4月16日     はじめにコトバありき   (ヨハネ伝 第一章 第一節−第五節)
   
                                                                                                                                               
太初(はじめ)に 言(ことば)あり

言(ことば)は 神と偕(とも)にあり 言(ことば)は神なりき


この言(ことば)は 太初(はじめ)に 神とともに在(あ)り

萬(よろづ)の物 これに由(よ)りて成(な)り


成(な)りたる物に 一つとして之(これ)によらで 成(な)りたるはなし

之(これ)に 生命(いのち)あり  この生命(いのち)は 人の光なりき


光は 暗黒(くら)き に照(て)る

而(しか)して 暗黒(くら)き は 之(これ)を悟(さと)らざりき



                         



創世記による「神は、光あれと言われた。すると光があった」という創造の言 (ことば) は、造られた世界よりも先にあった。

神が天地を創造する以前、即ち、全てのものが存在する前に、言 (ことば) はすでに存在していたのである。


創造の時には、すでに存在していた原初の存在が、神の言(ことば)であるならば、言(ことば)と神とは、どのような関係にあるのか。

ヨハネは答えて言う、「言(ことば)は、神と偕(とも)にあり」と。



「偕(とも)に」とは、言(ことば)が、神と一体不可分の存在であることを意味する。

創造の言(ことば)は、世界が造られる以前に、神と共に存在し、神と共に働いて、森羅万象に息吹き、天地万物を現出したのである。


そして、もうひとり、この創造の言(ことば)と共に存在していたのが、人の子イエス・キリストであった。


言(ことば)は、人の子となって、此の地球の或る時代に現れたのだが、それは言わば、ほんの一時的な姿で、

実は永遠の無始より、神と共に在った処のものである。


まさに世を照らす光として、言(ことば)は人格化し、我々の前に現れたことを、ヨハネは霊感によって知ったのである。



言(ことば)は 肉体となりて 我らの中に宿りたまへり 我らその栄光を見たり 実(げ)に 父の独子(ひとりご)の

栄光にして 恩恵(めぐみ)と 真理(まこと)とにて満てり     (ヨハネ伝 第一章 第十四節)