2月24日          太極拳 
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楊露禅(ようろぜん)[1799−1872年]  清朝の武術家。太極拳の創始者。河北省永年県出身。

楊露禅は、幼少の頃より武術を好み、縁あって河南省の武術家、陳長興(ちんちょうこう)に師事し、陳一族に伝わる秘拳を学ぶことにより、

武の道に自在を得たと伝えられている。


太極拳は、滑らかな動きに特徴があり、敵の攻撃を受け流し、接近して急所を撃つというもので、体から力みを無くして戦うことから「綿拳」とも称されている。

楊露禅が、40歳を過ぎて北京で太極拳を教えていたころ、清朝の皇族の一人、粛親王に護衛兵として雇われ、あるとき宴会が開催された。

多くの武術家が招かれていたが、彼らは体が大きくがっちりした体つきなのに対し、楊露禅は痩せこけた体つきだったので、末席しか与えられなかった。

雇い主に乞われ、客の武術家たちと腕比べをすることにした楊露禅は、瞬く間に相手を倒してしまった。

喜んだ主人は、即座に楊露禅を上座に座らせたという。




                                     




この一件が楊露禅の名を広め、多くの武芸者が挑んできたが、負けることはなかったので、彼は「楊無敵」と言われるようになった。

「楊無敵」を耳にして、凄腕の人物が挑んできた。

清代の十大高手の一人、八卦掌(はっけしょう)の創始者、薫海川(とうかいせん)である。

当時、董は北京において、紫禁城を警護する禁軍の統領であった。

彼は、楊露禅が使う太極拳の評判を聞き、腕比べをしたいという気持ちを抑えきれなくなったのである。


八卦掌は、円を描くような方法で相手に近づき、相手のパワーを利用して相手を倒すというもので、その攻防は独特に変化し変幻自在と伝えられている。

二人の腕比べは北京王府が主催する御前試合で行われた。しかし、二人は手を合わせた後、三日三晩経っても勝敗が決まらなかった。

結果、勝敗はつかなかったが、二人は試合をしたのが縁で親交を深めた。その後互いに学び合うことで益々各自の技量を高めていったという。


         


簡化二十四式太極拳

難度の高い太極拳を広く一般に普及させるため、楊式太極拳の型をベースに、難度の高い動作の簡略化を経て二十四の主要で簡単な動作にまとめられたもの。

一般に中国の公園で早朝に行われていたり、日本の太極拳教室で健康のために教えているものはほとんどの場合、この簡化二十四式太極拳である。


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      楊露禅伝奇 (北京衛視)