8月12日    満州事変 1931年(昭和6年)    歴史年表     真日本史
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明治憲法によれば、陸海軍の最高指揮官は天皇であり、内閣総理大臣は、軍の指揮権に関与できないとされている。

憲法を起草した伊藤博文らは、西南戦争を引き起こした西郷隆盛の事例などから、政治と軍隊は分離すべきであり、
陸海軍は政治から独立して、天皇に直属する形が望ましいと考えたのである。

明治維新後、内閣総理大臣を務めたのは、伊藤博文ら維新の功労者であり、彼らは日清・日露戦争では天皇を代行し、
実際に陸海軍を指揮していた。すなわち内閣総理大臣の命令は、そのまま天皇の命令とみなされていたのだ。

だが昭和の時代になり、明治維新の功労者たちが死に絶えてしまうと、この憲法の条文が改めて注目された。
政府は軍隊に関与できないのだから、軍隊は政府に従う必要はないはずだ、という解釈が独り歩きするようになる。

軍隊の政治関与を防止するために作られた憲法が、かえって軍部の独断と独走を許し、やがて政治そのものにも
軍部が介入するという、皮肉な結果になってしまったのである。


昭和6年(1931年)9月18日、奉天(瀋陽)郊外の柳条湖付近で、日本が管轄する南満州鉄道の線路が突然爆破された。
爆弾を仕掛けたのは関東軍(満州駐留軍)の中堅参謀らだったが、中国側の仕業と主張し、近くの中国軍基地への攻撃を開始。

時の若槻内閣は、事態を速やかに収拾させるべきであると、不拡大方針を決めたが、勢いに乗った関東軍はこれを無視して独走、
早々に奉天・吉林・黒竜江の三省を軍事占領してしまい、昭和7年3月、清朝最後の皇帝・溥儀を迎え、満州国の建国を宣言する。

満州国の実態は、侵略を通じて奪い取った占領地なのだが、国際社会の批判をかわすため皇帝を擁し、表向きは独立国としたのだ。
結局、軍部の独断で建国された満州国は政府によって追認され、以後、侵略による領土拡大が軍部と政府の一貫した方針となる。

一方、中国政府は、満州国建国は国際法に違反するとして国際連盟に提訴。提訴を受けた国際連盟は、満州国の不承認と日本軍の
即時撤退を日本政府に勧告。日本は勧告を拒否し、国際連盟から脱退、孤立と戦争拡大の道に進むことになった。

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戦争に翻弄された銀幕スター・李香蘭
     

南満州鉄道で中国語を教えていた山口文雄の娘・山口淑子は、父親の友人で家族ぐるみの
付き合いがあった瀋陽銀行頭取・李将軍の義理の娘となり、李香蘭という名を得た。

日本語と中国語が堪能だった上、絶世の美貌だったことから、日本の国策会社・満州映画社に
スカウトされ、女優・歌手として満州国で人気を博す。

昭和16年、初来日し当時の日劇に日満親善の慰問歌手として出演。このとき大勢のファンが
大挙して押し寄せたため、消防車が出動・散水し、群衆を移動させる程の大騒動となった。

終戦後は敵国の日本に協力した裏切り者として軍事裁判にかけられる。
死刑になるとの見方もあったが、戸籍により日本人であることが判明し、無罪となり釈放。

帰国後、フジテレビに入社。情報番組「3時のあなた」のニュースキャスターとして活躍。
昭和47年、日中国交が回復された際、時の田中角栄首相の中国訪問を北京からレポートした。

昭和49年、田中首相の推薦で全国区から立候補。参議院議員となり、環境政務次官などを務めた。