マラトンの戦い (Battle of Marathon)       歴史年表      ヨーロッパ史      人名事典)(用語事典
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ペルシア戦争

アテネで民主政治が進展していた頃、ギリシア人の活動圏は、エーゲ海東部のイオニア(小アジア)西岸にまで広まっていました。

その地域は、当時アケメネス朝ペルシアによって制圧されていましたが、ギリシアも商業都市ミレトスを建設して、貿易などを行っていました。

このミレトスを中心とした諸都市が、BC500年、ベルシア王ダレイオス1世(Darius I)の専制支配に対して反乱を起こします。
それをギリシアのポリス連合が支援したことで、「ベルシア戦争」が勃発しました。

アテネはミレトスを支援するため、20隻の軍艦を派遣。ところが、ペルシア軍の反撃にあって、あっけなく敗走。
ペルシア軍は、その勢いのままアテネへ軍を送り込み、ギリシア全域の制圧をもくろみます。


マラトンの戦い

ペルシア軍の第一回遠征は、BC492年のことでした。
ペルシア軍はギリシアに迫りましたが、暴風のため、主要な軍艦が大破。目的を果せず、引き返しました。

そこで、2年後のBC490年、再び、ベルシアは3~4万の軍隊を送り込みます。
そして、上陸したのが、海沿いの平野であるマラトンの地でありました。

この地で、アテネは、約1方の軍隊で、ペルシア軍を迎え撃ちました。
アテネ軍は、人数的には不利でしたが、重装歩兵が頑丈な防具で守りを固め、ベルシア軍の矢による攻撃をものともせずに進軍。



とくに、大きな効果を発揮したのが、相手を蹴散らしながら進んだ重装歩兵がベルシア軍の背後を衝くという作戦でした。

大混乱に陥ったベルシア軍は、退路をふさがれたという恐怖心から、いったん船へ逃げ戻り、アテネ市へ向かいました。
しかし、アテネ軍が陸路をとってただちに市へ戻ったことを知り、攻撃をあきらめて自国へ引返しました。

ペルシア軍が6400人の兵士を失ったのに対し、ギリシア側の死者はわずか190人だったといわれています。
こうしてベルシアのギリシア侵攻計画は、マラトンの戦いによって挫折しました。

これが「マラソン競技」を生んだ「マラトンの戦い」であり、元祖「マラソン・ランナー」は、その勝利の知らせをアテネへと伝えたのです。




(古代ギリシア史 Greece BC800~1460年)

BC800 ポリス(都市国家)が各地で成立。
BC776 第一回オリンピア競技 (古代オリンピック)開催。

BC500 ミレトスのギリシア人都市の反乱勃発。ペルシア戦争はじまる。(~BC449)
BC498 ギリシア軍が、小アジアのエフェソス(Ephesus)でペルシア軍に敗北

BC492 ペルシア軍の第1回ギリシア遠征軍進発(ペルシア戦争第1期)
    しかし、暴風のため、主要な軍艦が大破したため中断

BC490 マラトンの戦いでギリシア軍勝利(ペルシア戦争第2期)
BC480 サラミスの海戦でギリシア軍勝利(ペルシア戦争第3期)

BC479 プラタイアの戦いでギリシア軍勝利。
BC478 アテネを盟主としたデロス同盟結成。
BC449 和睦条約を締結し、ペルシア戦争終結。

BC447 パルテノン神殿建設開始。(~BC432)
BC443 ペリクレスが民主政治を指導。(ペリクレス時代 ~BC429)

BC431 アテネとスパルタが戦争。(ペロポネソス戦争 ~BC404)
BC338 カイロネイアの戦いで敗北し、マケドニアの支配下に入る。
BC146 マケドニアの滅亡により、共和制ローマの支配下に入る。



       
                          







ペルセポリスのダレイオス1世 


ペルセポリスは「ペルシア人の都」というギリシア語が語源である。

宮殿では、神と同一視されたペルシア王が玉座に座し、新年が祝われるなどペルシアの宗教都市だった。

ダレイオス1世のとき、ペルシアはエーゲ海からインダス川までの領土を支配し、全盛期を迎えた。

BC500年、ダレイオス1世はギリシア遠征を行い、アテネを中心とするポリス連合と戦った。(ペルシア戦争) 

しかしこの戦争は失敗。そのため国力が低下していき、BC330年、アレクサンドロス大王に滅ぼされてしまった。

(King Darius I and Persepolis by Ruggero Giovannini)








(アケメネス朝ペルシア史 Achaemenid Empire BC550~BC330年)

BC550 キュロス2世(Kuros Ⅱ 在位BC550~529)アケメネス朝ペルシア建国。
BC539 エジプトを除く全オリエントを統一。
BC538 バビロン捕囚のユダヤ人を解放。

BC522 ダレイオス1世(Darius the Great 在位BC522~BC486)即位。
BC500 ペルセポリス建設。
BC500 ペルシア戦争(~BC449)
BC490 ペルシア戦争マラトンの戦いで敗北。

BC486 クセルクセス1世(Xerxes I 在位BC486~BC465)即位。
BC480 ペルシア戦争サラミスの海戦で敗北。
BC449 和睦条約を締結し、ペルシア戦争終結。

BC336 ダレイオス3世(Darius III 在位BC336~BC330)即位。
BC333 イッソスの戦いで敗北。
BC330 アレクサンドロス3世(大王)に征服され、アケメネス朝ペルシア滅亡。