3月5日     ハトシェプスト  (Hatshepsut)    春夏秋冬(スズメ)   
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ハトシェプストは今から3500年前、BC1503年に父トトメス1世の第一王女として生まれた。
 
ハトシェプストが生まれたのは、エジプト第18王朝が版図を拡大しつつある時代だった。


トトメス1世は、優秀な軍人でもあり、幾度となく遠征を行い、沢山の戦利品や捕虜を連れ戻った。

このような父王の姿は、そのままハトシェプストの人生の理想の姿となった。

父トトメス1世を敬愛して成長する少女ハトシェプストの夢は、父のように立派で勇ましい王となること。


しかし当時のエジプトで女性は王位につくことはできなかった。

ファラオは「ホルス神の息子」であり、男性でなくてはならなかったからである。






                 




父トトメス1世は13年の治世のあと、BC1493年に没した。

王家の慣習に基づいて当時10歳のハトシェプストは、3歳年下の弟、

トトメス2世を婿として「王妃」となった。

彼女は、幼い王トトメス2世を励まし、母とともにエジプトの政治を支えた。

実際、トトメス2世の名でだされた指令のほとんどがハトシェプストの指令であった。





カルナック神殿の増築、対外遠征など病弱なトトメス2世の補助という形で

政治にはかなり関与していた。


だがトトメス2世と王妃ハトシェプストの間には、王女は一人いたが、王子はいなかった。

王が21歳で若死にしたあと側室の子トトメス3世が2歳で即位した。


しばらくは王妃ハトシェプストが後見人として幼い王を助けた。

彼女はこの時から「ファラオ」になるための準備をすすめていく。


最初のうちこそ伝統を踏襲し、義理の息子の代理として振るまったハトシェプストだが、

後見人の役割を超える支配力を見せるまでに、さほど時間はかからなかった。




7年後、ハトシェプストは王宮内の反対勢力を懐柔し、王として国政を掌握することを宣言、

遂にファラオの座に上り詰めた。ハトシェプスト31歳の時である。






古代エジプトでも屈指の繁栄を誇った第18王朝時代にあって、

ハトシェプストはとりわけ壮大な建築事業に力を注いだ。

シナイ半島からナイル川上流域のヌビア地方まで、数々の神殿を修復し、新たに造営した。


偉大な神アメンを祭った広大なカルナック神殿には、花崗岩のオベリスク(記念碑)を4本建立した。

数あるオベリスクの中でも、屈指の壮麗さを誇るものだった。

ハトシェプストの治世は総じて穏健で、戦争を好まずに平和外交によってエジプトを繁栄させた。

しかし、それは同時にエジプトの国威の低下を招くことになった。



ハトシェプストがファラオに即位してから12年後、エジプトの植民地で叛乱が勃発した。

この時、長く辺境の地で軍隊生活をしていたトトメス3世が呼び戻され、共同統治宣言をし、

ハトシェプストの名で叛乱の鎮圧に乗り出した。


このことで軍隊の将校達の人気が一気にトトメス3世のところへ集り、トトメス3世を擁立する反対勢力が大きくなっていった。

BC1458年、トトメス3世はクーデターをおこし、王座に帰り咲いた。 

ハトシェプストは亡くなった。クーデターで殺されたのか、病死なのかはわからない。

トトメス3世は葬式はファラオにふさわしく行ったと伝えられる。

ハトシェプスト享年45歳であった。


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ハトシェプスト(Hatshepsut BC1503〜BC1458)

古代エジプト第18王朝6代目のファラオ(在位BC1472〜BC1458)

夫トトメス2世(ThutmoseU 在位BC1493〜BC1479)の没後、甥トトメス3世(在位BC1479〜BC1472、BC1458〜BC1425)
の摂政に任命され、やがてみずからファラオにつき、女王として先例のない権力を掌握、内治と経済復興に力を注ぎ、
臣下たちに献身的な奉仕を強いた。

また紅海を下ってプント(Punt 現ソマリア)との交易に力を入れ、カルナック神殿(Karnak temple)に
オベリスクを建造(1本は現存)。

やがてトトメス3世が勢力を強めて彼女の治世12年に共同統治者となった。

彼女の死が自然死か否かは明らかではないが、死後、神殿の柱や壁面、記念建造物などにある女王の浮彫や名前は、
トトメス3世により削り取られた。






カルナック神殿 (Karnak Temple)


エジプト、ナイル川東岸テーベの北部カルナックにあるアモン(Amun)神を祀る神殿。
創建は第12王朝時代。

中王国時代には地方神であったが、テーベ(Thebes)が首都になると、アモン神は太陽神ラー(Ra)と合体、
国家最高神となった。

新王国時代にはハトシェプスト女王(Hatshepsut)、トトメス3世(ThutmoseV)、セティ1世(Seti I)、
ラムセス2世(RamsesII)などが主な神殿を建立。

その後も建造が進み、プトレマイオス王朝(Ptolemaic dynasty)やローマ帝国時代の遺跡も残る
エジプト最大級の神殿となった。

またルクソール神殿(Luxor Temple)との間を結ぶ長さ約3kmの参道の両脇には、アモン神の象徴である
「羊頭のスフィンクス像」が並んでいる。

古代エジプト人はこの「スフィンクス参道(Sphinx Alley)」を往来して神殿に行き、礼拝したという。