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オスマン帝国の歴代スルタンたちが住んでいた王宮には、豪華な多国籍ハーレムがあった。
これはもともとスルタンたちが、ビザンツ帝国の皇女や、バルカン諸国の王女といったキリスト教徒を
「イスラム教に改宗しないでよい」と条件をつけて、政略結婚しつづけた過去を反映したものである。
1453年、隣のビザンツ帝国が滅亡すると、ハーレムには白人系の寵妃は増える一方であった。
ハーレムに入ることは、貧しいキリスト教徒の娘にとって豊かな生活を手に入れるチャンスだった。
彼女たちは、王妃と呼ばれたが、ハーレムでお手つきになるまでは、大部屋で暮らさねばならなかった。
彼女たちの一日は、歌や踊りのレッスン、トルコ語の読み書きの勉強に費やされた。
暑い日には、ハーレム内の豪華プールで水遊び。
もちろん女たちが溺れたりしないよう、宦官のプール監視がついていて、いたれりつくせりであった。
見事お手つきになった後は、専用の住居が与えられ、懐妊すれば、広い宮殿に住むことができた。
女性たちと、スルタンの関係は実に公平なもので 「お夜伽カレンダー」 が役人の手で作成されていた。
このカレンダーはスルタンの子供の誕生証明にもなった。それだけに担当の役人の責任は重大で、
王妃たちをカレンダーどおり順番に、しかも平等に扱わなくてはならなかったのである。
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トプカプ宮殿 (Topkapi Palace)
イスタンブールの東端に位置するトプカプ宮殿は、
歴代スルタンの居城として15世紀に建造された。
約70万平方メートルという広大な敷地内に、モスクや
議会も置かれ、それ自体、ひとつの町となっていた。
とりわけスルタンの側室たちが居住するハーレムは、
王が無制限の堕落にふける場所として知られている。
ハーレムは、約300人の女性と、70人ほどの警備を
担当するスラブ人の宦官によって構成されていた。
女性たちの多くは、異教徒との戦争で捕虜になった者、
奴隷商人から購入された者などが、ハーレムに入った。
彼女たちは、読み書き、刺しゅう、踊り、楽器演奏など
を学び、スルタンの目通りを待った。
女性たちは、最初は大部屋で暮らすことになるが、王の妻
に昇格すると、召使を持ち、優雅な生活が保障された。
なお現在のトプカプ宮殿は、博物館として公開され、宝物庫
には宝飾品、衣装、美術史的に貴重な磁器や細密画などがある。
また、この宮殿のあるイスタンブール旧市街は、1985年に
世界遺産の文化遺産として登録されている。
(住所:Topkapi Palace, Sultanahmet, Fatih, Istanbul, Turkey)