ののとゆかいな仲間達 (その6)       Top Page  


つんく♂ (寺田光男) Tsunku さん


1968年10月29日
生まれ、大阪府東大阪市出身、B型 (さそり座)
身長170cm
、趣味:野球、ゴルフ、好きな食べ物:関西ラーメン
尊敬するアーティスト:ビートルズ(レノン&マッカートニー)

幼少の頃より、ビートルズが好きで、そして何よりもTVが好きな少年だった。
中2でギターをはじめ、中3で初ステージを踏む(学園祭にて)

その後、いくつかのアマチュアバンドを経て、1988年12月、現在のメンバーと「シャ乱Q」を結成。
1991年にNHK-BSヤングバトルアマチュアロックコンテスト参加。
約3,000組、1万2,000人もの参加者の中からグランプリを受賞。

1992年07月プロデビュー。1994年、「上京物語」 がスマッシュヒット。
1995年、「シングルベッド」 をはじめ「ズルい女」など、数々のミリオンヒット曲をリリース。


言わずと知れたモーニング娘。のスーパープロデューサー。
矢口と保田が「第2のお父さん」と呼ぶほどメンバー達から信頼が厚い、ハロプロ学園の校長先生でもあります。

つんく♂さんにとって、ハロプロファミリーが全てであるのと同様に、やはり彼女達にとっても、つんく♂さんが全てなのでしょうね。
楽曲の創作にかける情熱はとどまるところを知らず、つねに自分の夢に向かって走り続け、輝き続けているつんく♂さん。

これからもどうぞがんばってください。そして、私達に夢を見させ続けてください。




6th シングル 「シングルベッド」 (シャ乱Q)


         


流行の唄も歌えなくて ダサイはずのこの俺
おまえと離れ 一年が過ぎ いい男性になったつもりが

それでもこの年齢まで俺が育てた裸の心は
おシャレをしても 車替えても 結局変化もないまま

早く忘れるはずの ありふれた別れを あの時のメロディーが思い出させる

シングルベッドで夢とお前抱いてた頃 くだらない事だって 二人で笑えたね
今夜の風の香りは あの頃と同じで 次の恋でもしてりゃ 辛くないのに

寄り道みたいな始まりが 二年も続いたあの恋
初めてお前抱いた夜ほら 俺の方が震えてたね

恋は石ころよりも あふれてると思ってた なのにダイヤモンドより 見つけられない

シングルベッドで二人 涙拭いてた頃 どっちから別れ話するか賭けてた
あの頃にもどれるなら お前を離さない あぁ 辛くないのに Wo…



作詞:つんく  作曲:はたけ  編曲:鳥山雄司  1994年10月21日リリース。オリコン9位
日本テレビ系アニメ 「D・N・A² ~何処かで失くしたあいつのアイツ~」 エンディングテーマ
C/W 「プリーズ」




(つんく ヒストリー)  2003年11月現在

1988年12月      地元大阪でアマチュア・バンドを経てシャ乱Q結成、ヴォーカル担当。
1991年12月1 日 NHK-BSヤングバトル全国大会にてグランプリ受賞

1992年7 月22日 シングル 「18ヶ月」 でBGMビクターよりメジャーデビュー。
1994年10月21日 6th シングル 「シングルベット」(作詞を担当・ミリオンヒット)
1995年5 月3 日 7th シングル 「ズルい女」(作詞・作曲を担当・ミリオンヒット)
1996年4 月24日 10th シングル 「いいわけ」(作詞・作曲を担当・ミリオンヒット)

1997年            TV番組 「ASAYAN」 の中で、モーニング娘。よりプロデュース始動
1998年1 月28日 つんくプロデュース第1弾、モーニング娘。「モーニングコーヒー」 でメジャーデビュー
1998年9 月 9日 モーニング娘。3rd シングル 「抱いて HOLD ON ME!」(オリコンチャート1位)
1999年1 月21日 7HOUSE 「STOP - 泣かないで - 」 でメジャーデビュー
1999年4 月       TVドラマCX 「セミダブル」 に堀慎太郎役で出演
1999年4 月21日 太陽とシスコムーン 「月と太陽」 でメジャーデビュー
1999年9 月 9日 モーニング娘。7th シングル 「LOVEマシーン」(オリコンチャート3週連続1位)

1999年11月 3日 セルフプロデュースによるマキシシングル 「TOUCH ME」 でソロデビュー
2000年1 月14日 初の書き下ろしとなる 「LOVE論-あなたのいいトコ探します」(新潮社)を刊行。
                     40万部を超える大ベストセラーに‥‥


(つんく プロデュース・ワーク)
モーニング娘。/タンポポ/・中澤ゆうこ/太陽とシスコムーン(T&Cボンバー)/
ココナッツ娘。/カントリー娘。(サウンドプロデュース)/メロン記念日/平家みちよ/
キッスの世界(全日本女子プロレス若手レスラーユニット)/7HOUSE/
浜崎あゆみ 「LOVE~Destiny~」 /浜崎あゆみ&つんく 「LOVE~since1999~」/
SHINO(台湾)「LOVE SONG FOR YOU」 /真矢みき(元宝塚ジェンヌ・退団公演)


(シャ乱Q)
つんく(Vo.)、まこと(Dr.)、たいせー(Key.)、はたけ(G.)、しゅう(B.)の5人で結成。

1988年にシャッターズ、乱、QPという3つのアマチュアバンドが合体して結成。
1991年にNHK-BS 「ヤングバトル全国大会」 でグランプリを獲得し、1992年に 「18ヶ月」 でデビュー。
1994年発売の6thシングル 「シングルベッド」 がミリオンヒットし、一躍スターダムに。

1995、96、97年と3年連続でNHK「紅白歌合戦」に出場。
1996年に発売されたベスト盤 「シングルベスト10おまけつき」 は200万枚を売り上げた。

1998年12月、しゅうが脱退。
4人で再スタートするが、「メンバー間で(今後の活動について)コンセプトに迷いが生じた」 との理由により、
2000年12月1日をもって無期限の活動休止に。


つんく名言集






Sharam Q was a Japanese rock band composed of lead singer Tsunku, Hatake on guitar, Makoto on drums and Taisei on keyboards.

They debuted with "18kagetsu" in 1992. They were not an instant hit initially, but their fourth single "Jokyo Monogatari
(上・京・物・語:The Story of Going to Tokyo)"
broke the top 50 of the Oricon charts. Eventually, the single "Single Bed"
got a lot of attention since it was used in the DNA2 anime series,breaking into the top 10.

The next single "Zurui Onna (ズルい女:Cunning Woman)" , also broke into the top 10. "Zurui Onna"
is the 84th best-selling single in Japan of all-time.
Their 11th single, "Namida no Kage (涙の影:The Shadow of Tears)", topped the charts in 1996.

In 1997, the band held an audition on the evening show ASAYAN to find a new female vocalist.
While the audition eventually yielded winner Heike Michiyo, the competition would be the impetus for the formation of Morning Musume.

Runners-up Nakazawa Yuko,Abe Natsumi ,Iida Kaori ,Ishiguro Aya, and Fukuda Asuka took up Tsunku's offer after the competition to
form a group he would personally produce if they could sell 50,000 copies of their debut independent single "Ai no Tane (愛の種:Seed of Love)"
in five days. The mission was accomplished in four.

After the 2000 release of "Shin Ramen Daisuki Koike-san no Uta (新・ラーメン大好き小池さんの唄:
The New Song of Ramen Loving Koike-san)", the band went on hiatus. During this period,
Tsunku focused on establishing Morning Musume's career and the formation of Hello! Project stable.
Makoto would frequently act as an emcee during these concerts.

During the end of 2006 and early 2007, Hakate, Makoto, and Taisei would frequently appear on the short music "show Uta Doki!
(歌ドキッ!~ポップクラシックス:Covering Classic Pop Songs)"to play their respective instruments in support of the guest vocalist.

Sharam Q became active again in 2006, having released a new single entitled "Aruiteru (歩いてる: Walking)" in November 2006.
Tsunku originally wrote and composed the song for Morning Musume, who debuted their recording two weeks before Sharam Q's rendition.

In March 2014, Tsunku announced on his blog that he had laryngeal cancer, which he found out after having throat surgery
due to an unspecified condition. On April 4, 2015,
Tsunku revealed that he had his vocal cords removed as part of his cancer treatment, and Sharam Q's activities then ceased.







射乱Q成立于1988年12月,是由在大阪活动的3个业余爱好者乐队「快门」「乱」「QP」将3个乐队合并而成。
乐队由主唱淳君Tsunku、吉他手Hatake、贝斯手Shu、键盘手Taisei和鼓手Makoto於1988年所组成(贝斯手Shu于1998年退出),
是来自大阪的华丽摇滚之龙头老大乐队。

1988年12月 乐队成立。1991年参加第二届「BS Young Battle」新进乐队大赛荣获冠军。
1992年07月他们以首张Single「18ヶ月」初次登场,出道初期并未受到太多关注,直到第4张Single「上京物语」开始,
他们才渐渐为人所知。 

1994年10月 其第六张Single「Single Bed」的旺销以及后继作品的热卖,令他们一跃成为日本Top级别的乐团。

1995年05月 Single「狡猾的女人」发行,歌词描述了愚蠢的痴情男子被欢场女人欺骗感情的的故事,
这对日本大都市里喜爱在夜店流连欢场女子的男人来说无疑是个巨大的讽刺,因为深刻揭露了社会现象中的黑暗面,
歌曲引发轰动,而且歌曲本身也有着持久的耐听性,该单曲连续15周在音乐排行榜上排名,销量超过百万,
这首歌亦成为了许多日本人心目中不朽的名曲。
 
1995年和1996年两次登上红白歌会,分别演唱了「狡猾女人」「借口」。

1997年他们公开主演电影「射乱Q演歌花道」,随后.以乐队名义在东京电视台举办「射乱Q摇滚女主唱选拔赛」,
正是在此次比赛中诞生了偶像女子团体「早安少女组。」(Mornung Musume)

2000年12月 作为乐队基本中止了活动,转型作为早安家族的制作团队。









深夜に辻からメールが...


僕、こないだ仕事で曲作りながら、パソコン起動させたままにしといたんですよ。

夜中...1時くらいかな、辻からメールが来たんですよ。
「アレ? アイツら今日(夏ツアーで)地方やのになぁ?」 と思って、どないしたんやろ思ったら...。

(のの)   (´ⅴ`)<つんくさん、何してるんですか?
(つんく) 仕事で曲とか作ってるよ。
 
(のの)   (´ⅴ`)<電話してもいいですか?
(つんく) いいよ、すぐ電話して。

なんかあったんかなって思うじゃないですか!? メッチャこう…折り入ってみたいな?


   (リリーン...電話の音)

(つんく) 「もしもしー、もしもしー?」

(そのとき、聞こえてきたんが) 辻と加護のうんこのテーマ。
延々1分くらい聞かされて(笑)
ほんだらもう、辻と加護と石川と吉澤。一緒の部屋で。メチャクチャ暇やってんなアイツら。

(つんく) 「何してたんだぁー?」 (オレ、メッチャ心配したのに)(笑)

そしたら、女子高の友達グループから電話かかってきた時みたいな勢いで、

(のの)   「えーっと、石川さんに代わりま~す」って(笑)


(つんく) 「もしもし、…ふんふんそうなんや、え、今何してるの?」 って聞いたら、

(りかっち)「( ^▽^)<今、辻の部屋で、すごい田舎なんで、コンビニとかもなくて、
      食べ物とかジュースもなくって、皆で集まってどーしよっかって話しててぇ。
      なので、ヨッスィーと代わりまぁす」

「なので」って、ヲイヲイ(笑)。

(ヨッスィー)「(0^~^0)<もう、つんくさん大変なんですよ。
       辻と加護がうるさくって寝れなくて…」

でも、その日は1時とかに寝ても10時間以上寝れる日程で、だからメチャメチャ暇ねん、アイツら。
そっから2・3時間どーしようかなぁ、みたいな勢いで。
夜やし、ハイになってるし、4人集まってるしで、軽い修学旅行や。


そんなんで、また加護に代わって、また辻と加護の歌を1分くらい聞かされて(笑)
それの繰り返し、1時間。

(聞いとったんやん! なんやかんや言いながら、)

いや、めったにないから、そんなん。
アイツらもリラックスできて、気心も合って電話してきたんやろーから。
まぁ、聞いたらなって(思って)。

オレもこんな時くらいいろんな話して聞こうと思って。
で、散々しゃべって、石川とかとちょっとだけお仕事の話とかもして。


2・3分したら、今まで後ろでガヤガヤしてたんがちょっと静かになった。
「なんや静かになってきたなぁ」 って言うたら、

(りかっち)「(;^▽^)<えっと、辻ちゃんと加護ちゃんは、もう寝てます」って(笑)。

「どないやねん!」 って(思ったけど)
「わかったわかった。ほな明日も頑張ってライブしてな」 って言うて切ったんですけどね。
まぁね、平和な証拠ですよ。

子供や…。ただの子供の所業や。

                (2001年9月8日 TBS 「つんくばん」 より)
 


WMA/tunkuban.wma






                 






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