スペイン起源のパソドブレは、マタドール(闘牛士)が入場するときに流れる楽曲です。
スペインの闘牛の歴史は古く、11世紀末に貴族の祝宴の席で行われた記録が残されています。
パソドブレの演奏は当初軍楽隊が担っていました。
闘牛の技術が確立されて民衆の間で人気が高まるとともに、専門の吹奏楽団が次々と結成されました。
18世紀末から19世紀にかけて、闘牛はスペイン最大の娯楽としてすっかり定着したのです。
1920年代、スペイン人たちによって、パソドブレは文化の中心だったパリに渡り流行しました。
そこで楽曲名だったパソドブレがダンスの名前として定着したのです。
そして当時パリを訪れた芸術家の多くが、カフェでパソドブレを楽しんでいました。
アメリカが生んだ偉大な作家「ヘミングウェイ」も、そのひとりでした。
ヘミングウェイは、闘牛に魅せられて、何度となくスペインを訪れました。
彼が目にした闘牛という異色のスポーツは、文章化されて海外に広く紹介されるようになります。
彼は、小説「日はまた昇る」(1926年)や、エッセイ集「午後の死」(1932年)を書き上げました。
いずれもヘミングウェイの、闘牛への思い入れ具合が伝わる渾身作です。
パソドブレの流行はパリから世界中にほぼ同時期に広まりました。
第二次大戦後、イギリスのダンス教師協会が中心となって現在の様な踊り方が標準化されました。
闘牛をイメージしたこのダンスは、男性が闘牛士の役割を演じます。
一方女性は、時にはケープ、時にはカルメンを演じるなど、様々な役割で踊られることが多いのです。
他のラテンダンスの種目は女性が主役なのに対し、パソドブレは男性が主役として踊ります。
力強く勇ましい動きが特徴のダンスです。
(エスパニア・カーニ Espana Cani)