3月30日 コロッセオ (Colosseo) |
コロッセオは、ローマ帝国時代の西暦80年に建造された円形闘技場。
直径200メートル、高さ60メートル、5万人収容という巨大建築物である。
落成の折には、剣闘士や猛獣の殺し合いをはじめとする催しが100日間続いたという。
落成式には、猛獣5000頭が犠牲にされ、北アフリカからたくさんの動物が調達された。
こうした見世物を提供し、社会に山積みする問題から市民の目をそらさせていたのだ。
メインとなる演目は、剣闘士の戦いで、剣闘士は奴隷や捕虜が務めた。
剣闘士同士のほか、ゾウ、ライオンなどとも戦い、市民たちはアクションに熱狂した。
そのほか動物の調教やサーカス、戦車レースなど多種多様な催しが行われていた。
市民が最も熱狂した演目のひとつに「模擬海戦」があった。
地下水路から水を引き込み、アリーナを海に見立て、実際に船を浮かべて海戦を再現した。
ローマの豊かさを示す言葉に「パンとサーカス」がある。
ローマ市民は「パン」(食糧)が、無料で配布されたため、あくせくと働くことから解放された。
国防を担っていたローマ市民は、戦争での怪我や戦死が避けられなかった。
彼らに対する国家としての保障という側面もあったのだ。
食料に困らなくなった民が次に求めたのは「サーカス」(娯楽)だった。
コロッセオが建造されたのは、彼らの欲望に応えるためでもあった。
ローマ帝国の崩壊
豊かさを誇ったローマも、やがて衰退の道を転がり落ちることになる。
その衰退の一因に「領土拡大」政策の限界があった。
ローマ帝国が富の拠り所としたのは、次々に獲得していく「属州」だった。
属州からは、奴隷や税、穀物などがローマ帝国に送られる。
属州民は、収穫の1/3にあたる直接税を納めるなど、厳しい収奪を強いられた。
奴隷たちの多くは、農場や鉱山で過酷な肉体労働を強いられた。
また「剣奴」としてコロッセオで、死ぬまで戦わされた奴隷たちもいた。
ローマ市民は、収奪した財力で、食事や娯楽などの快適な都市生活が保証される。
ローマの平和とはこのように、属州民と奴隷の犠牲のうえになりたっていたのだ。
しかし、属州を獲得し続けることには明らかに限界があった。
富の源泉は領土拡大であり、拡大をやめれば豊かさを維持できないということだ。
広大な領土を守るための維持費と軍事費は、国家予算の半分を占めるようになった。
西暦375年、折しも、国外からの異民族(ゲルマン人)の侵入が起こる。
結果、財政は破綻へ向かい、ローマ帝国は崩壊への道を歩むことになったのである。