3月28日    力道山     1953年  (昭和28年)   
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喫茶店や食堂、銭湯などは客寄せのため、テレビを置き始めた。

自宅近くのラーメン店には、この付近で唯一、テレビがあった。
三十円のラーメン代がないときは、友達十数人で外から窓越しにテレビをのぞいた。

「外から見ちゃだめ」と怒る店主は次第にプロレスに熱中して、僕らのことは構わなくなる。交代で台に乗って観戦した。

放送が終わると夜中の十一時ごろまで「力道山のあの技がすごかった」「あそこが良かった」などと、客も店主も発言して座談会のようになった。

当時の日本人はまだ、敗戦のショックから完全に立ち直ってはおらず、外人コンプレックスが根強く残っていた。
それを吹っ飛ばしてくれたのが、巨漢外人レスラーをなぎ倒す力道山の空手チョップであった。

一家に1台のテレビ受像機はまだ夢物語で、日本テレビが関東地区に220台設置した街頭テレビの前は、黒山の人が集まり、プロレス・ブームは社会現象となったのである。


力道山は朝鮮半島に生まれ、昭和15年相撲部屋に入門。
順調に関脇にまで出世するが、突然廃業してアメリカでプロレス修行。
昭和28年日本プロレスリング協会を設立。

初の世界タイトルマッチ「力道山・木村政彦VSシャープ兄弟」がテレビ放映されたのは昭和29年2月。
一躍人気者になるとともに、テレビ受信機の普及にも大きく貢献する。
昭和38年暮れ、暴漢に襲われたけががもとで急死。

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