パラノイア・ダイアリー


1.かおりがとびうおになった日


○月×日 きょうも疲れた。 
最近毎日仕事をして疲れている。
そういう生活はずっと前から当たり前だけど、耐えられるのはきっと歌を歌うことはかおりにとって世界でいちばん好きなことだからだと思う。 

いつも人間の心や物事のすばらしさを伝えたくて歌ってる。 
だけどきょうあるTV番組でもうひとりの私、タンポポとしての飯田圭織が歌った。
自分でも納得いかなくて、周りの人からもよくないと言われ、しかも今回のCDが前の曲よりも売れていないと聞かされた。
それはきっと、自分の歌に対する愛情が甘かったり、体調のせいにして怠けていたからよい歌が歌えないんだと落ち込んだ。 

自分のくだらない甘えを聞いている人は敏感に感じたんだと思う。 
せっかくつかみかけた夢を自分のせいでつぶしたくない、そんな思いまでもが忙しい日々に流されそうで逃げたくなった。
何も感じることのない未知の空の果てに逃げたかった。

そんな時自分はとびうおみたいだと思う。
とびうおは海が大好きだけど、ときには果てしない空、大きく羽ばたく鳥に憧れて飛んでみる。
だけどやっぱり大好きな海を捨てられなくて海にいる。
この先叶う保障もない夢に向かって走る自分みたいだった。

とびうおは空を飛べない。
だって水がないと生きていけないから。
かおりは逃げられない。
だって歌がないと生きていけないから。

日々いろんなものに出会い、憧れたりするけどとびうおは海がいちばん好きだから海にいるんだ。
かおりは歌がいちばん好きだから歌を歌うんだ。
それはきっと神様がくれたかおりのいちばん輝ける場所だと思う。
かおりはそう信じてる。

「だから逃げるのやめよう」と思ったときにきょうは終わっていた。
またあしたからの長い夢への旅に向けて心の準備もできたし、あしたも早いのでふとんの中に入った。
そして、長い1日がおわった。


2.うさぎの声を聞いてほしい日

○月×日 きょう、ケンカした。
長い間、心の通じ合うと思ってた友達と。
血液型も年も同じだし誕生日も近いしすごく気の合うコと。
中学生になってまでも、大好きなドラえもんを観に行ったり気の合うコだったのにちょっとした意見のくい違いでお互い許せないほどの大ゲンカだった。

人は、心の中で思ってても言えないことばをこころにしまってストレスがたまる。
子供のころはなかったのに、大人になるにつれて増えていく。
17歳のかおりにも少しずつわかってきた。
気を遣うことはめんどくさいし正直苦手。
そんなことなら大人になりたくない。 ―――きょうのかおりはうさぎです。

うさぎは何も話さない。
ほかの動物は、うれしいとき、腹が立ったとき、鳴いたり吠えたりするのに、うさぎは何も言わない。
きっと誰かにいろいろ話したいはずなのに、本当に心の通じ合う仲間にしか聞こえない声しかもっていないから、できない。
すごくつらいと思う。

さみしいときも、すべてひとりで立ち直らなければいけないから、毎日泣いているから目が赤いのかな?
かおりは最近、感情的になる自分の気持ちを抑えている。
感情的に伝えれば、少しは伝わるのかもしれないけど、きっと心は通じないからそれはしたくなかった。
だから、かおりもうさぎも、つらいことやさみしいことを誰にも言えないで、いつも誰かに心の声が伝わるのを願っている。

自分で探すのもありだけど、誰でも信用しちゃうとだまされるから孤独に生きてる。
悩みごとが多いこのごろだけど、かおりは話せるからうさぎよりつらくないハズだ。
「ねぇうさぎさん、あなたはつらくないのですか?

自分のことを誰にもわかってもらえず、いつもひとりで過ごしてつらくないんですか?
かおりは、毎日ひとりでさみしいです」だけど、いつもきれいな心でみんなを愛していればいつかは心が通じるはず。
朝日の中、鳴く小鳥たちといっしょに自分に言い聞かせて瞳を閉じた。


3.みみずに憧れる日

○月×日 きょうは特に何もなかった。
ただいつもと同じように仕事をしていた。
最近は、仕事以外に特に何もない毎日、決まった生活を送っている。
いつもは夢を叶えるために必死だから何も思わないけど、きょうはつまらないと思った。
このような思いは、昔にも経験したことがある。

中3のころ、あまり勉強が得意じゃないかおりが、どうしても行きたい高校があり必死に勉強していた。
高校に受かるためだとわかっていても、みんなと同じ制服を着て受験勉強するだけの毎日がつまらなかった。
もし、かおりがみみずだったらそうは思わなかった。

みみずは、一般的に”気持ち悪い”とか思われてるけど、不思議な力をもっている。
目が見えないけど光を体で感じると勉強した。
目で道が見えないからたくさん迷うけど、夢への光が見えるから必ずゴールできる。

今、私はモーニング娘。でありタンポポであり夢に近づいてるけど、それは本当にかおりに向いてることなのか才能があるのかわからない。
毎日不安でたまらない。
せっかく受かった高校を転校したことも、親の反対を押し切って東京に出てきたことも、よかったのかわからなくなってきた。
みみずになりたい。

みみずみたいに、未来の光が見えたら自信をもって生きてゆけるのに。
でも、もし未来が確実だったりして何の不安もなく、安心して過ごす毎日は本当に楽しいのだろうか。
みみずと話ができたら相談してみたい。
ほかの人に相談してもみみずの気持ちなんかわからないだろう。

子供のころ、パパもママもかおりの悩みを吹き飛ばす不思議な力をもっていると思ってた。
だけど、それは不思議な力じゃなくてたくさん悩んでいろんな経験をしたから人の心を和ませることができるのかもしれない。
かおりが大人なら答が出るのだろうか。
わからない。

子供でいいのか大人がいいのかみみずになりたいのか。
答が出ないまま未知の明日を迎えることになる。


4.おいしいオレンジジュースが欲しい日

○月×日、きょう考え込んだ。 最近ずっと考え事をしている。 本当にもう少しで18歳になっていいのか…18歳といえば車の免許がとれたりパチンコができたり今までできなかった事ができるようになる。 今よりも自由になる。 昔は学校や親に縛られる生活が嫌で大人=自由だと思っていたから、誕生日が来て1つ年をとるだけで大人になった気がして嬉しかったけど、今は年をとるのが怖い。いろんな人と接して大人とは年ではなく中身だと知ったから夢ばかり見ている自分が現実を知らされた気がしてすごく怖い。大人はつぶつぶオレンジジュース。 大人はたくさん経験して優しさや厳しさを持って言う。大人の心にあるたくさんのおいしい人生の果実がみんなに好かれる。 子どものかおりはすっぱい誰からも好かれないオレンジジュース。
最近嫌な事があって何事も嫌になっていた時年上の人が心配してくれて相談したら“自分の感情を表に出すな”と注意された。その人はいつも元気そうに見えるから悩み事なんてないと思っていたけど、かおりよりも深刻な悩みをたくさん持っていた。全然気づかなかった。大人だと思った。その人がみんなに信頼されている理由を納得したあと客観的に自分を見たら、やっぱり自分の事しか考えてない誰からも好まれないまずいオレンジジュースみたいだった。
昔から“自分勝手”と陰口を言われる理由がこの事だと気がついてまた落ち込んだけど、また同じ事のくり返しだとも気がついた。世の中にはいろんな人がいるけど心の果実が腐ってしまった大人にはなりたくない。ゆっくり時間をかけていろんな経験をして果実を増やし大切にしていこうと強く決心した。時間は誰にも止められないし1日はあっという間に過ぎてゆくけど、自分に意味のある時間をどう過ごすか心のオレンジジュースがおいしくなるかは自分次第。生まれて初めての難しい課題ができたけどもう何も怖くない。誕生日が来るのも怖くない。かおりの心はおいしいオレンジジュースになれるから。


5.ねずみに教えられた日

○月×日。きょう、ねずみがいた。気持ち悪くて逃げてしまった。ごめんなさい。一生懸命生きているねずみを嫌がった事に罪悪感を感じ、じいちゃんの言葉を思い出した。小さい頃、カラスアゲハを捕まえた。珍しいから嬉しくてじいちゃんに自慢したら、「生きているものは何か意味を持つ」と叱られた。その時はその言葉の意味がわからなかったけど、今はわかる気がして、その言葉を励みに生きている。モーニング娘。やタンポポで表現している“音楽”は、かおりにとってとても大きな存在。思い通りに表現できなくて「あきらめよう」とか思ったり、同じ方向に向かって戦っている人達との競争に負けて何度も落ち込んだりもしたけど、今では1つ壁を乗り越えた気がする。今、文章を書いている事もその一つ。
文章を書くことは昔から苦手だけど、何事も挑戦だと思い毎回不安ながらに書いている。でも読んでくれた人から励みになったという手紙をもらい、こんな自分でも人の役に立てた事がすごく嬉しかった。だけどまだ足りない。ねずみは医学の実験に使用され、たくさんの人が助かっている。医学の実験の為に生まれてきたわけじゃないし、かおりに嫌がられたりするけどねずみは強く生きている。じいちゃんの言葉の意味を果たしている。そんなねずみの人生はかっこいい。かおりもそんな人生にしたい。昔、かおりは自分の意見を持てなかったけど今では正反対なくらい自分の意見を主張する。この性格がよく他人に悪く思われる事もあるけど自分の道をまっすぐ生きたい。
たとえくじけても、ただの自分勝手な奴と思われても、“失敗は成功のもと”、先の長い人生の中で成功すればいい。認めてもらえばいい。1人で耐えられるほど強くない事もわかってるけど、一度きりの人生を無駄にしたくないから。かおりはねずみのように医学の実験台にはなれないけど、音楽を通じて必ず生きている意味のある、人に影響を与えられる人生にする事を、ねずみとじいちゃんの言葉に教えられた。きょう出会った一匹のねずみよ、ありがとう。


6.夢で夢を見た日

○月×日、大きなりんごの木のわが家の最上階にあるかおりの部屋。深い眠りを終え浅い眠りの中。朝は目をつぶっていてもまぶしい。 ”今日は天気がいいみたい…” 心地いい温度のベッドの中で幸せを感じている。焼きたてのパンと何かこげるおいしそうなにおいがしてきてさらに幸せを感じている。 ”ずっとこのままでいたい…。” 「朝だよ!起きなさい」ママの声。向こうではパパと妹の声が聞こえる。 ”もう朝か…。” まだ少し夢気分でパジャマのまま顔を洗い食卓にパンとオムレツ、ホットミルク、そして家族が待っていた。「いただきます」。4人そろって朝食開始。フカフカのパンを手に取ると「ばあちゃん家でとれた麦で作ったの」とママ。みんなで味わいながらたくさんの会話が弾みだす楽しいブレックファーストタイム。1時間後にはパパは仕事、妹は学校、ママはばあちゃん家で手伝に行きかおりは1人きりになった。
 ”つまらない”。  部屋でボーっとしていると向こうの森では馬がかけっこしている。渡り鳥達は何かを求めて飛んでいる。家の横を流れる川に太陽が反射してキラキラしている。そばにはひさしぶりに見るコスモスが咲いている。  ”きれいな景色”。  気がつくとスケッチブックを手にしていた。この素敵な景色を書きたいのにかおりの手から生まれた絵は不気味な世界。緑が死んでいる。きたない空気の中苦しそうに飛ぶ鳥達。うるさい雑音。この絵に引き込まれていきいつか感じた事がある孤独感に襲われた。その時1羽の小鳥が肩に止まって現在に戻る。太陽があたたかい。風がささやいている。緑のたくましさに包まれて入今を幸せに思う。  「いっしょに歌おう」。  突然思い出したようにギターを取り出す。”ぼくらはみんな生きている、生きているから歌うんだ”。この歌に救われた事もあるくらい小さい頃から好きな歌。
生きていなければ今感じている世界中の愛も感じられない。そして歌う喜びも。何度か忘れかけた事もあったけど生きてる事はすばらしい事。気づけば他の動物も森も川もみんないっしょに歌っていた。そしてまだ青かった家のりんごも赤くなってゆく。歌はみんなの心が通じ合える最高のメッセージ。かけがえのないこの存在を大切にしてゆきたい。”楽しい”。今のかおりは世界で一番輝く笑顔。太陽がまぶしくて目を閉じるとみんなの歌声といっしょに大きく不思議な音が鳴った。目を開けると1人きりの部屋の中で時刻を知らせる目覚し時計と動き出す街の雑音がしていた。 ”もう朝か…”、どうやら夢を見ていたようだ。この夢は孤独だと思っていたあの頃に戻りたくないという意思の表れなのだろうか…それともこの世にいきてる子との喜びなのだろうか…。


7.心のマニキュアがほしい日

マニキュアを塗る、ひとつひとつ丁寧に。きょうはたくさん考え事があり、頭の中がパンクしそう。ちょっと頭の中を整理して物事を考えたいから真っ白のマニキュアを塗る。かおりがマニキュアを塗る時は自分を変えたいと思う時。この指にマニキュアを塗ると不思議とその色の持つ雰囲気に包まれて今までの心が変わってゆく。勇気の源になっている。これに気づいたのは東京に出てきて一人暮らしを始めてから。いつも寂しい時「何か心を癒せる物がほしい」と探して見つけたのがコレだった。その時は真っ赤とかピンクとか明るくなるような色ばかりつけていた。だけどこれには欠点があり、一瞬は気分も変わるけど長くは続かない。「心のマニキュアがほしい」現実にはないものかもしれないけど、“心のマニキュア”があったらどんなに毎日が楽しいだろうか…。
最近、ありもしない嫌がらせをされたりして怖い思いをして臆病になっていて、自分の立場に深く悩みを持ち始めた。そんな時は、強さ色のマニキュアを心に。落ち込んだ時はいつも周りが見えなくなるほどに気力がなくなってしまい周りの人達に迷惑をかけてしまう。まだ子供だからその場その場で想いを割り切れずにいるのだろう。そんな時は大人色のマニキュアを心に。遠い将来の夢は子供1人とたくさんの自然の中で野菜を育てたり、自給自足の生活をしたいと思ってる。そんな時は願い色のマニキュアを心に。これ以外にもたくさん気分を変えたいと思うけど“心のマニキュア”に甘えてはいけないことに気がついた。自分を変える事は勇気を持って自分を踏み出そうという向上心なのだと思う。今のかおりは全てにおいてマイナスに考えているのだと思う。そうでなければ“心にマニキュア”なんて思いつかないだろう。
だけどかおりには夢がある。自分の中の一番失ってはいけない大切なものが。夢が叶うか叶わないかは今はわからないけど、夢を叶えるために必死にがんばる心が勇気となり強さとなってゆくのだろう。尊敬するかおりのプロデューサーも時間に追われながらも自分の好きな音楽をやっている姿は何にも負けないくらい輝いている。その輝きはきっと“強さ”なのだろう。かおりの求める“心のマニキュア”のようにその強さを見ていると、かおりだけじゃなく周りの人にも強さが広まっている。“心のマニキュアとは強さ”と気がつき、視野が広がった気がする。そして現実にない“心のマニキュア”を求めてた自分が、バカらしく思えた。



8.心のウーロン茶を飲む日

ウーロン茶といえば、中国のお茶で脂っこい中華料理の脂を体内から流すために飲まれているらしい。そのことを知ったのは最近で、昔は家族で焼肉とか脂ものを食べていても何も気にせずにジュースを飲んでいた。その時いつもパパは「ウーロン茶を飲みなさい」と言っていた。何も知らなかったかおりは嫌がっていたけど、ウーロン茶の役目を知ってからは極力飲むようにしてるし、気のせいかスッキリした気分になるので、かかせないものになっている。急に体質が変わるとか変化はないと思うけど、”気は持ちよう”という言葉の力だと思う。特にかおりは思い込みが激しいし。でも、それはプラスに向いているからいいと思う。最近感じたのが仕事ばかりの生活でたまってゆくストレスをキレイに流してくれる”心のウーロン茶”を発見した。
ギターを弾く事----まだ始めたばかりで全然うまくないんだけど、自分から生まれてくるメロディーが心の中をキレイに掃除してくれる。弦が硬くて指が痛くなったりもするけど、1日の楽しい事のひとつになっている。  もうひとつは音楽を聴く事----これは昔から欠かせないもので、家にいてもTVはつけずに音楽ばかり聴いている。嫌な事を忘れて歌の中の主人公になってみる。するといろんな歌手の方々からアドバイスを受けた気になり、自然と嫌な事もやわらかく・・・・・考えられる。  音楽が消えてしまえば、かおりという存在もなくなってしまう…それだけ大切なものだからなのだろう。”心のウーロン茶”を見つけられなかった昔のかおりはやっぱり自分らしくなかったし、苦しかった。だからみんなにも自分だけの”心のウーロン茶”を見つけてほしい。
かおりの友達も今、進学か就職かですごく悩んでるけど、自分の人生を真剣に考えている。今までにないくらい大きな試練なのかもしれない。取り返しのつかない結果になってしまった友人もいるくらい、みんなつらい時期なのかもしれないけど、どんな事があっても勝ってほしい。自分らしい人生を見つけてほしい。自分らしくあるための”心のウーロン茶”を見つけてほしい。かおりは祈る事しかできないけど、いつかみんなの”心のウーロン茶”になる歌を歌いたくて今の道を選んだ。何があっても倒れずにいられるのは、大きな夢が”心のウーロン茶”になっているから。みんなへ、明るい未来のためにがんばろう。

9.二重人格を見つけた日

もう一人の自分を見つけられた。どんな人間にだってなれる。素敵な自分、強気な自分、今までにない自分。今、映画の撮影をしていて、朝から晩までとハードなスケジュールだけど楽しい。外での撮影が多くて、普段室内にこもりっきりのかおりにはよいストレス解消になっている。 ”空が広い”と久しぶりに感じた。その上を気持ちよさそうに浮かんでる白い雲が、ゆっくり流れる時間へと変えてくれる。いつものせかせか流れる時間とは違う時間。同じ一日24時間なのに、こんなにも違うなんて、”時を大切にしよう”―新しい発見。もうひとつの発見は違う自分になれる事。
お芝居を本格的にやるのは初めてで、どうしていいのかわからなくて何となくセリフを言うだけだった。その時は”芝居なんてつまらない。音楽の方が何倍も楽しい”と思っていた。歌は詞の中の人になりきって、その気持ちをメロディーといっしょに表現している。歌の中ではいろんな自分になれる。でも、お芝居も同じなのかもしれない。気持ちを表現する事、違う自分になって発言する事、監督の「スタート」から「カット」まではまったく違う人間になれている。自分の中の違う人間は思考範囲を広げてくれる。それは何だか普段の生活にまで影響しているみたい。最近、自分の中にもうひとり違う人間がいるみたいだ。客観的に見たら二重人格と言われるのかもしれない。”二重人格”とは悪く言えば裏表のある都合の良い人間なのかもしれないけど、良く言えばいろんな面を持っている幅広い人間だと思う。
かおりは人から”神経質”とか”落ち着いてる”とか言われてるけど、TVのかおりは”バカ”とか”ノーテンキ”らしい。だけど両方とも本当のかおりだ。別に二重人格でも何重人格でもいいと思う。たくさんの自分を持って、その中で本当に自分らしい自分を発見できるのならいいと思う。芸能人はよく裏表があると言われるけど、たくさんの自分に出遭って、良い自分の見せ方を知っているからだと思う。かおりも無意識にそうなのかもしれない。今は音楽やお芝居など、いろんなものを表現する中で、たくさん新しい自分を見つけたい。たくさんの人に出遭って、”いい人”を盗みたい。そして良い自分に、洗濯して納得のいく大人になりたになりたい。 ”明日はどんな自分に出遭えるでしょう”


10.未来を駆け抜ける日

あたたかい風が吹く。木々も緑に彩られ花たちも目を覚まし、それぞれの美しさを披露し合う。虫や動物たちも優雅に楽しげに活動し始める。そして人々も…。待ちに待った春がやって来た。「お久しぶりです。」1年の始まりは1月1日だけどかおりは全ての始まりは春からだと思っている。自然たちは長い冬のお休みをもらって春には新たに華やかな笑顔を見せる。そして人間も同じ。昔は春に学年が変わり新しい生活が始まると、「勉強が出来るようになろう」とか「女の子っぽくなろう」とかほんの小さな課題を作っていた。だけど18歳になった今とても大きな課題がある事に気がついた。
高校を卒業し新しい道へ進む時期だ。かおりはひと足早く夢を叶える為の道を見つけたけど、友達はそれぞれ同じ所から違う道へ進もうとしている。昔はアリのようにみんな同じに見えてた。同じ時期に同じものを学び同じ服装をして同じ生活をしていた。でも今は大学や専門学校へ行く人、就職する人、夢を追う人、家庭を築く人…本当にそれぞれだ。今までになかった事だから不思議な気がする。でもこれが人生なのだと思う。最近長距離を走った。「ああ、人生だ…。」と思った。長距離走は昔から苦手で負けず嫌いな自分としては触れたくもない種目だけど、嫌々ながら挑戦してた。今回、新しい世界を見た。最初はまだ余裕だけど息が乱れ苦しくなる事を恐れて走る。中間、息も乱れ苦しい。あきらめを考える。後半、ひたすらゴールだけを目指している。苦しい事すら忘れている。
そしてゴール。今までの苦しみも忘れ喜びのみがいっぱいに生まれる。たしかに苦しいけど苦しい中にも空が青い事に喜びを感じたり流れる汗に生きている事を実感する。普段感じられない喜びを感じる事ができた。長距離走という短い時間の中で人生勉強ができた。この先どんな試練があってもぜったいあきらめない。未知の世界に足を踏み入れる弱気な時もぜったい負けない。長距離走のように必ず人生のゴールはあるから。頼るものは自分の足だけだけど一歩ずつ自分の道を切り開いてゆく。そして世界でたったひとつの人生というブランドを作り上げるのだ。今はみんなスタートしたばかりだけどいつか自分の人生はいちばん素敵だと誇りに自慢し合えるようになっていたい。未来の事なんか誰にも分からないけどわたしは今も輝く夢を明確に描き確実に一足ずつ前進している。


11.心の花の持ち主になりたい日

花はいいねぇ…キレイだし、心が和むよ。  命は短いけど花にしかない幸せを残してくれるし、こんな素敵な生命は小さくて気がつかなかったけど、わたしの心を励ましてくれる天使のような生命です。  花は生きている。  太陽を浴びて雨を飲んで成長していく。  夜になれば眠るし、朝になれば目覚める。  呼吸もする。  恋もする。  そして子孫を残して死んでゆく。  まるで人間と同じ生活だけど花にしかない、私があこがれる生活は、みんな平等に太陽を浴びて成長できる事や、季節が来るとみんないっしょに死ねること。  弱肉強食で争いばかりの動物の世界に比べるとキレイな世界だと思う。強い者だけが喜べて、弱い者が悲しむ世界は不平等でみにくいと思う。
みんなが幸せな世界はバランスを保つことは難しいけど、風が来てもみんないっしょだから苦しみも乗り越えられるし、太陽が顔を出すとみんないっしょに気持ちいいから、何者にも楽しくなれると思う。もし、その中でひとりでも苦しみから逃げ出したり、楽しいものをひとり占めする者がいたら、すべてのバランスが崩れてしまう難しい世界だと思う。これは、集団行動において大切な世界だ。例えば私が昔、部活でバレーボールをやっていた時、チームが団結するとものすごいパワーを生み出すことがあった。しかし、みにくいポジション争いでバランスが崩れてしまう。先輩よりも上手くなりたいという気持ちがパワーに変わって、練習に気合いが入ったりするが、上の者はそんな姿を見て笑っていた。なぜ、他人よりも優れているものを持っているくらいで、人をバカにできるのかが疑問だった。バカにされた者の苦しみだってわかっているハズなのに…。
もし、少しでも自分が優れている事を強調したいだけなら、人の気持ちもわからない自己中なコドモだ。それに比べて、いつも冷静な花の世界は正統な大人の世界に思える。今まで花のような大人の世界は体験した事がないけど、花のような人に出逢った事がある。その人がいるだけで周りの人を和ませる力がある。争いなんて忘れるくらい平和な空気を持っている。その理由は何だかわからないけど、きっと性格が良いからだと思う。そしてその人は花が種を残してゆくように、かおりの心に何かを残していった。それはこの世界で花になりたい事。自分の存在で争い事がバカらしく思えるくらいに平和な空気を放つ人間になりたい事。みんなが幸せであってほしいから…。今日もわたしは道端に咲いている花に幸せをもらいました。


12.水の妖精に出会った日

おフロに入りたい。心も身体もきれいに洗い流したい。わたしから溢れる涙もここではみんな同じ水の妖精。悲しくなんかない、淋しくなんかない…。かおりは昔からおフロが大好きで1時間も2時間も入ってしまう事もある。今でもー日2回朝、夜とおフロに入らないと落ち着かなくなるほど生活に大切な時間になっている。ここは不思議といろんなストレスや悲しみが全てなくなってゆくような気がする。ある時、悲しい事があって、誰にも語せずに一人で考え込んでいた。泣く事は負ける事だと思い、ずっと涙をこらえてるうちに自分を責めすぎて自分が嫌いになり、頭から全てを消したくなった。どうする事もできなくなっておフロに入った。すると水はかおりを優しく包んでくれた。まるで家族のように…。おさえていた涙が次々と流れてきて罪悪感を感じていても「ここでは水も涙も同じ水の妖精。だから泣いてもいいよ」
と水の音の中から聞こえた気がした。何もかも忘れてこどものように泣いた。どんなに涙を流しても同じ水に混ざって涙が解らなくなった。少し前までの悲しみも少しだけど忘れてしまった。そして大きな安心感が生まれた。ずっとここにいたかった。ふと、”水の中は母親のおなかの中にいるカンジと似ている”と開いた事を思い出した。前から、誰もが意識のないときに体験しているのになぜわかるのかと考えていたが、その結果がやっとわかった気がした。それはおフロ。水の妖精は生きている。人の心を和ませるのが得意な水の妖精は人の心を支えている。海で波の音を聞くと心が和むのや、川のせせらぎを聞くと気持ちが安らぐのは水の妖精のパワーのおかげなのだ。目に見えないものだから気づきづらいけど水の妖精はとても優しくてかおりにとって心強い味方なのだ。しかし人間はこれほどお世話になっているのに妖精達を悲しませている。
水を粗末に扱ったり、川や海に行ってゴミを散らかして汚したり…。妖精達は泣いています。 ”人という字は人と人が支え合って成り立つ人間関係” というがそれは何に関しても同じで水や沢山の資源は人のために沢山のことをしてくれているのに、人は何もしてあげられないどころかイジメています。もっと大切にしてあげるべきだと思う。感謝の気持ちを忘れかけている。近頃は少しずついろんな対策が行われているからもっと広まればいいと思う。そうすればもっとあったかい世界になると思う。かおりも最近やっと気づいたから大切にしようと思う。そしてもっと幸せそうな妖精の笑顔を見たい。


13.鏡の中のわたしを見つめる日

鏡よ鏡よ鏡さん。わたしの心を映して!今のわたしの心は本当のわたしですか?うそのわたしですか?きょうはひきしぶりのオフ。 ”天気がいいから公園に行こう”、急に決まったきょうの予定。目的もなくただボーッとしている。周りには家族連れがママの作ったお弁当を食べてる姿が見られる。その中でただ1人空を眺めてると女の子が笑顔でわたしの所に来た。さりげなく「何歳?」と聞くと「4歳」と答えてその後ろにいる3歳の男の子も近づいてきた。男の子は自分の右手のフリスビーに気がついて「いっしょにやろう」と言った。フリスビーなんて何年もやっていないから思いがけない方向に飛んでゆく。そんなわたしに「へタッぴ」と女の子が得意げに投げるがわたしの所まで届かない。そんな姿を見ていた男の子が「ボクがやる」と投げてみる。
自信ありげだったけど、やっぱりわたしの所まで届かない。 2人の一生懸命な姿はとてもかわいくて”がんばれ”と何度も呟いていた。そしてそんな2人をうらやましく思った。夕日も顔を出して遊び疲れた後、芝生に座ってお話をした。男の子も女の予もまだたどたどしいことばでパパのいびきがうるさい、ママがおなべこがしたなど生活の話をしてくれて、自分もなつかしく聞いていた。「将来何になりたい?」と聞くと「○○ちゃんのおむこさん」「○○くんのおよめさん」と言って2人顔を合わせて笑っていた。そんな2人のうそのない気持ちがうらやましかった。今のわたしにはないものだから…。友達とケンカしてももめたくないという気持ちで言葉を選んだり、親に心配をかけたくない気持ちで強がったり、夢を叶える事を守る為に自分を飾ったりしている。うそばかりだ。
そのせいで疲れたり、ストレスがたまったりするのかもしれない。今鏡に映るわたしの心は濁っていると思う。それに比べてこの2人の心はありのままキレイに映ると思う。 2人の無邪気な会話をうらやましそうに眺めるわたしがいた。すると女の子が突然笑顔になった。「婦るよ。もうご飯にしよう」と言う女の人。 2人とも笑顔で走ってゆく。そして振り向いて「バイバイ。また遊ぼうね」と笑顔で言ってくれた。夕日を跳めているとなつかしいにおいがした。ママの作ったご飯、部活動の汗、学校帰り制服でのバカ話。素直に笑って泣いたあの頃にもどりたい。大人になりたくて背伸びしてる自分は素直じゃないと気づいて「自分は自分でいなさい」と言い聞かせた。あの2人に教えられて…。鏡よ鏡よ鏡さん、あなたに映るわたしは素直ですか?


14.ひまわりの誕生日

まぶしい太陽を体いっぱいに浴びて大好きな空を一番近くに感じたくて一生懸命大きくなるひまわり。夏という季節をぞんぶんに楽しんで。この季節が終って枯れてしまっても後悔しないように…。夏がやって来た。夏といえばひとつ年をとる季節。毎年誕生日は特別な目として心構えをしているが、今年はその特別がより”特別な”10代最後の夏。はやく大人に近づきたいと思って未来の事ばかり考えて目々を過ごしている。例えば歌にしても、全体的にいい歌が歌えてもたった1か所間違えただけで納得がいかない。それから将来最高の歌手になるための反省会をする。昔、学校で合唱コンクールがあった時も、銀賞をもらったが金賞じゃないと素直に喜べない自分がいた。自分は一口で例えると”負けず嫌い”で自分の中に常に”納得”を求めている。
そのせいで毎日自分に気疲れしてしまうけど、そんな自分は嫌いじゃない。 ”負けず嫌い”は短所と取られがちだけどかおりは長所だと思ってる。自分に疲れてばっかりでたまに嫌になるけど、かおりの中には”銀行 ”があって幸せを”貯金”している。将来誰よりも幸せだと感じたいから今は貯金しようと思っている。だけどひまわりのような生き方もいいと思う。夏にしか咲けないけど、夏には他の花よりも近い所で太陽を感じられる。そして誰よりも大きくなって一番輝く夏の花になっている。夏が終ってしまえば枯れてしまうけど楽しかった思い出の分だけ種を残して後悔なんてない最高の日々になると思う。この事を伝えたい人がいる。夏が終ったら遠くへ行ってしまう友達。離れてしまうのはものすごく淋しいケド、こんな気持ちで毎日を過ごすよりも今を十分に楽しんでたくさん思い出を作ってほしいと思う。
そしてひまわりのようにたくさんの思い出の種を残してほしい。新しい生活で淋しい時には、その種を心に植えて楽しい思い出の花を咲かせてほしい。かおりも今は”毎日疲れる”と感じているけど、もう少し時問が経ったら楽しい日になるかもしれない。人の生き方に”よい””悪い”はないけど、わたしは今を大切にしようと思う。生きていく中でたくさん人と出会ったり別れたりするけど、心の中ではたくさんの思い出としてずっと残っていく。今日感動した事は今目にしかない自分の感情。 1日1日を楽しもう。今目という目は一生に一度しかないものだから。夏が終って枯れてしまったひまわりへ。あなたの姿は消えてしまったケド枯れてないよ。みんなの心の中でずっと輝いているから。


15.青虫が旅立つ日

わたしは毎目精一杯生きてます。今は地上の狭い世界でしか生きられなくても…。毎日少ししか歩けなくても…。わたしには夢があるから、いつかきっと素敏な蝶になれる、大きな空を飛ぶキレイな姿をあなたに見せてあげたい。わたしは今幸せなのかわからない。でも不幸ではない。という事は幸せなのだ。わたしは欲張りだから、今の幸せより幸せを求めてしまうから。中学の頃、毎日同じ勉強をして友達と過ごす生活がつまらないと思っていた。でも今は毎日の変化を敏感に感じていた育春時代はとても楽しかったと思う。2歳年下の妹は楽しそうに思える。少しずつ成長していく彼女の姿を見ているとわたしも嬉しくなるげど少し淋しくもなる。妹はわたしと瓜二つと言われるくらいそっくりな顔だけど、わたしの目立ちたがりで派手な性格と正反対で妹は内気で地味な女の子だった。いつもわたしの後ろにいて1人では何もできない子だった。
わたしが髪を切れば同じ髪型にし、新しい服を買えば同じ服を買ったり…。昔妹が友達とケンカをして泣いて帰って来た時、わたしは耐えきれずその子達を怒りに行ったりした事もあって”妹をずっと守っていく”そう思っていた。東京に出てくる時も”妹を守る人がいなくなる”それだけが気がかりだった。いつも泣いてばかりの妹を近くで守る事ができない罪悪感があった。それはずっと変わらなかった。この夏妹が遊ぴに来た。相変わらず”ねえちゃん”と甘えてくるだろうと思っていた。しかしその想像は聞違っていた。背丈は前よりもずっと大きくなり、大人びた化粧をし、今どきのファッションのわたしの知らない人になっていた。しかもわたしの誕生目のためにお料理を作って、がんばったバイトのお金でプレゼントまでくれた。 ”こんなにも大人になっていたなんて…”知らない間に大人になっていた。
そんな姿を見ていると嬉しかったけど遠くへ行ってしまったような気がして淋しかったりもした。でも会話をすると昔の甘えん坊の女の子には変わりなかった。時間がなくてあまりいっしょにいられなかったけど「今度はディズニーランドに連れてってね」と言って妹は帰って行った。わたしは微妙な気持ちで見送った。後から妹が飛行機で泣いていたよと聞き、わたしはこの子を守ると決意した。人は日々いろんな事を経験して成長していく。大人になっていく。野原の青虫も素敵な大人の蝶になる。子供と思っていた妹も大人になっていく。今は青虫のあなただけど、自分の道を自分の足で進み素敵な蝶になって下さい。嵐に負けそうになった時は、過保護な姉がいることを忘れないで下さい。わたしはずっとあなたの昧方です。ごらん。青虫が蝶に変わっていくよ。蝶は遠い空に旅立って行くけどわたしの愛を持って旅立って行くよ。

16.分身が生まれる日

”お母さん、わたしはここにいます” 日々大きく育ってます。わたしはどんな顔をしていますか?これから生きる世界はどんな世界ですか?わたしはあなたに愛されて、この先生きていく世界に不安を抱いた今、旅立ちの準備をしています。先日3年ぶりにパパの田舎に帰った。少し東京に慣れたせいか自分の故郷北国を寒いと感じ、少し微妙な気分だ。ここの景色は以前とは変わっていた。あき地だった所にコンビニができている。野原だった所がアスファルトになっている。たった3年でこんなにも変わってしまった事を不思議に思い、理由を考えてみた。その結果、かおりにも言える事がある。
3年前と言えば昔通の高校生だった。しかし、今は3歳も歳をとり、TVに映ったり、人前で歌ったり、180度生活が変化した。そうして人は変化してゆくのだろうか。時間とは、1分1秒、人の想いや物事を変えられる不思議な力を持っているのだろう。じいちゃん、ばあちゃん、おじちゃん、おばちゃん、いとこ達もみんな変わっていた。じいちゃん、ばあちゃんはしわも増え、歳をとった。いとこ達もそれぞれ成長していた。その中でも一番上のお姉ちゃんは結婚し、おなかにはこの冬に生まれる生命を実らせていた。顔も母親のように優しい表情で昔いっしょに遊んでいた時の面影もないくらい大人になっていた。いつも面倒見てもらってたお姉ちゃんがいなくなるような気がして少し淋しくなったけど、その大きなおなかを触るとそんな想いは吹き飛んでいった。 ”こんな小さな体でも生きているんだ”そんな初めての思いが涙を誘った。
”人生ってすばらしい〜”そんな歌を歌っている今、改めてそう思う。人は生まれてから日々成長していき、いろんな人とめぐり逢って、いろんな事に感動をし、いろんな傷みを味わう。そして少しの後悔も含めて自分の人生が一番だと納得した頃、人生に終止符を打つ。人生は結末が見えていてはかないものだけど、自分にはかけがえのないものなのだろう。しかし自分は永遠に生きるのかもしれない。自分の血を継ぐこども=分身は生き続け、同じように人生を歩んでいく。その分身も分身を生み、それは永遠に続くだろう。そしてわたしは永遠に生きるだろう。 1000年後のわたしはどんな顔をしているのだろう…。お姉ちゃんの分身ちゃん。はやくこの世界においで。たくさんの人に愛されて、たくさんの感動を経験して素敵な人生を歩んでください。そしてもう一つ。お姉ちゃんのように優しい人になってください。


17.うさぎとカメの日

”うさぎとカメ”競走する。見た目はうさぎの勝利は目に見えている。しかし、カメは負けなかった。どんなに遅くても遅くても休む事なく、ひたすら走る。一方、うさぎは勝利に余裕を感じ、昼寝をした。カメが先にゴールに辿り着いたけど、本当の意味の勝利はどちらなのか…。走る。一生懸命走る。ゴールだけを目指して。かおりはそんなタイプの人間だと思う。 ”コレだ!!”と思う事があれば、それ以外、何も見えなくなり、それだけを目指す。例えば、昔勉強が大嫌いで授業はノートにらくがきをしたり、おしゃべりしたりで、成績も標準の「3」ばかりだった。しかし、あるきっかけで、勉強が楽しいと思い、毎日予習復習をし、徹夜をする事もあり、成績は「4」と「5」だけになった。その当時は周りの友達が遊んだり、恋愛したりしているのがバカらしいと思っていた。かおりはカメタイプだと思う。
勉強なら勉強ひとつのもの以外、何も見ずに走っていくタイプだ。友達はうさぎタイプだと思う。うさぎは走っている途中、「今日は天気がいいなあ…」など広い視野で物事を見て ”太陽は気持ちいい”などと感じ、昼寝をした。友達も窮届な勉強をほどほどにして、遊んだり、恋愛をして息抜きをしていたと気付き、改めて考えて、うさぎタイプの方が利口な生き方だと思う。歌はかおりにとって一番楽しい事であり、一番の課題でもある。昔、どうしても上手くなりたくて、ひたすら練習していた。結果は必ず出るハズと本番に挑んだのだが、のどが痛くなり声がかれてしまった。本番で出せなくては練習も何も意味がないと気付き、自分のペースを考えた。”歌は心”そう思い、心が病んでいてはいい歌は生まれないと気付いた。”心呼吸”リラックス。会話したり、散歩したり。そうして歌うと不思議と自分の心がそのままに、まっすぐ歌えた。
昔は今日はどんな天気でどんな事がおこっていても、まったく関係なく、目標だけを考えていた。それはもったいない事をしたなあ、と大きく心呼吸をして広い心でいろんな事に接すれぱ自分にもプラスになると思う。そして今の自分がいる。かおりの周りには悩んでいる人がいる。将来の事を考えて、職業についたけど自分のやりたい事をできずに後悔していると言う。かおりは死ぬ時”後悔”だけは残したくなかったから、やりたい事はやるべきだと思う。走ったり、休んだり、自分で考えて。その先は何があるのかわからないけど、その道を選んだ自分を信じていれば怖いものなんてないと思う。 ”信じる者は救われる”その通りです。うさぎとカメ。カメさん、心呼吸してみて下さい。きっと”太陽のあたたかさ”、”空の広さに”気が付くでしょう。うさぎさん。目を覚ましてください。あなたの進むべき道を忘れないで下さい。


18.手紙を書く日

心のかおりへ。元気ですか?わたしは疲ればっが感じる毎日です。寒くて朝起きるのが辛いし、肩こりもひどいし…。でも辛い事ばかりじゃないよ。毎日楽しい事があるから元気でいられます。だから心配しないでね。かおりより毎日のように真夜中にボーッと考えてしまうその議題はいつも”自分”の事。考えても考えても答えはないけど気がついたら朝になるまで深く深く考えてしまう。その理由はかおりはそういう性格だから。ただそれだけの事。年頃の女のコの会話はなぜか恋愛話ばかり。「キャー」と盛り上がる中でかおりはその場から逃げてしまう。時々、友達に「好きな人いるの?」と聞がれた時「いない」としか言わないつまらない中学生だった。好きな人がいなかったわけじゃないけど何かが邪魔してどうしても一言えなかった。
”内気な女のコ”昔段のかおりは負けず嫌いで誰よりも強気だからかおりのそんな姿には誰も気づいていなかった。恋愛の事に限らず友達の事や将来の事など悩んでいても人には言えなかった。日々重くなってゆく自分の気持ちを救ってくれたのは自分への手紙だった。自分の気持ちを素直に書くだけで肩の力が抜けていった。そうして毎日書き続ける中で昨日と今日はまったく違う事を思っている不思議な自分に気がついた。でもそれは日々の変化でイヤな事も嬉しい事もあってそれに素直になれてる自分に気がつけて嬉しかった。そしてその全ては正真正銘の自分だから本当の自分を知る大切な事だと思えた。かおりの場合すごくガンコで”これはわたしのやり方”って決めつけて人の話を聞かなかった。それで失敗して”あの人の話を聞いとけばよかった”と後悔もしたけど”失敗は成功のもと”の言葉通り今までの未熟な自分を反省してよりよい自分になろうと決意させてくれた。
”幸せは歩いてこないだから歩いてゆくんだよ”という歌の通り自分のための事は自分でするしかない。納得できる自分になるためには失敗も含め全て自分で認めなければならない。悲しい時は泣いて嬉しい時に笑う。辛い時は友達に助けを求めたりガマンしたり。自分の鍛え方と慰め方を一番知っている人でいなけれぱならない。地球ができて人類が生まれてから地球が破滅して人類が滅んでゆくまでには数えきれないほどの人々が生まれて死んでゆく。その中で自分という存在は何千何億年前にも先にも自分はたった一人しかいないのだから心から大切にしてゆこうと思う。いつでも後悔はしたくないから。いつか自分に賞状をあげられる自分になっていたい。かおりへ。がんばるんだよ。人生にはたくさんの波があり時にはつまずく事もあるけど自分で立ち上がる人になって下さい。どんな事があってもあなたを信じています。心のかおりより


19.好きこそ物の上手なれ

この世にはたくさんの物事があって、たくさんの瞬間がある。その中には必ず”好き。”嫌い”はあるけど、それは人それぞれだ。でも誰だって好きな事をしている時は笑顔で楽しそう。そう、その”好き”の気持ちから新しい自分が生まれてくるのだ。昔、学校の給食ではメインのご飯、おかず、デザートと同じパターンのメニューだった。ご飯の食べ方は人それぞれだけど、かおりは嫌いな物を先に片づけて好きなデザートを楽しむタイプ。でも、こういうタイプは実は損なタイプなのだ。嫌いなものを片づけてる時は”早く好きな物へ辿り着こう” という気持ちいっぱいで無理をしてでもがんばる。そして、やっと好きな物に辿り着いたときにはもうおなかいっぱいになっていて、楽しみにしていたハズなのに大きな期待はずれをしてしまう。だから、給食とかってあまり好きじゃなかったけど、好きな物を手に入れられるバイキングは好きだった。
”好きこそ物の上手なれ”という言葉が心に響く。”好き”は大きな力を持っていて、好きは好きな自分を生んで、そこからもっと好きになって、もっと好きな自分になれる。マイナス思考の自分には足りない物だ。そこで、”好き”を21世紀の目標にしようと決めた。好きな事、歌う事。小さい時から無意識に歌ってしまうくらい好きな事。この瞬間は普段、吐き出せなくなった言葉もメロディーに乗せれば素直に言い出せるリラックスできる好きな時間。好きな事、チョコレートを食べる事。誰でも好きな物を食べるのは好きな事だと思う。ほんの一瞬だけど、「ああー、おいしい」って思える時って、ちょっとしたイライラも忘れちゃうくらい心が笑顔になる好きな時間。好きな事、ボーッとする事。自分だけの白由な時間。テーマに決まりなんかなくて、答えにも決まりはない。自分の法則でいろんな想像が生まれて大きな夢に変わる。
自分らしさを見つける好きな時間。好きな事、恋をする事。恋をするとキレイになれる、っていうけど、恋をすると女のコはオシャレになったり、優しくなれたりする。恋は心の中までキレイにしてくれる素敵な物。ドキドキの日々も好きな時間。お風呂に入る事、絵を描く事、空を見る事など好きな事は言い切れないけど、その時の幸せなカンジは嫌いな物を乗り越えられるくらい強い力を持っている気がする。嫌いな事から逃げるんじゃなくて、今までとは違うプラス思考の自分がまた新しく大きな自分を生み出せる、そんな気がする。明日はどんな事に出逢うのか毎日が楽しみになってきた。 21世紀、私はよいスタートから走り始めました。 ”好きこそ物の上手なれ”。単純だけど、奥の深い言葉。 21世紀の私はここから歩き始めます。


20.ハイヒールが履けた日

人は生まれてきた時は何もできなかった。ただ泣いてるだけの人間だった。でも、日々学習をして笑顔を覚えたり、言葉を覚えたり、いろんな事を覚えていく。そして一つ一つの経験を積み重ねて大人になっていくのだ。経験、挑戦に無駄な事はない。全てはきっと前向きな自分につながるから、失敗は成功のモトって言うケド、失敗も成功のきっかけとしてはつながるし、他の出来事があった時も知識が増えているから同じ失敗はくり返さなくなるのだ。最近のかおりの挑戦は ”ハイヒール”だった。見ないフリをして避けてきたモノだった。服装もラフな格好が多いし、一番の理由は背が高いというコンプレックスで意識的に避けていた。デカイ女って言われるし、足も痛くなるし…、なぜ女性はハイヒールを履くのかがわからなかった。しかし、仕事の衣装でハイヒールを履く機会が多くなってきて、この壁は避けられなくなった。
かおりがイヤイヤ履いている中で他のメンバーや友達はそれを好んで履いていた。その理由を聞くとスタイルも良く見えるし、洋服もカッコ良く着られるからと言う。その通りだった。かおりは女だし、キレイになりたいって思うし、新しい女の魅力を身に付けたいと思っている。そこでハイヒールに挑戦しようと思い、さっそく買った。すると服装の幅が広がったり、歩く時の姿勢も良くなって、マイナスの足が痛い事も忘れるくらいプラスになるいい事の喜びの方が大きくなった。最近、初めて髪の色を変えたんだけど今までは似合わなかったら…と恐れてできなかったけど、21世紀の記念がほしくて思い切って挑戦した。すると”表情が明るくなった” と嬉しい事を言われ、自分も何か変わった感じがして嬉しかった。
この新しい挑戦も成功を導いてくれたのかもしれない。やっぱりたくさんの経験、挑戦はプラスの自分を知るきっかけであって大人になっていく一歩に変わっていくのだ。  生まれたての赤ちゃんのスタート・ラインは同じだけど、それぞれの体験の中で選ばれた一人になっていくからいろんな性格の人になるし、それぞれの職業についていくのだろう。だから大人はたくさんの経験や学習をしてきたから最高の人生を見つけているのだろう。  かおりはそれにやっと気付いたから失敗を恐れずにいろんな事に挑戦しようと思う。そして最高の人生を見つけていこうと思う。  さあ、始めよう。新しい挑戦を…。生まれたての赤ちゃんも学生さんも大人達も…。失敗を恐れずに新しい自分の一歩を見つけ出そうよ。


21.”癒す” というもの

人は一人では生きていけないという。”人” という字は人と人が支え合って生きるという意味がそれを表す。だから、人はいつでも誰かを求めている。自分を理解してほしい。助けてほしい。心を癒されたいのだ。自分の居場所を考える。きっとたくさんあると思う。仕事、友達、家族、それぞれの自分の居場所がある。その中で最終的に辿り着くのはわたしは家族になってしまう。それはきっと、ずっといっしょにいた人達だし、素直に感情をぶつけられるし、目に見えない強いもので結ばれているからだと思う。そんな家族とは、3年も離れて暮らしている。しかし、何も不安はない。東京に出て来たての頃、一人でいることが寂しくて、よくホームシックになっていた。その時の気持ちは 「わたしは一人なのに家族はいっしょにいるから寂しくないんだ…」となんとなく、くやしい気持ちになっていた。
けど、家族はそうは思ってなくて、一人でもいないと寂しくて、ギクシャクした生活が続いたという。わたしは嬉しくてひとつの提案をした。「“かおり”をもう一人増やそう」、そして、我が家では犬を飼うことになった。その犬の名前は家族の希望でわたしが考えることになった。“かおり自身だから…”という意味で考えた結果、自分の好きな物と自分のあだ名をかけて“りんご”と名付けた。りんごはすごく甘えん坊で、わがままで世話が大変だけど、家族が一人増えた事で、生活も明るくなったし、その姿を見ると心が癒されると言っている。動物嫌いのわたしは、初めはその理由がわからなかったけど、たまにりんごと会うと納得できる。楽しい時は大きくしっぽを振って喜ぶし、悲しい時は悲しい目で助けを求めるし、素直に感情を表現する。そして、大好きな人にキスもたくさんしてくれる。そんな姿を見ていると、小さな悩みも忘れるくらい心が癒されてくる。
その小さな体が家族の心を癒してくれる意味がわかる。  最近、癒し系という言葉をよく耳にする。それを求める理由を分析してみると、わたしや家族が思ってたように人は寂しさに弱いのだ。“がんばる”は強くなる事だとずっと思っていた。でも、がんばると無理をする事は違う。そこが、難しくて心が病んでた時もあったけど、りんごと出逢ってからは変わった。その小さな体で家族やわたしを癒してくれる。それがわたしたちの力となって、毎日元気に過ごせる。それを大切にしようと思う。うちの場合はペットだけど、みんなにはみんなの癒しの場所があるからそれを大切にしてほしいと思う。それでみんなが笑顔で毎日を過せたら最高に素敵な事だと思う。  あなたの心は疲れてませんか。あなたの心を癒してくれるものはありますか。あなたの心がリラックスしてる時、それはあなたを癒してくれる場所です。あなたが笑顔でいられる場所です。


22.ぞうきんに憧れる日

ぞうきんは臭いし、汚い。そんなイメージがあるけど、実はすごく努力家。自分が汚れる事を嫌がらず、どんな汚れだってきれいにしてくれる。自分が汚れるのをいつも我慢して“きれいになった”という達成感を励みに生きているすごい強い人。最近は便利で気軽に使える“使い捨て”というものがたくさんある。わたしもよく使うけど、いつも「もったいないなぁ」と思っている。“資源の節約”という事もあるけど、“価値観”という意味で一番もったいない。カメラにしても何にしても、使うほどにそのモノの性格がわかっていって、コミュニケーションがとれていく。そして、そのモノに対して、愛情が生まれていく。そう思ったのは、お醤油をこぼしてしまった事からだった。ティッシュペーパーで拭くか、ぞうきんで拭くか迷った、楽なティッシュを使おうと思ったけど、汚れを拭くものはぞうきんだと思って、それを使った。
その後のぞうきんの姿は胸に“ジーン”とくるものがあった。洗っても汚れは残ったままで、少しかわいそうな気持ちになった。最初はきれいなタオルで、きっとそのままのきれいな姿でいたかったんだろうなぁ…と思った。でも、本当は違う。ぞうきんは汚れた事をきっと喜んでいるんだと思う。“ぞうきん”という自分の役割を果たした達成感と、お醤油をこぼして困っているわたしを助けてくれた“わたしの感謝の気持ち”を喜んでいる。ぞうきんは自分を犠牲にして人を助けてくる。そして、それが自分の役割なのだといつも達成感うぃ感じて生きているとても強い人。“臭い”とか“汚い”とか言われても自分の行き方を持っている。わたしはそんな人になりたいと思った。そうぎんのように見た目で悪く口を言われのは辛いし、耐えられないかもしれない。わたしは少し、デリケートですぐに落ち込んでしまうから。
“変わった人”とひと言、言われても“バカにされてる”とかすぐに悩んでしまって他の事もダメになってしまうような不器用なタイプだから、ぞうきんのように強い人に憧れる。自分の役割さえもできなくなるほど、落ち込んでしまうから、ぞうきんのように自分の役割を完璧に果たせる人に憧れる。普通に生活していると、なかなか気付きにくいけど、努力して強く生きる“モノ”がたくさんある。そんな“モノ”たちを見習ってわたしも強くなろうと思った。ぞうきんはいろいろな汚れをきれいにしていき、自分の姿をどんどん汚れていくけど、あなたはとてもきれいです。その姿と強さ。わたしも見習いたい。あなたはとてもきれいな心の持ち主です。


23.文章を書く日

文章。それはとても不思議なもの。ただの文字の集まりだけど、勇気や感動を伝えられる不思議な力を持つ。その不思議な力を感じる事は難しい事ではない。紙と鉛筆さえあれば、誰にだってその不思議は感じられる。そして、伝える事ができる。 この連載を終えるという事で、最後に書きたいのはわたしを変えてくれた文章の事。なぜわたしは文章を書くのかと考えた。それはきっと、わたしはネクラだからだと思う。ネクラで臆病だから、自分の気持ちをなかなか人に伝えられない。抑えきれない気持ちは行き場もなく自分の中をさまようだけでどうする事もできなかった。そんな時、その想いを文字にしてみた。ただそれだけなのに不思議と気持ちが晴れた。そして書く事によって整理された気持ちに自分が励まされたりした。
自分の“自分のための文章”は書く事が楽しくて、毎日のように書いていたけど、実際、「連載をやります」と言われた時は自分以外の人に見られるのが怖かった。自分自身にしか価値を持たないこの文章は、はたして理解してもらえるのかと不安ながらに書いていたけど、そんなものはすぐに飛んでいった。“読者の声”、それがわたしを変えてくれました。共感の声、そしてこんな文章でも励みになったという声がわたしに勇気を与えてくれました。最初は信じられなかったけど、ちゃんと理解してもらえてて…。本当に嬉しくて、実は涙が出てた…。 それからは自信を持って文章を書く事ができて、“ネクラなわたしのわたしのための文章”は“ネクラで前向きなわたしのわたしとみんなへの文章”になった。文章を書く事によって少しずつわたしが変わっていった。
こんな不思議な事は現実的ではないかもしれないけど、こうして楽しんで文章を書けるようになったわたしがいるのは事実です。それだけではなく文章はたくさんのものを教えてくれた。”小さな物の大切さ”。ふだん気付きづらいものも、頭で考えただけだったら流してしまうのに、文字にすると慎重に考えられた。その事によってたくさんの”小さな物”に影響された。トビウオになりたかったり、ミミズに憧れたり、ひまわりに励まされたり。こんな小さな物でも夢を与えたり、人を励ましたりできる事を知る事ができた。
わたしは文章を書く事によってこんなにたくさんの素晴らしさを知る事ができたのだから、この世には実はもっとたくさんの素晴らしさがあるのだと思う。わたしはそれをもっともっと知りたい。そしてもっともっと大きな人になりたい。 文章を書こう。それがわたしらしさが生まれる場所であり、もっと大きなわたしになれる場所であるから。やっと見つけられたものだから、ずっと大切にしていこう。毎日のわたしの想い、“paranoia diary”を書き続けます。






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