6月29日 エデンの園 (創世記 第二章 第十六節−第二十節)
主 神 其(その)人を挈(と)りて 彼をエデンの園(その)に置き 之を 理(をさ)め 之を守らしめ 給(たま)へり
主 神 其(その)人に命じて 言(いひ)給(たま)ひけるは 園(その)の各種(すべて)の樹(き)の果(み)
汝(なんぢ)意(こころ)のまゝに 食(く)ふことを得(う)
然(され)ど 善悪を知るの樹(き)は 汝(なんぢ)その果(み)を 食(く)ふべからず
汝(なんぢ)之を 食(くら)ふ日には 必ず死ぬべければなり
主 神 言(いひ)給(たま)ひけるは 人 獨(ひとり)なるは 善(よ)からず
我 彼に適(かな)ふ 助者(たすけ)を 彼のために造(つく)らんと
主 神 土を以(も)て 野のゥ(すべて)の獣(けもの)と 天空(そら)のゥ(すべて)の鳥を 造(つく)り給(たま)ひて
アダムの 之を何と名(なづ)くるかを 見んとて 之を彼のところに 率(ひき)ゐいたり給(たま)へり
アダムが 生物(いきもの)に 名(なづ)けたるところは 皆其(その)名となりぬ
アダム ゥ(すべて)の家畜と 天空(そら)の鳥と 野のゥ(すべて)の 獣(けもの)に 名を 與(あた)へたり
然(され)ど アダムには 之に適(かな)ふ 助者(たすけ)みえざりき
(創世記 第二章 朗読)
「アダムが 生物(いきもの)に名(なづ)けたるところは 皆其(その)名となりぬ」
神は人間をご自分のかたちに似せて造られました。そのかたちには、形あるものを創造する能力も含まれています。
「ことばを発した通りにこの世界はなる」ということは、「人間も神と同様な無限力を内に秘めている」ことに他なりません。
神がそのような卓越した生きものを創った以上は、人間こそがこの地上の神なのです。
神の代行者として、人聞は「その肉体と魂を使って、この地上に自由な絵を描いてみなさい」と任されたのです。
「ことばが成就する」ということは、「ことばを発した人の自由意思が尊重されている」ということを意味しています。
神は基本的な設計を示し、細部はお前の自由意思を使って好きに描いてごらんという。
もし神が細かい設計図を引くのであれば、それは「人間の自由がない」ことを意味します。
その場合、人間は「完全な自由を持たない」「被支配者」「奴隷」に成り下がってしまいます。
アダムとイブが現れたエデンの園は、時間や空間に支配された三次元の世界でありました。
力あるものははびこり、弱きものは滅びる世界です。
そこに自然界を統一し、調和ある善と美の世界を地上にもたらすために、神はこの三次元界の物質の法則にのっとった有限の体に無限の霊魂を満たして人とし、
その陰陽二人を人類の祖としてエデンの園に下したのです。
そして神は、人間の本来あるべき姿、善も悪も内包している魂にするために敢えて善悪の樹の実を食べさせたのです。
もしそれがなかったら、人間はいつまでも原始人のままで成長することはなかったでしょうし、
善もでき、悪もできるなかで、善を選ぶ喜びを味わうこともなかったにちがいありません。