艱難辛苦を舐めさせた。
黄河は 「中華民族の患いの種」 となった。

黄河は、土砂量が最大の大河であり、その量は長江の68倍に相当する。
黄河は毎年、中流から下流にかけて運ばれる土砂の総量は16億トンに達し、その中の12億トンは海まで運ばれるが、4億トンは下流に堆積してしまう。
問題はこの4億トンの土砂である。

土砂は黄河の河床を年々高く上昇させ、ある河床は、両岸の耕地から3-4メートル高くなり、甚だしきに至っては10メートル以上高くなり、懸河となっている。
洪水の季節になると、これらの地域の堰は決壊しやすくなり、はなはだしい水害をもたらすことになる。

科学者の研究によると、黄河の変化は二つの原因があり、一つは秦朝以降、黄土高原の気温が下降し、暴風雨が集中したからだという。
黄土そのものが柔らかい地質であり、浸食崩壊しやすく、水土流失が助長され、大量の土砂を黄河に混入することになった。

二つ目は、人口の急激な増加である。
際限がない開墾や放牧が、森林を壊滅させ、草原を破壊し、緑色植生に重大な被害を与えた。
その結果、黄土高原は自然の自浄能力を発揮できず、深刻な水土流失を引き起こすことになった。

毎年、黄河流域の一平方キロメートルごとに、4000トンの貴重な土壌が浸食され、550万ムーに相当する耕地が破壊されている。
更に深刻なのは、水土流失は土壌の地力を著しく下降させ、農作物の大量減産をもたらすことである。

減産となれば、人々はさらに荒地の開墾が必要になり、荒地の開墾が進めば、水土流失はさらに深刻になってしまうのである。
このように開墾すればするほど貧しくなり、貧しければ貧しいほど開墾するという繰り返しは、黄河中の土砂をそれだけ増加させることになる。
結果、黄河の決壊による氾濫や川筋変更も頻繁に発生することになる。

黄河を治める要諦は、土砂をいかに制御するかにある。それを野放図にして黄河に流れ込むことを防がねばならない。
新中国成立以降、科学者はすでに黄河を治めるための方策を構築した。

彼らは、黄土高原地区は、放牧と林業を中心とする経営を堅持すべきだと考えている。
森林資源を保護し、失った植生をいち早く回復させることが肝要である。

森林破壊はまさに自殺行為であり、合理的かつ計画的に土地を利用し、水利工事を大幅に推進していくこと。
こういった道理をひとり一人に理解させなければならない。

こうして多方面から対策を実施することにより、水土流失を防止することができる。
黄河の流れを好転させるという夢はきっと実現するにちがいない。










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