百年戦争   (Hundred Years' War)        歴史年表       ヨーロッパ史       人名事典)(用語事典)
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カペー朝

フランスでは、ユーグ・カペー(Hugh Capet)が開いたカペー朝(Capetian dynasty 987〜1328年)
のもとで封建社会が成立しました。

王朝成立当時、フランス国内では諸侯勢力が強く、王権は弱いままでありました。

また、イングランドに成立したプランタジネット朝(House of Plantagenet)がフランス西部の大部分を領有したため、
カペー朝によるフランス統一は進みませんでした。



しかし、12世紀半ばにフィリップ2世(Philip II 在位1180〜1223年)が登場し、官僚制整備や王権の強化を図り、
プランタジネット朝のジョン王(King John)と戦い、ノルマンディーやブルターニュなど、大陸西部の領土を奪い返しました。

その後のルイ9世(Louis IX 在位1226〜1270年)は、異端キリスト教徒アルビジョワ派(Albgeois)を平定、
南フランスにも王権を拡大しました。

14世紀、国王のもとに国家統一を進めるフランスは、毛織物工業の中心地フランドル地方(Flanders)とワインの産地
ギエンヌ地方(Guyenne)の支配をめぐって、イングランドと対立を深めていました。






ヴァロア朝


1328年、カペー家の第15代フランス王シャルル4世(Charles IV)が後継者を残さず没すると、
ヴァロア家からフィリップ6世(Philip VI)が即位し、ヴァロア朝(Valois Dynasty 1328〜1589年)を創始します。

すると、フランス王家出身の母をもつイングランド王エドワード3世(Edward III)が「自分こそフランス王である」といってフランス王と対立しました。

こうして百年戦争(1339〜1453年)が始まりましたが、イングランド軍が優勢に戦いを進め、各地でフランス軍は敗北をつづけました。


(百年戦争は、イングランドのエドワード3世がフランス王になりたくて始めた戦争のように言われますが、実際には、
フランス国内にあるイングランド領の支配権確保が目的でありました。




百年戦争

当時のイングランドは、羊毛をフランドル地方に輸出して儲けていました。
現在のベルギー王国のあるフランドル地方は、11世紀ころから毛織物産業が繁栄していて、ヨーロッパ経済の一大中心地になっていました。

また、ギエンヌ地方はぶどう酒の特産地として知られ、ボルドーからイギリスに輸出され、イギリスの王侯・貴族に愛飲されていました。

ところが、フランス王フィリップ6世は、王の権威を高めるために、フランドルとギエンヌを直接の支配下に置き、
イングランド勢力をフランスから追い出そうとしました。



これに対し、イングランド王エドワード3世は、この二つの地域にフランス王の勢力が及ぶことを阻止するとともに、逆にフランス全土を征服しようとねらいはじめたのです。

百年戦争のきっかけは王位継承問題でしたが、最大の原因はこのフランドルとギエンヌをめぐる英仏の争いでありました)


百年戦争の戦場となったフランスでは、戦いによって農地があらされ、領主から重い税金をかけられ、さらにお金でやとわれた兵士が、
村をあらしまわったため、農民の生活は苦しくなるいっぽうでした。

1358年、ついに農民の怒りが爆発し、「ジャックリーの乱」(Jacquerie)という大反乱が起きました。





ジャンヌ・ダルク

反乱は、農民の敗北に終わりました。

フランス軍の敗北がつづくなか、フランス東部のドレミ村(Domremy)にジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc)という農民の娘がいました。

ジャンヌは「フランスを救え」という神のお告げを信じ、フランス王を主張するシャルル7世(Charles VII)のもとにかけつけました。
その後、イングランド軍にとりかこまれているオルレアン城(Orleans)に向かいました。

白馬にまたがったジャンヌがすがたを現すと、フランスの兵士たちは勇気をとりもどし、イングランド軍を打ち破ったのです。
この戦いで、戦争の流れはまったく変わりました。

ジャンヌはまた、フランス北部のランス(Reims)を解放し、シャルル7世を国王の座にすえました。
しかし、ジャンヌは国王側の裏切りでとらえられ、イングランド軍にひきわたされてしまいました。

そして半年にわたる教会の裁判の結果、「悪魔にとりつかれた女」として、1431年に火あぶりの刑にされました。

ジャンヌは「イエス・キリスト」のことばを最後に、19歳の生涯を終えました。
1453年、勢いをもりかえしたフランス軍が、イングランド軍を追い出し、百年戦争に勝利をおさめました。  



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ガーター勲章(Order of the Garter)

エドワード3世は、舞踏会でソールズベリー伯爵夫人と踊っていた。
すると夫人がガーターを落としてしまった。

公の場でガーターを落とすなど貴婦人にあるまじき行い。
夫人に恥をかかせまいと、王はそのガーターを自分の脚につけた。

それを王妃が嫉妬まじりに見ていたので、王は言った。「邪念を抱く者に災いあれ」

百年戦争のさなか、王は、美女の誉れ高いソールズベリー伯爵夫人に恋をしてしまう。
戦争のことさえうわの空になってしまった王だが、夫人に不義を説かれて目を覚ます。

エドワード3世は、伯爵夫人への恋を断念し、再び戦争へと心を向ける。


1346年、エドワード3世率いるイングランド軍が、フランス軍と戦った「クレシーの戦い」では
王は突撃の合図にガーターを振った。これにちなみ、ガーター勲章が創始された。

イングランドの最高勲章であり「邪念を抱く者に災いあれ」の文字が、勲章に刻印されている。
「敵対する者は、誰とて容赦しない」の意味であり、フランスへの攻撃の決意を表している。

(Edward III returning the Ladys garter by Howard Davie)