ディオゲネスと同時代にアレクサンドロス大王がいました。
大勢の有力者達がご機嫌伺いにやってきましたが、有名な哲学者のディオゲネスは来なかった。
そこで大王は自ら会いに行った。
そうしたら、ディオゲネスは樽の前でしゃがみこんで、ひなたぼっこをしている。
大王は近づいて名乗った。「余はアレクサンドロス大王である」
ディオゲネスは大王の一行に目もくれないままで名乗る。「余はディオゲネスである」
ディオゲネスの態度は滅茶苦茶無礼。 いきり立つ側近を押しとどめて、大王は質問します。
大王 「そなたは、余が怖くないのか」
ディオゲネス 「お前は善い人か?」
大王 「余は善い人である」
ディオゲネス 「なぜ、善い人を怖がる必要があろうか」
アレクサンドロスはすっかりディオゲネスを気に入ってしまいます。そして尋ねた。
「そなたが望むものを何でもやろう。遠慮なく申せ。」
ディオゲネスは何と答えたと思いますか。
「そこをどいてくれ。ひなたぼっこの邪魔だから...」 彼の望みはこれだけ。
どんな財産、権力だって手に入ったのに欲しがらないのです。
そう、そんなものは心の平安にとっては意味がない、とディオゲネスは考えたのです。
アレクサンドロスはいたく感激し、立ち去り際に、「もし余がアレクサンドロスでなかったなら、ディオゲネスになりたいものだ」とつぶやいたといわれます。
「哲学者列伝」ディオゲネス・ラエルティオス(Diogenes Laertius)より
(この絵のイメージは Web Gallery of Art のご好意で使用させていただいています)
学ぶことはなにもない
ある人がディオゲネスのところへ子供をつれて来て言った。
「この子は生まれつきりこうで、性質のよい子ですから、弟子にしてやってください」と頼んだ。
するとディオゲネス 「りこうで性質がよいなら、ぼくに学ぶ必要はないじゃないか」