8月6日   バビロンの空中庭園  (Hanging Gardens of Babylon)
直線上に配置


古代メソポタミアで栄えた新バビロニア王国。

その王都であるバビロンには、巨大な空中庭園があった。

この庭園は二代目の王ネブカドネザル2世の時代に建造された。
遠くから見ると、空中に浮いているように見えたといわれる。


なぜ、バビロンの乾燥した土地に庭園を造ろうと思ったのか。
それは、王妃アミティスが、故郷メディアの緑の山々を恋しがったため。

王妃の生まれ育ったメディアの光景を再現するために建造されたという。
庭園は、縦横125mの土台の上に、4層のテラスが積み重なっている。


内側は、ヤシをはじめ、異国からもたらされた樹木が栽培されていた。
最上階に貯水タンクがあり、ユーフラテス川から水をくみ上げていた。

そこから各階に水路を引き、植物に水を与え、美しい緑を保っていた。
その流水が空気を潤し、まさにオアシスといった雰囲気をつくりあげていた。


だが、栄華を誇ったこの王国も、BC538年、ペルシアに滅ぼされてしまった。
バビロンの空中庭園も破壊され、土砂に埋もれてしまった。

空中庭園は、古代七不思議のひとつに数えられ、その存在は長いあいだ伝説として語られていた。
1917年、考古学者コルデヴァイ(Koldewey)による発掘の結果、庭園の基礎部分と見られる遺跡が発見されている。

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バビロン空中庭園の復元図


空中庭園は、高さ25m、四方がそれぞれ125mあったと推定されている。

ナツメヤシ、イトスギ、シダ、ツタ、アロエ、オリーブなどが植えられ、
樹木を密集して植えることで、水分を保持し、日陰をつくっていた。

土を耕し、植物を植え、水を汲み、雑草をとり、枝を剪定するなど、
空中庭園の維持管理は、常時数百人に及ぶ奴隷が従事していたという。


強大な軍事力を誇る王ネブカドネザル2世(在位BC605〜BC562年)のもと、
王都バビロンは、当時世界最大の都市であった。

聖書「ダニエル書」によれば、多くのイスラエル人捕囚を都市建設に従事させ、
その壮麗な建築物で世に知られるとともに、学問や宗教の中心地となっていた。


BC538年、バビロンはアケメネス朝ペルシアに占領され、建物の多くが破壊された。

その後BC331年、アレクサンドロス大王がバビロンを制覇し、BC323年にこの地で
病死したことでも知られる。



1917年の発掘調査で、この古代都市の配置が明らかにされ、数多くの財宝が出土した。

1950年以降、イシュタル門(Ishtar Gate)など多くの建築物が復元されている。