6月12日 からたちの花 1925年(大正14年) |
初めて鈴木寛一さんの歌を聴いたのは東京二期会公演「夕鶴」でした。
作曲の團伊玖磨さん自身の指揮でオーケストラは東京交響楽団だったでしょうか?
まだ社会人になりたてのころです。
新宿文化センターの1階後方席でしたが、日本的情緒に溢れた音楽と舞台に思わず引き込まれてしまいました。
鈴木寛一さんの歌声はリリカルで、力強い要素もあり、こんなにも明るい美しい声があるのかと感嘆したものです。
二期会のプリマドンナ、中澤桂さんが鶴の化身であるヒロイン「つう」を演じていました。
中澤さんは、魂のこもったとても透明感のある歌声です。
人の心を語りかけるような歌で表現するお二人の歌唱に心地よく引きこまれて、ついつい聴きいってしまいました。
やはり日本の歌曲は、日本語の歌詞が、自然で美しい発音で歌われることが、不可欠だと思います。
「からたちの花」(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰、唄:鈴木寛一)
からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ
からたちのとげはいたいよ 青い青い針のとげだよ
からたちは畑の垣根よ いつもいつもとおる道だよ
からたちも秋はみのるよ まろいまろい金のたまだよ
からたちのそばで泣いたよ みんなみんなやさしかったよ
からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ
山田耕筰は、「この道」「ペチカ」「赤とんぼ」など、現在でも音楽の教科書に必ず登場し親しまれている作曲家です。
この曲は「からたちの花」の作詞者、北原白秋に捧げられました。
山田耕筰の作品の特徴は、歌詞のイントネーションの動きとメロディの流れが一致しているという点です。
美しい日本語、言葉の魂(言霊)にこだわった作品を追求する作曲家として知られています。