10月3日
この道
1927年(昭和2年)
Illustrated by
山本正子
1925年(大正14年)夏、詩人の北原白秋は、樺太旅行の帰りに北海道を旅行する。
翌年、雑誌「赤い鳥」に発表された「この道」の詩は、このときの旅行で着想を得たとされる。
南国・九州育ちの白秋にとって、北の大地は新鮮に映ったのだろう。
歌詞には「あかしやの花」「(札幌の)白い時計台」などが盛り込まれている。
「この道」(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰、唄:五十嵐喜芳)
この道はいつか来た道 ああ そうだよ あかしやの花が咲いてる
あの丘はいつか見た丘 ああ そうだよ ほら 白い時計台だよ
この道はいつか来た道 ああ そうだよ お母さまと馬車で行ったよ
あの雲もいつか見た雲 ああ そうだよ 山査子(さんざし)の枝も垂れてる
1927年(昭和2年)作曲家の山田耕筰が「この道」の詩に曲を付け「山田耕筰童謡百曲集」で発表した。
山田は、自身の曲に込めた想いを、作品解説の中でこう記している。
「この作品は『からたちの花』の妹です。『からたちの花』にもました美しい綾衣を織り与えて下さい。
私の親友、北原白秋氏は、こうした言葉を添えて「この道」一篇の詩を私に寄せました。
世の誰よりも母に慈しまれた私は、世の誰にもまして母を思う心、切なるものがあります。
「この道」を手にした私は、あたたかい母の手にひかれて、そぞろあるきした道を偲び、
ありし日のあわい追憶に耽らずにはおられなかった。
私は亡き母の愛に浸りながら、静かに「この道」一曲を紡ぎ出しました。
どうか皆様、母を慕う心をつれびきとして、この歌を唄ってくださいますように。」