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テバイ攻めの七将Seven Against Thebai
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古代アテネの詩人アイスキュロスによるギリシア悲劇。
古代都市テバイの王権をめぐる戦いの物語に基づく。

オイディプスが追放された後、二人の息子(アンティゴネの兄)は王位をめぐって争い、エテオクレス(Eteokles)が勝利し王となった。
追放された弟ポリュネイケス(Polyneikes)はアルゴス王アドラストス(Adrastos)のもとに逃れ、その娘を妻とし、王の指揮のもとに七将がテバイ城に攻め込む。

アルゴス勢の主力を為した七将は、アドラストス、ポリュネイケス、テュデウス(Tydeus)、パルテノパイオス(Parthenopaios)、カパネウス(Kapaneus)、
ヒッポメドン(Hippomedon)、アムフィアラオス(Amphiaraos)。
戦いはアルゴス勢が敗北したが、その復讐のために十年後、彼らの子供たちエピゴノイ(Epigonoi)が再びテバイを攻め込み、勝利した。


テバイ王オイディプスには四人の子供がいた。
息子はエテオクレスと、ポリュネイケス。
娘はアンティゴネ(Antigone)とイスメネ(Ismene)。
オイディプスがテバイを出る時、娘たちは父を庇い、アンティゴネは盲目となったオイディプスと一緒に国を出るとさえ言った。

しかし、息子たち二人はただ傍観するだけで、父を助けようとさえしなかった。
オイディプスはそのことを深く恨み、息子達に呪いをかける。
「おまえたちは互いに相争い、殺し合うことになるだろう」、と。

オイディプスが国を出た後のテバイの王位はエテオクレスとポリュネイケスのどちらが継ぐのか。
そこで二人は神託に頼る。
すると、「国を出たオイディプスを迎えた方が、王位を継ぐことになるだろう」

この言葉に、二人の息子は競ってオイディプスを捜し出し、説得して国に連れ戻そうとする。
アテネ王テセウスの元にいたオイディプスは息子達の浅ましさに嫌気が差し、帰国を拒絶する。
そして、テセウスの立ち会いの下、エウメニデス(Eumenides 慈愛の女神たち)の聖林でその一生を終えることとなる。

オイディプスを得られなかったエテオクレスとポリュネイケスは、仕方なく一年交替で国を統治することにした。
しかし、王位に就いた兄のエテオクレスは一年を過ぎても弟のポリュネイケスに王位を譲らなかった。

そしてとうとう、エテオクレスによってポリュネイケスは国を追われてしまう。
悔しさと怒りを抱えたポリュネイケスはテバイを出て行く。
その手には、古くから家に伝わるハルモニアの首飾りを抱えていた。

ハルモニアの首飾りとは、鍛冶の神ヘファイストスの作品で、妻アフロディテと不倫相手のアレスとの間の娘であるハルモニアが、初代テバイ王カドモスの元に嫁ぐ時、
ヘファイストスが送ったいわく付きの首飾りである。
それは、持ち主を不幸にするという、呪いのかかった首飾りであった。

追放されたポリュネイケスはアルゴス王アドラストスのもとに逃れる。
そしてアルゴス国に辿り着いてまもなく、ポリュネイケスはやはりアルゴス国を頼ってきたカリュドン王オイネウス(Oineus)の息子、テュデウスと諍いを起こす。
互いに拳と拳で争っているところを、アルゴス王アドラストスが仲裁に入り、二人を引き分けにさせる。

この若者たちが気に入ったアドラストスは、二人の娘を添わせることにした。
ポリュネイケスはアルゴス王の力を借りて、テバイの王位を取り戻そうと考えた。

アルゴス王アドラストスの娘婿となったポリュネイケスは、義父に頼んでテバイ遠征軍を起こす。
ポリュネイケスはテバイを攻める将軍を募った。
そのうち五人までは揃ったが、六人目のアムフィアラオスは出征を拒んだ。

実はアムフィアラオスは予言の力を持っており、この出征に参加すれば自分が死ぬことを知っていたのである。
アムフィアラオスは妻のエリフュレ(Eriphyle アルゴス王タラオス Talaos の娘)に言う。

「もしポリュネイケスが何か贈り物を持ってきても、決して受け取ってはいけない」

その贈り物を受け取れば、自分は出征しなくてはならなかったからだ。
しかし、エリフュレはポリュネイケスからの贈り物のすばらしさに魅入り、それを受け取ってしまう。

ポリュネイケスがエリフュレに贈ったもの、それは、ハルモニアの首飾り、であった。
エリフュレは喜び勇んでアムフィアラオスに出征するよう説得する。

自分の命が長くないことを知ったアムフィアラオスは幼い息子、アルクマイオン(Alkmaion)を呼びだす。

「私はテバイに遠征に赴き、そこで命を落とすだろう。
おまえは大きくなったら、母を殺し、テバイを攻め落としてくれ」

こうして、テバイを攻める七人の将軍が集まった。

テバイには名高い門が七つあった。
アルゴス勢はテバイに到着すると七人の将軍をそれぞれの門に向かわせた。

プロイティダイ門(Proitidai) アムフィアラオス
エレクトライ門(Elektrai) パルテノパイオス(Parthenopaios)
オギュギアイ門(Ogygiai) カパネウス(Kapaneus)
オンカイダイ門(Onkaidai)ヒッポメドン(Hippomedon)
クレニダイ門(Krenidai)テュデウス
ホモロイダイ門(Homoloidai) アドラストス
ヒュプシスタイ門(Hypsistai)ポリュネイケス

テバイ側も七人の将軍をそれぞれの門に配置していた。
こうして、テバイの七つの門で攻防戦が起こった。

攻めるアルゴス側、守るテバイ側。
次第に戦況はテバイ側に勝機が傾きつつあった。

各門でアルゴス側の将軍が次々に倒されていった。
遠征にしぶっていたアムフィアラオスも命を落としてしまう。

そしてヒュプシスタイ門では、テバイ王である兄のエテオクレスと、テバイに攻め入った弟ポリュネイケスの兄弟が敵同士として戦っていた。
彼らは剣を取って戦い、そして互いに刺しちがえて死んでしまった。

テバイを攻めたアルゴスの七人の将軍のうち、生き残ったのはアルゴス王アドラストスのみ。
アドラストスはテバイを攻め落とすをあきらめ、やむなく国へ戻った。

テバイ王であるエテオクレスは死んでしまったが、王座を空位にしておくわけにはいかない。
そこでエテオクレスやポリュネイケスにとっては叔父にあたるクレオン(Creon)が継ぐことになった。

王位に即くとクレオンは布告をだす。
今回の戦でテバイ側の戦死者は手厚く葬るように。
しかしアルゴス側は野ざらしにして鳥や獣の餌にするように、というものだった。

これに真っ向から反対したのが、エテオクレスやポリュネイケスの妹であるアンティゴネだった。
兄のポリュネイケスの遺体が野ざらしにされているのが我慢ならなかったアンティゴネは、兄の遺体を埋葬しようとして、クレオンの兵に捕らえられ地下牢に投獄されてしまう。

アンティゴネが投獄された、と聞いて一人の若者がクレオンの元に飛び込んできた。
クレオンの息子ハイモン(Haimon)だった。

ハイモンはアンティゴネの婚約者であった。
なんとかアンティゴネを許してやって欲しいと父に頼んだが、父は首を縦に振らなかった。

父の元を飛びだしたハイモンは、アンティゴネが捕らわれている地下牢に赴く。
そこで、彼は最も見たくないものをみてしまった。

アンティゴネは、自ら首を括って死んでいたのだった。
絶望の淵に落ちたハイモンはその場で剣を抜き、自害してしまう。

悲劇は止まなかった。
息子ハイモンの死を知った、クレオンの妻エウリュディケ2(Eurydike)も悲しみのあまり、自ら命を絶ってしまう。
クレオンは自分の出した布告で、近親者の命をも奪ってしまったのだった。

一方、アルゴス王アドラストスは、六人の将軍の亡骸を返してくれるようテバイに申し入れをしていた。
しかし、テバイ側はそれを拒否し続けた。
そこでアドラストスは、アテネ王テセウスにテバイとの取り直しを頼んだ。

テセウスはテバイ王クレオンに、アルゴス側の遺体を返却するよう伝えたが、クレオンは拒否。
そこでアテネは兵を出してテバイに迫った。
これはにはテバイ側も仕方なく、アルゴス側の遺体を返すことになった。

そして十年の歳月が流れた。

アルゴス側ではテバイを攻めた七人の将軍の子供たちが成人して、再びテバイに侵攻しようとしていた。
父親達の仇を討とうというのだった。
後に彼らはエピノゴイ(後に生まれた者)と呼ばれた。

アムフィアラオスの息子アルクマイオンがエピゴノイ軍勢の総大将となり、アルゴス王アドラストスの息子アイギアレウス(Aigialeus)たちが集まり、再びテバイに攻め入った。
迎え打つのはエテオクレスの息子ラオダマス(Laodamas)。

ラオダマスはアルゴスの王子アイギアレウスを討ち取ったが、アルクマイオンによって倒されてしまう。
こうして勢いついたアルゴスの軍勢によって、テバイの街は略奪の嵐にあい、城壁も壊されてしまう。

こうしてテバイはアルゴスのエピノゴイたちによって滅ぼされた。


アルクマイオンは、この遠征から帰国すると、父の遺言どおり母を自分の手にかけて殺した。
それは、母エリピュレがポリュネイケスからハルモニアの首飾りを贈られて買収され、夫アムフィアラオスをテバイ遠征に参加するよう強制し、
これがアムフィアラオスの死の原因となったからである。

アルクマイオンはこの母殺しの罪のため、復讐の女神エリニュスたちに追われて諸国をさまようことになった。
最後にようやくアケロオス河神(Acheloos)に罪を清めてもらい、その娘カリロエ2(Kallirrhoe)と結婚したという。

(アイスキュロス Aischylos 『テバイ攻めの七将 Hepta epi Thebas』)