つんく名言集

【中澤裕子】
24年間培ってきた何かを捨てることになるかもしれない(1997年8月20日)

「24年間培ってきた何かを捨てることになるかもしれない」
オーディションに落選した5人が招集された際、つんくは中澤に忠告した。
「捨てます!」中澤は間髪入れずこう応えた。

中澤は結成当時、24歳。アイドルとしては致命的な年齢であった。
「サマーナイトタウン」に代表される初期の娘。の曲の衣装ときたら、プリーツスカート、短パンなどカワイコぶりっこのそれである。
これを三十路近い中澤が着て歌い踊るのである。

メンバー内に、中澤という一人の異分子を加えることによってファンの興味をより激しく喚起する。
「中澤」選抜がそのためだけの目的で行われたのだとしたら、つんくはかなり慧眼だったというほかない。


【石黒 彩】
年齢1歳だけ上げて(1998年9月27日)

「今よりもあと1歳だけ年齢を上げて歌ってみてくれ」
タンポポ「ラストキッス」のレコーディング中、つんくは石黒に指示した。
つんくの歌唱指導の中で、最も凄かった指示がこれである。

オトナの女性を表現するこの楽曲の出来不出来は、メインパートを歌う石黒の独特の艶っぽいヴォーカルにかかっていた。
1998年11月18日、タンポポデビューシングル「ラストキッス」発売。
そのオリコン初登場ランキングは第2位の快挙!
娘。本体では、常に脇役の地位に甘んじていた石黒の実質上のデビュー曲となった。


【飯田圭織】
芸能界は陣取り合戦(1997年12月1日)

「芸能界をナメたらアカン、要するに陣取り合戦や!」
デビュー曲「モーニングコーヒー」レコーディング時、高校のテストを受けに1人だけ一時帰宅した飯田圭織。
戻ってくると、自分が歌うハズだったメインパートは安倍なつみに変更されていた。
ガックリと肩を落とした飯田、これまでにない、激しい涙が飯田圭織の頬を、顔中を濡らした……。

一見、華やかに見える芸能界。しかしその世界に身を置く彼女たちは誰よりも努力をし、そしてお互いに競い合わなくてはならない。
事実、毎年何千ものアイドル候補者がデビューしては消えていっているのである。
つんくの言葉は、この世界で生き残るための「心がまえ」を端的に示しているのではないだろうか。


【安倍なつみ】
安倍の笑顔が怖かった(1997年8月3日)

シャ乱Qヴォーカリストオーディション最終選考時、つんくのコメントである。

「モーニング娘。の華」朝の太陽のように明るく優しい安倍なつみの笑顔に引き寄せられたファンは数知れない。
しかし、安倍なつみの笑顔の裏に隠された彼女の生い立ち、不安感やいじめられっ子だった過去が優しさとなってあらわれているその微笑の秘密を、つんくは見抜いていたのであろうか?


【福田明日香】
福田にロックを感じた(2000年1月15日「LOVE論」より)

ビートルズに象徴される「既成の社会通念を意に介さず音楽活動をする反骨精神がロックの本質である」という考えはつんくの音楽理論のバックボーンとなっている。
福田明日香は「シャ乱Qヴォーカリストオーディション」の募集を見たときにつんく流の「ロックとはなにか」に感化され、応募を決めたという。

しかし、モーニング娘。加入後の活動は、チェックのミニスカートを着せられたり、水着写真集の撮影などで、本人の自意識は相当揺れ動いていたようである。
そう、過酷なオーディションを勝ち抜いた自分たちは、そもそも「ロックヴォーカリスト」志望だったはず。
ソロ活動で観客を魅了する歌手を夢見ていたのではなかろうか?

福田が引退を決意した時期は、ちょうど「抱いてHOLD ON ME」の発売時期に重なる。
例の「オリコン1位がすべてじゃない」発言は、こうした背景があることをいまいちど銘記しておくべきであろう。


【市井紗耶香】
歌詞に出てくる女性の年齢はいくつぐらい? (1998年9月15日)

新ユニット「タンポポ」参加メンバー最終選考時、つんくから詩の世界を理解していない根本的な部分を指摘された市井。
歌唱技術の前にまず詩の心あり。自らが理解せずして聴衆に感動を与えられようか。


【保田 圭】
新生プッチモニのリーダーはおまえや!期待しとるで(2000年5月21日)

市井脱退後、吉澤がプッチモニ加入。保田はリーダーとしての自らの役割を自覚した。
この後、モーニング娘。の屋台骨を支える彼女のポジションは揺るぎないものとなっていった。


【矢口真里】
ここでな、お前に「セクシービーム!」って叫んで欲しいんや(2000年1月10日)

2000年1月、8thシングル「恋のダンスサイト」で、矢口は娘。ソングの歴史に残る名フレーズ「セクシービーム」を発し、「セクシービームの矢口」という強烈な印象を植え付ける事に成功する。
モーニング娘。というトップステージにいながら、常に脇役の地位に甘んじてきた彼女についに転機が訪れ、その後の大ブレイクへの道が開かれたのである。


【後藤真希】
彼女がオーディションを受けた時点で、他の子を選ぶ必要がなくなってしまった(1999年8月4日)

初期メンバー、福田明日香の脱退を受けて、2回目となる追加オーディションの開催が告知されたのは、1999年6月27日。
このオーディションは2名増員の予定だったが、当初の予定を覆す、後藤真希ただ1人が合格という結果になった。

新生モーニング娘。の一員としての初仕事は、新曲のジャケット撮影だった。
後藤に与えられたのは、安倍なつみと並ぶ最前列ど真ん中というポジション。
そして加入直後にリリースとなった「LOVEマシーン」で後藤はセンターポジションを取り、オリコンチャート1位、初のミリオンヒットの起爆剤となった。

後藤は加入後に結成されたユニット「プッチモニ」にも参加。
ここでもオリコン1位を連発し、モーニング娘。を母体としながら、別ユニットでも活動させるという、その後のモーニング娘。の方向性を確定し、モーニング娘。の顔として芸能界の最前線で活躍することになる。


【石川梨華】
声のキャラが際立っていた(2000年3月28日)

4期メンバーとして加入した石川は、その特異な声質と抜群の可愛さで将来の娘。リーダーを期待される大型新人である。
しかし、オーディション時に彼女に足りなかったのは、その歌唱力であった。

ロックヴォーカリストオーディションゆえ、「声が出ていない」ことは致命的なマイナスとなる。
ただつんくは引っ掛かった。そこまでのオーディションの中でなかったものが石川にはあった。
歌唱技術は努力と鍛錬により上達するが、声質を変えることはできない。

彼は石川の声質の中に将来大きく開花するであろう潜在的な可能性を予感したのである。
果たして2001年7月25日、石川梨華はモーニング娘。12thシングル「ザ☆ピ〜ス!」でセンターポジションを獲得するのである。


【吉澤ひとみ】
天才的に可愛い(2000年3月24日)

石川の可愛さがマドンナ的可愛さとするなら、吉澤の可愛さは同性にも受け入れられやすいクールで爽やかな可愛さである。
つんくは吉澤の中に、今時のアイドルには稀有の「両性具有の美」を見出したのではないか。

時には愛くるしさを表に出した美少女に、時にはスタイルの良さを生かしたカッコイイ男役を演じる。
そんな吉澤が13thシングル「Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜」では、初めてのセンターポジションを男装で凛々しく務め上げた。
「スター誕生」の仕掛け人、つんくの面目躍如であろう。


【加護亜依】
一人異彩を放っている。歌う姿はセクシーささえ感じる(2000年3月24日)

4期追加メンバーオーディション最終選考時、つんくのコメントである。
彼女が歌うとき、時折見せる大人びた表情が、年齢12歳とのギャップを感じさせる。
そんな彼女の姿に、つんくは興味を覚えた。

実際、彼女は自分がどういうことをやって、どういう行動をとれば審査員という観客に受けるのかを、先天的に知っているとしか思えないところがあった。
別の言い方をすれば、どうやったら他人の懐に入り込んでいけるか、その道筋を完璧に把握しているということである。
生まれ持った天性の勘であろうか。


【辻希美】
ダイヤモンドの原石のような可能性を感じるんや(2000年3月28日)

4期追加メンバーオーディションは、当初3人選ばれる予定だった。
しかし、急きょ予定が変更され4人となった。
最後に名前を呼ばれたのが、彼女、辻希美であった。

つんくの予感どおり、2001年1月「ミニモニ。」加入を機に、辻はその天性の才能を大きく開花させる。
ファン層としては、タンポポ、プッチモニなどよりも、より小さな子供をターゲットとし、辻の泣き虫でいたずら好きなキャラクターを前面に押し出した新ユニット「ミニモニ。」は爆発的な人気を得たのである。


【小川麻琴】
表現力の面で、隠れた素質、才能を感じさせる(2001年8月26日)

アルバム「4th いきまっしょい!」では、小川はメインともいえる曲「初めてのロックコンサート」というチャンスを与えられた。
彼女が語り部分で表現した乙女心の一瞬のきらめき。
僅かに舌足らずな口調は、思春期の女の子自体を象徴するような風情を漂わせていた。
声質・歌い方・表現のすべてが小川にマッチしており、つんくのプロデューサーとして手腕と音楽の奥の深さを感じさせる1曲である。


【高橋 愛】
なまっているところがよかった(2001年8月24日)

「なまっているところがよかった」というのが、5期メン・オーディション時につんくが言った高橋愛の合格理由である。
5期メンバーの中では、早くから期待の一人であった高橋であるが、キャラを確立するという点では、「福井ナマり」はひとつの大きな武器となったことを考え合わせると、つんくの先見の明には今更ながら感心させられる。


【新垣里沙】
モーニング娘。が人一倍好きだという思いが伝わってきた(2001年8月26日)

モーニング娘。の大ファンだった少女は、ある日本当に、娘。の中で踊っていた。
好きだから頑張る。そのシンプルなひたむきさ。直球ムスメの心は、どこまでも素直に、前進するのみ。

新垣里沙はモーニング娘。になりたくてなりたくて仕方なかった女の子である。
デビュー前の活動についても、あくまでもモーニング娘。になるという夢に近づくためのひとつの通過点だったのかもしれない。
メンバーになってもなお、モーニング娘。の大ファンだという。
彼女のまっすぐなモーニング娘。愛はこれからもなお普遍であり続けるだろう。


【紺野あさ美】
正直言って赤点だが、インスピレーションを信じた(2001年8月26日)

つんくに「赤点」と言わしめたその「未知数の実力」を加入後、いかんなく発揮した紺野あさ美。
まず、加入直後に「うたばん」の収録中に大怪我をするというハンデを抱え、あっという間に世間に名前が知られることとなる。

ミュージカル「モーニング・タウン」では、後藤真希扮するエリート社員に愛を告白されるアルバイト店員を演じた紺野は文字通り完璧だった。
主役格の後藤より多いのではないかとさえ思えるほどの膨大な台詞量を、立ち稽古の途中で完璧に記憶した紺野の才能に、先輩メンバーたちも脱帽したことだろう。

本番の舞台でも一ヶ月間ほとんどミスもなく乗り切ったことから、彼女の内に秘めた情熱は相当のものがあるのだろう。
ミュージカルではソロでバラードを歌うシーンもあり、多くの観客が初めて紺野の本当の歌声を聴いた。
その凛とした歌声はまた新たな彼女の魅力となった。


【藤本美貴】
モーニング娘。のメンバーとして歌っている姿を見たくなった(2003年1月19日)

「ミキティ」の愛称で知られる藤本は、2000年春の4期追加メンバーオーディションに応募したが、最終候補にも残れず落選した。
つんくは、彼女の自我の強さを嫌ったのかも知れない。
つんくの思い描くモーニング娘。のイメージに合わない強烈な違和感が、確かにあの16歳の藤本美貴にはあった。

その後、再度事務所側から芸能界入りを打診された藤本は、一年後改めてスターを夢見て北海道から上京。
2002年3月に、松浦亜弥に続くハロプロのソロアーティストとして念願の歌手デビュー。

その明るくさっぱりしたキャラクターと愛らしい笑顔が人気を呼び、デビューイヤーにして「紅白歌合戦」初出場を果たすまでに至る。
そして2003年1月、オーディションから3年を経て「モーニング娘。に加入」という前代未聞の急展開により一躍脚光を浴びる事となった。

藤本美貴のモーニング娘。におけるひとつの役割は「チームの活性化」であった。
彼女の存在はグループ内に「緊張感」をもたらす。

実力の面からも抜群の歌唱力を持つ藤本美貴はキャラクター的にもアクが強く、勝気な性格として、メンバー内からも一目置かれる。
それを見越したつんくはメンバーに刺激を与えることで危機意識をあおり、切磋琢磨する環境を作ろうとしたのかも知れない。


【田中れいな】
内に秘めた何かが感じられる(2003年1月19日)

田中れいなは2003年春、モーニング娘。に6期メンバーとして加入した最年少メンバーである。
オーディション時から、彼女が発するエネルギーやパワーは、明らかに他のメンバーよりも突出していた。
デビュー曲となる、モーニング娘。「シャボン玉」では、いきなりセンターポジションを獲得。
オーディション時から口にしていた「センターを取ってみたい」という夢が最初のシングルで叶った。

彼女の第一印象、いかにも向こう意気の強そうで、その13歳らしからぬ落ち着き振りはかってのデビュー当時の後藤真希を彷彿とさせた。
その後藤のように独特の存在感を持つだけに、これからの未知数な実力に大いに期待が持てる大型新人である。

【亀井絵里】
本人が持っているスター性を強く感じた。リズム感が前に出ている(2003年1月19日)

一見、都会的な正統派美少女。
伏し目がちに言葉を選んでしゃべる仕草は、彼女に控えめで大人しい印象を与える。
しかし、オーディション時のダンスで見せたシャープな身のこなしの迫力と自己主張の強さを、つんくは見逃さなかった。
パフォーマンス面でマンネリ化と言われ続けてきた娘。本体活性化の起爆剤として、亀井絵里の存在は今後注目されるところである。


【道重さゆみ】
アーティストやな、この娘自体が作品や。マイクに向かう姿勢、目線とまなざしに力強いものを感じる(2003年1月19日)

道重さゆみもまた、つんくに「ロック」を感じさせた13歳である。
彼女の場合、バラエティ番組などで、いったんマイクを向けられたら最後、たちまち、トークの相手を自分の世界に引きずりこんでしまう。
自分にスポットライトが当たるのを心地よく感じているのであろうか、トークのときの目の輝きが明らかに違ってきている。
自らのナルシスト面を公言してはばからない「道重ワールド」は今後の娘。メンバー内に新たな変革をもたらしていくかも知れない。