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山東省概要 (http://wiki.chakuriki.net)


大饅頭 (タァマントウ)

マントウは中国式蒸しパンで、北部を中心に主食として
広く食べられている。

三国時代の軍師・諸葛孔明 (しょかつこうめい) の発明とされ、
作り方は小麦粉を練り、イーストで発酵させ、中身を入れずに
丸形にまとめて蒸す。

今日でも北部の庶民的主食であり、栄養価が高く食べやすい。

山東地方では、結婚式や春節、赤ちゃんの1歳の誕生日には、
自家製の特大のマントウを作り、お祝いをするという風習がある。


(山東省までの交通)

関西から直行便で済南遥墻国際空港(TNA)まで3時間。



1.交通ルールが非常に悪い。
実は中国で一番いい。

ほかの地方はもっと悪い。僕は山東省出身です。
ルールが悪いって?
車は歩行者をひき殺しても無罪とかいう悪法?w

2.ドイツの租借地だった。
第一次世界大戦後日本の勢力下に。

それで青島ビールが生産された訳か。
青島麦酒も日本の勢力下に入っていた。

3.北京料理のルーツは山東料理。
山東料理(魯菜系)の有名な料理:徳州?鶏、九転大腸、紅焼大蝦、蜜汁梨球清、一品豆腐、壇子肉、柳葉燕菜、四喜丸子、糖酢鯉魚、油爆双脆など。

4.義和団の乱は、始めここから発生し、天津を経由して北京になだれ込み、各国大使館を包囲した。

この状態を救うべく、米英仏露日など八カ国の連合軍が結成され、鎮圧した。

鎮圧後、各国は兵隊を引き上げたが、露だけは、満州に留まるど

ころか、軍を欧州から増強して満州を占領しようとした。
この結果、日露戦争が勃発した。

5.読みは中国語で「シャントーン」

6.ここも石炭がよく採れる。日本にも輸出。

7.山東人は男性も女性も身体の大きい人が多いと言われているそうです。

8.ドイツの中国系移民はここから来たから。

9.もしここが99年間ドイツの借用地だったら、経済大国になっていただろうに。

10.孟子、孔子、孫子、諸葛孔明といった中国史を彩る壮々たる偉人の出身地。
但し、毛沢東のカミさん出身地というのは黒歴史として封印。

11.韓国と海底トンネルで結ぶらしい。

12.威海は日清戦争(甲午中日戦争)の戦場の一つ。

13.何も言ってないのに「空気も水も別地域で汚染され運ばれて来てるんだ」と言い訳される。

14.中国で最も1人当たりのアルコール摂取量が多い省。

城市の概要

曲阜
1.岐阜のルーツ。

2.現 山東省。

3.世界遺産「三孔」がある。儒教の創始者、孔子ゆかりの街。

4.孔子の子孫は曲阜だけで10万人いるという。 ち
なみに子牛の子孫は世界中に何千万頭といる。


青島
1.確か青島ビールってここだったような。
「青島国際ビール祭」という祭りもあるよ。

2.青島近海でドウモイ酸が発生してるという噂が。
ここらで採れる海産物は食べないように。

3.青島駅の駅舎はドイツ風。

4.冷蔵庫や洗濯機で有名な家電メーカー「ハイアール」の本社がある。
そういえばハイアールってちょっとドイツっぽい響き。 青
島の海岸にハイアールのでっかい看板があった

5.青島のジャスコにはフランソアも松屋も進出している。



略称
魯 lu


省都
済南 さいなん


位置
中国華北平原の東部、黄河の下流に位置している。東海と渤海に臨んでいる。


面積
15万平方キロメートル。(日本の面積の40%)


気候
温帯モンスーン気候に属し、降水期は夏季に集中している。
春と秋が短く、冬と夏が長い。年間平均気温は11℃から14℃。洪水などの自然災害が多い。


人口
9,041万人。(2001年) 
回、満族等の少数民族が住んでいる。



主な都市

済南 (さいなん) 市、青島 (チンタオ) 市、煙台 (えんたい) 市、淄博 (しはく) 市、 日照 (にっしょう) 市、
徳州 (とくしゅう) 市、威海 (いかい) 市、 菏沢 (かたく) 市、 東営 (とうえい) 市、 濰坊 (いほう) 市、
済寧 (さいねい) 市、 泰安 (たいあん) 市、 聊城 (りょうじょう) 市、 莱蕪 (らいぶ) 市、棗庄 (そうしょう) 市、
臨沂 (りんぎ) 市、 濱州 (ひんしゅう) 市。



概要

北部と西部は黄河による沖積地で、北部は黄河が流れ、西部には微山湖 (びざんこ)、東平湖 (とうへいこ) などの連なる低地があって、大運河が通っている。
中部から南部にかけては沂蒙 (いいもん) 山地で、標高 1000mをこえる峰を含むが、大部分はなだらかな丘陵地である。

東部は山東半島で、ほとんどが丘陵地であり、海岸はリアス式で湾入に富む。
海に接するために気候は比較的温和である。

月平均気温は一月で-1~4℃、七月で 24~27℃。年降水量は 500~900mm。
人口密度は中国の省、自治区のなかで最も高く、平地は省域の 40%であるが、農地は総面積の 60%を占める。


春秋時代は斉と魯等の国に所属していたので、そこから魯と言う略称がついた。
もともと 「山東」 の地名は太行山脈の東を意味し、「山西」 の対をなしていたもので、現在の河北・河南省を含む広い範囲を指していた。

明代に山東布政使司 (行省とも呼ばれる) が設置され、六府、104県を管轄し、現在の山東省行政区域の範囲がほぼ決まった。
清代には明代の山東の範囲を引き継ぎ、山東省と呼ばれるようになった。


工業、農業ともに発達しており、中国の発展の代名詞ともなっている。
特に青島・煙台・威海などの沿海部の経済成長が目覚ましい。

その代表格が、海爾 (ハイアー) と呼ばれる冷蔵庫メーカーで、国内を問わず、海外に進出し、現在では日本でも販売されるようになった。
また青島ビールも有名である。

農業も中国一の生産高を誇り、特に綿・野菜・果物の生産が盛んで、日本への葱の輸出でも知られている。
2001年に、日本がセーフガードを発動した農産品三品目のひとつが、山東省の葱である。

資源も恵まれており、黄河下流にある勝利油田は、大慶油田に次ぎ、中国で二番目の産油量を誇る。
更に渤海湾では、多くの油田・ガス田が発見され、今後に多くの期待をかけられている。

特産品は、煙台りんご、莱陽 (らいよう) 梨、青島ビール、撈山ビール 、青銅器、済南羽毛絵、

撲灰画 (ぼくはいが 吉祥を表す絵画)
、山東すずり、青島貝殻彫刻、煙台刺繍、ガラス細工など。






観光スポット




済南市は、山東省の中央部、黄河の南にある省都。

「龍山文化」 といわれる紀元前2000年頃の石器時代に栄えた地域にあり、戦国春秋時代は斉の国の都も置かれた。
昔から 「七十二泉」 といわれ、町のあちこちで泉の湧く、水の都でもある。

市内の人口は609万人。
特産物は、
羽毛絵 (羽毛を貼って描いた絵画)、しん粉細工、煎餅、瑠璃工芸品、高粱あめなど。
観光地は、千仏山、大明湖、趵突泉 (ぼくとつせん) など。









① 千仏山 (せんぶつざん) (済南市経十一路18号)

千仏山は済南市の南に位置し、標高は258m、面積は166ヘクタールあり、済南三大名勝の一つ。
古くは靡笄山 (びけいざん) や歴山と呼ばれていた。

隋の時代に仏像が開削され、千仏寺が建てられてから次第に千仏山と呼ばれるようになった。
千仏寺は唐代に修築され、興国禅寺となった。

興国禅寺は千仏山の中腹にあり、境内には大雄宝殿 (だいゆうほうでん)、観音堂、弥勒殿、対華亭 (たいかてい) がある。
興国禅寺の裏には最古とされる隋代の石仏が60余りあり、千仏崖の南側には隋代の仏像が130余りある。

その他、儒教、道教、仏教が一つに統合された寺院、歴山院が興国禅寺の東にある。
また、千仏崖の下には極楽洞、黔婁洞 (けんろうどう)、竜泉洞があり、その中でも極楽洞の16ある仏像の高さは最高で3メートルに達する。

興国禅寺は戦火で焼失した後、明清時代に修復され、1959年に公園となった。
近年、千仏山公園は急速に発展し、1995年には全省七大風景の一つとして挙げられるほどになり、悠久の歴史を感じさせる美しい景色となっている。
そして、仏教文化の特徴をもつ大規模な観光地となっている。





② 大明湖  (だいめいこ) (済南市大明湖路250号)

大明湖は済南市の中心、旧市区の北に位置する。
趵突泉 (ぼくとつせん) 、千仏山と合わせて済南三大名勝といわれる。

かつては 「蓮子湖 (れんしこ)」 や 「西湖」 という名だったが、金代に 「大明湖」 と呼ばれるようになった。
明代に修築され、今日の大明湖の姿となった。

泉の数は百以上、その中でも名泉は七十二ある。
大明湖はたくさんの泉が合流してできた天然の泉で、水は清冽で魚が泳いでいる。

公園の面積は86ヘクタールで、そのうち湖は46ヘクタールある。
湖に沿って垂れ柳が囲み、湖には紅白の蓮が咲いている。公園の景色はとても美しく心地よい。

大明湖園内には一閣 (北極閣波 ほっきょくかくは)、二園 (遐園 かえん、秋柳園)、四祠 (稼軒祠 かけんし、鉄公祠、
南豊祠、匯泉祠 せんせいし)、十亭 (玉涵亭 ぎょくかんてい、鴛鴦亭 えんおうてい、小滄浪亭 こそうろうてい、
八角亭、九曲亭、望湖亭、浩然亭、湖心亭、歴下亭、月下亭) がある。

その中でも歴下亭と鉄公祠は市の保護文化遺産となっている。

大明湖は北魏の郦道元 (れきどうげん) の 『水経注 (すいけいちゅう)』  に記載されているのが最古とされる。

公園内の石碑は多く、「海右此亭古、済南名土多」 海右 (かいゆう) 此 (こ) の亭 (てい) 古 (いにしえ) たり  
済南  (さいなん) 名士  (めいし) 多 (おお) し、という杜甫の詩の刻字も見られる。

これは、745年 (天宝四年) に唐代の詩人杜甫と書道家の李邕 (りよう) が歴下亭で酒宴を開いた際に作った詩で、歴下亭の名を天下に広めた。








③ 趵突泉 (ぼくとつせん) (済南市市中区)



済南72名泉の筆頭に揚げられる泉で、別名 「天下第一泉」 と呼ばれる。
この水は地下にある鍾乳洞の裂け目から出ており、一年中噴出している。

勢いが強いときには、湧水が海面から50cmも盛り上がる。
水貭が優れているので、泉の水で入れたお茶は非常に香りがよい。

泉の周囲には、望鶴楼や茶座など古典様式の建物が建ち、独特の景観をつくりだしている。





青島市は、山東省の東部、山東半島の南岸にある黄海に臨む港湾都市。

1898年にドイツが租借して軍港を開いてから発展し、1914年から1922年まで日本が占領している。
穏やかな気候、海や山の風光、ヨーロッパ風情の街並みなど、中国でも独特の雰囲気のある町である。

市内の人口は171万人。
銘柄品・優良品・特産品は青島ビール、クリーム落花生あめ、高粱あめ、生鮮な海産物など。
観光地は海浜浴場、海産物博物館、労山景色名所など。







④ 青島ビール工場  (青島市登州路56号)

1903年ドイツ人によって創立された中国一番古いビール工場。
青島は青島ビールによって知名度が高まったとも言われている。

1916年,日独戦争で青島を占領した日本人は青島ビール工場を買収し始め、1945年まで29年間経営した。
ここでは朝日、麒麟麦酒を生産した。

1949年解放後、青島ビール工場は国有になり、初めて世界へ輸出した。
いまの青島ビール集団は年間生産量200万トンにのぼり、中国一である。

ビール工場見学の時、青島ビール歴史展示、ビール生産過程が見られるだけではなく、一時間前に作られた濁りビールと新鮮な生ビールが飲める。







⑤ 第一海水浴場  (青島市市南区南海路)

匯泉湾 (かいせんわん) の第一海水浴場は東アジアで最初の海水浴場だといわれている。
規模は最大で、更衣室やシャワー、レストランなども備えている。

夏になると砂浜にはパラソルが並べられ、海水浴を楽しむ人々でにぎわう。
第一海水浴場が、青島の数あるビーチの中でも優れているといわれるのは、ここの浪が穏やかで、砂が細かく、水がきれいであるからだ。

沿岸の岩は、浪による浸食によって細かい砂になり、浅瀬の砂浜に堆積する。
そして長さ580m、幅40m以上の遠浅の砂浜を形成していて、マリンスポーツにも適している。

2003年にはさらに整備が行われ、青島のリゾート地となっている。








⑥ 八大関区 (はちだいかんく)  (青島市市南区黄海路18号)

西に匯泉湾 (かいせんわん)、南に太平湾を望む八大関は、青島の別荘地で、8つの関所が名前の由来になっている。

もともと8つだった関所は、その後2つ増やされた。

しかし、「八大関」 という名前はそのままになっている。

また、八大関は 「赤い瓦、緑の木、青い海と空」 という青島の特徴を体現している景勝地でもある。

八大関の建物にはロシア、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、デンマーク、ギリシャ、スペイン、
スイスや日本など20以上もの国々の建築様式が見られ、「万国建築博覧会」 ともいわれる。

そのため、映画やテレビドラマ、音楽ビデオの撮影には便利で、今まで数多くの作品が撮影されている。










⑦ 泰山 (泰安市泰山区) (世界遺産)

中国五大名山の一つ。主峰の玉皇頂(ぎょっこうちょう)は標高1514メートル。

秦の始皇帝、漢の武帝、唐の太宗、宋の太祖から明清時代まで、約2000年に渡り、宗教の中心、
神聖な山として歴代の皇帝により崇められてきた。

泰山は歴代の皇帝が国家統一を天に報告する「封禅の儀」を行なう場所でもあり、山全体に多数の祠や廟、宮殿建築が点在している。

また、多くの文人墨客により、石刻など豊富な文物旧跡が残されている。

そのため、「青空歴史博物館」 と称えられている。

山の中には、孔子登高処、岱廊 (たいろう)、普照寺、碧霞祠寺 (へきかしじ)、玉皇頂、日観峰、月観峰、
石塢松涛 (せきうしょうとう) などの名所旧跡のほか、老木も多い。

全長9キロに及ぶ泰山の登山観光道路は6293段の石段で作られている。

現在は、中天門から南天門までロープウェイも運行されている。

山頂からの日の出や日の入りはとても美しく、毎年多くの観光客が訪れる。





⑧ 曲阜の孔廟、孔林、孔府  (曲阜市) (世界遺産)

孔廟

中国最大の孔子廟で、南北方向に縦630メートル、横140メートルの大きさを誇る。
内部には約460の部屋、門坊53基、御碑亭13基があり規模が大きい。
紀元前478年 (孔子の死後2年目) に、魯哀公が旧居を改築して廟にした。
それ以後、歴代皇帝により修理、拡張され現在の規模になった。

孔林

曲阜市の北に位置する、孔子とその一族専用の墓地。
現在のところ世界で最も長く継承され、また、面積も世界最大の氏族墓地である。
孔林は孔子の死から2年後に作られた。

その後、孔子の地位の向上に従い、孔林の規模はますます大きくなった。
漢代以降、歴代統治者は13回にわたり、孔林を増築改修し、現在の規模に至っている。
総面積約2万㎡、取り巻く林の壁は56キロ、塀の高さは3メートルを越し、厚さは1メートルにもなる。

孔府

西側を孔子廟と隣接する孔子の正統な子孫が代々居住する場所。
明代、清代皇帝の皇居に次ぐ大きさである。

現在の孔府の面積は約1万6千㎡で、庁、堂、楼、軒などの各種建築が463ある。
東路は家族廟で、西路は学院、中路はメインの建築である。

府内は歴史文化財が豊富に収蔵されており、中でも最も有名なのは 「商周十器」 と呼ばれる宮廷所蔵の青銅製の祭器である。
これらは、乾隆帝から孔府に寄贈されたものである。





山東省アラカルト




1. 梁山泊 (済寧市梁山県)

梁山ではかつて、黄河が氾濫して形成された沼沢 (しょうたく) が広がっていた。
この沼沢地は近くにある山・梁山にちなんで梁山泊と呼ばれた。

この付近は黄河のはんらんで荒廃し人口も減少していたが、天険の地で南北交通の要路でもあった。
北宋末には反体制勢力の拠点として盗賊や政府に反抗する者たちの巣窟となり、宋王朝を大いに悩ませたという。




2. 宋江 (水滸伝)

梁山泊の統領。済州 (現在の山東省) 鄆城 (うんじょう) 県宋家村出身。

県の役人で、信義にあつく人望があった。

故あって妾の閻婆惜 (えんばしゃく) を殺し、江州 (江西省) に流刑となる。

そこで作った詩が謀反の罪に問われ、死刑になるところを救われて梁山泊の仲間に入る。

のち統領の晁蓋 (ちょうがい) が死んだ後を継いで統領となる。

彼は、単なる盗賊であった梁山泊に 「天に替わって道を行う」 という大義名分を与えた。

その後は朝廷に帰順して、対遼戦争や方臘 (ほうろう) の乱鎮圧などに大功をたてた。








3. 潘 金蓮 (はんきんれん) (水滸伝)

陽穀県 (山東省) の炊餅 (蒸し饅頭) 売り・武大の妻。

絶世の美女だが性欲・物欲・向上心が強く、夫を殺して情夫との淫蕩にふける典型的な悪女である。

元々は清河県 (河北省) の商人の使い女であった。

その美形から主人が手を出そうとしたが、それをはねつけ、逆に正夫人に告げ口をした。

そのため、逆に主人の恨みを買い、県内で最も醜男である武大に無理矢理嫁がされた。

そのため人の噂となるのを避けて陽穀県へ転居した。

そこへ虎退治で名を上げ、都頭として取り立てられた武松 (武大の弟) が現れ、居候となる。

兄とは大違いの筋骨隆々たる美男である武松に惚れ、色目を使うが、身持ちの堅い武松からは相手にされなかった。





4. .諸葛亮文化旅遊区  (臨沂市沂南県)

諸葛孔明の故郷・臨沂 (りんぎ) 市沂南 (ぎなん) 県では、諸葛氏の祖先を祭る
「諸葛宗祠」 (しょかつそうし 祖廟) が作られている。

総面積3600平方メートルの建物は、3つの主殿、2つの側殿に分かれている。

内部には、12体の坐像、11点のレリーフ、刺繍の人物像18点が展示。
諸葛孔明のほか、彼の祖先や子孫、諸葛氏出身の傑出した女性なども祀られている。

ここにくれば諸葛一族のすべてがわかると言っても過言ではない。
諸葛亮文化旅遊区にはその他、諸葛亮銅像、諸葛草案、八卦迷宮などがある。



臥龍先生像 (諸葛孔明の別名)

園内の諸葛孔明ベンチ (車椅子風)


諸葛亮 (しょかつりょう) [181-234]

軍師。字は孔明。山東省琅邪郡陽都県 (現在の臨沂市沂南県) 出身。

劉備の知遇に感じてこれに仕え、天下三分の計をたて、劉備を蜀の国主とした。
劉備の死後はその子の劉禅をたすけ、魏と戦いつつ雲南までも出兵した。

その出征のとき奉った 「出師表」 (すいしのひょう) は名文として名高い。
のち魏軍と対陣中、五丈原で病死した。








中国語講座  「趵突泉」   


趵突泉                

千佛山,大明湖,趵突泉 bào tū quán,是济南的三大名胜,现在单讲趵突泉。
出了济南的西门,在桥上就看见一溪活水,清浅,鲜洁,由南向北流着。
岸边的垂柳倒映在水面,上下都是绿的,幽静极了。
这水就是从趵突泉流出来的。
假如没有趵突泉,济南会失去它一半的妩媚 wǔmèi。
沿着小溪往南走,就来到趵突泉公园。
一个开阔的泉池,差不多是见方的,占了大半个公园。

池里的水清极了,游鱼水藻 shuǐzǎo,都可以看得清清楚楚。
泉池中央偏西 piānxī,有三个大泉眼,水从泉眼里往上涌,冒出水面半米来高,像煮沸了似的,不断地翻滚。
三个水柱都有井口大,没昼没夜地冒,冒,冒,永远那么晶莹 jīngyíng,那么活泼,好像永远不知疲倦。
要是冬天来玩就更好了,池面腾起一片又白又轻的热气,在深绿色的水藻上飘荡着,会把你引进一种神秘的境界。
池边还有数不清的小泉眼。

有的不断地冒泡,均匀的小气泡连成一串,像一串珍珠随着水流摇曳 yáoyè。
有的要隔一会儿才冒出十来个气泡,只见气泡轻快地往上蹿 cuān,好像你追我赶似的。
有的半天冒出一个气泡,那些气泡比较大,大多扁扁 biǎnbiǎn 的,一边往上升一边摇晃,碰着水面就碎了。
在阳光照射下,大大小小的水泡五光十色,没有哪一种珠宝能比得上。



【注釈】

【单讲】 dān jiǎng (=只讲) ~だけをとりあげる
【一溪活水】 yì xī huó shuǐ  ひとすじの湧き水
【清浅】 qīng qiǎn  浅く澄んで
【鲜洁】 xiān jié  清く鮮やかに
【妩媚】 wǔ mèi  あでやかさ

【见方】 jiàn fāng  正方形
【偏西】 piān xī  西寄り。西側
【晶莹】 jīng yíng きらきら光り輝く
【摇曳】 yáo yè ゆらめく
【要】 yào (=将要)  一定の間隔をおいてまもなく
【蹿】 cuān 飛び上がる
【扁扁】 biǎn biǎn 平たい



【口語訳】

千仏山、大明湖、そして趵突泉は、済南の三大名所である。
今回は趵突泉について語ることにする。

済南城の西門を抜けると、橋の上に谷川の水が流れるのが見える。
南から北へ、浅く清らかに、生き生きと鮮やかに流れている。

岸辺のしだれ柳の影が水面に逆さに映り、上から下まで緑一色で、至って静寂である。
この水は趵突泉から流れ出ている。

趵突泉がなかったなら、済南は其のあでやかさの一半を失うにちがいない。
小川に沿って南へ向かうと、趵突泉公園に至る。

ほぼ正方形の広い泉池が公園の大半を占めている。
池の中の水は澄み切っていて、泳いでいる魚や水藻を、ことごとく鮮明に見ることができる。

泉池の中央西寄りの 3つの大きい泉眼から水が上方に湧き出て、それはまるで煮沸した湯水のように、
水面の50センチほどの高さまで、絶えず逆巻いてあふれ出てくる。

口径が大きい3つの水柱が、夜も昼もなく、きらきらと限りなく透明に、躍動的に絶え間なく湧き出でる様は、永遠に疲れることを知らないようだ。

冬に遊びにくるなら、それは絶好の機会である。
池面は、一面に白く薄い水蒸気が立ち込め、それらが深緑の水藻の上で漂う様は、あなたを神秘的な境界にいざなうにちがいない。

池の周囲には数え切れない数の小さい泉眼がある。
あるものは絶えず泡を吹き出し、小さい気泡が一律に数珠つながりになる様は、まるで一連の真珠が水の流れに従って揺らめいているようだ。

あるものは一定の間隔で、十いくつの泡が噴き出し、ふと見ると気泡が軽やかに上へ跳び上がり、まるで追いつ追われつ躍動しているようだ。

あるものは絶えずひとつの泡だけを噴き出し、ほとんどの泡は偏平で比較的大きく、それらは上昇するかと思えば、
そのまま揺れ動き続け、水面に当たってははじけ散ってしまうのである。

日光が照射すると、大きさがまちまちな泡たちが、色とりどりにきらめき、その様はどんな宝石も色あせてしまうほどである。










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