10月22日  歴史のヒーロー (3) カール大帝 (Charlemagne)    歴史年表       ヨーロッパ史
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フランク王国


古代ローマ帝国がヨーロッパの大部分を支配していた時代、ローマ人は現在のドイツを含む一帯をゲルマニア(Germania)と呼び、そこに住む民族をゲルマン民族と呼んでいました。

古代ローマ帝国のアウグストゥス帝(オクタヴィアヌス Octavius)はローマ軍団をゲルマニアに侵攻させましたが、ゲルマン民族はローマ軍を撃退しました。
395年、古代ローマ帝国は東西に分裂し、476年、西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動によって滅亡してしまいます。

その後、ゲルマン民族はかつての西ローマ帝国の領土に、自分たちの国を建てて、キリスト教を信仰していました。

ゲルマン民族のさまざまな部族のうちで、もっとも力が強かったのは、フランク族(Franks)でした。
彼らは、5世紀の終わりに、ライン川流域からガリア(Gallia 現在のフランス)にフランク王国(Kingdom of the Franks)を建てます。


カール大帝

フランク王国は、カロリング朝(Carolingian dynasty)のカール大帝(在位:768年〜814年)の時代に全盛期をむかえます。

カール大帝は、フランク王国の北方にいたサクソン人(Saxons)や、父王ピピン(Pepin I)のときからの敵だったロンパルド王国(Kingdom of the Lombards)、イベリア半島のイスラム軍などと戦って、領土をどんどん広げていきます。

広大な領土を手にしたカール大帝は、各地に長官を派遣して治めさせ、みずからも足を運んで見てまわりました。
敵国との戦いと、領土の視察と、それは休むひまのない日々でした。


800年のクリスマス、カール大帝は、ミサに出席するため、アルプスを越えて、ローマのサン・ピエトロ大聖堂(St. Peter's Basilica)に向かいました。
そこで彼を待っていたのは、法王レオ3世(Pope Leo III)の手による、西ローマ皇帝戴冠式でした。

カール大帝は、文武両道の優れた皇帝だといわれています。
古典文学を好み、馬術や水泳を得意としていました。また、大食漢で頑強、知略にも富み、いくさは負け知らずでした。

ゲルマン人であるカール大帝が、キリスト教の首長である法王によって、古代ローマの象徴であるローマ皇帝に任命される。

これは、形のうえで西ローマ帝国を復活させ、フランク王国とローマ教会のむすびつきを強めることになりました。
つまり、古代ローマ文化、ゲルマン文化、そしてキリスト教文化の3要素が融合した新たな西ヨーロッパ世界の誕生を意味する出来事だったのです。



747年 カール1世(大帝)、誕生
768年 ピピン3世、死去。カール1世と弟カルロマン(Carloman I)がフランク王国を相続

771年 カルロマン、死去。カール1世がフランク王国の全領土を相続
772年 カール1世、サクソン人を討伐

774年 カール1世、イタリアに遠征してロンパルド王国を滅ぼす
778年 カール1世、イベリア半島(スペイン)に遠征

788年 カール1世、バイエルン(Bayern)を征服
800年 カール1世、サン・ピエトロ大聖堂で戴冠し、西ローマ皇帝に即位

814年 カール1世、アーヘン(Aachen)で死去







フランク王国の分裂

カール大帝の死後、まもなく領土分割をめぐって孫たちの争いが起こり、843年のヴェルダン条約(Treaty of Verdun)、870年のメルセン条約(Treaty of Meerssen)で、いまのフランス・ドイツ・イタリアのもとができました。

その後、強い力をもった国王が出てきませんでしたが、各国の王はなんとか力を強くしようと努力しました。
東フランク王国では、962年にオットー1世(Otto I)が、ローマ法王から「ローマ皇帝」の冠をさずけられました。

以降、東フランク王国は、神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)と呼ばれ、その王は神聖ローマの皇帝となりました。
一方、西フランク王国は、987年、カロリング朝のルイ5世(Louis V)が狩りの途中に落馬して死去。

ルイには子供がなかったので、国王選挙が行われ、ノルマン人の侵攻を撃退したことで名声を上げていたロベール家(Robertians)のユーグ・カペー(Hugh Capet)が国王に即位しました。

これによりカペー朝(Capetian dynasty)の始まりとなり、以降、西フランクはフランス王国と呼ばれるようになります。


     
               




カールの戴冠

西暦800年、クリスマスの夜。
フランクの王カールは、ミサ出席のため、ローマ最大の教会サン・ピエトロに足を踏み入れた。

ミサの儀式でカールが祭壇にめかづくと、法王レオ3世が、王に近づき、彼の頭上に帝冠をのせた。
そして法王とすべての人々は、王の前にひざまづき、神が定めた新しい皇帝として彼をあがめた。

カールにとって、皇帝就任は予想だにしなかったことであり、いわば不意打ちであった。
だがカールは、法王の要請に応えた。宗教的権威は、王としての正統性の裏付けになるからである。

法王にとっても、王の軍事力の後ろ盾により、東ローマ帝国からの圧力を回避することができる。
西ローマ帝国が滅亡して以来、ローマ教会を支配していたのは、東ローマ皇帝であった。

だが新たに皇帝を擁立すれば、その支配から抜け出すことができる。
レオ3世は、したたかに法王の権威の確立をねらっていたのだった。

法王の権威と、王の軍事力、互いにないものを補完しあい、ここに両者の提携が成立した。
またこれ以降、法王は宗教的支配者として、ローマ皇帝を任命する地位を獲得したのである。