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2020年2月2日 メンバーが選ぶ、歌が上手いランキング (Love music)
ハロプロは、歌がうまいメンバーばかりですが、そんなハイレベルな中で
58名のメンバーが選んだ 「歌が上手いメンバーランキング」 は以下の通り。
1位、高木紗友希 (Juice=Juice)
2位、小田さくら (モーニング娘。)
3位、段原瑠々 (Juice=Juice)
4位、岸本ゆめの (つばきファクトリー)
5位、広瀬彩海 (こぶしファクトリー)
いずれもハロプロ研修生から叩き上げて、グループに加入したメンバー。
彼女たちの歌には、聴き手の心に響く情感の豊かさが感じられます。
人の心に訴える歌声は、いつまでも聞いていたくなりますよね。
ハロプロに加入した新人たちの多くは、それぞれ憧れの先輩がいます。
彼女たちの歌の練習は、先輩の歌い方や声質を真似ることから始まるとか。
歌い方を真似ると、その先輩のテクニックも練習することができるので、
抑揚のつけ方や感情の込め方などのコツをつかむことができるそうです。
今回のランキングは、どうやら先輩に対する人気投票の要素もありそうですね。
200202LoveMusic.wmv
2020年2月16日 おじさんがアイドル追っかけ、情けない (デヴィ夫人)
タレントのデヴィ夫人が、バラエティ番組 「もんくもん」 (読売テレビ) に出演。
「日常で感じる文句」 について語った。
「AKBや乃木坂のお嬢さんたち、皆可愛らしいですけど、それをいい歳をした男の人たちが見てる。
ああいうグループ、私は日本の男を稚拙にすると思うんですよ」 と、日々感じていることを語った。
なお、このデヴィ夫人のコメントを受けて、街頭では 「やたら若つくりの服を着てる」
「LINE とかで絵文字めっちゃ使ってくる」 など、辛辣な声が続々と上げられた。
(2020/02/17 エキサイトニュース)
タレントのデヴィ夫人が 79歳の誕生日となる 6日、都内にて、
自著 「選ばれる女におなりなさい」 の発売記念イベントを開催した。
同書は、19歳でインドネシアに渡り、22歳でインドネシアの初代大統領
スカルノ氏(61歳)と結婚。
大統領が亡くなった後は、社交界で 「東洋の真珠」 とうたわれたデヴィ夫人が、
男性の選び方、恋愛がうまくいくアイデアなどを綴った指南書。
イベントでは、モデルの谷まりあがバラの花束を持ってお祝いに駆け付けた。
(2019/02/06 エンタメニュース)
すると、39歳差までは、若いコに夢中になってもセーフってこと、デヴィ夫人?
Dewi Sukarno is known for her outspoken personality.
In Japan, she is commonly referred to simply as Dewi Fujin (デヴィ夫人:Madame Dewi)
Her real name is Nemoto Naoko.(根本七保子)
The 19-year-old Nemoto Naoko was working days in an insurance company and nights as a hostess at Ginza bar in Tokyo.
It was there that a fateful meeting with a powerful world leader changed her life.
Nemoto Naoko met Sukarno at the Ginza bar.
Sukarno was president of Indonesia. He at the time was on a state visit to Japan.
They married in Indonesia in 1962. At the time Sukarno was 61 years old.
The marriage is of some political significance.
It was politically impossible for a prominent politician to marry a Japanese
woman
as result of the barbarous conduct of the Japanese military.
Sukarno was a hero of the Indonesian independence, and many Indonesian people cordially congratulated their marriage.
The pair established strong ties between Japan and Indonesia.
黛薇・苏加诺(Dewi Sukarno)因直言不讳的言论而闻名。
在日本,她通常被称为黛薇夫人。(Madame Dewi)
她的真名是根本七保子。
19岁的根本七保子白天在一家保险公司工作,晚上在东京银座酒吧当服务员。
正是在那里,与一位强大的世界领导人的一次决定性的见面改变了她的人生。
根本七保子在银座酒吧与苏加诺相识。
苏加诺是印度尼西亚的总统。他当时正在对日本进行国事访问。
七保子虽出身寒微,但天生丽质,妖娆艳丽,他只看了一眼,就被她迷住了。
他们于1962年在印度尼西亚结婚。当时苏加诺61岁。
这桩婚姻具有一定的政治意义。
因为日本军队的野蛮行为,对一位杰出的政治家来说娶一个日本女人是一件不可能的事情。
但苏加诺是印尼独立的英雄,许多印尼人民热烈祝贺他们的婚姻。
两人在日本和印尼之间建立了牢固的关系。
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